教育の読み方



20160902 学校
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先日、藤岡先生や茂木先生らとお話していたときに、おもしろい話が出ました。
何かといいますと、
「教育が大事とおっしゃる方は多い。
 けれど、教育という漢字の意味は
 実はとても残酷なものだ」
というものです。

実は本当です。
教育の「教」という字は、一見すると、親孝行の「孝」の字が使われているように見えますが、実はそうではないのです。
本当は「爻(コウ)」+「子」です。
これに「攵」が付いて、「教」という字になっています。
ですから、旧字(本字)は「敎」と書きます。

「爻」は、「☓」が二つ組み合わさった字で、交わることを意味します。
その下に「子」がいますから、子と交わるわけです。
また、「爻」は「交」と同じ意味という見方もあります。これに木偏がつくと「校」になりますが、要するにひとつところに集め、交わることが「交」です。
こうしたことから、「爻」+「子」は、子供たちを、ひとつところに集めるという意味があることがわかります。
ここまでは、良い感じです。

ところがこれに「攵」が付くからややこしくなるのです。


20160810 目からウロコの日本の歴史



「攵」の元字は「攴」です。
これは「ムチで殴りつけること」を表します。

その殴り方も半端ではありません。
異体字は「撲、扑」で、
「撲」は、撲殺という語にあるように、死ぬまで打ち据えることです。
「扑」は、全力で打つ、殴ることを意味する字です。

つまり、「教」という漢字はもともと、
「子供達をひとつところに集めて」(ここまでは良いのです)
「ムチで打ち据えること」を意味します。

問題は、「何のために打ち据えるのか」です。
そこに、実にChinaらしい意味があります。
食べるためです。

すこし残酷な話になりますので、気分を悪くされる方がおいでかもしれませんが、Chinaというのは、食に関する禁忌のないところで、牛も豚も犬も人も食べ物です。
で、その肉を食べるとき、ムチ(=杖)で打ち据えて苦しめ抜いて殺すと、肉が締まって美味になるのだそうです。

本当かどうかは知りません。
しかしそのために、特に美味しいとされてる人の子の肉を食べるときも、杖で打ち据えて泣き叫ばせ、苦しめながら殺したわけです。
すると肉が締まって美味になる。
だから子供を「爻、子、攵」したわけです。

以前、ホメオパシーの由井寅子先生から伺ったお話ですが、幼な子で、肉を食べると途端に苦しみ出す子がいたのだそうです。
これは動画を拝見しましたが、本当に絶叫して恐怖におののき泣き叫ぶのです。
どうやらその子は、霊性が高くて、肉に染みこんだ(刻みつけられた)動物が死の瞬間の恐怖を、その肉を口にすることで感じ取ってしまうからなのだそうです。

ちなみにそういう子でも、魚類は大丈夫なのだそうです。
魚類は、そもそも自分よりも小さな生き物(魚やプランクトン)を食べて生きており、自分もいつかは食物連鎖の中で食べられることを承知しており、だから身を食べられることに自然に備わった覚悟があり、だから恐怖が伝播することはないのだそうです。

ところが、豚や牛の場合、もともと豚は人に近い雑食性だし、牛は草食性です。頭も良い。
人と同じで、殺されることへの恐怖心があり、死の瞬間に味わった恐怖が全身の肉に染みこむのだそうです。

まさかと思うような話ですす、私は霊性が高くないから、牛や豚や鶏を普通に食べますし、そのような恐怖を味わったこともありません。
しかし、世の中には現実にそういう子がいることは事実ですし、だからなのかどうかまでは知りませんが、昔は日本の仏教徒は肉を食べなかったし、江戸時代までは、牛や豚の肉を食べる習慣は日本にはありませんでした。
日本人が肉を食べるようになったのは、明治以降の話です。

ところがその一方においては、古来から、牛や豚どころか人も食べるし、さらにできるだけ残酷に撲殺することで肉がより美味になると考える国や民族もこの世にあるわけです。
まさに「人類は多様」です。


そしてもっとこの「教育」の意味が残酷になる理由が、に「育」にあります。
上に乗っている「𠫓」部は、「子」を上下逆に書いた文字で、出産を意味します。
下が肉月(肉月=月=肉)で、これは赤ちゃんの肉を意味します。

この二つの漢字が並ぶと「教育」となるわけですが、上に述べたように
「教」は「ムチで叩いて肉を締めて食べる」、
「育」は「生まれたての赤ちゃん」です。

これで二つの漢字が揃って、意味がはっきりします。
「生まれたての赤ん坊を集めて、ムチで叩いて肉を締めて食べる」わけです。
それがChina漢字としての「教育」の意味です。

ちなみに、もともとのChina語に「教育」という熟語はありません。
もともとChina語は、漢字一字で意味を表すようになっており、そのために種々の象形文字が組み合わさって漢字になっていますから、漢字二字を並べることでひとつの意味を表す熟語という概念がないのです。

では、「教育」という熟語は、いつどこでできあがったのかというと、幕末の日本です。
英語の「Educate」を和訳する際に、「教育」という熟語が作られました。
本当は「修学」でもよかったのです。
ところが「修学」ですと、「修」に「つくる」という神話的な意味が含まれますので、英語の語彙の「引き出す」との相性が良くない。
そこで、「おしえ、はぐくむ」という字を当てようということになって、「教育」が生まれています。

ちなみに江戸時代までは、教育とはいいません。
「学問」です。
ですから程度の高い学問のことを、いまでも「大学」と言います。
儒学も和算も国学も、学問です。
だから「◯学」と書き、「◯教」とは書きません。
仏教の教えも、もともとは「◯◯経」であって、「◯◯教」とは書きません。
新興宗教団体は、好んで「◯△教団」などという名称を付けたがりますが、これは明治以降の特徴です。

要するに、「Educate」の和訳のために「教育」という語が幕末に造語され、して「教育」という言葉が考案されたわけです。
この「教」と「育」による語が、日本国内で広く受け入れられたことには理由があります。
「訓読み」があるからです。
「訓読み」で、
「教」は「おしえ」です。古い書き方ですと「ヲシへ」となります。

大和言葉では、
「ヲ」は、中心です。
「シ」は、光を受け止めること、
「へ」は、流れです。

つまり、神々の知恵を中心におき、神々の知恵を時代の変化のなかで受け止めることが「ヲシヘ」です。
だから「ヲシヘを得る」とか、「ヲシエをいただく」とかの用語に使われます。

「育」は、「そだつ、はぐくむ」です。
はぐくみそだてる」ことです。

つまり日本人にとっての「教育」は、「ヲシヘ、ハグクム」ことと理解されるのです。
これは「本来神々の知恵(ヲシへ)で、人をはぐくみ、そだてる」という語感を含みます。
日本人にとっては、「教育」はありがたい言葉なのです。

同じ漢字でも、語圏が異なれば、語感がもたらす意味も全然異なるものになります。
日本で生まれた「教育」という造語は、今度はChinaに逆輸入されて、いまのChina語の「教育」になっています。
韓国語も同じです。韓国語では教育のことを「교육(キョユク)」と書きますが、これは日本語の「キョウイク」という音読みの言葉をハングルで書き表しただけのものです。

ところが彼らには、彼らの漢字文化があるわけです。
ですから彼らから見ると、「教育」はどう見ても、「無垢な子供を集めて、ムチで叩いて肉を締めて食用にする」という意味にしかならない。

そうなると、彼ら的な意味からすると、「教育」は、生まれたての赤ん坊のように何も知らない子供達を、一箇所に集めて、教師たちが食べないまでも、ムチでしばきあげて、言うことをきかせるところ」とてしか理解できない語となります。
ですから「教育者」というのは、子供達をムチで打ち据える者ですし、
「教育委員」は、子供達をムチで打ち据える委員です。
「基礎教育」となれば、子供達をムチで打ち据えて、基礎を仕込む場となるし、
「教育制度」となれば、合法的に子供達をムチで打ち据えるための制度です。
ですから「教育改革」というのは、子供達をムチで打ち据えることを改革するという語感になるわけです。
さらに人によっては、教育は「赤ちゃんを殴って食べる」ことにもなります。
要するに文化が違うのです。

おもしろい逸話があります。
あるChinese留学生の実話です。
彼は日常の買い物を、近所のスーパーで行っていたのですが、日本人は、犬や猫が大好きだと思っていたそうです。
なぜなら、スーパーには、ドッグフード、キャットフードが、所狭しと並んでいるからです。

そして彼も、犬肉や猫肉が大好きだったので、そのドッグフード、キャットフードを買ってきて、毎日食べていたのだそうです。
特に、缶詰のものがおいしかったそうです。
そうです。
彼はドッグフード、キャットフードを、人が食べるための犬肉、猫肉だと思っていたのです。

ちなみに日本を含め、民主主義諸国では、会社で何か悪さをすれば会社をクビになります。
日本語では、これを「クビをキられる」と言いますが、Chinese留学生は本国にいた頃、日本では会社で悪さをすれば本当に首を切られる、だから日本はとても残酷な国だと本気で信じていたそうです。

言語の違い、民族の違いというのは、それぞれの文化の違いです。
日常の生活習慣や食文化だけでなく、実は、歴史からくる社会常識もまるで異なります。
祖父は日華事変当時、大陸に出兵していましたが、彼らは共産党のスパイを捕まえると、吊るしてボコボコにしたそうです。
結果、吊るされた人は血まみれになって、血を滴らせているのですが、日本人は、そんな様子がたまらず、吊るされた人をすぐに降ろすように指示したそうです。
ところが、現地の人たちは、血を流しながら吊るされている人をみて、「今度の人は美味しそう」などと話している。
祖父たちは慄然としたといいます。

もっと近い話もあります。
上記のような残酷な話ではないのですが、私がまだ学生だった頃にも、まれにChinaからの留学生がいました。
彼らは、日本で経験したことを、祖国に帰って「話せない」と言っていました。

どういうことかというと、たとえばその頃はすでに小型のテレビが普及していて、学生でも下宿の部屋にテレビを置いている者があったのですが、そんなことを帰ってから向こうで話したら、嘘つき呼ばわりされて周囲から馬鹿にされ、下手をすれば袋叩きに遭うと言っていました。

当時のChinaでは、まだテレビの普及などほど遠く、共産党のよほどの幹部でもない限り、テレビを持つ人など、ほとんど存在しなかったのです。
だから、箱のなかに人が映る、そんな道具を日本人は学生でも下宿に1台持っているなどと言ったら、あり得ないことを言う、奇人か、馬鹿か、気の触れた人にしか思われなかったのだそうです。

「人にはもともと備わった良心があり、文化性があり、人としての価値観が備わっているのだ」という説は、明らかに虚偽です。
最近の学校教育では、子供達には生まれ持っての良心や道徳心があり、それを引き出すのが教育(Education)だという思想が主流なのだそうですが、あり得ないことです。

ヒト自体は、食って寝て排泄するだけの動物です。
その動物が人になるには、人としての常識や人の中で生きるための文化を教えこまなければなりません。
その文化や常識を、誤った形で刷り込まれれば、人はいくらでも動物にまで転落するのです。

その生き物の肉体に、魂が宿っているわけですけれど、その魂も、ヲシヘ、はぐくみ、鍛えなければ開花できないのです。
だからこそ、人として大切なことを教育する。
そうすることで、ヒトははじめて人になれるのだと思います。

ところが残念なことに、いまの日本では、学校で日本の文化が教えられないし、国会や行政、あるいは大企業の上層部には、日本人のような顔をした日本人でない人が、大量に紛れ込むようになりました。
するとどうなるかというと、彼らにとっての教育は、食べることですから、極端な話、新入社員の研修教育は、無垢な親入社員をしばきあげ、「しばきたい」となり、新入り女子を猟色する場になってしまうわけです。
おそろしいことです。

日本には日本語の語彙があります。
その語彙には、日本の長い歴史によって育まれた歴史伝統文化があります。
ただ、いたずらに外国人を受け入れるということではなく、治安の良い日本に住み、日本人になるということは、ものすごく「ハードルが高いこと」とするくらいでちょうど良いし、また日本の学校教育は、日本人としての道徳をキチンと教えこむ、厳しいものでちょうど良いのだと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

20151208 倭塾・動画配信サービス2


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コメント

junn

No title
私の祖父は戦時中、朝鮮軍兵事課長をしておりました。朝鮮軍関係の従軍看護婦や従軍記者は私の祖父が判を押した身分証明書を必ず携行していました。がしかし・・
http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/40296891.html

No title
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佐藤浩史

◇◆STAP細胞全否定は時期尚早◆◇
STAP細胞問題でのメディア等の小保方バッシングは、か
なりのものでした。特に、Japanデビュー問題にも無反省
のNHKは、ほぼ人権侵害と言っても過言ではありませんで
した。それでも、国内外の研究者で、万能細胞かどうか
を別にしたSTAP細胞肯定派はいます。彼らや関係者は、
小保方氏の実験能力を高評価しており、外資が獲得を
狙ってもおかしくないそうです。

「問題論文でのコピーペーストの部分はあるが(医学や生
命科学ではよくある)、論文中の細胞の蛍光は本物で、ES
細胞ではあり得ない蛍光であり、これは新発見と認めら
れる」と発言する海外研究者もいます。このように、外
国ではSTAP細胞全否定になっておらず、その研究の方向
性を踏襲した研究が継続中です。例えば、
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では、STAP細胞的な物の生成に成功し、iMuSCs細胞と命
名したと記されています。うかうかしていると、外国に
この種のノーベル賞級発見および特許がとられてしまい
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続すべきです。そのための特別チームを編成し、山中教
授と若山教授を入れるべきです。国益を考慮し、国家レ
ベルでこの件で一丸となるべきです。

STAP細胞問題に拘わらず、どの分野でも多様な意見を吟
味すべきです。特に、温暖化問題に関し、反対意見を無
視すべきではありません。(苦し紛れにハイエイタス説を
持ち出したIPCCの真贋が、十年もすれば判明します。)

-

中国人が人間の肉を食べると知って衝撃を受けて本当かなって疑問に思っていたのですが、ねず先生のお祖父様が中国で実際に見聞されたとの事なんで、やはり抵抗なく中国人は人肉を食べれる民族なんですね。
犬肉を食べる韓国人にも物凄く嫌悪感があります。

日本は天武天皇が獣肉などの肉食禁止令を詔で発布される位、食べ物に対する禁忌の強い国柄です。 日本人の高度な霊性を保つには大切な事だと想います。

junn

No title
古代朝鮮半島を支配していたのは日本だった
「渡来人」などという新造語で歴史を語る危険にナゼ気付かないのか
http://www.geocities.jp/windows_user2013/korean_history02.htm
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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