ルーズベルトが米国民主党の大統領選に立候補したのは、昭和15(1940)年のことです。
このときルーズベルトは、対立する共和党から、
「ルーズベルトは戦争を好んでいるから彼を大統領にすべきでない」と攻撃されています。
これを「痛手」としたルーズベルトはラジオに出演し、、
「私は、あなたがたの子供を戦場に絶対に送りません。
このことを繰り返し、繰り返し、繰り返し誓います」と、
「繰り返し」という言葉を3度も使って米国民に「不戦の誓い」をしています。
3度も繰り返してです。
だから米国民は、安心してルーズベルトを大統領にしたのです。
つまりルーズベルトは、米国民との約束上、
「米国からは絶対に戦争を仕掛けることができない」情況にあったのです。
だからもし戦争をするならば、必ず戦争を外部から「仕掛けられる」ようにもっていかなければならなかったのです。
ということは、日本は米国を参戦させないために、
「日本からは絶対に米国に戦争を仕掛けない」という選択肢があったということができます。
そもそも大東亜戦争において日本は米国以外のすべての国との戦争に勝っています。
歴史を振り返れば、日本が日米戦争の開戦に踏み切らなければ、あの戦争は最終的に日本の勝利に終わったと言い切ることさえできます。
太平洋戦争で失われた命は、日本213万人、米国35万人です。
結果としてこれだけ多くの犠牲を払う必要性は、日米両国に開戦当時にあったのでしょうか。
米国の参戦を食い止め得るということは、緊迫した日米関係において、ものすごく重要な「外交カード」です。ルーズベルトは大統領選のにおいて、それだけ大切なことを国民に約束しているのです。
戦争が始まれば、全力をあげて戦うのは、もちろん軍隊の仕事です。
けれど開戦前の緊迫する情勢の中で、戦争を避けるために最大限の努力をするのは、外務省の役割です。
国民の生命と財産の安全を図ること、そのためにこそ、現地に高い費用を払って大使館を置いているのです。
ところが日本の外務省は当時、このことをまったく「外交カード」に用いませんでした。
それだけではありません。
日本は開戦の年である昭和16(1941)年4月に「日ソ中立条約」を結びました。
この条約が後年裏切られて、ソ連が一方的に参戦し、多くの一般市民の日本人が犠牲になり、日本の兵隊さん達がシベリアで抑留され、多くがお亡くなりになったことは、みなさまご存知のとおりです。
ところが昭和16年の6月の時点で、独ソ戦争が始まってしまうのです。
ここからが大事です。
当時日本は、日独伊三国同盟を結んでいました。
つまり、日本とドイツとは同盟関係がありました。
この時点で日本がもし、「ドイツ、イタリアとの三国同盟に基いてソ連と戦う」と宣言することは、ものすごく大きな米国への脅威であったはずです。
なぜなら、当時のドイツは、たいへんな勢いがあったからです。
しかも当時のソ連は、ドイツとの戦いで追い詰められていました。
この時点で日本がシベリアに軍を進めていたら、ソ連は東西からの挟み撃ちにあって沈没する可能性大です。
もしかするとその後の冷戦も、ソ連による大量虐殺も、中華人民共和国も成立しなかったかもしれないのです。
この時点で、米国は「日本がシベリアに出兵すること」を阻止することはできません。
そしてソ連が消滅し、広大なシベリアが日本領、もしくは日本の影響下になり、東欧からロシアにかけてがドイツ領になることは、そのまま米国の西進の野望を完膚なきまでに打ち砕くことになります。
実際にドイツと呼応してシベリアに派兵したほうが良かったと言っているのではありません。
そういうことを、どうして米国との外交交渉のカードに使わなかったのか、という、これは問題提起です。
日本は、日米外交においてドイツとの同盟関係を守ってシベリアに派兵するかもしれないと匂わすだけで良いのです。
そうすると米国は、おいそれとは日本をいじめられなくなる。
日本を日米開戦に追い込めれなくなる。
むしろ日本を懐柔し、日本と仲良くしなければならない情況に至るのです。
外交というのは、本来このように「状況をつくりだす」ためのものです。
米国が日本をいじめられなくなるということは、米国は日本を挑発して日本に日米開戦に踏み切らせることができない、ということです。
米国にとって、この日本の対ソ戦参戦がどれだけ脅威だったかというと、昭和16年の7月に、ルーズベルトは「日本がソ連を攻めないことを文書で回答してもらいたい」と言ってきていることでもわかります。
ところが時の近衛内閣は、外務省の勧めに従って、この米国の要求に、易易と従っています。
外交カードに使おうとした形跡さえありません。
日本がソ連を攻めないなら、米国は安心して日本を追い詰めることができます。
そして実際、歴史はその通りの展開となりました。
もし日本の外務省が、
「ソ連戦参戦」を匂わせながら、
「自分からは戦争を仕掛けられないルーズベルト」を懐柔し、
「真珠湾攻撃をあと一週間遅らせていたら」どうなったでしょうか。
真珠湾攻撃の当日というのは、ドイツ軍のモスクワでの敗退が決定的になった日です。
ということは、ドイツはソ連に勝てない、ということです。
そしてこの時点で日本はソ連と戦争をしていません。
それどころか不可侵条約があります。
つまり米国には、日本を責める理由がないのです。
加えて真珠湾攻撃の3日前の昭和16年12月4日には、
「ルーズベルトは反戦の誓いをして大統領になりながら、1千万人を動員して半数は海外の戦場へ送るという戦争計画を作っていた」
ということが、米国の新聞にすっぱ抜かれています。
ルーズベルトはこのときパニックになり、大慌てになり、記者会見さえ開けませんでした。
つまりルーズベルトはこの段階で、日本に一日でも早くアメリカを攻めてくれないか、日本が攻めてくれれば、この窮地から脱出できるのに、という切羽詰まった情況にあったわけです。
もし、日本が真珠湾攻撃を、あと1週間遅らせていたら、ルーズベルトはその陰謀を衆目に晒され、退陣もしくは戦争参戦を、さらに「しない」と米国民に向かって宣言させられた可能性のほうが高いのです。
ということは、「日米の戦争は回避できた戦争である」ということです。
そうであれば、戦域は極東から東南アジア方面に限られます。
もしそうであったなら、どれだけ多くの命が救われ、戦後の日本および東亜の情勢はどのように変化したことでしょうか。
要するに、戦争回避のための日米交渉を外務省がしっかりとやっていれば、日米戦争は回避できたし、Chinaにおける毛沢東の1億人を数える大虐殺も阻止できたし、南北朝鮮の分断もなかったし、その後の反日活動の阻止も可能であったのです。
さらに外務省の不実は、戦争回避だけでなく、戦争そのものにも重大な影響をもたらしています。
その典型が、真珠湾攻撃の際に、宣戦布告文書の手交を1時間半も遅らせたという軽挙です。
なぜ遅れたのかについては、複数の説があります。
しかし、いかなる理由があったにせよ、遅れたという事実によって、それまで日本に同情的だった米国の世論が一気に激高し、先の大戦を悲惨な状況にまで追い込み、それによって原爆投下を含めた多くの命が失われたことは事実です。
真珠湾が、「リメンバー・パールハーバー」という米国世論を形作ったのです。
このことは、終戦の直前に亡くなったルーズベルトに変わり、次の大統領になったトルーマンが象徴しています。
トルーマンは、ルーズベルトの敷いた路線に従い、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に日本に二発の原爆を落としました。
それによって広島では12万人の尊い命が奪われ、長崎では7万4千人が亡くなりました。
ところがトルーマンは、真珠湾の前に、日米で戦争回避のための努力が行われていたことも、攻撃が「突然の騙し討ち」ではなくて、日本の大使館のミスであったことも知らされていなかったのです。
杉原会長は言います。
「真珠湾攻撃の当日、
米国にある日本大使館の前には、
大勢の新聞記者が詰めかけていました。
もしこのとき日本の大使が、
大使館前に居並ぶ新聞記者達の前で、
宣戦布告文書の手交が遅れたのは、
大使館の事務処理によるミスであり全責任は自分にある。
よってこの場で腹を切ってお詫びしますと
切腹のひとつでもしてくれていたら、
全米の同情が日本に集まり、
すくなくとも原爆を落とそうというまでの冷酷さが
日本に対して与えられるようなことは
なかったのではないか。」
その通りと思います。
他にも杉原会長のお話しはまだまだ続くのですが、考えるべき問題は、日米開戦外交にかぎらず、終戦時の不手際、あるいは目下進行しているISの問題にしても、拉致問題にしても、竹島問題、日本海呼称の問題、慰安婦問題、南京問題等々の諸問題が起こった時に、なぜ外務省は、国民の期待に応えうる活動ができないのかということです。
以上の内容は、杉原誠四郎元会長著
『日米開戦以降の日本外交の研究』と、
『外務省の罪を問う』に詳しく書かれています。
私はせんだって、「シビリアンコントロールが無責任な戦争を引き起こす」と書かせていただきました。
戦争になれば、立派に戦って勝利するのは軍隊の役割です。
けれど、その戦争が「起きないようにする」のが、本来の文官の役割です。
軍人は戦いに敗れれば命を失います。
文字通り戦いは命がけです。
けれど、その命がけの努力をする軍人に対し、文官は「命がけ」の努力ないしは責任を持った行動をしているといえるのでしょうか。
国家の政府の最大の役割は、国民が豊かに平和に安全に安心して暮らせるようにしていくことです。
戦争は、その国民生活の平穏を乱す最大のものです。
もちろん、いざとなったら、勇躍一身を投ずる覚悟は、国民としてあたりまえです。
しかし、だからこそ、国民がそのような危険に晒されないようにするのが、文官の最大の役割ではないかと思います。
そして、それができなかったのなら、その責任はしっかりとらなければならないと思います。
なぜなら、権力と責任は、常にイーブンの関係になければならないからです。
戦後日本の間違いは、私はGHQの責任とばかり言えないと思っています。
戦後政治が内包した、戦前からの無責任体制、権力があっても責任を負わないという、無責任体制こそが、国家を歪めている最大の欠陥となり、これがGHQの路線の延長線上に相乗りしたことが、結果として、いまの日本を作っているのではないかと思っています。
そしてそもそもそのような無責任体制の中にあるからこそ、国政や行政の要職に、日本人のような顔をした日本語を話す日本人でない人が、多数跋扈する情況を作り出しているのだと思います。
すこしスピリチュアルなお話をします。
明治維新以降、日本は脱亜入欧を合言葉に、日本にもともとある歴史伝統文化を捨て、欧風のものなら何でも、あたかも正義であるかのように感じ、そういう国家を築いてきました。
けれど、これは必ずしも御神意に適ったものであったとは、戦前も戦後も到底いえないものであったのではないかと思います。
とりわけ戦前の日本は、明治維新から終戦までのわずか80年間の間に、戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦、日華事変、第二次世界大戦と、8度にも及ぶ大戦を行っています。
わずか80年の間に8度です。
戦前の特に教育などの面において、日本的素晴らしさが多数発揮されたことは、おおいに高く評価すべきことと思います。
しかしそのような高得点がある反面、維新以降の戦前の日本が、本来国民が豊かに安心して安全に暮らせるようするための政治をしなければならないのに、立て続けに戦争をしてきた、あるいはそうせざるを得なかったということについては、やはり、痛烈に反省しなければならない点であったのではないかと思うのです。
逆に、戦後の日本は、教育や文化の面においては、大量失点を重ねていますが、すくなくとも戦後70年間、戦場に日本人の若者の屍が晒されるという危険は、ずっと回避し続けている点は、やはり高く評価すべきものであろうと思うのです。
そういう意味で、戦前が良かった、戦後が良いとかいう一面的な議論ではなく、私たちは未来志向で、戦前にあったような日本の歴史伝統文化が尊重され、高いレベルの教育がなされる時代を一方において取り戻しながら、その一方では、二度と戦争が起きないように、あらゆる備えをし、またあのような戦争を回避できるだけの、あらゆる努力がなされる国を築いていかなければならないと思います。
そういう意味において、戊辰戦争、西南戦争、佐賀の乱、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦、日華事変、第二次世界大戦が、なぜ起き、どうして回避できなかったのかといった問題についても、誰が悪かったとか、誰かのせいにするとかいうことではなく、冷静かつ客観的に戦争を防ぐために必要なことを研究し、学ぶという国をあげた努力が必要なのではないかと思います。
とにもかくにも、戦争は絶対に避けなければなりません。
さりとて、ただ金を渡して黙らせるという手段は、近隣国が貧乏で、捨扶持でも十分にだまらせることができた時代ならいざしらず、もはやいまの情況では、一切通用しない状況にいたっているのです。
そうであるなら、「戦争反対、徴兵反対」と、子供みたいにただ大騒ぎするのではなく、戦争を回避できるようにするために、国家としてできること、しなければなならないことを、冷静に実現していかなければならないのだと思います。
それこそが、国のために勇敢に戦ってくださった英霊たちに応える日本人の道であると申し上げたいのです。


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コメント
桔梗
適材適所での海外投資も必要ですが、きちんとした外交ができないのは本当に致命的ですね。
私はやはり教育が大事だと思います。経産省なんかもそうですが、官僚は左思想に毒されたウマシカが多いように感じます。勉強ができる人たちは教師の左思想もそのまま吸収してしまっているのではないでしょうか?
日本では地政学があまり盛んでないそうですが、最近書店でよく見かけます。幸い日本人は勤勉ですから、そんなふうに知らない事をどんどん学べば、現状を変えていけると信じたいです。
2016/05/20 URL 編集