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ねずさんのひとりごとメールマガジン
Vol.0213
宇気比(うけひ)の勝負
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http://www.mag2.com/m/0001335031.html──────────────
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』
~31文字に込められたもうひとつの思い~
http://goo.gl/WicWUi───────────────
宇気比(うけひ)の勝負
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古事記には、海の国での職務を果たさず、父親の伊邪那伎大神(いざなきのおおかみ)に放逐された須佐之男命(すさのおのみこと)は、高天原におわす姉の天照大御神を訪ねたとあります。
このとき山川を悉動させ、国土が皆震えるほどの勢いでやってくる須佐之男命に、天照大御神は髪を「みずら」にまきなおし、体中に勾玉をまとい、背中には矢を背負い、帯剣すると堅い地面を力いっぱい踏み鳴らして威勢の良い雄叫びをあげて、須佐之男命に「何故上り来たのか」と問うています。
速須佐之男命は、「僕は邪(よこしま)な心はありません。ただ父大神に追放されてしまったので、事情を説明しようと高天原に参上したのです。それ以外に異心(ことごころ)はありません」と申します。
そして天照大御神が「それならば汝の心の清明は、何をもって明らかにするか」と申されると、速須佐之男命は、「おのおので宇気比(うけひ)をして子を生みましょう」と申し出ています。
宇気比(うけひ)というのは一種の賭けのようなものです。
あることについて、「AならばBになる。AでないならばCになる」と前もって決めておいて、結果がどちらであったかによって吉凶、正邪、成否などを判断します。
それを須佐之男命は「各々で行おう」と申し出てたわけです。
実は、このことはたいへん大きなパラドックスを含んでいます。
どういうことかというと、申し出を天照大御神が受けた瞬間に、天照大御神と須佐之男命の関係は、対等に勝負をする関係になってしまっているのです。
もともと高天原は、天照大御神がシラス聖域です。
そこに海の国を追放された須佐之男命がやってきて、天照大御神から詰問を受けるということは、その瞬間の天照大御神と須佐之男命の関係は、御白州におけるお奉行と罪人の関係に等しいものです。
つまり一方的に須佐之男命が詰問される関係になっているわけです。
ところがその御白州で、罪人である須佐之男命が、お奉行に「対等な勝負をしましょう」と申し出ているわけです。これは本来、ありえないことです。
つまり、このときの須佐之男命の申し出は、姉弟という関係を利用した、きわめて狡猾な罠(罠)であったわけです。
宇気比(うけひ)の勝負の結果はすぐに出ました。
天照大御神の勾玉からは、天孫降臨の際の邇邇芸命(ににぎのみこと)の父にあたる天之忍穂耳命をはじめとした5柱の男神、須佐之男命の剣からは3柱の女神が生まれます。
天照大御神は須佐之男命に、「五柱の男子は私の子、三柱の女子は汝の子です」と、高らかに勝利の宣言をしました。
本来これで「勝負あった」です。
そもそもこの場の審判者は天照大御神であり、その天照大御神が、わざわざ須佐之男命の言い分を取り入れて、対等な関係で宇気比までして、その結果須佐之男命の邪心が証明されたのです。
その場で須佐之男命は高天原から追放されるべきところです。
ところがここで須佐之男命は、「この宇気比はもともと我が心が清いかどうかの証であった。その私が生んだのは女の子である。従って宇気比は私の勝ちである」と強弁します。
これを古い言葉で「勝ちさび」といいます。
「さび」というのは、古語でそれらしく振る舞うことをいいます。
このように、黒を白と言い換えるということは、現代社会にもよくあることです。
互いをちゃんと区別することを差別だと言い換えたり、あるいは粗暴な暴力をふるっていた人たちに対して市民が自警団をつくって対処しようとすると、これを「暴力反対」と言い始めたり、あるいはかつて善政を施されたにも関わらず、それを支配された、蹂躙されたなどと騒ぎ立てる。
本当に昔も今もという感じがします。
しかしこのときも、本来ならば「勝ちさびは赦さぬ」と、須佐之男命を追放すべきであったのです。
ところが天照大御神は、慈愛の神様です。
須佐之男命がそこまで言うのならと、彼の言い分を黙認してしまうのです。
これもまた、最近「日本に統治された時代は、史上最大の残虐が行われた時代であった」と世界中に告げ口してまわっているどこかの国に似ています。
これを日本国政府は、放置し黙認しています。
その結果、何が起きたかというと、高天原に根付いた須佐之男命は、天照大御神の営田の畦(あぜ)を壊し、溝を埋め、大嘗祭のための神聖な神殿を汚したりします。
それでも天照大御神は須佐之男命をとがめずに、
「私のいとしい弟が神殿を汚したのは、
きっと酔っていたからであろう。
また私のいとしい弟が、田の畦を壊したり溝を埋めたのは、
他に新しい土地が欲しかったからであろう」と、
悪い行為を良い意味に言い直されておいでになります。
ところが須佐之男命の悪い態度は止まらず、ますますひどくなります。
そして天照大御神が神の衣を織る神聖な建物に坐(ま)して、神の御衣を織られていたとき、須佐之男命はその服屋(はたや)の屋根に穴を開け、そこから天の斑馬(ふちこま)を尾の方から生皮を剥いで、落とし入れるという暴行をはたらきます。
このとき天の服の織女(はたおりめ)が、その馬を見て驚き、織物をする際の道具である梭(ひ)で陰部を突かれて死んでしまいます。
ついに、死者まで出るのです。
織女の死を目の当たりにした天照大御神は、畏(かしこ)んで、天(あめ)の岩屋戸を開いて、そこに入り篭もってしまわれます。
太陽がおかくれになってしまったのです。
この世は闇に閉ざされ、その闇の中で、万(よろず)の神の声は狭蝿那須(さばえなす)満ち、万(よろず)の妖(わざわい)がことごとく発(おこ)るようになったと、古事記は記述しています。
これもまた戦後の日本に似ています。
バーやキャバレー、風俗などの夜の繁華街や、パチンコなどのギャンブルを戦後在日コリアンたちが牛耳りましたが、そこはまるでソドムとゴモラのような「狭いところで蝿がブンブンと飛び回るような喧騒」に満ちたものとなりました。
ちなみにおなじ喧騒でも、神社などの祭りの夜の喧騒と、夜の繁華街の喧騒はまるで異なります。
神社などの祭りの夜の喧騒は、結果として人々に恵と和をもたらします。
しかし夜の繁華街の喧騒は、人々の欲望を刺激して夜店の側に一方的な利益をもたらし、家庭内の不和などの不幸を撒き散らします。
こうした状態を古事記は「狭蝿那須(さばえなす)満ち」と表現しているのですが、さらにパチンコなどのギャンブルを支配下に置いた在日コリアンたちが、ついに大手メディアや国政の場にまで進出し、日本国内に害毒を撒き散らしているような様子を古事記は「万(よろず)の妖(わざわい)がことごとく発(おこ)る」と書いています。
では、この状況はいかにして改善されたのでしょうか。
その答えが八百万の神々による天の安河での会議です。
つまり、
民衆が立ち上がったのです。
その民衆が立ち上がることには、当然、高天原の須佐之男命一派からの妨害工作もあったことでしょう。
けれど、それにひるまず、勇気を持って民衆が立ち上がり、そこで、
思金神(おもいかねのかみ)が思慮をつくし、
常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせたとあります。
思金神というのは、高御産巣日神の子です。
つまり伝統的権威ある人が中心となって思慮を重ね、
鳥を集めて鳴かせた、
つまりメディアを介して大号令をかけています。
そして準備万端整えて、あらためて天照大御神に岩戸から出てきていただいています。
つまりこれは、いわば高天原の政変といって良い出来事なのですが、ここで大切なことは、Chinaのような易姓革命をしたのではないということです。
易姓革命というのは、「姓が易(か)わり、天命が革(あらたま)る」ということです。
ひとつの政権が倒れ、次に別な姓の王朝が出来上がる。これが易姓革命です。
ところが高天原の神々が行ったことは、もとの天命に戻したという活動です。
そこに一点の曇りもありません。
高天原は、もともと天照大御神がシラスところです。
そこに須佐之男命という権力が現れて、高天原が混乱に陥ったとき、あらためて天照大御神をお迎えすることで、もともとの天命の姿に戻しています。
もしここで思金神が、新政権を打ち立てたというのなら、日本も易姓革命の国になっていたかもしれません。
けれど、上古の神々の時代から、日本はそのようにすることを望まず、本来のあるべき姿に戻すことで、平穏を取り戻しています。
これは、詳しく述べるならば、ただ「革命をしたい、世の平穏を取り戻したい」という夢を描くだけでなく、ちゃんと日本という国についての上古の昔からの伝統、創世の神々からの「諸命以」を、八百万の神々が共通認識として踏まえることから始めたということなのではないかと思います。
いま、日本を取り戻そうとする動きを、本当に大きな動きにするというのなら、やはりここが大事な点なのではないかと思います。
古くからの日本の知恵を、もういちどしっかりと踏まえる。
それを共通認識にしていく。
Chinaのように「天命を革(あらた)める」のではなくて、
もとの天命の状態を取り戻す。
そのような努力があって、はじめて、結果として混乱と貧富の差しかもたらさなかったChinaの易姓革命ではなく、
本来の日本的な上下心をひとつにした和の国日本が取り戻せるのだと思うし、
それこそが神々の求める日本の姿なのではないかと思います。
さて、今日のお話では、須佐之男命がたいへんな暴れん坊だった様子が描かれましたが、須佐之男命は後には偉大な神様になる方です。
では、なにがきっかけでそうなったのか。
続きは13日の記事で書きますね。
(続く)
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http://www.mag2.com/m/0001335031.html
コメント
-
その
3%の内、どれだけの人が国を思い実際に動くのか、国など思わず動く人がどれだけいるのか。
国民と言えば、何やら聞こえが良いらしい。
だが、実際は、大した意思すら持たず掛け声を上げる者に同調して動くだけの、何とも言い難い輩だ。
こう言う人間が動く時と言うのは、もはやだれの目にも明らかなウンザリするだけのどうしようもない状況下にならないと、実際動かない。
その、動くときにすら、先導する者に同調して動くしかないのが国民でしょう?。
では、その先導する者とは?。
私はそれに興味がある。
小名木さんは、さかんに神と言われるが、先の大戦で敗戦した事は私は間違いだと思っている。
ここまで日本人が腐る原因にもなっている。
人を弄ぶような神など、私はいらないと思っている。
2016/05/11 URL 編集
翠子
私も実際に行動に移していきます。
2016/05/11 URL 編集
くすのきのこ
スサノオさんも最初は素行が悪かったりしたけれど、女性クシナダヒメを救
うためにヤマタノオロチを退治してより、ぐっと頼れる逞しさがでましたね。
元々は母上のイザナミの黄泉行きに泣いてぐずり、父上に抗して海原を治め
るのを止めてしまい、姉上の元に顔を出したら武装姿で迎えられたのが・・
なんというか・・子供っぽい甘えが通じないのに苛立ち・・と、男子の成長
にはありがちというか、必要な通過儀礼ともいうべき親子喧嘩というか・・。
父神と母神の代わりに姉神がお相手なさったわけですがwこれもまた、むか~
しから変わらぬ家族の姿かもしれませんね。そういうのがさりげなく書いて
あるのが古事記の良い所。単にお偉いばかりで人間性のない神様達よりもずっ
と現実味があります。古事記の神々には喜怒哀楽があり、悪行にも故あって
の事だと諭す智恵があり、また因果応報や盛者必滅の教えさえありますね。
この国の根深い文化の源の一つでもありますね。
2016/05/11 URL 編集
-
こういう読み方もあるのですね。
けれど、スサノオ大神さまが悪く言われるのは忍びないです。 スサノオ大神さまは、伊勢地方で蘇民将来として信仰されている尊い神様です。神武天皇の東征を導いたヤタガラスは熊野大神(スサノオ)の使いです。
2016/05/10 URL 編集
heguri
大変失礼な事かと思いますが、一部私なりに編集して
自分のFBでシェアさせていただきたいと思います。
宜しくお願いします。
2016/05/10 URL 編集