人は死なない



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20160601 ラベンダー


すこしスピリチュアルなお話をします。

これは、先日行われた「女性のための古典塾」でもお話させていただいたことなのですが、その日は清少納言についてのお話をさせていただきました。

清少納言といえば、世界最古の女流小説を遺した紫式部と並ぶ、女流随筆文学としてやはり世界最古の文学を遺した、日本の中世を代表する優秀な随筆家であり、歌人です。
ものすごく優秀な女性で、かつ魅力的な女性であることは、ねず本の第二巻でも『枕草子』の現代語訳などをご紹介して、詳しくお話させていただきました。
またブロクにおいても、
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1869.html</u>">http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1869.html
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2711.html</u>">http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2711.html
などでご紹介させていただいています。

ところがその清少納言について、最近の学者さんは次のように書いています。
ある著名な高額の百人一首本からの抜き書きです。

*******
【孤独な才女 清少納言】

鼻っ柱が強くて男をへこませるという、
当時の女としては最も損な振る舞いを
わざとのようにやった女。
そういうイメージがこの人にはある。

けれども今のわれわれには
むしろそれが魅力的なところとして映ることもある。

少なくとも、私には、紫式部よりは清少納言の方が友達になれそうな女性と
感じられる。

(中略)

上流の男たちと対等に付き合う彼女に、
女の友達は少なかった。
しかしその清少納言の才能を高く評価したのは、
一条天皇の皇后定子であった。

その定子の後宮サロンで
彼女が華やかに脚光を浴びていたとき、
定子のいわばライバルである
中宮彰子の後宮には、
紫式部、赤染衛門、和泉式部といった
女房たちが才を競い合った。

この二つの後宮サロンこそ、
当代の文学、文化の中心だったのである。

定子存命中の清少納言は幸福だった。
その庇護のもとで彼女の『枕草子』も完成する。
才気に溢れたこの文章は、
日本随筆文学の一源流であると同時に、
怜悧な女性の
よく澄んだ目に映る外界のあざやかな姿のうちには、
不幸の影が射しこむ一瞬前の
生の幸福とでもいえるものが、
みごとにとられられているように思われる。

*******

「鼻っ柱が強くて男をへこませるという当時の女としては最も損な振る舞いをわざとのようにやった女」というけれど、その根拠になっているのが、百人一首にも掲載されている次の歌です。

 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも
 よに逢坂の 関は許さじ

この歌は権大納言であった藤原行成とのやりとりの中で生まれた歌ですが、『枕草子』には次のような物語が書かれています。

*******
清少納言がこの歌を藤原行成に送ると、行成は、
「逢坂は人が越えやすい関なので、
 鶏が鳴かないうちにも関の戸を開けて待つといいますよ」
(あなたはいつでも容易に人に逢うとの噂ですよ)
という歌を清少納言の送ります。

そして清少納言に、
「夜をこめて」の歌は、
 殿上人がみな見てしまったよ」
と申し向けるのです。

実は、行成は、この時点で二股がバレています。
都合が悪くなったので、清少納言は「生意気な女だ」と、噂を広めたというわけです。

これに対する清少納言の返事です。
「本当に(あなたが私のことを)思ってくださっておいでと
 これで初めてわかりましたわ。
 すばらしいことを相手の人が言い広めてくださらないのは
 確かに甲斐のないことですわね。
 私は、見苦しいことが世間に散り広がるのが困るので、
 私はあなたのお手紙を隠していて、人に見せてはおりません。
 私の歌を人に知らせてくださったあなたのお心配りと
 相手を思いやる心は同じものですね。」

********

いかがでしょうか。
清少納言は、ここで男性であり、地位も名誉もある行成を「へこませた」のでしょうか。
そうではなくて、むしろ行成が男性であり、地位も名誉もあることを気遣い、行成の非礼さえも、隠し事にしただけでなく、あきらかに、行成をゆるしているのではないでしょうか。

だから行成は次のように述べています。
「まろの手紙を隠しなさったということは、
 やはりしみじみとうれしいことです。
(そうでなかったら)
 私はどんなにか情けなく
 つらかったことでしょう。」
二股がバレて、ヤバイヤバイと思っていた行成は、ここでどんなにか救われたことでしょう。

さらに続きがあります。
*******
その後に、源経房(みなもとのつねふさ)様がいらっしゃり
「行成様が、たいそうほめていらっしゃいました。
 私への手紙に、そのように書いていらっしゃいましたよ。
 思いを寄せている人が、人にほめられるのは、
 たいそううれしいことです」
などと、いかにも真剣におっしゃいます。
そこで、 
「嬉しいことが二つになりました。
 行成様がほめてくださったうえに、
 経房様の『思う人』の中に
 私が入っておりましたので」
と申し上げますと、 
「あなたは、前々から私の思う人です」
などと、大真面目なお顔でおっしゃるので、思わず笑ってしまいました。

********

いかがでしょう。
こういう大人の対応をする女性の、どこがどう「鼻っ柱が強くて男をへこませるという当時の女としては最も損な振る舞いをわざとのようにやった女」になるのでしょうか。

その学者さんは続けて、「私には、紫式部よりは清少納言の方が友達になれそうな女性と感じられる」などと書いていますが、女性の皆さんはいかがでしょうか。
人のことを「鼻っ柱が強い」だの、「男をへこませるヤな女」みたいに言っておいて、「私は貴女とは友達になれそうですよ」などと言われたら、いかがでしょう。
私が女なら、「バカにしないでよ!」と席を立つところです。

さらにその学者さんは、清少納言が「上流の男たちと対等に付き合う彼女に女の友達は少なかった」などと書いていますが、まったく逆だと思います。
当時としては、清少納言は、いまでいう「人気作家」であり、人気アーティストです。
ある意味女性たちの憧れのまとです。
そのどこがどう「女の友達は少なかった」となるのでしょうか。
むしろ、清少納言と友達になりたい女性の方が、圧倒的に多かったのではないでしょうか。

また、あたかも皇后定子のサロンと、中宮彰子のサロンが「ライバル」であり、そこでは「女房たちが才を競い合った」と書いていますが、ライバルだとか、対立と闘争といった概念は、19世紀以降のコミンテルン思想によるものです。
清少納言は10世紀の女性です。
対立とか闘争とか、ライバルとか競合といった対立感が社会思想となるより、900年も昔の、しかも日本人女性です。

この時代、もっとも尊重されたのが「和を以って貴しとなす」ことです。
対立したり、競い合ったりするのではなく、どこまでも人を大切にする。
たとえ大納言の失敗や失敬であったとしても、それを許す。
なぜなら和こそが大事だからです。
それが宮中の常識です。中世の日本人の常識です。

それがどうして「対立したり、競い合ったり」になるのでしょうか。
人の上に立つ者たちが、互いに対立しあったり、それこそ恨んで対立しあったりしたら、国はどうなるのでしょうか。
上の対立は、下々に行くに従って過激となり、殺し合いにまで発展してしまうというのは、世界の歴史を学べば、いくらでもその実例を見ることができます。
それだけ人の上に立つ者たちひとりひとりの行状は、世間への影響力があるし、その影響力を意識しないでは、わが国の統治者(臣)として成り立ち得ないのです。

しかもこの教授、清少納言を「怜悧な女性」とまで書いています。
そして清少納言を「不幸の影が射しこむ一瞬前の生の幸福」を得た女性であるかのように書いています。
本人が聞いたら、怒ります。
ぜんぜん違うと思います。

このことを先日、「女性のための古典塾」でお話しさせていただきました。
そのとき、確かに客席に、清少納言やその友達たちみんなが、そこに一緒においでになって、嬉しそうに話を聞いておいでになる、そんな感覚というか、実感がありました。

「おかしなことを言う。ねずさんは気でもくるったの?」と言われてしまいそうです。
けれど、たしかにそういう実感があったのですから仕方ありません。
私はスピリチュアルな世界は、見えないからよくわからない人ですが、自分の得た感じは、これは自分のことですから、わかります。
単なる思い込みではなくて、そんな体感があったから、「あった」と書いています。

東大病院の救急部の部長であり、東大医学部の元教授であられた矢作直樹先生のご著書に『人は死なない』という本があります。
30万部の大ベストセラーになった本です。

その本の中で、矢作先生は、生と死が行き交う日々の中で数々の不思議な体験を通して、間違いなく魂の存在はある、ということを述べておいでになります。
縄文時代から続く、大昔からの日本人の考え方も、そしてまた『古事記』に書かれた数々のエピソードにおいても、人の肉体が滅んでも、その魂は永遠のものだし、それはもしかしたら時空間を超えるといったことが描写されています。

縄文時代の集落跡の遺跡は、村の真ん中に墓地がありました。
日本人は、死者の魂とともに生きる民族でもあったのです。
靖国神社に行きますと、遊就館の中に、お亡くなりになられた英霊の御魂を、靖国神社にお納めする儀式のとき、その儀式が終わると、輿がフワッと軽くなるということが書かれたコーナーがあります。

ですから思うのです。
清少納言も紫式部も、小野小町も、静御前も、信長も家康も、幕末の志士たちも、そして日清日露、第一次、第二次世界大戦のときの英霊のみなさんも、みんなその御魂は、ちゃんと生きている。
生きて、私たちを見守ってくださっている。
それが日本という国なのだ、と思うのです。

随分以前に亡くなった我が家の爺ちゃんも、婆ちゃんも、親父もオフクロも、だから、みんな御魂は生きている。
生きて私たちともにある。
だから日本人は、そうした御魂に恥じないように、生きることを学んできた、そういう民族なのだと思うのです。

ということは、そうした方々の声に、虚心に耳を傾けると、本当にものすごい知識や知見を与えてくださる。
そういう声に、私たちはもっと謙虚にならなければいけないのではないか。
そんなふうに思うのです。

なんだかスピリチュアルめいたお話になってしまいましたが、私にはこのことが、とっても大事なことのように思えます。

◆次回「女性のための古典塾」は6月23日です。
  ↓
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コメント

m.e

実体験から
ねずさんこんばんは。
スピリチュアルとは言えないのですが、私、結構実体験があります。
夜中、PS3のコントローラーが1mほど浮き上がったり
居間と寝室をつなぐ重めの開き戸が、ひとりでに開かれたり
朝起きると、右手首に指五本を押し付けたような痣が浮かんでいて
その痣は、右手の指を使わないと、つけられない間隔で並んでいたりなど
また朝、決まった時間にドアを叩く音がする。
テレビが勝手につき、テレビを消したらコンポがなりだし、コンポを止めたらブレーカーが落ちた事もあります。
まんだあんの?と言われそうですが、祖母の葬儀の後、車で帰った時
車道で死んでいた猫の遺体を踏まないように避けた時
助手席から聞こえてきたニャ~という鳴き声。
霊感などありもしませんが、人魂も一度だけ見た事があります。
前回、百聞は一見にしかずとコメントしましたが、夏とお盆が嫌いになりそうです。
怖いのは、嫌っす。

次郎左衛門

…御霊…
 ねず先生、お久しぶりです^^!

 今日の御霊の存在のお話、強く頷けます。
自分の父はそういう存在を感じるセンサーが鋭敏で…自分の実家の一階には仏壇のある広間があるのですが、お盆になると、夜中にその広間にご先祖様が大勢集まって楽しそうに宴会でもしているかのようにうるさく、なかなか寝付けないと毎年言っています^^
…自分も、病気で入院中していた頃、夜中に非常に高い熱を出し、意識朦朧としていたとき…、ふと気が付くと、誰もいないはずの病室に自分のベッドを囲むように物凄く暖かい存在があるのを感じました…。
その時、自分はごく自然に「…ご先祖様、ありがとうございます…」と心に思いました…。
その他にも何度かそういう存在を感じました。
…ゆえに、自分も御霊の存在を強く信じます…!

 ねず先生、自分は日々先生を通して誠に素晴らしい勉強をさせていただいております。
心から感謝致します^^

では!

-

イーロン様

私は、古典塾でその本を見せていただきましたよ。

とても立派な本でした。

お名前をあげないのは、ねず先生なりのご配慮です。

ご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

ラベンダー

おはようございます。
本日のブログは、前回の古典塾で一番大切だった個所ですね。
受講しただけでは、上手くまとめられなくて困っていました。


「清少納言は、ここで男性であり、地位も名誉もある行成を「へこませた」のでしょうか。
そうではなくて、むしろ行成が男性であり、地位も名誉もあることを気遣い、行成の非礼さえも、隠し事にしただけでなく、あきらかに、行成をゆるしているのではないでしょうか。」

この部分は、清少納言さえも、もしかしたら意識していなかった深層心理をねず流の「日本のこころ」で分析したところですね。

「あら、そうだったの!!
あの時私は、本当に胸が潰れるほど辛かったのだけれど、そういうふうに分析されたら、涙が出るほど嬉しいわ♪」
と、喜ばれてたように感じました。

次回は、皇嘉門院別当様の分析ですね。
深く関わってらした崇徳院様も、いらっしゃると思いますので、ねず先生の責任は重大です。

千年の時を超えての参加者の皆様にも、ご満足いただけるような講義、頑張ってくださ〜い^_−☆
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
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定休日  木曜日

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