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私たちは「植民地支配」と聞くと、15世紀中ば頃から始まる大航海時代以降、西欧の強国が有色人種国家を支配し収奪したものであると、きわめて図式的に簡単に理解しています。
ところが植民地支配国側の立場に立ってみると、そうとばかりはいえない側面もあるのです。
どういうことかというと、仮にも国家を標榜する以上、自国内で起きた事件や事故については、当該国はちゃんと国として責任をとらなければなりません。
それは下々がしたことであって、当国政府は関係ないでは済まされないのです。
たとえば、イギリス人がフランスで殺されたとします。
その犯人の捜査から被害者への賠償まで、フランス政府は当然にイギリスに対して責任を負います。
イギリス政府は、その殺害された被害者のイギリス国民に国家として責任を負っているのだし、当然にイギリス国として、フランス国に対して、事態の究明から賠償責任についてまで、国としてキチンとした対応の申入れをするし、フランスも国家として、その申入れにちゃんと答えなければなりません。
だからこそ国家なのです。
ところが被植民地となった地域では、こうした国家としての常識が通用しません。
当該地でイギリス人が殺害され、その問題について事態の究明と被害遺族への倍賞を請求しても、「それは民間がやったことで、当王朝は預かり知らないことである」という反応にしかならないのです。
これでは、安心して国民が国外に出て行くことができません。
そこで欧米列強が相談し、どこどこのエリアについては英国が、どこどこについてはフランスが、どこどこはオランダがというように、担当エリアをキチンと定めて、そのエリア内で起きた事件や事故については、当該宗主国が全責任を持つという体制が生まれました。
これが支配者(宗主国)側からみた植民地の姿です。
つまり支配された側が、国家としての責任をとれる体制になっていないから、植民地化されたわけです。
逆に日本が「植民地支配されなかった」のは、国家としての責任体制が古くから整っていたからということもできます。
国家としての責任体制が整っていない国というのは、いまでもあります。
典型が、特亜3国です。
たとえば中共国は、世界中の特許権、著作権等を平気で侵害していますが、国際社会がいくら事態の改善を申し入れても、政府は「わが国は人口が多いからいろいろな人がいる」と言うばかりで一向に改善されません。
韓国は、日本に支配された時代が史上最悪の時代だったとウリナラ・ファンタジーを世界中に撒き散らし、韓国政府が自国民に行った残虐な仕打ちについては、いまなおまったく責任を取らないし、現にいまなお日本に亡命している朝鮮戦争難民の引取さえも拒否し続けています。
先日の日韓合意にしても、すでに「なかったこと」にしているくらいで、韓国という国家ができて依頼、彼の国が国際社会における約束事を守り、責任を全うしたことは、これまで一度もありません。
アフリカに目を向けますと、いまなお政府そのものがコロコロと代わり、政府の交代とともに通貨まで変わってしまう国まであります。
前の政府との間で、いくらいくらの支払いの約定があっても、政府が変わったらそんな債務は知らないと頬かむりをされてしまいます。
これでは世界の安定や世界の秩序維持など、まるで夢物語です。
だからこそキチンと理屈の通る国同士がそれぞれエリアを決めて、そのエリアで起きたことには全責任を負う。
そうせざるを得なかったのが、植民地支配でもあったわけです。
もちろん、支配される側の国のもともとの民族には、人権がなかったりしたのですけれど、では、放置しておいたら、その国に人権が確立されたのかといえば、答えはNOです。
ヤクザの親分みたいな者が王となり、自国民からの収奪が行われるだけです。
つまり、植民地支配された側の国や、そこにいる民族が、支配され収奪された不幸は、西欧諸国によってもたらされた不幸ではなく、もともとそこにあった不幸でしかないわけです。
逆に、たとえばガンジーがそうですけれど、宗主国は、見込みのある若者に、高いレベルの教育を施したりもしています。
ガンジーは、西洋に留学して弁護士の資格をとっています。
人格高潔で、社会性の見込まれる若者には、それなりの手当をしてきてもいるわけです。
日本の場合も、幕末にやってきた欧米列強は、どうせ日本も同じだろうと思っていたのです。
ところが日本は、生麦事件で英国人が殺害されたとき、幕府がちゃんと政府として英国への賠償責任に応じています。
英国は、まさか東洋の島国が、そんな近代的な行動がとれるなどとは思ってもいなかったから、薩摩まで軍艦を進めて薩英戦争を起こしました。
ところが自慢の英国軍艦は、薩摩に散々やられてほうほうの体で江戸湾に逃げ帰ることとなり、にもかかわらず、幕府はちゃんと賠償責任を果たしているわけです。
隣の自称大国のChinaでさえ、西洋的な理屈が通じないのに、まさか東の外れの島国が、近代理論をちゃんとわきまえることができなどとは思っても見なかった英国やフランス、アメリカは、むしろ日本の富をいかに奪うかにその後は腐心することになりました。
一方、その後の歴史を見ると、日本は、日清、日露に勝利し、さらに第一次世界大戦に勝利すると、アフリカやアジアの諸国が、まるで国家を理解しない、単なるマフィアのボスが勝手に王を名乗っているような国や民族を、人種差別撤廃という、それまでの世界の構図とまったく異なる人道論を持ち出してきたわけです。
人道論はもっともなことですが、現実にはそれでは世界の秩序は保てれないと考えた欧米列強諸国は、その後は、いかにして日本を抑えこむかに腐心することになりました。
このようなことを書くと、異様に思う方もおいでかと思いますが、立場を変えて物事を見れば、実際にそのような側面があることは否定出来ない事実ということができます。
第二次大戦後、有色人種国は次々と独立を果たしましたが、独立をすることによって国内が虐殺や粛清の嵐になったり、内乱状態がずっと継続したり、あるいは豊かになることで逆に他国にさんざんな迷惑をかけるようになった国は、たくさんあります。
日本のすぐちかくにも、国際秩序や条約さえも、これを守ろうとする機運はまるでなく、世界中に害毒を撒き散らしている国があります。
蛮族とか、人非人、人でなしといった言葉がありますが、実際問題として人間のカタチをしていれば人間といえるのかといえば、答えはNOです。
いま日本国内にも、人の皮をかぶったけだものがたくさんいますが、そういう人間としての常識が通用しない者たちが、一人前の人間として、自分たちの人権を主張し、一方において他人の人権を平気で踏みにじっているわけです。
それが本当に世界のためになるのか。
人道主義というものが、かえってまともに生活している人たちに結果として不利益をもたらしていないか、私たちはあらためて考えなおしてみる必要があるように思うのです。
ちなみに外国人による支配ということと、植民地ということでは、多分に意味合いが異なります。
たとえばおとなりのChinaは、基本的に漢民族の国として多くの人が認識していると思いますが、Chinaが漢民族の王朝であったのは、前漢の時代だけで、その後はずっと外来王朝です。
いちばんわかりやすい例がモンゴルですが、モンゴルは北の遊牧民でありながら、Chinaに元王朝をつくりました。
なぜそのようにしたのかといえば、王が直接乗り込んで支配する以外、他にChinaに秩序をもたらす方法がなかったからといわれています。
モンゴルにしても、漢族がちゃんと約束を守る民族であれば、条約によって国境を定めるだけで、平和を得ることができたのです。
ところが、漢族は約束をまったく守らない。
だから、モンゴルの王であるハーンが、直接現地に乗り込んで支配する以外に、自分たちの安全を守るすべがなかったのです。
植民地支配は、単に王の権力欲でばかり説明されがちですが、そうではなく、そこに「そうする必要があった」からこそ、そのような体制が生まれたということも、私たちは把握しておく必要があると思います。


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コメント
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2016/06/19 URL 編集
余命Jr.
2016/05/21 URL 編集
余命Jr.
ねずさん、目からウロコです。
2016/05/21 URL 編集
渡辺
日本が先の戦争で味わった、「世界中の(日本民族以外の)民族は力関係のみに従う」(敵も味方も中立も)という事実。日本人は、この教訓を忘れてはならないと思います。いまこそ、福沢諭吉の『脱亜論』が正しかった事が裏付けられました。現代にも通用する真理です。
2016/05/11 URL 編集
くすのきのこ
薩英戦争は、英国は既に幕府からたんまりカネをせしめたにもかかわらず、
さらに薩摩藩からもせしめようとして英国が薩摩に押しかけたのですよww
薩摩側から仕掛けたのではなく、犯人捜査に関する交渉を成立させず、英国
に薩摩の商船を拿捕され略奪されてから撃った。街は焼かれたが、住民は戦
の前に非難させていたので、戦闘員以外の被害はほぼなかった模様。その後
幕府の仲介で交渉再開。薩摩藩は幕府の結んだ条約に不備があるとし、カネ
を幕府から借りて払ったが明治維新で借金棒引きにしちまったというオチw
おまけに薩摩藩は英国から軍艦を購入する云々の交渉へと駒をすすめたと。
飴のような幕府と鞭の薩摩・・対立構造に見せつつも、英国の分断政策を
結果的にうま~くすり抜けている手際wwどこまでが阿吽であったか?
明治維新は流血はあれど、比較的短期間(江戸時代の長さを考えると)で
終決したようです。
英国の傲岸さは、インドが・・。英国侵入前のインド・1750年頃までに
は、インドの村落には学校があり識字率6割だったと。これが1割に激減。
1770年ベンガル大飢饉で1千万人餓死。植民地になる以前ではありえな
い事態。これは、インドの綿、シナの茶の輸入による英の銀流出があり、こ
れに慌てた英はベンガルの地租税を3割から6~8割へと増税して対処した
結果であったと。さらに天災の際に穀物を強制買いだめし放出しなかった。
これが宗主国という名の下に東インド会社が行ったことです。また土地所有
制を変え、小土地所有者2000万人から土地を奪ったと。その後も英国下
で19世紀前半140万人、後半2千万人、20世紀初に1千万人の餓死者
を。更にインドで強制栽培させたアヘンを銀の代わりにシナへ持ち込み汚染
したと。これはアヘン戦争へ、香港割譲へと・・。そんなこんなで1700
年時点での推計GDPでは、インドとシナは世界の47%西欧26%だった
が、1870年推定GDPインド、シナは29%西欧42%へと逆転したと。
まさ~にアジアを喰ったわけです。ですがインドはなかなかこの状況から脱
出できず、英国にインド兵を差し出していたと。やはり、強烈な国民意識を
作り上げるには・・非暴力・不服従のガンジーの組織力による塩の行進だけ
では足りなかったのでしょうね。国外に跳び出して行き、当時の英国の敵で
あった旧ソ、ドイツへとアプローチするも要を得ず、日帝と共に動いた武力
派スバス・チャンドラ・ボースのインド国民軍の戦いと、そのボースの夭折。
英国への謀反ではなく、あくまでも英国に独立戦争を挑んだのだというイン
ド国民軍は、裁判結果を不服とする大衆を動かし英印軍を動かし、ついに英
国を動かした。柔軟なガンジー・ネルーと硬骨なボース。対立構造に見えつ
つも、インド独立へとうまく互いを補いつつ導く結果へ。英国お得意の分断・
各個撃破ならずと。英国もWW2後で弱っていました。
インド独立も、ボース夭折後は比較的少ない流血と短期間(これまでの植民
地期間を考えると)に決したのではなかったか?
ちなみにインド国民軍裁判で日帝軍関係者は、これは英国への独立戦争であ
り日帝の指示ではないと強調するように要請されたとか。独立戦争を仕掛け
たという事であれば反逆罪にはならず、民衆の意を受ける事になると。日帝
側は当初、日帝の指示であると答弁して助命しようとしていたそうですが、
大マチガ~イでした。・・してみると・・東京裁判で大人しくしすぎたかも
しれませんねえ。どうも江戸末期の人々よりもウマクなかったかも・・。
2016/05/10 URL 編集
-
この話は戦前とか戦中の話じゃなくて、それこそ大航海時代が始まった時からの事なんだから。(ただし、スペイン・ポルトガルには疑問符が付く)
それ程の昔に、これを理解出来ていた日本人は、やはり国の中枢にいた人だけだったのかな。
戦前程度の時代になると、海外へ出る人も少ないとは言え増えて来たから、出た人特に商人・軍人・外交官はこの考え方が解る人も多かっただろう。
けれど、それ以外のその時の日本国民も、今の日本国民も、これを理解している人は…いないと言い切って良いんじゃなかろうか?。
この話は、そういう意味でも大変貴重な話。
こう言う話に接する機会すら、まず、無いからねえ。
2016/05/09 URL 編集
愛信
https://twitter.com/watanabeatushi/status/729582916305453057
インドのモディ首相は日本には戦犯は一人も居ないと言明しました。
安倍晋三総理は靖国に眠る英霊を犯罪者として南朝鮮(現韓国)大統領に謝
罪しています。
インドのモディ首相の伏し目がちな表情から貴方は何を感じ取りますか。
この2枚の写真を良く見比べてください。
詳細は
【集団通報 第1会議室の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kgs/kgs1.cgi
2016/05/09 URL 編集
one
欧米列強の植民地支配ですが、私は一方的に搾取した、に限りなく近いと思います。
債務についてですが、そもそも金細工師が預かった金をまた貸しする。現在の銀行制度が法律で認められたこと。信用創造。貸した金より、常に返済額は利子分増え続ける資本主義経済。ここに根本的な誤謬があると思います。
只今”逝きし世の面影”と言う本を読んでいます。西洋人から見た江戸時代の庶民の生活が、赤裸々に描かれていて、とても面白いです。好奇心で混浴を見に行く西洋人は酷いと思ったのですが、日本の女性も異人見たさに銭湯から裸で飛び出したというから、当時の価値観の違いに非常に驚いた次第です。徳川政権は好きになれませんが、江戸時代の庶民は、明るく元気でとても素晴らしかった。いい所は、私も現代社会もぜひ取り戻したいものであります。
2016/05/09 URL 編集
一有権者
今まさに我が国にはお隣の害毒が侵入しその体は蝕まれつつあるという事です。
我が国の政治家や役人の中には多くの日本国民の思いとは真逆な政策を行おうとするような人達が少なからずいます。
評論家時代にはまともな?話をされていたと思われた方が首長になったとたんとんでもない浪費を行い血税を無駄に使っている。
どこぞのお国の人の様な考え方を持つ方には地方自治といえどトップは勿論政治や政策を委ねるわけにはいきません。
政治家になろうと立候補した人の政治信条や思想は勿論出自までしっかりと見極める必要があります。
ふさわしくないと判断したならリコールをするべきです。
まぁいずれにしろ特あ3か国出身者を無警戒に信用は出来ません。
2016/05/09 URL 編集
junn
http://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71197127.html
2016/05/09 URL 編集
英仏はごめんだろうけど、現地人は今より幸せになれる気がする
2016/05/09 URL 編集