今日は宮川三郎少尉のご命日



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宮川三郎少尉

6月6日は、宮川三郎少尉のご命日です。
宮川少尉といえば、知覧航空基地から特攻隊として飛び立ち、ホタルになって還ってきたというお話で有名です。
以下は、そのホタルが還ってきた富屋食堂の鳥濱トメさんのお孫さんから直接伺ったお話です。

トメさんは、お孫さんたちにも、当時のことをよく語って聞かせていたそうです。

特攻作戦は、知覧を始め、宮崎の都城など九州各地や、台湾の航空基地からも出撃していますが、なかでも知覧が本土最南端であったことから、陸軍の全特攻戦死者1,036名のうち、半数近い439名が、ここから出撃されました。

富屋食堂は出撃前の特攻隊員たちの憩いの場でした。
トメさんは、隊員たちから母のように慕われていました。
ですからトメさんは、出撃されたおひとりおひとりのことを、全員分、まるで昨日のことのようによく覚えておいでした。
なかでも宮川少尉のことは、とても印象に残っていて、何度も何度も聞かされました。


宮川さんが知覧に来られたのは昭和20(1945)年5月の終わりごろです。
宮川さんは新潟の人で、雪国の人らしく色白でハンサムな方でした。

宮川さんは、知覧に来る前、万世飛行場から一度特攻に出撃しています。
しかしこのときは機体が故障して、引き返しています。
「自分ひとりだけが生き残った」

宮川さんはそのことをとても気にしていて、そのことを鳥濱トメさんへの手紙にしたためています。
「先輩、同期生がつぎつぎと散華し、
 自分たちばかり残るというのは
 心苦しいことです。
 この心はわかっていただけると思います。
 だが、決して死を早まらんつもりです。
 任務を完遂するまでは、断じてやります。
 ご安心ください。」
これが当時19歳だった青年の手紙です。

その宮川さんいる知覧に、宮川さんの故郷の同級生が赴任してきています。
その同級生に先に出撃命令が出ました。
出撃するということは、死ぬということです。

「俺もすぐ行く。靖国神社で会おう」
そう言う宮川少尉に、同級生は言ったそうです。
「俺は先に故郷の小千谷に行くよ。
 そこでお前が来るのを待ってる。
 靖国には一緒に行こうな」
「わかった。すぐ行くからな」
「すぐに来なくていい。
 貴様はゆっくり来い。
 何年でも俺は待っているから」

宮川さんは、出撃する前夜の6月5日に、一緒に出撃する仲よしの滝本恵之助曹長と二人で、富屋食堂にやってこられました。
二人は、「明日出撃です」と、ごきげんでした。
そしてその日は、ちょうど宮川さんの20歳の誕生日でした。

トメさんは、宮川さんのために、お赤飯を炊いてあげていました。
二人はお赤飯を、おいしいおいしいと召し上がっていました。
その帰りがけ、宮川さんが、突然、気がついたように言ったのです。

「おばさん、
 俺、明日も帰ってくるよ。
 ホタルになってね。
 滝本と二匹で。
 だからおばさん、
 追っ払ったらだめだよ」
まるで、冗談のような口ぶりだったそうです。
トメさんは、食堂にくるときどこかでホタルでも見かけたのだろうと、そのときは気にもとめませんでした。

翌6日は、どんより曇った日でした。
この日は総攻撃の日で、朝から特攻機がどんどん飛び立ちました。
トメさんも見送りに行きました。

その日の夜のことです。
出撃したはずの滝本さんが一人でひょっこり食堂にやってきました。

二人は編隊を組んで飛び立ったのですが、どうにも視界が悪い。
そのため、何度も滝本さんは宮川機の横に並んで、
「視界が悪い。引き返そう」
と合図を送ったそうです。

特攻作戦の経路


けれど、宮川さんはその都度、手信号で、
「俺は行く。お前は帰れ」と合図しました。
何度か目の合図のあと、滝本さんは引き返しました。
宮川さんは、そのまま雲の彼方に消えていかれました。

滝本さんは、その話をされながら、
「宮川は開聞岳の向こうに飛んで行ったよ」と言って、涙をぽろぽろとこぼしました。

夜の9時ごろです。
食堂には、トメさんの娘さんが二人と、滝本さん、奥の広間には、明日出撃予定の隊員たちが7〜8名いて、遺書を書いていました。

トメさんは、なんとなく不思議な気持ちになって、食堂の入り口の戸を、すこしばかり開けました。
すると、それを待っていたかのように、一匹のホタルが、ふら〜と食堂にはいってきて、天井のはりところに、とまりました。

それは、とても大きなホタルでした。
大人の親指くらいの大きさがありました。
ホタルの季節には、まだ少し早いです。
そんなに大きなホタルがいること自体が、不思議です。

そのとき、娘の礼子さんが、
「あっ、宮川さんよ。宮川さん。ホタルになって帰ってきた!」と叫びました。

滝本さんもびっくりされた様子でした。
トメさんは、みんなに言いました。
「みなさん。宮川さんが帰っていらっしゃいましたよ」

その場にいた全員で、何度も何度も「同期の桜」を歌いました。
涙がとめどなくあふれました。
ホタルは長い間、天井のはりに止まっていました。
歌が終わったとき、ホタルは、すっといなくなりました。

宮川少尉は、新潟県小千谷市出身で、旧制新潟県立長岡工業高等学校を首席で卒業し、昭和18年10月に明治神宮で行われた第一陣学徒出陣壮行会にも参加された方です。
トメさんは、戦争が終わったあとも、こうして出陣され知覧を飛び立たち散華された特攻隊員達のために、もとの知覧基地に、一本の墓碑を立て、そこに来る日も来る日も、毎日お参りされました。

毎日です。自宅からその墓碑まで歩くのに、足の悪いトメさんは、片道に30分もかかりました。
その道のりを、暑い日も寒い日も、毎日お参りされました。

雨降りなどは、たいへんです。片手に杖をつき、片手にお線香を大事そうに抱えてお参りに行っていたのです。
両手がふさがっているため、傘を持つことができません。
なのでトメさんは、雨が降ると、ずぶぬれになってお参りしていました。

そのトメさんが、お孫さん達に、繰り返し語ったことがあります。
それは、
〜〜〜〜〜〜
特攻隊のみなさんは、みんなとっても「思いやり」のある子たちだったんだ。
あの子たちが行ったのは、軍の命令だから逝ったとか、そういうことじゃなかったんだ。
あの子たちはね、故郷にいる親御さんや、兄弟の方々や、妹や大好きな人たちを守ろうとして、旅だって行ったんだ。

誰だって、死ぬのはこわいよ。
そのことは、昔の人もいまの人も、なんにも変わらない。
あの子達だって、こわかったんだ。

でもね、あの子達は、みんなを守るため、自分の命を犠牲にしてでもみんなを守りたいっていう「思いやり」の心があったんだ。
私はね、出撃した全部の隊員さんたちを知ってるよ。
ぜんぶ、私の子供たちだったよ。

あの子たちはね、人を、故郷を、大好きな人を「思いやる」心があったから、自分の命を犠牲にしてでも、まわりの人たちを守ろうとして出撃して行ったんだ。
〜〜〜〜〜〜

知覧基地で、特攻に行く隊員さんたちは、全員、三角兵舎と呼ばれる建物の中で寝起きしてました。
その三角兵舎は、松林の中にありました。

戦争が終わると、その三角兵舎は、全部取り壊されました。
何年も経ってから、トメさんの娘さんの礼子さん姉妹と、まだ幼かった(このお話を聞かせてくださったお孫さん)たちみんなで、その松林に行かれたそうです。

ふと眼にしたのは、その松の木の一本一本に刻まれた文字でした。
そこには、亡くなられた特攻隊員さんたちが、ご自分で掘ったのでしょう。
筆跡の異なるお名前が、いっぱい刻まれていたのです。

それを見たとき、わかったそうです。
彼らだって、死にたくなかった。
「俺たちが、生きて、呼吸して、
 ここで寝起きして、
 生きていたことを、
 決して忘れないでくれ!」

その木に刻まれたお名前のひとつひとつに、そういうメッセージが込められているのだと。
このことに気付いたとき、その場に居合わせた全員が、声を絞り出すようにして泣いたそうです。

文中にある鳥濱トメさんの娘さんの礼子さんは、戦後生き残って結婚し、赤羽礼子さんとなりました。
そして、『ホタル帰る』というご著書をあらわされています。

その本の一節をご紹介します。

*******

無事にトメが退院し、富屋食堂は数ヶ月ぶりに元に戻った。
年が明けて昭和19年。
少年兵は第十期生が巣立ちを終え、それぞれに南方の空に飛び立っていき、代わって第十一期生になっていたが、池田、川畑らの5人組の指導教官は残っていた。

その日曜日、二女の礼子は初潮を見てお腹が痛いため、奥の自分の部屋で寝ていた。
トメは娘の成人を祝って朝から大量に赤飯を炊いて、いそいそと立ち回っていた。昼頃になると少年兵たちが三々五々集まってきて、富屋は賑やかになった。
いつものように若い教官の五人組も集まっていた。

「おばちゃん、きょうは礼ちゃんはいないの」

「礼子はね、きょうはおめでたい日なの。
 だから奥で寝てるけど」
話し声は寝ている礼子にも聞こえた。

「さ、皆さん、きょうはおめでたい日なので、
 お赤飯を炊いたのよ。
 お祝いだからどんどん食べてね」
「お赤飯? すげえな」
と池田たちは半ば感動し、半ば驚喜していた。

「でも、おばちゃん、なんのお祝い?」
「なんのお祝いって、皆さん喜んでください。
 礼子が女になったのよ」
それが聞こえて来ると礼子はふとんの中で赤くなった。

「礼ちゃんが女になった?
 おばちゃん、変なこというなあ。
 おれ、初めっから礼ちゃんて女の子だと思っていたけど、
 礼ちゃんて女じゃなかったの」

トメはくすくす笑った。
「それにしても変じゃない。
 礼ちゃんが男だったとしても、
 どうしていまごろ女になるのさ」

体は大きくて、お国のために戦うと立派な覚悟を持っていても、まだこの子たちは数えで19歳。
「女になる」という言葉を知らないほどに純粋無垢なのだ。

「さあ、皆さん、どんどんおかわりしてよ」
その言葉の意味がどうであろうと、ここのところは色気より食い気。
少年たちはそろってパクウパクと赤飯にかぶりついた。

********
この文は、草思社文庫、赤羽礼子著『ホタル帰る 特攻隊員と母トメと娘礼子』からの抜き書きです。
285ページあるうちの、はじめの50ページからの抜き書きですから、ほんの出だしのところです。
もう、このあたりを読んだだけで、もう涙があふれて。


戦前の日本にあって、戦後の日本にないもの。
その最大のものは、「純心」と「思いやり」かもしれません。

自分の全知全霊をかけて、ときに自らの生命さえもかけて人を思いやる心。
私達の、日本の心を取り戻す戦いというのは、
「思いやりの心」を取り戻すための戦いなのかもしれません。

日本人は、
10年で、日本の国体を抜本的に改革し
20年で、清国を破り
40年で、大国ロシアを破り、
80年で、世界を相手に戦って欧米の植民地時代を終焉させました。

10、20、40、80という数列からしたら、次にくるのは160年目です。
160年目というと、平成37(2025)年です。

おそらくそのときに日本が、日本人が世界に示すもの。
それは、おそらく人類が人としての純心に目覚めること、そして互いの思いやりの心なのかもしれません。



※この記事は、2012年10月30日の記事をリニューアルしたものです。



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愛信

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ポッポ

No title
宮川三郎少尉の話は、見るたびに辛いです。
この様な方の自己を省みない行動によって、いまの日本があることを忘れてはいけないと思います。


龍一さんへ

戦争をするときには、指導者と実行部隊がありますから、この分担は仕方ないと思います。(命令ですし、適材適所です。)

愛国・救国は大切ですが、そんなことより兵が動かなかったら、兵は勿論、親・妻・子供が戦争の被害に遭います。これを防ぐには、兵が戦う外ありません。
それから、自分が参謀になる方法もありますが、それなりの知識と経験が必要です(兵の被害を少なく、敵の被害を多くしなければなりません。そうしないと、兵に恨まれます。)。
私なら、参謀になるより兵になる方を選びます。他人に命を賭けさせる位なら、自分が前線に行く方が余程気が楽だと思います。

それが嫌なら、捕虜になれば良いのです。ただし、敵がハーグ戦争条約を適正に守ってくれるか否かは分かりません。中国では共産党も長らく捕虜を採らなかったし、米国も捕虜は輸送途上腹切りをしたと報告しています。

そして、国が戦わずに降伏すれば、国民はどうされるのでしょうか。
男性は奴隷、女性は姓奴隷にされることも否定できません(終戦直後の混乱はご存じですね。)。
そうでなくとも、日本は専守防衛の国です。専守防衛だと言うことは、相手は日本を戦場として戦います(戦い方は色々です。)。しかし、相手の国へは日本は進攻することはありませんから、相手の国は安全です。結果として戦争が長引くと、相手は国力を落とすことがないけれども、日本は国力を落としながら継戦することになります。

こんなことを書いていますが、戦争は嫌いです。しかし、他国を日本を脅迫してきた場合には、常にその希望に応えることなど、その内に出来なくなりますから、その後のことも考えなければならないと思います。

-

No title
龍一さん、ネットで偏見に満ち満ちたブログの情報を見て疑問を解決しようとしないことです。様々な書物を読み、海外のメディアを見て、見識を広めることをお勧めします。できれば一人で外国を見て回り違う文化の友人を作ることです。それが難しければ図書館が見識を広めるのに役立つでしょう。そのときに口当たりのいい本ではなく、読みにくいけれども我慢して研究書を読み、同時に優れた文学を読むことです。西洋近代の理性を自負したにもかかわらず2度の大戦争を経てその中で信じ難い残虐行為があった事実(いや、いまでも続いている)から、真摯な研究者たちはナショナリズムとは何か、文学者たちは人間の理性とは何かを問い続けています。れまでの人間の愚かしさと高貴さがないまぜになった歴史を知ることが、なんらかの答えらしきに近づけてくれるのではないでしょうか。(大学とはこのような作業をするべき場なのですが・・・)

愛信

★不買予告★
★不買予告★
https://twitter.com/takarin_7/status/739755018828406784

詳細は
【集団通報 第1会議室の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kgs/kgs1.cgi

渡辺

一度、知覧の特攻資料館(?)に行った事があります。林の中に三角兵舎も再現されておりました。まだ日本の現状に目覚める前の事でしたが、間違いなくこの時の経験が揺るがない信念を築く重要な柱の一つとなっているはずです。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』という映画があります。正にトメさんの話を基礎にしたものでDVDを持っていますが、見るたび今の自分(日本)を恥ずかしく思います。
特攻で亡くなった戦士に恥ずかしくない日本に戻さなければならないと、心底から思います。

-

No title
「ホタル帰る」の本、読みました。
慟哭にも似た感情が込み上げ涙しましたが、彼等が「かわいそうに」と思って涙したのではありません。

なぜなら、あの時代、国を守る=家族を守る、日本人としての誇りを持ち、この一念で国に殉じました。
私の知り合いに、元特別攻撃隊員だった方がおられます。
もうすぐ90歳になられますがお元気です。

「死ぬと決まった時は怖かった、本当に何と表現してよいか解らないくらい、、、。」と言われ、暫くして「俺達がやらんで誰がやる、この国を、家族を守る、泣き言なんか言っておられるか!」
皆、誰責めるとも無く、そういう気持ちで逝った、と言われました。

彼等の心情を思う時、「かわいそうに」ではなく、涙と共に心から出た言葉は「ありがとうございました」その感謝の一言でした。

宮川少尉のご冥福をお祈りします。

-

龍一さんの言われる輩とは、大本営発令と称して多くの若人を死地に追いやったくせに、戦後ぬくぬくと生き残って、何一つ責任をとろうとしなかった連中の事ですね。そんな輩みたいな連中が憲法改正やら唱えたところで、死地に赴くのは若い人達なのだから、自分らが死地に赴いて物言え!と言うのは分かります。

-

No title
龍一の言ってる事、なんかわかるつまり民族主義を煽ったり
愛国感情を利用して大衆を利用しながら安全な立場から高見の見物をしてきた
卑怯な輩を許せないとむしろそのような人たちは結局、反日と同じかもしくは
それ以上に有害な存在だと言いたいんだね

No title
左翼が嫌いな理由の1つとして主張が支離滅裂でさっぱり分からない事です。

No title
反日左翼が嫌いな理由の1つとして主張が支離滅裂でさっぱり分からない事です。

No title
米国の敗戦国で植民地支配されてない国は日本だけ。
今も尚、宮中祭祀を滞りなく継続出来ている奇跡は、気迫で守り抜こうとした兵隊さんのお蔭。
自分はそう信じている。

-

No title
まじめにいっているのかな?↓

米国に国体護持を呑ななければ戦争は終わらないと思わせ、大和魂を恐れさせたのは特攻隊があったからこそ。

大西 瀧治郎―二千万の特攻を出せば日本は勝って国体が維持できる。東郷外相―もはや勝つ負けるではなく日本人が生き残るかどうかの瀬戸際だ。
ポツダム宣言―連合国の「制限下」に置かれると解釈をして、国体護持をタテにとる戦争継続派の軍人をけん制した。
吉田満『戦艦大和』―学徒動員で大和の特攻に参加した将校の言葉
「負けて目覚めることが最上の道だ日本は進歩ということを軽んじすぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか
俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」

自らを犠牲にした人たちの純心を言い訳に、時代遅れのナショナリズムを振りかざす風潮こそ、反日のあらわれ。犠牲者の気持ちを踏みにじる行為です。このブログがそのような勝手な解釈をしてはいけないと、言葉ひかえめに伝えているのがわからないのでしょうか。

No title
特攻隊を犬死に、テロリスト、美化、軍国主義を肯定 、等と何も分かっていない国がヒステリックに干渉してきますが、何が許せないってそれに同調する日本人はどうしても許せない。
何で素直に感謝し誇りに思えないのだろうかと思う。
米国に国体護持を呑ななければ戦争は終わらないと思わせ、大和魂を恐れさせたのは特攻隊があったからこそ。
GHQによる自虐史観教育が今だはびこびマスコミも乗っ取られていて、素直に歴史と自国の祖先の気持ちに思いを寄せる事さえ出来なくなっているこの病理。
何とかならないのだろうか?

junn

No title
従軍慰安婦の正体
従軍記者、従軍看護婦、従軍僧などはいたが・・・。
「従軍」慰安婦と言う言葉は存在しなかった。
http://ccce.web.fc2.com/ia.html

-

No title
「自分の全知全霊をかけて、ときに自らの生命さえもかけて人を思いやる心」は、ほんとうに貴重です。戦後にも大自然災害のたびに日本人はこの心を持つボランティアが被災地の人々を助けました。もちろん警察、消防など自治体組織の人たちはそれを使命として命がけで働いてくれた。自衛隊の人たちの働きは大きく賞賛されるべきでしょう。そのような仕事をするために入隊した人もいると聞きます。このような純心をよこしまな戦争に利用してあまつさえ爆弾としてつっこませるようなことは今後絶対あってはならないことです。この蛍の話はそのようなことをうったえているのでしょうね。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
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○受付時間 
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