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10日の記事で「宇気比(うけひ)の勝負」をご紹介したのですが、ここまでですと、まるで須佐之男命(すさのおのみこと)が、悪者みたいですが、決してそうではないということを、今日は述べたいと思います。
基本的に「古事記」は、神々の成長の物語として描かれています。
成長の物語ですから、最初は、決して出来が良いとはいえなかった神様が、いろいろな出来事を経由して、偉大な神様に成長していく姿が描かれています。
須佐之男は、後には日本最初の和歌を詠んだ神様であり、また日本刀の源流を生んだ偉大な大神様となる方です。
それだけに、最初は様々な葛藤が描かれているわけです。
このことが意味していることは、きわめて大きなものです。
人は「変わる、成長できる」ということだからです。
人生に失敗はつきものです。
若い頃など、ハミ出してばかりですし、ある程度の年齢に至ってからの失敗は、取り返しがつかないものです。
その失敗やハミ出しを、当時に戻って取り返すことはできません。
しかし、矜持を失わないことで、別なカタチでその失敗を取り戻していくこと。そこが大事だということを教えてくれています。
さて、前回お話しましたように、高天原で様々な悪さをした須佐之男命は、立ち上がった八百万の神々によって、高天原を追放されます。
この追放されたときの様子がすさまじいです。
千位(ちくら)の置戸(おきど)を負わせ、鬚(ひげ)を切り、手足の爪を抜いたと「古事記」には書かれています。
千位の置戸を負わせたというのは、千台の車駕に乗るほどの莫大な過料の支払いを命ぜられたということです。
髭を剃られたというのは、神様としての霊力を奪われたということです。
手足の爪を抜いたというのは、罰として痛みを与えられたものです。
須佐之男命は、莫大な過料の支払いを命ぜられていますが、神様としての霊力を奪われ、両手両足の爪をはがされて、肉体的にもボロボロの状態にされているわけです。
そんな状態でどうやって過料を支払うのか、と疑問に思うほどですが、実は、須佐之男命はこれをきちんと全額高天原に支払っています。
それだけではなく、わが国最初の鋼鉄製の日本刀である草那芸之大刀を天照大御神に献上さえしています。
霊力を奪われた状態で、それだけのことを、実は須佐之男命は、ちゃんと実行しているのです。
並の迫力ではありません。
では、どうやってその支払を済ませたのかと言うお話が、実は、八俣遠呂智(やまたのおろち)の物語です。
須佐之男命の八俣遠呂智退治の話は、絵本などでは颯爽(さっそう)として帯剣した須佐之男命が、勇敢にオロチに立ち向かう姿に描かれることが多いのですが、実は「古事記」では、それとは正反対に、両手両足の爪を剥がされ、髭も剃られ、服はボロボロ、まるで乞食同然の姿で、地上の斐伊川の河原に須佐之男命が降り立つところから物語がはじまります。
川上から箸(はし)が流れてくるのを見た須佐之男命は、きっと川上に人が住んでいるに違いないと、川を遡るわけです。
そして奥出雲の鳥上村にたどり着きます。
そこで村人から、村の窮状を知らされるわけです。
その内容は、「我が女(むすめ)は、もとより八椎女(やおとめ)在りましたが、高志(こし)の八俣遠呂智(やまたのおろち)が年毎に来て喫(の)んでしまいました。今またそれがやって来る時」というわけです。
八俣遠呂智というのは、『日本書紀』では「八岐大蛇」と書かれています。
読みは同じ「やまたのおろち」です。
『日本書紀』ではあきらかに「大蛇」と書いているわけです。
ところがなぜか『古事記』は「遠呂智(おろち)」と書いています。
原文を見ますと「是高志之八俣遠呂智(此三字以音)」とあります。
「以音」というのは、「遠呂智」は書いてある漢字には意味がなくて、これはただの当て字ですという意味ですから、要するにカナの「オロチ」というわけです。
では『古事記』を書いた太安万侶が「蛇」という漢字を知らなかったのかというと、そんなことはありません。
大国主神神話のところでは、若いころの大国主神(大穴牟遅神)が、蛇の部屋に閉じ込められたというところで、ちゃんと「蛇」という漢字を使っています。
つまりここでは意図して「遠呂智」と書いているわけです。
では「八俣遠呂智」の「八俣」とは何かというと、「八」は「数えきれないくらいたくさんの」という意味です。
それが「俣」ですから、「数えきれないくらいたくさんに枝分かれした」という意味です。
つまり「数えきれないくらいたくさんに枝分かれしたオロチ」だというわけです。
では「オロチ」とは何でしょうか。
その疑問に対して、鳥上村の足名椎(あしなつち)は次のように答えています。
「目は赤加賀智(あかかがち)のようで、
身一つに八頭八尾が有り、
身には蘿(こけ)や檜(ひのき)や杉が生え、
その長さは八つの谷八つの丘を渡り、
その腹を見れば、ことごとく常に血でただれています」
(原文=彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜杉、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也)
「目如赤加賀智而」は、目が赤加賀智(あかかがち)のようだということです。
「赤加賀智」は赤いホオズキのことです。
つまり真っ赤だということです。
「身一有八頭八尾」は、体(胴体)がひとつで、たくさんの頭、たくさんの尾が有るという描写です。
これについて、ヤマタノオロチは八つの頭、八本の尾と描写しているものがありますが、繰り返しになりますけれど「八」は「たくさんの」という意味で、実数ではありません。
「其身生蘿及檜杉」の「蘿」というのは日陰の葛(カズラ)のことで、シダ類の植物です。
「及檜杉」は、「およびヒノキやスギ」ですから、八俣遠呂智の体には、葛(かずら)が生え、ヒノキやスギまで生えているということになります。
「其長度谿八谷峽八尾而」は、その身の長さは、たくさんの谷や丘を渡るほどだということです。
「見其腹者、悉常血爛也」」は、その腹を見れば、ことごとく常に血でただれているというわけです。
「オロチ」が意味するものについては、古来、様々な議論があります。
奇形の蛇だという説から、ドラゴンのような怪獣説、オロチとオロシャが音が似ているので、ウラジオストックなどのロシア方面からやってくる異民族の海賊だという説、あるいは洪水説、河川説もあり、どれも決め手に欠けているようです。
ところが、この物語の場所である鳥上村は、いまでも奥出雲にちゃんと現存する場所です。
そしてその鳥上村を上空から見ると、そこはまるで脳細胞のシナプスのような形をしています。
四方八方からたくさんの川が流れ込み、その流れこんだ川が、盆地内でさらに複雑に枝分かれし、最後は一本の川となって、流れ出ています。
もともと盆地というものは、大水のたびごとに山の峡谷に土砂が流れ込み、これが堆積してできるものです。
つまり鳥上盆地のように、あちこちから川が流れ込んでいるような山あいの土地は盆地が形成されやすい場所でもあるのです。
そのかわり、そうしてできた盆地は、もともと洪水に弱い土地となります。
とりわけ鳥上村のように、四方八方の水源地から水が流れ込んでくるような土地では、その悩みはひとしおです。
人が生きるためには、食料の確保が不可欠ですが、その食料をつくるための田畑が、毎年の洪水のたびに、作物ごと全部流されてしまうのです。
実は、昔は、このように土砂災害に弱い土地を「愚地(おろち)」と呼びました。
あるいは「悪露地」とも書きます。
いまでもパソコンで「おろち」と入力すると「愚地」や「悪露地」という漢字がちゃんと出てきます。
悪露は、妊娠などの際の悪露(おろ)という言葉にも出てくる言葉で、悪いものが堆積することをいいます。
まさに鳥上村の盆地の形状は、「たくさん川が流れ込む愚地(おろち)」なのです。
そして鳥上村が「愚地(おろち)」なら、毎年「八俣遠呂智」に飲まれたという「八椎女(やつちめ)」は、鳥上村の田畑のこととわかります。
そしていまある田畑が櫛名田比売です。
また、八俣遠呂智は、目が赤いホオズキのように真っ赤だというのですが、もともと鳥上はタタラ製鉄が行われていた土地です。
昔は近隣の山から鉄鉱石がよく採れたところでもあります。
鉄鉱石は表面に赤錆が浮きますので、真っ赤になります。
土も、鉄分が多いと錆が出ますから、土が赤くなります。
「八頭八尾」も、上流でたくさんの水源地から水を集めた川が、四方八方から鳥上村に流れ込み、さらに盆地内でその川が、いくつもの支流に分かれて暴れ川となっている様子そのものです。
そして鳥上村をさんざん荒らした川は、盆地から出るときは斐伊川一本だけになるのです。
遠呂智の胴体には、葛やヒノキやスギが生えてとありますが、これも川のことなら、川の流域にはそれらの草木が生えています。身の丈がたくさんの谷や丘を渡るという描写も、川ならば当然です。
つまり八俣の遠呂智は、四方八方から川が注ぎ込んでいる愚地(おろち)の鳥上盆地のことということがわかります。
そして「八椎女(やつちめ)」は、盆地で過去に洪水の土石流によって飲み込まれた田畑、「遠呂智」は「愚地」で、毎年の土石流災害に悩む鳥上村そのもののことを言っているわけです。
足名椎は遠呂智の腹について、「血でただれているようだ」と述べていますが、土石流が赤土を多く含めば、まさに土石流は赤い川になります。
要するに、須佐之男命がやってきた鳥上村は、ものすごく水に弱い愚地の盆地だったわけです。
そこで須佐之男命は、堤防をつくり、水門を築き、盆地の土地改良を行います。
これによって、鳥上村は肥沃な盆地へと生まれ変わり、作物の収量が大幅に増加します。
そしてその増加した作物を、まさに千の車駕に乗せて、高天原に須佐之男命は支払っているわけです。
また、鳥上村は、もともとタタラ製鉄を行う土地です。
そこで生まれた玉鋼(たまはがね)によって、素晴らしい名刀である草那芸之大刀をつくり、須佐之男命は、これもまた高天原に献上しています。
そして草那芸之大刀は、わが国の三種の神器のひとつとなりました。
鳥上村にやってきたときの須佐之男命は、まさにボロボロの姿です。
ほとんど乞食同然というより、乞食そのものの姿になっていました。
けれど、須佐之男命の心は、決して挫けてなどいませんでした。
むしろ、そのボロボロの状態の中にあって、矜持を失わず、人々の暮らしの安寧のために、最大限の努力を惜しまずに行い、それによって課せられた罰金も支払い、草那芸之大刀によって高天原との和解も実現し、その上で、地元の櫛名田姫を妻とし、八重垣をめぐらした立派な御殿を建てて、民衆の守り神となっています。
男が仕事をしていれば、必ず、どうしようもないボロボロの状態に身を置かれることというのが起きます。
これは必ずやってくることです。
しかし、たとえ身がいかに悲惨な状態になろうとも、心の矜持は失わず、人々のためにできる精一杯の努力を続けていく。
おそらくは、乞食同然のボロボロの姿であった須佐之男命に対して、村人の中には、これを疑う者もいたことでしょう。
あるいは、堤防工事の厳しさに、文句をいう人もいたことでしょう。
けれど、どこまでも人に対する愛情を失わず、人々のためにやると決めたことは最後までやりぬく。
やりぬいたからこそ、須佐之男命は歴史に名を遺し、偉大な大神として祀られる存在となったのです。
そして須佐之男命が遺した和歌、そして太刀は、どちらもいまなお日本の宝であり、民族の誇りです。


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コメント
とほりすがり
そして、あらぶる(現ぶる、荒ぶるではなく)神さまです。
ただ、その優しさが勢い余って騒動を起こしてしまったのではないでしょうか。
純粋に姉君に挨拶し、ことの経緯を伝えようと天界に昇られたが、あまりの様子に天の神々さまは警戒し疑いを持たれた。
なので、天照大御神さまと須佐之男命さまはうけい(誓)を持って潔白を証明された。
その後、天界で様々な騒動が起きましたが、これは須佐之男命さまが天界に来たことによって、隠れていた天界の穢れが表に現れた。
そして天界の神々は自分たちの穢れや罪の発覚を恐れ、須佐之男命さまに罪をなすりつけ、刑罰した。
弟君の現ぶる性質を知っている天照大御神さまは、これを見て、岩戸の内にお籠りになった。神々さまに反省し、改心して欲しかったからです。
しかしその後、天の神々さまは天照大御神さまに岩戸から出てきてもらうために、計略し、強引に大神さまを引き出した。困っていて仕方なかったとはいえ、方法には疑問が残ります。
八岐の遠呂智は、八方に拡がる知ではないでしょうか。
「数えきれないくらいたくさんに枝分かれした」実のない知、なやみや迷妄、迷い。欲望と策略。目は血走り、腹には争いの意図。スギ(過ぎ、強欲)やヒノキ(火の気、欲望)。
それに対し富士は「不二であり全ては一つ」、実の伴った知、思いと言葉と行動の一致した真(まこと)。調和。
須佐之男命さまは八方に拡がる強欲の知を断ち、不二に立ち戻る道を示されたのではないかと思います。
草薙の剣は草(欲)を薙ぎはらう力の象徴なのではないでしょうか。
櫛名田比売は奇稲田姫でもあり、隠稲田姫でもあるのではないでしょうか。須佐之男命さまの現れるに対して、隠れである櫛名田比売さま。
そうだとすると、素晴らしく相性の良い夫婦神さまですね。
あらみたま(現)、くしみたま(隠れ)、にぎみたま(和)、さきみたま(分)。
以上、ツラツラと私見を書かせていただきました。
ねずさん、みなさま、いつもありがとうございます。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2016/05/31 URL 編集
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遠呂智とは遠きロシアの智慧の事であると書かれています。
肥河上は〝日の源〟即ち日本であります。
神話は、時間を超越した世界にある心的原型を、古代人が感受して象徴的に表した物語であり、古代に伝えられた象徴物語に、現代の模型があるそうです。今は絶版となった本ですが、ねずさんに読んでいただきたいと思います。
2016/05/14 URL 編集
-
むしろ、しっくりします。
櫛名田比売が田畑とは考えませんでした。
須佐之男命が接触したのは、一家ではなく村の様な集団だったと解釈すると、たかが老夫婦があれだけの酒樽を揃えられた事も納得出来ます。
現地にも行って見ましたけれど、確かにあそこの地形はねぇ…。
須佐之男命ですが、この高天原の一件と八岐大蛇の一件の間に、どういった心の変化があったんでしょう。
そこが常々知りたいと思うところです。
2016/05/14 URL 編集
愴意
その上で、実は日本神話には裏にとても重要な事柄があるという一説をご存知ですか?日本神話に興味を持とうとする方は、こういう話もあるんだーと、読んでみてください。
日本神話は実は未来史であるという一説がまことしやかにあります。
聖徳太子をご存知ですか?彼には不思議な力があると言われており、予知も出来たという話もあります。そんな聖徳太子ですが、実は未来をよげんしており、書物に残したという話があります。その書物は時の権力者によって内容はうしなわれてしまってしまいます。
しかし、聖徳太子はそれも予見しており、日本神話として決して未来予知の内容を奪われないようにしたという話です。
実は、かの楠木正成も、天皇のために戦うと決めた時、神話にある、ある部分より戦い抜くと決めたのだというのです。多くは省きますが、あるさかなの化け物と対峙する話で、北条家の鱗の家紋と重ねた話となされています。その魚との激闘の後、「短いの平安と長い混迷の時代が続く」という戦国時代を表しているという話です
また、イザナギ、イザナミの黄泉の話は、イザナギという汚れに包まれる、現代の文明社会に汚される日本を描いているとも言われています。
嘘か本当か、私には判断しかねるものでありますが、もしよろしければいろいろこういう面白みもある、と見ていただきたいと思います。
後付けだろうという方も多いでしょうが、そういう話からでも日本神話に触れていただければと思います。
2016/05/13 URL 編集
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スサノオ大神さまは神界から地獄界までも
往き来できる唯一の神霊なのだそうです。
地獄界の閻魔大王もスサノオ大神の分神だときいた事があります。織田信長の先祖はスサノオ神社の神主の家系で第六天魔王(スサノオ神)からの御告げで天下統一へ踏み出したと信長自身が言っていますね。
スサノオ神の分け御霊を頂いている強い人間でないと今の惰弱な日本を立て直す事は
不可能かもしれませんね。
2016/05/13 URL 編集
junn
http://bewithgods.com/hope/jiji/nikyouso.html
2016/05/13 URL 編集