男言葉、女言葉



20160830 菊
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日本語の大きな特徴として男女による言葉遣いの違いがあります。

「楽しいわね」
「うん。楽しいぜ」
と書けば、どちらが男でどちらが女とわざわざ注釈しなくても、どっちが男でどっちが女かわかります。

ところが最近、特に反日色が濃いと言われるテレビにおいて、そのドラマなどで使われる言葉が、かなりおかしなものになってきています。
女性が男性語を使い、男性が女性語を使うのです。

「お前たち、捜査を実施してくれないか」
「あらまあ、捜査するのよね」

どうみても上が男言葉、下が女言葉です。
ところが、番組では、上のセリフが女性、下が男性のセリフです。

メディアですから、認知不協和を誘うことで、話題性をさらおうとしているのかもしれません。
しかし、やはり良くないものは良くないのです。

これは反省事項でもあるのですが、私たちが小学校の頃は、夏休みの宿題というものは、「やるのがあたりまえ」であって、やらないとか、提出が遅れるというのは、思いもつかないことでした。
この世に夏休みの宿題をやらない子供がいるというのは、まったく想像を超えたことで、それはほとんど「この世にトイレをしない人がいる」というのと同じくらい、ありえないことだったのです。

夏休みの宿題の提出は、昔は8月21日の全校登校日と決まっていたし、その日までに宿題は全部済ませて提出する。
9月1日の二学期の始まりの日に持っていくのは、8月31日までの「夏休みの日記」だけです。
先生からそのようにしなさいと言われれば、その通りにするのがあたりまえで、それ以外の別なやり方など、この世に存在しないことでした。

だからまれに病気などで、8月21日に夏休みの宿題の提出が間に合わない級友がいれば、仲間たちみんなでその子の家に押しかけて行って、その子の宿題の仕上げを手伝ったりたりということもありました。
それが普通だったし、普通以外は、ほんとうに思いも及ばない、ありえないことだったのです。
その「ありえないこと」が、「非常識」と呼ばれましたし、夏休みが始まる前に「宿題なんてなければ良いのに」なんていう子があれば、親からもみんなからも、
「世の中には、言っていいことと悪いことがある」
と、叱られるいうよりも、むしろ糾弾されたものです。

ところが、決して他人のせいにするわけではないし、なんでもかんでもメディアのせいにするというわけでもないのですが、オバケのQ太郎や、パーマン、ドラえもんなどのテレビ漫画で、主人公ののび太や、正ちゃんが、宿題をしない、提出しないで先生に叱られるけれど、ただボヤくだけで、宿題は結局未提出のままでいるわけです。
結果、テストは0点、成績はビリ。

もちろん漫画ですから、当時の子供たちは、漫画の世界のことだからと笑って観ていただけです。
でもなんとなく、その「テスト0点、成績ビリ」というのが、「かっこいいこと」のような雰囲気が現れ始めていました。

ところがあれから半世紀、いまでは、宿題をまともに提出する子供自体が少なくなっているといいます。
テレビ漫画の世界だけにしかありえなかった「テスト0点、成績ビリのかっこよさ」の方が、すっかり常識化し、まじめに宿題をやる子のほうが、ありえない子になってしまっているといいます。

それは極端なことで、そんなでもないよと信じたいです。
けれど、提出物がまともに提出されない子というのが、どこの学校でも確実に増えている。

人気番組の「8時だよ全員集合」でも同じようなことはありました。
毎度おなじみだった教室シーンです。
先生役のいかりや長介に、子役の加藤茶や、志村けんは、まったく従わない。
従うことがあたりまえの時代だったですから、その「従わない」姿が面白くて笑いを誘いました。

このように、ありえないことをお笑いなどのネタにすることを「認知不協和」と言いますが、あれから50年、いまでは、あの全員集合の教室シーンが、小学校の日常の風景と化しています。
先生が教室を維持できないのです。
これは大問題です。

さきほど、
「冗談でも、言っていいことと悪いことがある」
と書きました。
冗談だから、お笑いだからと、なんでも済ませてしまうことが、結果として社会や、社会によって形成されている人々の暮らしを破壊する。
長い目で見ると、これはとてもおそろしいことだと思います。

昔、ある漫才師が、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とコントを飛ばしました。
それを本気にして、赤信号の横断歩道に飛び出す事案が急増しました。
結果、朝晩の通学の時間帯には、父兄が交差点に黄色い旗を持って立つことになりました。

パーマンが流行した頃、同級生が、校舎の二階から、風呂敷を首にまいて、窓から外に飛び出しました。
幸い、下の花壇に落ちたので、怪我はなかったのですが、本人は、パーマンのように空を飛べる夢を観て、本当にできると確信して、その行為に及んだものでした。
まさに、
「冗談でも、言っていいことと悪いことがある」のです。

そういう過去の日本の情況からすれば、いま意図的なのか、ただの認知不協和による話題作りのためなのかは知りませんが、日本語の男言葉、女言葉を、意図的に壊すという作業は、おそらく半世紀後の日本語を、大きく塗り替えてしまうことになるのではないかと危惧されます。

そもそもこうした男言葉、女言葉が、意図的に壊されている背景には、テレビ局の要職に、日本人でない、日本文化を理解しない人たちがずいぶんといることが原因だと、局の方から聞きました。

なるほど韓国には、日本語にあるような男言葉、女言葉はありません。
「食事に行こうか」
「いきたいですわ」
などという、言葉による男女の違いがもともとないのです。
そもそも「どちらが上か」以外には、一切が関係ない社会です。
上にまつられる人は、先生どころか、「先生様」です。
下は、ただ黙って言うことを聞けばよいという社会ですから、男言葉女言葉など、そもそも不要なのです。
気に入らなかったら殺すだけです。

人として対等という前提があるから、「役割」の必要が生まれるのです。
「身分」として固定され、それが圧倒的な力による支配と隷属の関係になっているのなら、役割語の必要はありません。
役割語というのは、落語などを聞くとよくわかるのですが、

町人「へい、旦那、おはようさんです」
男性「おお、熊か。よく来たの。こっちへ来て座りなさい」
女性「あら熊さん、おひさしぶりだこと」
ご隠居「こら、熊!、その服装はなんじゃ!」

などと使い分けられます。
「〜じゃ」という言い方は、なんだかちょっと偉い人が使う言葉で、これは江戸に幕府を開いたときに、関西から土木の技術者の親方や、設計などの知識人を大量に呼び寄せ、彼らが関西語を話したことに由来します。

要するに、男と女、社会における所属カテゴリーによって、それぞれに言葉の使い分けがあり、なかでも代表的なのが、男言葉、女言葉であるわけです。

要するになぜこのような言葉の性差が生まれたかというと、これがまた実に日本的です。
日本では、男も女も、あるいは武士町人も、すべては人として互いに対等な存在です。
人として対等な中で互いの役割を果たしていこうとします。

ですから、兄弟であれば、弟は「◯夫」と呼び捨てにされますが、兄は常に「お兄ちゃん」と呼ばれます。
人としては対等ですが、兄には兄としての役割を果すための自覚が常に求められるからです。

これと同じで、男は男としての、女は女として、互いの特徴を活かして、子や孫たちが幸せに暮らせるようにしていく。
そのために、「男は男らしく、女は女らしく」と育てられたのです。
そしてこのことがあるから、男女の言葉の違いも生まれてきたわけです。

こうしたことは、人々が奴隷として支配され、収奪されているだけの社会には、絶対に育まれません。
人として対等だから、意図して役割語が育まれるのです。
上下と支配、支配と隷属の関係だけなら、役割語は不要です。
なぜなら、命令には服従しかなく、そこに言葉上の役割語は必要ないからです。
言うことを聞かなければ、殺すだけです。
まして、男言葉、女言葉など、まるで必要性がない。

歴史的にないから、日本語に性差があるということが理解できない。
だから、日本語にも必要が無いのではないかと、彼らの文化(といえるのかどうかは知りませんが)をゴリ押しする。
そしてそういうものが、いつのまにかクリエイティブだと、すり替えが行われています。

とんでもない話です。
それは、コリエイティブであって、クリエイティブとは対極にあるただの「文化痴呆」です。
その結果、番組中の男言葉、女言葉が、完全に崩壊してしまっています。

テレビは、一面において、文化の担い手でもあります。
そのテレビが、日本の文化をまるで理解しようとせず、むしろ日本文化の破壊に一役買っているということは、これはあってはならないことです。

男言葉で喋らせたら、せっかくの美しい女優さんも台無しです。
美しい女性には、美しい言葉が似合うのです。

テレビ局の経営陣には、もっとしっかりしていただきたいと思います。
ちなみに、ウチの孫が行く小学校では、親が大金持ちでとびきり成績の良い子供たちの家には、テレビ自体が置かれてないそうです。
ほぼ在日の方のお宅なのですが。

お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント

takechiyo1949

単なるコードじゃ無い!
書き物やドラマの場面だけのコードじゃ無く、日常の話し言葉で属性が分かるって素晴らしいな~と思うけど、実態はそうでも無いよね。
大雑把に言えば、要するに日本の男女の社会的価値観をどう認識してるのか?
その一言に尽きると思う。
言葉の使い方?
どうでもいい?
そう思う者は好きにすればいい。

beany

垂逸様
09/02 03:21 垂逸様、ご指摘ありがとうございました。
 
ふむ。学問の称号ですか。なるほどそれは考えてもみませんでした。
 

おい新入り!がヘイカデッ!、一人前がハイサージェン!、一派を立てるほどならキャプテナ!、自他ともに認める円熟者にはカヌォ!、まごうかたなき重鎮にはジェネルォ(例)という感じに、歳相応の立場を階級になぞらえ親しみをこめる言いかた自体が
A あるかないか。あるならB
B 多様性は認められているか:紋切り型ではなく変化に富んだ言いまわしが通行していればAはある。
話の領分としては、個人店主に対してタイショーと呼ぶ呼びかたと対比するために持ち出してきた話です。
決して、階級になぞらえる呼びかたが very often だという意味あいではありませんでした。そう取られるような書き方をした私が悪かったです。すみませんでした。
典型例としてカーネルサンダースを持ち出し、サンダース大佐と紹介した点は誤りでした。不勉強で申しわけありませんでした。お詫びして取り消します。
 
やはり "HEY, CADET !" が妥当でしょうかね…例としては…

陸井夏樹

道らすもまたコトダマ?。
「しらす(国づくり日本の根っ子の根っ子)」を始らす(起)から道らす(守・破・離)を経て至らす(結)に帰一する壮大な物語、とその奥深さ晦渋さを荒怠トンデモ癖が端折った無根妄想に國體(憲鎹・心宝紐帯・日本語)を思い描いて2年余りが過ぎた。
道らすの諸義諸解釈から知るようにさせる(治らせる)とお知りになられる(識られる)を択んで明治の立憲政治とを併せ考えると『総攬(主佩く立憲君主)』と言うより『道らす親任聡覧』となるハズで、シロウト考えでは「君臨すれども統治せず」ではなく「親任すれど親政せず」であって、であればこそ維新は八紘一宇(道らす納得の国家群)の足掛かりとして皇(かみ)の思召す(宿願本懐?)國體の基礎手本と成り得る重要な産稔産痛(サンネンサンツウ:実りをもたらす生みの苦しみ)だったし、私達オミタミ(聖俗)もまた主佩く列強の左右保革享有民主アレコレ云々ではない親任聡覧に「為すべき(使命:イノチのワケ)為せる(資格:天皇が道らす大御宝/日本文明啓開継承者)を為す(役割:勤勉孝行)」道らす国づくりの國體を確かめ合えた!のではなかったか?。
民主主義の遥か以前の和(わ)よりも更に遡る建国以前には既にあっただろう「道らす」は「憲鎹・心宝紐帯・日本語」の核であり道案内でもあり国づくり日本の流脈であり続けるコトダマ(ここでは発源としての)ではなかったか?。
前置きが長過ぎた。
一霊四魂のトンデモ解釈(一魂四霊)で「獣(未人)に生きるのか?蛮(未開)に生きるのか?人(『あい』の未完)に生きるのか?」と知らす始道至に思うとき、武器律令(説得)を要するうちは荒ぶる時代に応じた荒霊の男性社会(きみ/君の説得世界)でなければならず、皇(かみ)が思召す八紘一宇(道らす納得の国家群)にさざれ石が巌となって鎮まり、苔むす和(にぎ)か幸(さき)に至って漸く和霊幸霊の女性社会(みき/幹の納得世界)が(神[クリエイター])に成し得ぬ「あい」をもたらすのではなかろうか?。
であれば「人として対等という前提があるから、『役割』の必要が生まれる」のではなく道らす役割が対等を必然とするのではなかったろうか?。 『元始、女性は太陽であった(平塚らいてう自伝)』でイイし、それまでの男性社会に問題がなかったわけではないが、それにしても太陽には太陽の役割があって、男を焼き尽くしたり、日本の良俗(差別とけじめ/道らす)を蒸発させてイイ道理は主佩くの身勝手のホカには聞こえてこない。だから今日も道らすの一つ覚え。「道らすによりて滅ぶる国あらば滅びてもよし、断じて滅びず!」。であれば、日本の男も女もそんなこと(主佩くごっこ)をしている場合ではない!。冗長駄文、誠にゴメン!。

硫黄島

こんにちは
先日、職場の同僚2人から「これ、おもしろいよ」と言われ、ドラゴンクエストのパロディドラマをスマホで観させられました。

何が面白いのか全然分かりませんでしたが、とにかく登場する女性の言葉遣いが汚いったらありゃしません。要するに男のように喋るのです。仏様までもが下品な言葉を遣い、聞くに堪えられませんでした。

私がそのことを指摘すると、同僚は『あ、言われてみれば』と、指摘されるまで気付かなかったようです。目も当てられません。

ねず様のご指摘のように、日本語は話す人の身分や立場を「察する」ことができるようなっていると思います。これぞ聖徳太子様が目指したものの形の一つだと思います。

すぎやまこういち先生は、ご自身が音楽を手掛けられた作品がこのように穢されて、どう思ってらっしゃるのか、ふと知りたくなりました。

今咲 英人

テレビの有害性を理解するのは仕掛け人?
最後の一文に含蓄がありますね。

仕掛けている側の人達がテレビを愚民化装置であると認知しているので家に置かないのは整合性があります。

反日マスコミや日教組の洗脳を嘆いてばかりいないで実効的な自己防衛を考えるべきですね。

垂逸

アメリカの実態
コメントを読んでいるとアメリカの実態についての誤解がいろいろとあるようですのでご指摘差し上げます。

>アメリカでは結構な数の学校が男女を別に教育しているようです。

アメリカでは教育において男女を分離することは過去のものとなっています。公的な教育で明白な理由なく男女を分離することは法律に違反しますので実施できません。現実的に公立校で分離されているのは体育の性徴に関する教育だけです。
私立校でも、過去に七つあった名門女子大が既に5つまで減少しています。

>典型例がケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースです。カーネルとは大佐。カーネルサンダースはサンダース大佐です。
サンダース氏の称号カーネルは大佐を意味するものではありません。氏は従軍されたことはありますが、大佐まで昇進はされていないということです。
ここでカーネルというのは、ケンタッキー州が功績のあった人に与える名誉照合です。
日本ではこれに対応するような称号はありませんが、たとえば博士等の照合は名乗る人もいます。名刺に工学博士等と肩書きをつける方もいらっしゃいますし、ニュースで紹介する場合などでも称号がつくのは普通です。
但し、名誉称号を名乗るのはあまり普通では無いでしょう。たとえばビルゲイツはいろいろな大学で演説して名誉博士号を授与されていますがその称号を名乗りに使用していません。クリントン(夫)もそうですね。
サンダース氏がカーネルを名乗っていらっしゃったのはPR目的と見るのが妥当でしょう。
ケンタッキーカーネルという称号については下のリンクに説明があります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kentucky_colonel

くすのきのこ

No title
こんにちは。はて???
喋り言葉は生ものです。その時の状況によって男女の役割を変えるのもまた
よしwそこに可笑しみがあればいい。女性がオトコぶるのであれば、男性が
さらに”よっしゃ~”と受けても、”やるのね?”とそのオトコぶりをちょいと
つつくようにオンナぶって受けても構わないのではないかな?原稿を読むわ
けではない場合は特にw・・あまり真面目に力説すると、空気読めない認定
されてしまうかもしれませんよw
赤信号、みんなで渡れば怖くない。コレは言いえて妙ですwホントですから。
逆を言えば、怖くて仕方ない所でも・・例えば御来光を見るための暗闇登山
とか・・みんなで行けば怖くないですしw横断歩道に父兄が関わったのはこ
の事だけではなくて、それ以前から関わってましたよ。場所によってはね。
学校によってと言うべきかな。集団登校も、天災との絡みであったりしまし
たし。パーマンなどの漫画を真似する・・ww失礼ですが親の躾の問題では?
言葉の問題ではないでしょう。誰もヤレ~とは言わないしw
夏休みの宿題ww・・半分くらい空欄でも提出すればOK。やるべきなのは当
然なのでしょうが・・やれなかったのでw別にテストで0点もないし、成績
は中の中。いいではないですか。こういうツケは自分で払う事になるのです
から。教科書よりも百科事典や地球儀や国鉄の時刻表ラブ。各地の民話、各
国の話や詩や音楽・・小学生の夏休みですしw
先生が教室を維持できない・・多分、小中学校の話かな?・・知人は教師で
すがこう言ってました。ヘンコでもいい、何かマトモな信念を持った先生に
子供らは付いてくる。猿山の親分だからwその親分になれなかった別の知人
は、子供らにイジメられて辞めました。先生ってのは、ちっ~っとばかり長
く生きてるだけが取り柄なのであって、ちっとも偉くないわけですよ。だか
ら頑張って親分張るしかない。先生なんていう”立場”に付けば偉いと皆が皆
感じてくれるわけではない。就職なさそうだから、教職の資格とって・・な~
んてやって・・ツケを払う羽目になる。真面目に教師をしていると、例のゆ
とり~なんてので、教科書がメチャクチャ・・特に理系・・系統立てて考え
を進めるべきなのに省略されまくり、コレでは考える事ができないからとキ
チっと教えるには時間が・・父兄と学校体制と子供らの間で修羅場って辞め
たりね。教師ってのには適性が必要ですね。
女学校がはたして女らしさを育てるか?半分は否ww男子がいなくても女子
だけでイベント計画、立案、実行するという実行力を育成してくれます。甘
えた真似をしなくてすむのでサバサバ気楽。男性教師によるセクハラもどき
言動は無いか、心得ない教師は逆差別へとwwはたして女らしさとは何であ
るかの定義にもよるでしょうね。アフリカのような歴史も伝統も違う広い土
地と日本を比べるのもどうかな~wあちらは今もって部族社会ですよ。様々
な民族と言語と慣習があるが、部族社会という社会が構築されている。その
中で女性には女性の役割と責任と権利が。一部のエリート女性は越権してい
るようには見えますが・・。




junn

No title
第二弾!『帰化人が国を滅ぼす』
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12071558073.html

大和~2600~

No title
本当、仰る通りです。このままでは日本がどうなってしまうのか不安です。

男なのに女言葉・女なのに男言葉みたいなの感じで普段から使っていると、細胞にも悪影響がでると聞いたことがあります。

実際MRIを使った研究によっても、男女の脳はかなり違うものだと結果が出ているみたいで、アメリカでは結構な数の学校が男女を別に教育しているようです。

まさに男は男らしく、女は女らしく。かつての日本の教育が科学的にも正しかったといえると思います。

beany

役割ことばと位相語
役割ことばに代表される、社会的立場で違ってくる語彙を位相語といいます。
テニオハがあり語順の入れかえが比較的に容易な日本語(膠着語のひとつ)なら位相語は単語を超えて広範囲になりますが、
語順が構文であり文法に規定されている機能語では、言いまわしにゆとりがありません。
ですから位相語といっても欧米諸国では、語彙あるいは語法で変えるのが精々です。
 
極めて日本的な役割ことばの例は、やはり他人に家族の立場をあてはめる用法でしょう。
かといって米語に無いわけではありません。ねずさんが指摘した通り、支配者と被支配者の関係性にあてはめて事がスムーズにいくときは位相語が単語レベルで使われます。
 
典型例がケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースです。カーネルとは大佐。カーネルサンダースはサンダース大佐です。
日本ではラーメン通が店主を大将と呼んだりしますが限定的で、ほかの階級は使われません。
しかし米語では新入りはカデット!(おい二等兵!)です。
それなのに彼らは家庭での立場で他人を呼ばないだけでなく、家族でも互いに呼びません。ニックネームで呼ぶのがならわしです。
家族の立場としてのお母さんは名詞ですが、家族に見立てた役割ことばは、実は代名詞です。名詞ではありません。
ここ・そこ・あそこ・どこ等の代名詞は、話してるAさんBさんからの近い遠いで使い分けています。
AさんとBさんから近ければここ、AさんBさんから遠ければあそこです。
役割ことばも同じです。Aさんが母の立場でBさんが子の立場ならAさんはBさんとの関係性をCさんの前でも使います。外国人に日本語のお母さんを教えるときは、名詞用法だけではく、代名詞用法とわざわざ説明しなければ絶対に彼らはマスターしません。
こうした家族的代名詞は社会が立場の差をこえて互いに平穏でなければ生まれません。
外国人はそこに最古の国にしてなし得た言いまわしを見いだし驚嘆するから意欲的にマスターするのですよ。

beany

アメリカの「ネトウヨ」と「新反動主義」その背景と思想とは
表題の記事が、ニューズウィーク日本版オフィシャルサイトにあるそうです。リンクを使わせていただきました。
 
サイトや思想を分類するにはいろんな分け方・切れ目があるわけですが、NWJの伝でいう新反動主義NRxは合衆国だけでなく、先進諸国全般にみられる風潮といえるかもしれませんね。
 
ネオリベラリズム 新自由主義
ネオコンサバティズム 新保守主義
そして今度が
ネオリアクショニズム 新反動主義
 
略してNRxといい、NRxを含むこの種のネトウヨ的思想をまとめてオルタナライトAlt-rightと称するそうです。オルタナティブライトってことでしょうか。
その顕著な特徴は封建主義を古き良き時代だと決めつけ、ただし科学技術においては未来志向だという点…と読みましたが、これは私の理解が浅いかもしれません。
 
日本をとりもどすムーブメントには、やはりエンジンがあり燃料があるわけですが、
さしずめ此処もそうした一角を確かに担っているように感じます。
 
もちろん、こうした無神経な決めつけは、細かい点が違うので腹立たしく感じるものとは思うのですが、
もし、世界の冷ややかな目がこうした分類をしてみた場合、我々はどう見られ、どう決めつけられるのか。
そこは知っておき、弁えておき、説明できるようにしておくのが明察功過だと考えます。

junn

No title
日本の帰化制度はこれでいいのか?
http://katintokei.at.webry.info/201603/article_8.html

禁多労

ねずさんの仰る通りながら…
半島系・CIA系のマスコミ関係者には所詮何を言っても「馬の耳に念仏「「糠に釘」でしょうね(これらの諺を果たして奴等が知っているかどうかも怪しいものですがw)。

我々日本人はやはり、テレビからは極力距離を置く時期にきているのだと思います。マスコミの自浄を殆ど期待できない現状ではそれも止むを得ないでしょう。とりわけお子さまをお持ちのお父様・お母様には成る可くテレビに頼らない生活を心掛けて頂きたいと思います。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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