この時代、我が国で法学を教える大学は、2つしかありませんでした。
ひとつが、東大法学部、もうひとつが司法省直轄の法学校です。
東大では英語で、法学校ではフランス語で法学を教えていました。
目賀田種太郎は、設立した専修大学で、日本ではじめて「日本語による法学教育」を行っています。
目賀田の大学設立は、実はこれだけにとどまりません。
彼はそのあと、東京音楽学校(現:東京藝術大学)創設しています。
ちなみに「Shall we ダンス?」で一躍有名になった社交ダンスを日本にはじめて伝えたのも目賀田種太郎です。
そして明治13(1880)年には、若干27歳で、東京代言人組合(現東京弁護士会)の会長を勤め、翌年3月には裁判官に就任しています。
その2年後の明治16(1883)年には、大蔵省に入省。
明治27(1894)年には、大蔵省主税局長を努めました。
そして、この主税局長として、日本の税制や財政制度の基礎つくりをしています。
このとき(明治29(1896)年)に目賀田種太郎が設立したのが日本専売公社です。これはいまでは民営化されて、日本たばこ産業株式会社(JT)になっています。
この時期、日本は大きな難局を迎えていました。
明治27(1896)年から明治28(1895)年にかけて、日清戦争が行われたのです。
戦争というのは、ものすごく国費を費消します。
当時の日本は、まだ国家の財政基盤が貧弱でしたから、この戦争は、政府の財政事情を極端に悪化させたのです。
この財政難への対策として設立したのが、実は、日本専売公社だったわけです。
昨今では、日本政府は財政難を口にしながら、たばこの締め付けを行い、喫煙者には、かつての阿片中毒患者ですら使わなかったであろう狭く小さな部屋に喫煙者を閉じ込めて国家ぐるみでたばこの排除を行っていますが、たばこが普通に売られたら、消費税相当分くらいの税収が生まれるのです。
ですから目賀田種太郎は、国の財政難を救うために積極的にたばこ事業を国営化しています。
そして、たばこの普及促進に努めました。
たばこそのものの健康被害等は別として、すくなくとも財政的には、目賀田種太郎が行ったたばこの専売制は、その後昭和60(1985)年に専売公社が、日本たばこ産業株式会社として民営化されるまで、なんと90年間も存続したし、国家の貴重な財源であり続けました。
昨今ではさかんに「財政再建」がさけばれていますが、国家事業については、むしろどんどん民営化が推進されています。
これは無駄を省くと言われていますが、無駄どころか国家の財源さえも失っているのです。
これで「財政再建」とは、聞いて驚くばかりです。
そもそも政府公社が非効率というのは、公社の中に左翼がはびこって仕事をしないことが原因です。
専売公社などその典型で、パートのおばちゃんたちが、ものすごく一生懸命仕事をしている一方で、社民党や共産党系の労組が、やたらと文句ばかり言って仕事をしない。
政府事業の無駄を省くというのなら、安定した高給をとりながら、仕事をしないでストばかりやっている左翼系組合を追い出したら、それだけで事業の採算はまたたくまに改善します。
実は公共事業の民営化というのは、これを実施しようとする政府側に対して、左翼労組が民営化を推進することで、自分たちの職を維持しようとした運動という側面があります。
こういうところに戦後の歪みがあります。
さて、話が脱線してしまいました。
目賀田種太郎に話を戻します。
明治37(1904)年に貴族院議員となった目賀田種太郎は、その後も国際連盟大使、枢密顧問官を歴任しました。
そして大正15(1926)年、73歳で逝去されるまで、まさに明治から大正にかけての日本の政治と経済の最重要箇所を常に担い続けています。
当時の我が国における最大にして最高の実力者だったのです。
ちなみに目賀田種太郎の奥さんの目賀田逸子さんは、勝海舟の三女です。
これが何を意味するかというと、目賀田種太郎は、旧幕臣でありながら、明治新政府にその優秀な頭脳を非常に買われ、専修大学、東京芸大を創立しただけでなく、裁判官、弁護士会会長職を歴任し、さらに大蔵省幹部として日本専売公社を設立し、貴族院議員となり、国連大使となり、また晩年は枢密院の顧問官を勤めたということです。
もっといえば目賀田種太郎は、明治日本において、まさに八面六臂の大活躍をした大物中の超大物であり、日本の法曹界にとっても、日本の芸術界にとっても、社交ダンス界にとっても、まさに大恩ある偉人中の偉人といえる人だということです。
そして目賀田種太郎は男爵に列せられています。
要するに目賀田種太郎は、明治日本のまさに立役者となった偉大な人物なのですが、なぜか現代日本の近代史では、まったく語られることがありません。
むしろ目賀田種太郎の名前を知っている人を探すことに苦労するくらいです。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
ひとついえることがあります。
目賀田種太郎は、明治37(1904)年に貴族院議員に当選した年に、韓国の財政顧問に就任していることです。
明治37年というと、日露戦争の真っただ中です。
そして日韓併合(明治43)のすこし前の時期にあたります。
この年、日本と李氏朝鮮との間で、第一次日韓協約が締結されたのですが、このとき韓国の財政再建のために日本から優秀な人材を派遣することが決められました。
そして、その道のプロである我が国きっての俊才として、目賀田種太郎が日本から派遣されたのです。
この人事は、それまでの目賀田種太郎の実績を考えたら、明治政府は、我が国きっての財政再建のプロ、これ以上は望めない最高の人事ということができます。
任命を受けて朝鮮半島の実情を視察した目賀田は、このとき、心底驚いたといいます。
なぜか。
民衆が、あきれるほどに貧しかったからです。
民家のほとんどが平屋・わらぶき屋根までは許せるとして、建物の梁(はり)の水平がとれている家自体がないのです。みんな曲がっている。
家というのは、柱と梁が垂直になっているから安心して住めるのです。
梁(はり)がまがっていては、いつ倒壊するかもしれないのです。
あまりにも危なすぎるのです。
ですから目賀田は、日本から大工さんを招いて、ちゃんと柱と梁が垂直になる家の見本をこしらえたりもしています。
シャルル・ダレの「朝鮮事情」には次のように書いてあります。
*******
両班(やんぱん)は、
世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。
彼らが強奪に近い形で農民や田畑や家を買うときは、
ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。
*******
要するに、支配層である両班(ヤンパン)が、被支配層である常民(サンミン)を収奪し、土地を奪い、代金も払わず、常民が抵抗すれば、苛斂誅求(かれんちょうきゅう)を加えるのが日常だったわけです。
暴力による支配、収奪だけの支配、上下関係がなにより優先していました。
まともな法など、適用されたことさえありません。
そして民衆は、それがあたりまえになっていて、そうではない社会が、人々の力によってつくれるということ自体、知らなかったのです。
知りようもなかったのです。
学校もない。教育もない。
子供の頃から、ただ一方的に殴られるだけ。
ニワトリや卵を手に入れれば、その場で両班たちに奪われてしまう。
誰もが腹を空かせているのがあたりまえ。
家の梁が曲がっていることなど、どうでもよいのです。
生きるために、いま食えるものを探し、奪い合う。
それは獣の世界より、もっとひどい貧困が支配した地だったのです。
李氏朝鮮時代の鞭打ち

年頃の女性は、強姦の対象です。
強姦できない生理中の女性は、生理小屋に押し込められていました。
大好きな女性を強姦されたからと、青年が抵抗すれば、捕まえられて見せしめに手足が縛りつけられて、五体の骨を一本一本、折られるという拷問が待っています。
それで暴動を起こせば、一族郎党、皆殺しです。
何もかも、命さえも、両班のものというのが、李氏朝鮮時代の半島だったのです。
参考記事≪李氏朝鮮の時代≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-659.htmlこれではいつまでたっても一般民衆は貧しいままです。
そして民衆が貧困化に置かれていれば、いつまで経っても朝鮮半島の経済は好転しません。
ちなみに、朝鮮半島において、被支配階層である常民(サンミン)となっていたのは、もと倭人たちです。
7世紀の白村江の戦いの後、朝鮮半島に取り残された倭人たちは、濊族と血のつながった両班たちによって、1300年もの長い間、ずっと収奪され続けていたのです。
明治38(1905)年に日露戦争が終わったとき、日本はロシアとの講和条約であるポーツマス条約によって李氏朝鮮に対する保護権を持つことになりました。
この年日本は、李氏朝鮮との間で、第二次日韓交渉条約を締結しています。
そしてこの条約によって、朝鮮半島は事実上日本の保護国となりました。
こうして日本はソウルに韓国統監府(かんこくとうかんふ)を置くことになりました。
この韓国総督府の初代統監が日本の初代内閣総理大臣である伊藤博文です。
いかに日本が韓国の民衆の生活改善に本腰を入れようとしたか、この一事をとってもわかろうというものです。
ところがその伊藤博文は、安重根によって殺害されます。
なぜ暗殺されたのか。
昨今の韓国では、安重根を英雄ともちあげているようですが、当時伊藤博文は、韓国の経済や文化の近代化のために力を尽くそうとはしましたが、そのあまりにも極端な貧困と民心の荒廃を前に、日本が朝鮮を併合することに、猛烈に反対していました。
安重根は、これを不服として、伊藤博文暗殺というテロ行為を働いています。
つまり安重根は、一日も早く朝鮮が日本に併合されるようにと、そうなれば常民(サンミン)たちの生活も、日本人のように劇的に改善されるということを願って、「日韓併合に反対する伊藤博文」を暗殺しているのです。
もっと簡単にいえば、安重根は、誰よりも日韓併合を願った人物であったわけです。
その安重根が、韓国では、日本の総理大臣を殺した反日の英雄としてまつりあげられているというのですから、どうかしています。
安重根は、日韓併合に反対する伊藤博文を殺害してまで、日本に併合してほしかったわけです。
さて、明治43(1910)年、日韓併合が行われました。
日本は法務、財政のプロである目賀田種太郎を筆頭に、朝鮮半島内で公正な税制の基礎を固めるため、土地調査事業を開始しました。
土地調査事業というのは、国家が近代化になくてはならないものです。
土地の所有関係を明確にし、課税の公平性を確保するために、それは最低限必要なことだからです。
ところがこのとき、実におもしろいことが起こっています。
朝鮮総督府は、土地の所有を「自己申告による」としたのです。
そうすると、そもそも土地をたくさん持っていたのは、領主である両班(やんぱん)ですから、あたりまえのことですが、多くの土地が両班(やんぱん)のものとして登記されました。
ところが、地方の農村部では、耕作者がいて耕作はされているのだけれど、所有者不明という土地がたくさんありました。
こういうところでは、ときおり両班(やんぱん)がやって来て、農作物を勝手に持って行ってしまっていました。
そこで目賀田種太郎は、こうした持ち主不明の多くの土地を朝鮮総督府によっていったん没収とし、これを、その土地で実際に耕作している人に、ほとんどタダ同然で下げ渡したのです。
これによって、多くの常民(さんみん)が地主となりました。
そして晴れて自分の土地で自分の家族のための作物を育て収穫することができるようになったのです。
実はこのことが、耕作している人たちの耕地の安定となり、安心して耕作ができ、安心して作物の収穫ができ、安心して収穫物を食べれるようにしたのですが、これによって何が起こったかというと、日韓併合当時には半島全体でわずか1500万人だった朝鮮人の人口が、わずか40年後には2300万人と、倍増したのです。
ちなみにこの件についても韓国は、「日本が農民たちから土地を奪い、日本人に払い下げたなどといい加減なことを国内で子供たちに教えていますが、事実誤認もはなはだしいことです。
そもそも日本人が土地の開拓のために半島に渡ったのは、この土地調査事業の後のことです。
しかも日本人が開墾した土地は、もともと朝鮮人の農地だったところではなく、誰も住まないまったくの荒れ地を、苦労して耕して農地にしたのです。
こうして目賀田種太郎は、朝鮮半島の民衆が安心して生活できるようにするための公正な税制の構築に精を出し、大正9(1920)年には、日本の代表として国際連盟の大使に選任されて半島を出ています。
要するに何がいいたいのかというと、日本は、日本最高の人材を、朝鮮半島の経済と文化の再興のために、送り込んだのだということです。
目賀田種太郎は、行政のプロであり、当時の我が国における最高の人材です。
その目賀田種太郎を、日本は朝鮮半島の近代化のために送り込んだのです。
それまでの朝鮮半島では、人口の1%に満たない朝鮮貴族の両班にとっては「人を支配できる」という意味において、半島は最高に幸福な国家であったかもしれません。
なぜなら人間にとっての最高の幸福は、人の生殺与奪の権を握り、人を支配することだからです。
自分では何もしない。
わずかな重さしかないタバコ1本咥えるだけでも奴隷にやらせる。
自分ではタバコの火さえも点けない。
ちなみにサラリーマン時代に本社勤務になったとき、私が自分で書類のコピーをとっていたら文句を言ってきた上司がいました。
どうしていけないのか、理由がわからずに尋ねると、
「お前が自分でコピーをとったら、女子社員の仕事がなくなる」と言ったので、思わず耳を疑いました。
「いえ、私にもコピーくらいできますから」と、その場は曖昧に誤魔化したのですが、あとでわかったのは、その上司、親が半島から帰化した日本人でした。
かつての朝鮮半島で、両班たちは、常民が持つ私財は、モノも貞操も命さえも、すきなだけ収奪することができました。
繰り返しになりますが、さからえば全身の骨を一本ずつ折るなどの厳罰を与えたりもしていたのです。
そしてそれらの残虐な行為は、猿山のボス猿でさえ、そこまでの非道はするまいと思えるほどの蛮行です。
そのような蛮行をしても、相手が常民なら、身分の違いでどこからも苦情がこなかったというのですから、すごい社会です。
そしてそういう社会の中で、特権階級であった両班は、まさに幸せ者であったのかもしれません。
けれど、人口の99%を占める常民にとっては、半島はまさにこの世の地獄であったのだろうと思います。
けれど、地獄で生まれ、地獄で育った人たちにとっては、それが生まれた時からの、あたりまえの社会だったのです。
欧米列強は、世界中を植民地化しました。
相当貧しい国でも、その地を植民地化したことは、みなさまご存知の通りです。
ものすごく小さな島でも、彼らは植民地化しています。
けれどそんな欧米列強でさえも、朝鮮半島だけは、植民地化しませんでした。
なぜなら、糞尿にまみれた朝鮮半島は、植民地化するだけの魅力がなにひとつなかったからです。
そんな朝鮮半島を日本が面倒見なければならなくなったとき、日本が選んだ選択が、目賀田種太郎の派遣だったわけです。
猿山の猿以下の生活をしている。
しかもそれ以外の生活を知らない。
そういう人たちに、善政を施し、普通の人間として扱い、普通の人間に成長してもらう。
そのための日本の選択が目賀田種太郎だったのです。
やはり人材です。
目賀田種太郎の朝鮮派遣は、おおいに成功し、朝鮮はわずかの間に近代化し、民衆に教育も施され、朝鮮半島は、人の住める場所になりました。
それを行ったのは、朝鮮族ではありません。
日本人です。
ところがそういうことを含めて、昨今の韓国は、日本に感謝するどころか、日本を馬鹿にし、日本を国際舞台で平然とこき下ろしています。
なぜなのでしょうか。
ひとつはっきりといえることがあります。
台湾は、朝鮮半島同様、日本だったけれど、いまだに日本を慕い、日本との良好な関係を希望し、親日ムードが強い国です。
これに対して、同じように日本となっていながら、韓国の反日行動は、常軌を逸しています。
韓国にしても、台湾にしても、個人レベルまで落してみれば、親日的な人もいれば、反日的な人もいます。
日本国内においてさえ、日本が好きな日本人もいれば、日本が嫌いな日本人もいます。
米国が大好きな日本人もいれば、嫌いな日本人もいる。
それと同じことです。
個人レベルでは、様々です。
従って朝鮮人にも、良い人はいくらでもいます。あたりまえのことです。
しかし、国は違います。
違うから、国境があるのです。
このことを、私たち日本人は忘れてはいけないと思います。
問題は、国家意思としてどうなのか、ということです。
台湾は、国として、たいへんに親日的です。
韓国は、たいへんな反日です。
なぜ台湾が親日的で、韓国が反日的なのか。
実は理由は、たいへん単純なところにあります。
ヒントは「日中国交正常化」です。
田中角栄首相の日中国交正常化によって、それまでの日台関係は霧散し、日本は中共政府を国交を開く変わりに、台湾との関係を冷えたものとすることになりました。
この結果何が起こったかというと、日本から台湾への経済援助がなくなったのです。
日本と仲良くしていれば、日本から莫大な投資も起こるし、様々な政府開発援助金の交付もある。
それが一切なくなりました。
そういう状態で台湾が反日に走れば、誰がどう考えても日本からの援助金は、未来永劫、ありません。
ですから、台湾政府としては、日本に対して、親日をアピールし、日本にこっちをむいてもらって、資金供与をしてもらおうと努力する。
これが国是になります。
要するに、そうしなければならない事情があるのです。
その事情とは、日本からカネが出ていない、ということです。
一方韓国は、日韓基本条約のときに大金が支給されました。
要するに、戦争のことを議題にすれば、日本はカネを出すということを、彼らは学んだのです。
ですから韓国は、国をあげて戦争のことが議題となるように反日をあおります。
なぜなら、あおればあおるほど、日本からカネが出るからです。
そしてその日本から供与されたカネは、韓国の民衆にはまったく渡らず、韓国政府の要人たちがことごとく、ポケットに入れてしまっています。
なぜなら民衆に渡せば、韓国内のインフラが整備されてしまうからです。
整備されたら、日本からの援助金はなくなります。
韓国の施政者にとって、韓国が近代国家となられては困るのです。
韓国政府の要人たちにとって、韓国の民衆は反日に煽動され、理屈にあわなくても、ただ騒いでくれる存在なら良いのです。
そうしてくれれば、日本が一方的に気を使ってカネを出してくれる。
反日をあおる→日本政府からカネが出る→ますます反日をあおる→もっと日本政府からカネが出る。
この公式がわかると、解決の方法もみえてきます。
簡単なことです。
一切、カネを渡さなければ良いのです。
するとどうなるかというと、韓国は、国をあげて親日国に早変わりするものと思います。
おそらく、日本が韓国との国交閉鎖を宣言すると、その月のうちに、韓国国内に変化が起きはじめ、1年としないうちに、韓国は世界有数の親日国となることでしょう。
なぜなら、そうしなければ、カネをもらえないと思うからです。
もともと新羅の時代から、二枚舌外交は韓国のお家芸です。
日本の外務省は、ただカネをバラまけば良いと思っているかのようですが、カネは、渡せばいいというものではありません。
ときに、渡さないことが、我が国国益に叶う結果となるのです。
韓国には、今後一切、びた一文、渡す必要はない。
それが結局は韓国の民衆のためでもある、ということです。
※この記事は2013年6月の記事のリニューアルです。


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コメント
K.K
で、種太郎役はもちろん、寒流を批判したら芸能界から干されてしまった、あの高岡奏輔さんでお願いいたします。
2016/07/17 URL 編集
朝鮮カルタにあるような思考パターンの方が殆どで手を妬いています。
本当にこの国から出て行って半島に帰って欲しいものです。
ヤクザ、泥棒、叛乱、謀略、イガンジル、乞食の思考です。
水と油合い交じり合えません。
本来の日本人の幸福を考えますと排除に邁進するのみです。
2016/07/15 URL 編集
ゆき
明治時代には本気で国を良くしようと努力していた人達がいました。
この目賀田種太郎さんのような優れた日本人がたくさんいたのでしょうね。
今の日本人ではこうした人物は極少数なのでしょうか。
「今の日本」と、くどい言い方をして申し訳ないのですが、こう思わざるを得ないんですよね。
民営化という間違った選択をしたり、無駄に海外に依存しようとする企業が多くなってしまい残念に思います。
朝鮮は皆さんが思っているように関わらないようにするべきでした。
この連中に関わってしまったことで、日本は金をドブに捨てるのと同然のことをしてしまいましたし、日清、日露と無駄な戦争をしてしまったと思います。
今でも、在日問題が色濃く残ってしまっています。
今更どうすることもできませんが、朝鮮に関わっていなければ日本は今よりもっと平和で豊かな生活をすることができていたのではないかと思うと残念な気持ちになります。一日でも早く、朝鮮とは決別することを望みます。
2016/07/15 URL 編集
junn
-日本国民の生命と財産を守り、独立と平和を維持するために-
http://nokan2000.nobody.jp/
2016/07/15 URL 編集
m.e
頭を冷やしました。
やれやれ、たかだか一票を投じたくらいですっかり『お客様』気分でした、僕。
当事者なのですから、言わばねずさんと僕は同じ立場です。
同じ日本国民、なら和を乱さず、小人、閑居して不善成すところでした。
考えるのをやめて他者を責めても何にもなりません。
一緒に考えるのが大事だと改めました。
いやはや、激動の時代に生きていますね僕達は。
2016/07/15 URL 編集
-
韓国で差別されている地域に住む人達は
親日が多いのは元々は倭人だからなのだと思います。 まあ、しかし韓国はどうでもいいです。あれだけ日本の富と技術と最高の知性をもった人材を派遣しても、感謝の一つもせずに反日しか言わない恩知らずなんですから。
都知事選ですね。都政の政策なんか何一つ語らずに中韓と仲良くしたいなどと言っている鳥越が万が一都知事になったら、
東京都は終わりでしょう。
韓国人学校移設撤回、ダサい東京五輪のユニフォームも変えるとハッキリ
表明している小池百合子女史が一番良いと
思います。
2016/07/15 URL 編集