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※ この記事は24時間だけの限定公開です。今日は「ここだけのお話」を書いてみたいと思います。
謎解きのひとつの答えです。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの 逢ふこともがな百人一首にある和泉式部の歌です。
百人一首の編纂をした藤原定家は、女性が輝いた時代、つまり平和で安定して、女性たちが本当に輝いた時代の象徴として、和泉式部のこの歌を百人一首に掲載しているし、和泉式部は、出家してお亡くなりになる直前に、最後の生命の力を振り絞って、この愛の歌をのこしています。
和泉式部のこの歌についての詳しい紹介は過去記事、および『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』で詳しくご紹介しましたし、また和泉式部に関する私の講演でも、何度となくお話させていただいています。
ものすごく簡単に要約すると、和泉式部は、はじめ和泉守・橘道貞と結婚して一女をもうけますが、理想の男性を思い描く和泉式部は、夫との関係がうまくいかず、別居状態となりました。
そこに現れたのが、為尊親王殿下です。
為尊親王は、冷泉天皇の第三皇子であり、教養も高い、まさに白馬に乗った王子様です。
二人はまさに「ひと目会ったその日から」で、大恋愛に陥ります。
相思相愛、互いに心から愛し合い、まさに二人はラブラブです。
ところが、交際してまもなく、為尊親王殿下は流行りの病でお亡くなりになってしまわれます。
失意のどん底に堕ちた和泉式部を、為尊親王の弟の敦道親王が気遣います。
心配してくださる敦道親王と、和泉式部は葛藤しながらも愛し合ってしまいます。
その葛藤の半年間が描かれたのが、有名な『和泉式部日記』です。
ところがその敦道親王も、流行りの病でポックリ逝ってしまうのです。
失意、悲しみ、無情の中で、和泉式部は一条天皇の中宮・藤原彰子のもとへと出仕が決まります。
10年の歳月をそこで頑張りぬいた和泉式部の前に、和泉式部の過去をすべて知った上で妻に娶りたいという男性が現れました。それが藤原保昌です。
保昌は50代で、不器用だけれど男らしい武人です。
和泉式部の悲しみをよく理解し、和泉式部をやさしくいたわる、そんな夫でした。
二人の間には男子が生まれます。
けれどその男の子が成人したとき、和泉式部は黙って尼寺に出家してしまいます。
髪を降ろし、墨染の着物を着て、現世のすべてを捨て去り、ただ御仏にお縋りする。
そう心に決めた尼僧となった和泉式部を病魔が襲います。
そして、もはや余命幾ばくもないとわかったとき、彼女は最後の力を振り絞って、一首の歌を詠みました。
その歌が、冒頭の歌です。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの 逢ふこともがな
歌の意味は、「私はもう長くはいきていない(在らざらん)ことでしょう。けれどこの世の最後の思い出に、今一度、あなたに逢いたい」というものです。
「逢」という字は、ただ会うのではなく、逢いたい、抱かれたいという意味が込められます。
「では、和泉式部が最後に逢いたいと思ったそのお相手は、
はたして、
最初の夫の橘道貞でしょうか。
為尊親王殿下でしょうか。
それとも弟君の敦道親王殿下でしょうか。
はたまた最後の夫である藤原保昌でしょうか。」というのが、実は私の講義などでは決まり文句(笑)で、そのお答えはこれまで示してきていません。
ずいぶんと長い前置きになってしまいましたが、そこで今日は出血大サービスで、私なりのお答えを書いてみたいと思います。
もちろん、その答えが「正しい」ものであるかどうかは、わかりません。
どこまでも答えは、和泉式部の心の中です。
みなさまが、どのように思われるかは、それぞれ自由です。
さて、その解答ですが、私はやはり歌の中にその解答を見出すべきであろうと思います。
もういちど歌をよく見てみます。
あらざらむ 私はもうこの世に居ないでしょう
この世のほかの つまり「あの世」で
おもひでに 想い出に
いまひとたびの もういちど
逢ふこともがな 逢えるといいなあ
このように読むことができます。
最後にある「もがな」は、願望を表す終助詞で、「・・・になればいいなあ」といった感覚を表す言葉です。
自分の死を目前にした和泉式部が、死ぬ前に逢いたいと詠んでいるのではなくて、実は、死んだ後に、あの世で誰かに「もう一度逢いたいなあ」と詠んでいるわけです。
あの世での再会ですから、そのお相手は、和泉式部よりも先にお亡くなりになっている方であろうと思います。
この時点で、最初の夫も、最後の夫も生きています。
ということは、和泉式部があの世で逢いたいと詠んでいるお相手は、為尊親王か、弟君の敦道親王のどちらかです。
和泉式部が生きた時代というのは、というよりこれは日本人の常識観でもあったといえることなのですが、肉体には魂が宿るし、その魂は永遠の存在だということが、もうあたりまえすぎるくらいあたりまえの常識として定着していた時代です。
ですから、和泉式部は、死ねば自分も肉体を離れて、もとの魂に戻ると考えていたであろうということは容易に想像がつきます。
しかも人の死に際しては、お迎えがあります。
仏教では、そのお迎えは、阿弥陀如来様であったり、大日如来様、あるいは仏様であったりするわけですが、それだけではなく、先にあの世に行っている祖父母や両親、あるいは男性の場合であれば、先に逝っている戦友だったりもするわけです。
魂の永遠を信じる和泉式部は、だから「大好きだった、想い出のあの人に、あの世で逢えたらいいなあ、きっと逢えるよね?」と詠んでいるわけです。
そこには同時に、「逢えたらどうしよう。あの人は若いままなのに私はこんなに歳を重ねてしまった。」という女性らしい葛藤もあったことでしょう。
けれど、死んで御霊となった和泉式部は、その瞬間に、もとの若くて美しいお姿です。
そして思うのですが、和泉式部の御霊が、いよいよ肉体を離れたとき、きっとそこには、為尊親王殿下と、弟君の敦道親王殿下のお二人が、ニッコリ微笑んで、和泉式部をお迎えに来られていたのではないかと思います。
「よく頑張ってきたね」と微笑む為尊親王。
「兄貴、式部、よかったね」と二人を祝す敦道親王。
そのとき和泉式部は涙でいっぱいになって、もうお二人のお姿が、まぶししすぎて、きっと何もみえなくなっていたことでしょう。
その感動の中、
「お母さん」と声がします。
実は、和泉式部は、たいせつな娘の小式部内侍を、先に失っています。
優秀であるがゆえに、周囲からイジメられ傷つけられた娘は、母より先に旅立っていたのです。
和泉式部は、その娘(小式部内侍)を失ったときにも、まさに悲嘆としか言いようのない悲しみの歌を数多く残しています。
ですから和泉式部の御霊が肉体を離れたとき、その場には、きっと娘の内侍も来ていたことと思います。
二人の殿下との再会し、愛する娘との再会を果たした和泉式部。
もう、幸せになってくださいね、と祈るような気持ちにさせられます。
和泉式部の歌は、どの歌も、まるで空中を落下する水滴を、落下の途中でピタリと停めてしまうような鋭敏な美にあふれています。
個人的には、おそらく和泉式部は、日本の歴史が生んだ、最高の女流歌人のひとりと断言できるほどと思います。
とびきり美人で優秀で才能にあふれ、それだけに感受性が人一倍鋭かった和泉式部は、その美しさと豊かな感受性の故に、素晴らしい出会いを経験しています。
けれど同時に、その愛を続けて二度も失い、さらに愛娘に先立たれるという悲しみを経験されました。
苦労が人を育てるといいます。
和泉式部は、女としての人生の悲しみの連鎖の中で、一層、生まれ持った才能と感受性を研いだのであろうと思います。
だからこそ和泉式部の歌は、千年の時を超えて褪せない虹彩(こうさい)を放つのだと思います。
逆にいえば、和泉式部の御霊は、そんな苦労の連続の中で、歌の才能を限界まで引き出すという苦難の道を意図して選んでこの世に生まれてきたのかもしれません。
そして為尊親王殿下の御霊は、そんな和泉式部の御霊の持つ願いを叶えるために、敢えて先立つという選択をしてお生まれになられて来られたのかもしれません。
また、敦道親王は、最愛の人を失うという死ぬより辛い目に遭った和泉式部の心が壊れてしまわないように、生前にしっかりと支えるためにと、生まれて来た御霊だったのかもしれません。
そして小式部内侍は、母より先に旅立ちましたが、母の歌への想いを受け継ぎ、次の人生で、思う存分、歌人としての才能を開花させる、そんな選択をしたのかもしれません。
実際のことはわかりませんが、私には、小式部内侍の歌風は、江戸時代の俳人の加賀の千代女の歌風と重なって見えるのです。
男性の私としては、不器用ながら和泉式部を最後まで愛し続け、まもりとおそうとした最後の夫の藤原保昌と「逢いたい」と言ってもらいたかったという気持ちがあります。
けれど保昌は、妻の求める幸せの半分も満たすことはできなかったかもしれないけれど、彼は式部との間に、男子を得ることができました。だから彼はそれで良いとしなければならなかったのかもしれません。
ここまで書いたときに、日頃お世話になっている安田先生から、次のご指摘をいただきました。
「最愛の人の子を設けるのではなく、
最初と最後の夫となってくれた人の子を授かる。
これも神のお計らい=神意でしょう。
神仏はちゃんと彼らにも救いをもたらしたのですね。」
お読みいただき、ありがとうございました。
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コメント
takechiyo1949
古事記だ~?
百人一首だ~?
一体どうなっちゃったんだ?
昔しか知らない方々は、首を傾げながら言います(笑)
そりゃ~多少の苦労もありました。
でもね、ねずさんや読者諸先輩の皆様の導きがあっての話です。
いつの間にか…和歌の講義を受けてホロリ。
古事記を読んで痺れてる。
そんな自分に苦笑している今日この頃です。
2019/07/25 URL 編集
beany
私は和泉式部と聞くといつもなぜかこの動画を思い出すのです。
みなさんも気が向いたら探してみてください。
2016/08/29 URL 編集
ラベンダー
今日は、出血大サービスでの神解説をありがとうございました♪
ずーっと、和泉式部が最後に逢いたかった人は誰だったのだろうかというのは、謎でした。
三年近く考えて来ました。
その三年の間に、矢作先生の著書や小桜姫物語を読み返したり、関連する書籍を読むうちに、和泉式部は、いつまでも輝き続けるための和歌を作るために、この世に生まれてきたのではないだろうかと思うようになりました。
ですから今日のお話は、私の感じた事をわかりやすくまとめていただいたようで、とても嬉しかったです。
これからも、ねず先生の神解説を楽しみにしております(^-^)
2016/08/28 URL 編集
junn
http://conservative.jugem.jp/?eid=528
2016/08/28 URL 編集
大和守祥易
2016/08/28 URL 編集
-
結構多くの方が読まれていると思います
古の日本文化に興味があって、知りたいと思う方々が「これぞ」と思って読んでいる事と思います
しかし、現実、そういう方々の中に、実業家や経営者のトップ
政治家が一体何人いるのでしょう
一般国民は声を挙げる事が無いのが今の日本です
従って、社会の上層部にいる者達が読まぬ・知らぬ・どうでも良いと言う態度なら、この国は変わり様は無いのです
このコメント欄においても、小名木さんに傾倒する人達においても、口先ばかりは恰好の良い事を平然と言いますし、書き込みます
私の経験上、一つの県で組織が立ち上っても、こういう人達しか集まりませんでした
恰好の良い事を言って、自己アピールするだけです
そんな者の言う事を聞いて判断していたら、(それは無いとは思いますが)目指す方向性すらどんどんズレて行ってしまいます
こんな、一般庶民達では無く、やはり、上の立場の人達に思い直してもらわねば、この国は誰も幸せにはなりません
しかし、その上に立つ者達がどれ程、すでに日本人としては異質の人達と成り果てている事か
1000年前の日本の文化にすら、こう言った人たちは興味すら無いのが現実なのではありませんか?
小名木さんは、そこに、どうやって切り込んで行くのか、私はそこが最大の関心事です
一つの県で、小名木さんの百人一首を元に集まった集団がいたとします
仮に、30名程集まったとして、その中で、読み通した人を挙手させれば、たかだか数名になるでしょう
なのに、それだけの人数が集まり、恰好の良い事を良い散らすのが一般庶民ですよ
そして、ダイジェスト版くらいしか読んでもいない人達が、その意味すら捻じ曲げて行くんです
私は、こんな一般庶民では無くて、キチンと国や国民の事を考える事の出来る人達が沢山出現する事を願います
そうでないと、国はもう終わるんです
2016/08/28 URL 編集
次郎左衛門
…今日のお話は涙を流しながら読ませていただきました…!
先の大戦を仏印で戦い抜いた大好きだった祖父も、あの世で一番先に逢いたいのはかつての戦友と言っておりました。
…故に、おそらく祖父が人生を卒業した瞬間、迎えに来たのは清々しく微笑むその戦友さん達だったとおもいます…^^
母から、”人は生まれる前に、自分でその人生のシナリオを書き、仏様の許可を得て初めてこの世に生まれる“と教わりましたが、、当に今日、先生から同じ話をしていただき、自分の心はねず先生への敬愛で一杯になっております^^
ねず先生、いつも本当に素晴らしいお話、誠にありがとうございます。
これからも心から応援をさせていただきます!
では!
2016/08/28 URL 編集
陸井夏樹
2016/08/28 URL 編集