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絵は「達磨図」で、江戸時代中期における臨済宗中興の祖と言われる白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師が描いたものです。
実に見事なこの図は、縦が2メートル以上もあります。
絵には「見性成仏」と書かれています。
これは臨済宗の本義である「直指人心、見性成仏」という言葉からとったものです。
「直指人心」とは、文字や言葉によらず、自分の心の奥底にある仏性を把握することを言います。
「見性成仏」は、自身の心底にある仏性と自分を一体化させることです。
二つは禅の教えの根幹にある言葉なのだそうです。
もっとも、この言葉の持つ意味は深く、このようにあっさりまとめてしまうと本格的に禅の修行をされている方から叱られてしまいそうです。
言葉の意味を理解することと、言葉の奥底を解することはまるで違います。
ですので、上に書いた言葉の意味は、単に言葉の持つ意味を書いたにすぎません。
この絵は、達磨大師が、まるで図を見る人に、
「お主はそれで直指人心、見性成仏を理解したつもりかの?」と問いかけているかのようです。
あるいは、達磨大師自身が、「ワシは生涯をかけて直指人心見性成仏を求めているが、まだ修行中じゃ」と述べられているかのようにも見えます。
とても凄味のある絵です。
さて、今日のお話は、この絵を描いた白隠慧鶴が、まだ修行中の若い頃のことです。
その頃の白隠は、若気の至りで、自分がある種の悟りを得たと思っていました。
そして様々な禅宗のお寺をめぐり、論争を行い、どの寺においても並み居る禅僧たちとの問答に打ち勝っていました。
若かったし、向こう気が強かったし、頭も良かったし、弁もたったし、だから自信満々だったのでしょう。
あちこちの禅寺を訪ね歩き、次々と論破し、打ち破っていました。
そしてついに、この時代の臨済宗で最高峰と呼ばれた長野県飯山市にある正受庵にいる最長老の道鏡慧端(どうきょうえたん)老師を尋ねたのです。
この道鏡慧端、なんと真田幸村の子孫でもあります。
ところが老僧は、白隠が何を問うても、座って後ろを向いたまま、返事もしなければ、こちらを振りむきさえもしない。
居眠りしているのか、話を聞いていないのか。
ただ知らん顔をして背中を向けているばかりだったのだそうです。
なんだかひとり芝居みたいで、だんだん腹がたってきた白隠は、そこで慧端禅師に
「喝っ!」と大音声の一喝をあげました。
修行した禅僧のこの一喝というのは、おそろしく気合のこもったもので、我々素人などは、びっくりして腰を抜かしてしまうほどのものです。
すると禅師は振り向きもせずに、
「それはお前が
学んで得たものか?
自分で見たものか?」
と枯れた声で、やっと口を開いて問うてきました。
さあ、禅問答のはじまりです。
白隠は、これまで数々の問答で相手を打ち破ってきた自信満々で、
「もちろん自分が見たものである」と堂々と答えました。
すると老師はひとこと。
「ならば吐き出せ」
・・・これで「勝負あった」です。
学んで得たものなら、学んだ通りに吐き出せば良いのです。
けれど白隠は「自分で見た」と回答しています。
禅の極意を「見た」と答えたのです。
だから、その見た「真実」を吐き出せというのです。
自分で得たものなら、自分で吐き出せるだろう?というわけです。
けれど、相手は高僧であり、最長老でありながら、いまだ真実を求めて修行を重ねている老師です。
その老師の前で、私が見た真実を吐き出せと言っています。
現実には、白隠は、まだ若い学僧でしかないのです。
得たと錯覚していたものは、実は、先輩諸氏から学んだものでしかない。
けれど「自分が見た(自分の力で得た)」と大見得をきってしまったのです。
こうなると白隠は、嘔吐の真似でもしてその場を誤魔化すくらいしか手がなくなってしまっています。
老師は言いました。
「お前のような穴蔵禅の坊主は
自分一人でわかったつもりでいる糞坊主じゃ。
ここにいてしばらく叩かれよ」
老師が「叩かれよ」というのは、ここに逗留して修行せよ、という命令です。
白隠は正受庵に滞在しました。
ところが老師は、講義に呼んでくれない。
何も教えてくれない。
それどころか作務をする白隠に、些細なことをつかまえては怒鳴り続けました。
ある日、托鉢に出た白隠は、ある家の門前で経を唱えていました。
なかば呆然となって、経を唱えていた白隠は、そのとき自分を待つために、わざわざ表にまで出てきてくれていた老婆に、まったく気付かずに、門前で経を読んでいたのです。
せっかく出てきてあげたのに無視するとは何事かと腹をたてた老婆は、
「さっさと消えちまえ!」と、白隠の腰を打ち据えて、白隠を追い払いました。
このとき、白隠の頭のなかに、何かひらめくものがありました。
寺に戻った白隠に、事情も聞かずに老師は一言。
「汝、徹せり」と言ったそうです。
少し解説します。
人とは何か、生老病死とは何かなど、禅の奥底を極めようとしていた白隠は、学んだ知識を頭の中で整理して、たくさんの引き出しの中から、常に相手をやりこめるだけの知識を得ていたわけです。
だから、老師のもとを訪れるまで、常に論争に勝ち続けました。
その得意の絶頂で訪問した老師は、そんな白隠に、「お前の学問など、ただの上っ面で、お前自身には何の真実もないではないか」と、若い彼の鼻っ柱をへし折ったわけです。
ところが、この男見込みあり!と思った老師は、白隠を寺に置き、白隠を無視し、怒鳴り、厳しく追い込んでいきました。
すでに学はなっているのです。
だから講義になんて呼ぶ必要などない。
それよりも、鼻高になっている白隠を、精神的に追い込んで行ったのです。
いまなら「精神的迫害を受けた。賠償するニダ」などと言い出す人がでかねないような話ですが、見込みがあればこそ、必ずそこから立ち上がれる男と見ぬいたからこそ、老師は白隠に厳しくしたのです。
その結果、ボーッとなってしまった白隠は、老婆の怒りによって、「自分が自分だけで生きているのではなく、常に周囲との関係の中で生かされているのだ」ということに気付くわけです。
それを、白隠の表情ひとつで見ぬいた老師は、「汝、徹せり!」と、白隠の気付きに見事なタイミングで烙印を入れてくださったわけです。
人は生まれたときに、何も持たない丸裸で生まれてきたのではない。
実は今生で必要なものを、全部持って生まれてきたのです。
しかも実は生きているのではない。生かされているのです。
そして生きとし生けるすべてのものは、そのすべてが実は、奥底でつながっている。
白隠は頭が良くてできの良い学僧でしたが、自分一人が突出して成った気になっていたのです。
何もかもがつながっている。
自分ひとりだけではない。
そのことの持つ意味の深さに、彼はそこではじめて、本当の気付きを得たのです。
***
この白隠の物語を聞いて、日本の伝統芸の世界に入ることを決めた講談師がいます。
それが神田山緑(さんりょく)師匠です。
彼は学校を出てすぐに、大手自動車販売会社の営業マンとなりました。
入社早々にトップセールスマンとなりました。
ところが褒められると思っていたら、逆に周囲からイジメられる。
腹を立てて会社を飛び出した彼は、自分で会社を立ち上げるのですが、業績は彼の営業力で上がったものの、社員が全員、「社長にはついていけない」と辞めてしまう。
「俺には能力がある。力がある」と思っていた彼は、そのときはじめて、自分一人では何もできないということに気付きます。
そして、来る日も来る日も、本を読み漁り、自分はどうしたら良いのか、これからどのように生きるべきかと悩んだのだそうです。
そんなある日、ふとしたはずみから、この白隠禅師の物語を講談で聞いた彼は、講談師になることを決意して、修行を重ね、本職の講談師となりました。
神田師匠は、最近では、松下幸之助物語やトヨタの基礎を築いた豊田喜一郎物語といった新作ものから、様々な企業の創業物語まで幅広く口演されています。
とりわけ近現代の会社の創業物語は、企業内研修にもってこいで愛社精神が涵養されると、とても喜ばれているそうです。
師匠は、古典ものの大岡政談から、怪談ものまで、幅広く口演され、演目はすでに2千をこえているのですが、その講談は、ひとりの男の生きざまだけでなく、そのことが周囲の人々の関係やつながりのなかで描かれるという特徴があります。
そしてそのことを、まるで目の前で、フルハイビジョンの映像を観るように語って下さいます。
日本の伝統芸能は、いまや風前の灯状況になっているといいます。
けれど、そうした中にあって、いっけん、小さくなってしまったような炎が、まさに高温を発して、新たな日本を築こうとしています。
「右も左もない。みんなナカヨク」
そして、日本を取り戻す。
その動きは、見性成仏を得て、いま、しっかりと新たな炎をあげつつあります。


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コメント
takechiyo1949
神田山緑師匠と初めて出会ったのは倭塾です。
その後も何度か生の講談を倭塾で楽しませて頂きました。
師匠ご本人の生き様も素晴らしいです。
できっこない!
できないことってある!
メンバーの中にそう言う者がいる…言わないだけで思ってる者がいる…チームワークはぶち壊しです。
何度も爪突いて転んで…それでも何かを成し遂げる…そして自分自身を知る…人の努力って尊いものだな~と熟々思います。
2019/06/25 URL 編集
くすのきのこ
こういう話には、珍解釈もよいかと・・ww
学びというのは、お互いに学ぶ事があってこそのもの。教える側にも、教え
られる側にも、何らかの気づきがあってこその学び。
この話の中で白さんに対し道さんは、問答ではお互いに学びあえるものでは
ないであろう・・言葉による詭弁術は今まで尽くしてきたであろうから・・
それに飽き足らずここまできたのであろ?と見透かす。白さんは逃げたくな
い。そんな風に見たてた人は初めてだったかもしれないw修行と称し、日々
叱りの連続・・だが逃げたくない・・この意地とは白さんにとって何であろ
うか・・だが去れない。そして目に入らなかった老婆に気づかされる・・自
分は何の、あるいは誰の為に学んでいたのか?経を唱えていたのか?まるで
独り言のように空に言い放ち続けていた・・自分に対し意地を張っていたの
は良しとしよう・・自分が救われたかった・・しかし本当に有り難いのは、
自分に対し怒ってくれる、気にかけてくれる他人さまであった。老婆は道さ
んと同じであると。その他人さまを自分も気にかけ支えたい・・それでこそ
お返しができるのではないか・・。道さんはまた、この若い白さんにより、
自分の叱り方によって自分の拘りを知り、相手を見定める力量を測る事や、
白さんをきっちりと見つめ続ける胆力を試されていたと思います。そうでな
ければ白さんはとっくに寺を去ったでしょう。衆人の見守る中で、このお二
人さんは、お互いに心を尽くしあっていたのではないかなwそうであるから、
道さんは白さんの顔を見て、よくやった・・と言えたのでしょう。
お互いに慢心を捨てる機会であったのでは?
老婆の学んだ事は?・・心のない読経をする坊主は、サッサと寺に返して修
行させるべきで、なんでもありがたや~はダメって事かな?ww
2016/06/24 URL 編集
陸井夏樹
2016/06/21 URL 編集
m.e
タイトル通り、中田厚仁さんの父、中田武仁氏がご逝去されました。
お悔やみを申し上げます。
2016/06/18 URL 編集