小人閒居して不善をなす



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20160707 四書五経


「小人閒居して不善を為す」という言葉があります。
四書の『大学』にある有名な言葉です。
この言葉を、「小人は暇を持て余すとろくな事をしない」という意味に用いる人がいますが、正しくは違います。
なぜなら「閑居」ではなく、「閒居」という言葉が使われているからです。

「閒(かん)」という字は、「門(もんがまえ)」の中に「月」が書かれている字です。
この字は門が少し開いて、そこから月の光が差し込んでいる様子を表します。
門の外と内で、互いに同じ月を見ているのだけれど、両者は門で物理的、時間的に隔たっている。
同じ月を見上げているということは、同じ志を持っています。
けれど、門で隔てられているわけです。
それが「閒」です。

「閑居(かんきょ)」なら、ただ「暇でいる」という意味です。
「閒居(かんきょ)」なら、「同じ目的を持った二者が、物理的精神的時間的に離れた状態になっている」様子です。

そして小人は、たとえ同じ志を持った同志であっても、相手の人がその場にいないと不善をなす。
つまり、不誠実な態度や言動をとる。
もっと言ったら、悪口を言い始める。
そういう不誠実な態度のことを『大学』は、「小人閒居して不善をなす」と言っているのです。




原文は次のようになっています。

 所謂誠其意者、毋自欺也。
 如悪悪臭、如好好色。
 此之謂自謙。
 故君子必慎其独也
 小人閒居為不善。
 無所不至。
 見君子而后厭然、
 覆其不善而著其善。
 人之視己、如見其肺肝然、
 則何益矣。
 此謂誠於中形於外。
 故君子必慎其独也。


おもいきった現代語に意訳すると次のようになります。

 誠という字の意味は、自らを欺(あざむ)かないことです。
 悪臭を憎むように、色ごとを好むように、
 いつも慎み深くすることです。
 ですから君子は、独りのときでも必ず慎み深くします。

 徳のない小人は、他人の目がなくなると同志に対して不善をなします。
 人間が至らないからです。
 その不善がバレないよう、自らの不善を隠して善人のような素振りをします。

 君子であっても、これを見抜くのは、
 その人の肺や肝臓を見ようとするのと同じで容易なことではありません。
 行おうとしてもできることではありません。
 見ようとしたところで、何の益もありません。できないことだからです。

 ただひとついえることがあります。
 心の誠は、必ずその人の外見や姿に現れてきます。
 だからこそ君子は、たとえ独りであっても、自らを深く慎むのです。


いまではすっかり慣用句のようにさえなっている「小人閑居して不善を為す」というのは、
「小人は暇を持て余すとロクなことをしない」といっているのではなくて、
「小人は同志に対してさえも、その人がいないと必ず悪口を言い始める」と言っています。

心に誠がないから、慎むことができないのです。
簡単に言ったら、同じ会社や組織の同志であっても、
AさんがいなければAさんの悪口を言う。
Bさんがいなければ、Bさんの悪口を言う。

同志の悪口を言ったからといって、自分が偉くなるわけでもないのだけれど、自己抑制が働かないから同志であってもその場にいない人の悪口を言いたがるのです。
これを儒教の『大学』は、
「小人閒居して不善を為す」と言っています。

おもしろいもので営業成績の悪い営業店に行くと、そこでは本社の上司に対する不平不満ばかりが聞こえてきます。
まるで、その上司がいるから営業所の成績があがらないと言わぬばかりです。
ところがその上司が臨店すると、全員ニコニコ顔となってその上司を迎え、その瞬間からまるで人が違ったように素直で善良で、上司を心から尊敬しているかのような素振りに早変わりします。

『大学』は、そのような人を称して「小人」だと言っているわけですが、後半も面白くなります。
相手が小人で陰口をたたいているかどうかは、本当のところは相手の肺や肝臓を見ようとするのと同じで、君子であっても見抜くのは困難だというのです。
けれどもひとついえることは、

「心の誠は、
 必ずその人の
 外見や姿に
 現れる」

というのです。
なるほど、どんなにお金持ちか頭が良いのかわかりませんが、テレビに出てくる知的なお話をされるコメンテーターさんたちの多くが、お顔が歪んでいる。
ひとことでいえば人相があまりよろしくない。
歳を重ねれば、自然とその人となりが外見に現れてくるものです。

ですから私はいつも、
「この人が100人いたら、世の中はどう変わる?」と自問します。
同様に、自分が百人いたら、千人いたら世の中は良い方向にむかえるようになれるかと自問します。
明らかに良くない方向に向かうなら、自分の活動は間違っていることになるからです。

その場に居ない人への誠実。
これは、とてもたいせつなことだと思います。
いないからこそ悪口を言ってはならないし、よりいっそう、意識して慎み深くならなければならない。
それができるのが、本来、男であり、大人とされてきました。
かつての日本人にそれができたのは、肚がきまっていたからです。

最近では、人間は理性と感情で動くとか、右脳と左脳によって考えるとか言われます。
けれどもともと日本人は、肉体の他に魂の存在を明確に「ある」ものとしていたのです。
だから、
「乞食をしたってこの魂は汚さない」とか
「死んで靖國神社で会おう」とか、ごく普通に思っていたし、常識だったし、現実だったのです。

右脳や左脳、あるいは理性と感情よりも、もっと深い所で、人間には、その本体としての魂がある。
そしてその魂を汚したくないから、その人のいないところでは、意識して下手なことは言わず慎む。
必要があるなら、直接本人に話す。
そしてそれが不服なら、腹を切る。

これが武士が学んだ四書五経の、ほんのさわりの一部です。
私などまだまだ、ほんとうに修行不足を感じます。

さて、現代Chinaでは、この「閒」という字は失われて簡体字の「间」になっています。
「间」は、旧字(真字)なら、「間」です。
ですから「小人閑居して不善をなす」は、「小人間居して不善をなす」となります。
仕事と仕事の合間の暇な時間対になると良からぬことをすると、ちょっとひどい解釈になっているようですが、彼らの国では、それはまさに常識です。

また現代日本でも「閒」という字は当用漢字から外れていますから「閑居」と書かれます。
そして「閑」は、暇と同じ意味の漢字ですから、「小人は暇を持て余すと不善をなす」と違う意味に使われたりしています。
けれど考えてみれば、戦後の日本人は暇をもてあますと、パチンコに走ります。
たしかにロクなことをしない。

けれどもすくなくとも、江戸時代の武士や、明治の元勲たちが学んだ「小人閒居為不善」は、そういう意味ではありません。
「その人がいないところで同志の悪口を言い出すのは、小人である」と学んだのです。

相手がその場にいようがいまいが、心に誠を持ち、人の悪口や批判を言わず、自ら慎しむ。
それが大事と教えられてきたのです。
そしてそれがあるからこそ、武士は信頼されたのです。

人の噂をすることは、それはそれであって良いことです。
人は噂話が好きなのです。
とりわけ芸能人の噂をはじめとして、自分が何の影響力も行使できない人の話をするのは、人々のお楽しみです。
ベッキーが不倫しようがしまいが、たぶん、噂をしている奥様には、生活上、何の関係もないことですが、「その件について、私はこう思うのよね〜」と井戸端会議に花を咲かせるのは、それはそれでお楽しみや趣味の世界であり、ごく普通のことです。

しかし、同じ目的を持って集った同志が、その人のいないところで、無責任な批判をしているのでは、これは不誠実と見られても仕方がないことです。
そしてそういう人からは、まともな人は自然と離れていくものです。
なぜなら話を聞いた人は、
「ああこの人は、その場にいない人の悪口を言う人なのだな」と思うし、そうであれば自分がその場にいなければ、今度は自分が何を言われるかわからないと直感します。
いないところで揚げ足を取られて、何を言われるかわかったものではありません。
そんな人なら近づかないほうが良い。

それにしても昔の人は、こういう教育を年少の頃からしっかりと繰り返し受けて育ったわけです。
人間ができるわけです。

「小人閒居して不善をなす」
あらためて肝に命じたいものですね。

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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。どちらでもよいのでは?
言葉は時代に合った解釈により、意味を深め進展させていく。言葉もまた
成長するものではないですか?
人は閑だと悪い事に手を出してしまう。現代にマッチした解釈なのでは?w
昔の解釈が現代に全て合うとは限りませんし。第一”小人”と言っている時点
で”お子ちゃま~”認定なのですから、堂々と悪口叩いてるようですが??
・・こういう上から目線・・”大学”の基本姿勢なのかな~w?
チャイナの言葉には、底意地の悪いものが見え隠れしてたりします。ソレを
探すのもまた笑いのツボなんですよ。想像するに・・けたたましく遣りあっ
てたのでしょうねえ・・チャイナ人同士ですから、そういう議論と口論のふっ
掛け合いが、より強烈な言葉を生み出したような・・。
大事なのは、そういう言葉が日本にやってきて以来、日本人によって取捨選
択されていき、良い所だけを取り出して更に深めていったという事では?
つまりは解釈の自由度が、なんとも珍妙な発展をとげてしまう日本ww朱子
学は江戸幕府の正学とされるけれど、日本社会のダイナミズムはソレを凌駕
してしまう。例えば身分制度を確固とするために朱子学の上下定分の理が使
われるが・・おっとっと~・・これを突き詰めると尊王攘夷へ~wよし!理
論武装はできた~明治維新じゃ~wおまけに能力のある者をドンドンひきた
てていく日本ルールは”養子””御家人の株を買う”という抜け道で実践され続
けており・・勝海舟の曾祖父は貧農の出の米山検校だが(検校には盲官であ
るために金貸し業が許されていた)子供に御家人株を買ってやり武士へと昇
格させた・・お陰で勝海舟は幕府要員として活躍w
チャイナにおいて儒学は朱子学へと発展するも、政治利用されて思想統制の
道具となってしまい、チャイナやハントウの社会停滞の原因の一つになった
という説もありますね。欧米列強の凄みを認識できず沈んでいったと。朱子
学のみの価値観ではね・・。学問を深め発展させるのは、状況・・世の移り
変わりや変化こそが、新しい発展を生むのでは?それにつれて言葉もまた成
長する。現在のチャイナの言語の3割ほど、法律用語の7割ほどが和製熟語
であると。これらの和製熟語は明治時代までに西欧・・最初は蘭語、次いで
英独仏語を翻訳した言葉たちですね。例えば”電気”は漱石の造語。これらを
チャイナは大急ぎで”買い求め”て自国の言語に嵌め込んだ。人民も共和国も
チャイナの概念にはなかったわけでww彼らは自国の言語を自ら成長させる
事はできなかったようですが・・100ほども地方語がある多民族多言語地
域ですから、致し方のない事ではあったのか・・も・・。

愛信

死票(45%有権者)を揺り起こして「国民怒りの声」
死票(45%有権者)を揺り起こして「国民怒りの声」
https://youtu.be/Gk99iIIbLZQ

比例代表(全国区) 【国民の怒り_立候補者 : 10 】
http://www.aixin.jp/skjh/sj74.cgi

 参議院選挙は行かないつもりの人にこの演説を聞いてもらいましょう。
 そして死票を集めて日本の政治を改革していきましょう。
 参議院選挙は任期が6年の選挙です。 次の参議院選挙ではもう間に合いません。
 その頃には日本人社会は崩壊しているかも知れません。
 友人知人に立ち上がって共に働くのは今回の2016年参議院選挙しかないのです。
 日本の安全・安心で自由な社会を守る為に働けるのは今です。
 比例代表(全国区)に国民怒りの声と書きましょう。

詳細は 置きビラを作って広めよう。
【置きビラの掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsjb.cgi
【置きビラ・タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。

愛信

「国民怒りの声」小林節氏街頭演説
「国民怒りの声」小林節氏街頭演説
https://twitter.com/aixin_jp/status/750980722291126273

 反日売国テレビ局・マスコミが
報道しない自由を行使している為
に日本国民が知る事の無かった知
見が披露されています。
 是非一度、時間のある時にゆっ
くりと聞いてみてください。
この人小林節さんを国会に送る
為には比例代表(全国区)に小林節
と書きます。

詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。

-

いつもありがとうございます。
論語は、原文の漢字から意味を読み取らないと孔子の言われている真意を曲解してしまいます。

子曰はく、君子は人の美を成し、
人の悪を成さず。小人は是に反す。

意訳=心に誠のある人は人の善を見れば、これを助けて導き励ます。小人は心に誠がなく慎む事を知らないので、これとは反対に人の善を見れば妨害して、これを成し遂げさせない。

こんな人は政治の世界にも職場にも
隣国の韓国にも大勢います。他人の善を励まし、助ける人でありたいですね。

beany

『贋作吾が輩は猫である』内田百けん
夏目漱石の弟子に内田百けんという方がいて、この字でケンですね。
ガラケーで表示は空白だし変換でも出ないのですが。
漱石30代の『吾ガ輩ハ猫デアル』の続編を百ケン60代が書いた『贋作吾が輩は猫である』は師を超えた出来で、猫が苦舎彌先生から代わって寄寓することになった五舎彌入道が、父親の若い遺影を前に晩酌をしながら吐く「年端もいかない親父」という酒気は、悔しさや寂しさや思慕がたゆたう複雑な心情をたった一言で言い尽くした名台詞です。
きなくさい話が多い昨今、先生と口々に言いながら入れ替わり立ち替わりやってくる招かれざる客人と主人とがどのような珍騒動を巻き起こしたか、読んで往事を垣間見た気になるのも日本を取り戻す一助になるやもしれません。
最近は刊行する版元も複数になったので検索は御勝手次第ということで書籍番号は割愛させていただきます。

heguri

No title
おはようございます。いつもありがとうございます。
今回も少し教えをお借りします。勝手にいじってしまいますが、お許し下さい。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
むすび大学事務局
E-mail info@musubi-ac.com
電話 072-807-7567
○受付時間 
9:00~12:00
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定休日  木曜日

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