◯◯◯倭塾は今度の日曜日(18日)開催です◯◯◯
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なんでもかんでも記紀が正しいという気はまったくありませんが、逆に、記紀はまったく信用に値せず、ChinaやKoreaの文献資料こそが正しいという現在の考古学界や古代史学会の姿勢にも、問題があると思います。
そもそも殺戮の限りをつくして皇位に就いた王朝が、その正統性を描くためのツールとして政治的に書かせた記録が、Chinaにおける史書ですし、朝鮮に至っては、近世や近現代と意図的な史料改ざんが行われ、その間隙を単にファンタジーで埋めているというのが基本的な歴史認識です。
歴史を今を照らす典教ととらえ、現在行うべき意思決定を、過去に学ぶことで、より未来にとって良い選択をするためにと歴史を記録してきた日本とは、実は、歴史に対する考え方が、まるで違います。
これはいってみれば、サッカーのルールで野球を批判し、バレーボールのルールでバトミントンを批難するようなものということができます。
参考にはなっても、鵜呑みにしたら大怪我をします。
現に、縄文時代に明らかに布が用いられていたという遺物の発見がなされても、あくまで縄文時代の日本人は鹿の皮のふんどしをしめ、石斧を手にしてウッホウッホとやっていたという、まるで「はじめ人間ギャートルズ」のイメージが刷り込まれ、また明らかに史料を捏造して提唱された縄文人弥生人入替り説がいまだに市民権を持ち、誰がどう考えても田んぼを開けば盛土しなければならないのに、古墳は墳墓だという強弁がいまだにまかり通っています。
そんなに山の上にお墓を作りたいなら、敢えて平野部に盛土しなくても、日本は平野のすぐ近く、あるいは平野部の中に小高い山など、いくらでもあるところです。
西尾幹二先生は、日頃から「学問は自由であるべき」と提唱されています。
私もそのように思います。
ですから、あきらかにとんでも説と思われるような説、たとえば騎馬民族渡来説(乗ってきたはずの馬のシュル類が日本にない)、日本文化が朝鮮半島から渡来したという説(逆です)、日本人は江戸時代ころまで箸がなくて手づかみで食事をしていたという説(明らかな嘘)、神武天皇不在説(もうハチャメチャです)、聖徳太子不在説(明らかに日本を貶めたい陰謀?)、大化の改新不存在説(学会でさえ否定)などといった、いわゆるとんでも説でさえ、論というカタチで様々に提唱され考察されていくことは、それはそれで良いことであると思っています。
しかし、こうした「とんでも説」が、単に(どういう大学か知らないけれど)大学教授という肩書だけで、そのいい加減さが否定されても否定されても、しつこく国内に出回る。
その一方で、たとえば金山巨石群にみられる7500年前の太陽暦観測などの具体的遺構は、その事実が発見されても、一方的に無視される。
こうなると、これは学問ではなく政治です。
日本人にとっての政治は、「政」の字が「正+攴(動詞を示す符号)で、「正しきを行って治める」ことです。
そして日本は、上古の昔から、一般民衆が大御宝とされる国です。
また日本人にとっての歴史は、「いま現在の困難に立ち向かうための過去の教典」です。
ですから政治と歴史が組み合わさることは、日本人にとっては、
「いま現在の困難に立ち向かうために
過去の教典を用いることで、
大御宝である民衆が
豊かに安心して安全に暮らすことができるように、
正しきを行って治めること」
という共通意識があります。
ところが国が違えば文化が異なります。
日本の隣りには、
「政治はどこまでも
権力者が儲けて贅沢を手に入れるためのものであり、
歴史はその正当性を傍証するための目的」
という、ある意味非常にわかりやすい認識を持つ国や民族がいます。
そしてそういう国の人達が、日本の政界や学会に入り込み、彼らの価値観や文化意識で日本を故意に作り変えようとしているというのが、現在の日本が抱えている大きな歪みです。
ちなみに先日K君と話しているときに、面白い話となりました。
日本最大の保守系政党といえば自民党ですが、もともと高度成長期における自民党は、社長政党です。
大手や中小企業の社長さんたち、つまり、社会の上層部にいる「お金儲けのプロ」たちを支持層に持つ政党でした。
ですから、公害問題や、不当労働問題など、いわゆる社会的弱者の持つ不公平感や、社会に対する憤りは、自民党では、まったく相手にしてもらえず、むしろ当時の社会党や共産党に、相談を持ち込むしかなかったということが現実だったのです。
昨今、保守系の大物とされる言論人に対して「彼はもとサヨクだった」と、それがあたかも信用出来ない人、あるいは信頼に値しない人というような囁きを行う馬鹿者がいますが、そうではなくて、昭和20年代から60年代においては、弱者救済、弱者保護、つまり大御宝をたいせつにと思う人たちは、社会、社民、公明、共産党に現実に抱える問題を持ち込むしかなかったのです。
イタイイタイ病問題など、その最たるものです。
私などは、家が中小企業であり、親父も息子もウヨクでしたから、「ウヨク=馬鹿・低能」と言われたものです。要するに人の痛みを理解しない(できない)痴れ者とみなされたわけです。
話を戻しますが、外国史料を正当とみなし、日本で書かれた記紀は頭から否定する。
あるいは記紀以前に神代文字で書かれた文献資料は、現にあるのに、その存在を否定するどころか、事実上なかったことにするというのは、やはり異常なことです。
たとえば最近は、ずっと古事記の研究をさせていただいていますが、そこに書かれた創世神のお名前は、そのまま宇宙創世をなんとビックバン以前まで遡る内容のお名前となっています。
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http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2702.htmlまた、オノコロ島は、おのずと転がる島ですが、この島は、円形の起動を描いて時点している、塩(塩は古代の言葉で海のことです)の塊で、無重力空間の雫(しずく)、つまり球体だと書かれています。
これはどう考えても太陽の周りを公転し、自身が自転する塩の海を持つ惑星、つまり地球のことです。
ということは、コペルニクスやガリレオが地動説を唱えるよりも千年以上も前に、日本は地動説を採っていたことになります。
ローマ法王庁のジョルダーノ・ブルーノは、宇宙が無限であるとし、コペルニクスの地動説を擁護して火刑に処せられました。
この人物が本当に織田信長であったかどうかは謎ですが、もし本当であるとするならば、記紀を幼少時の教科書として育った信長が無限説、地動説を支持してもなんら不思議はなかったわけです。
そしていまでは、むしろ古事記に書いてある無限説、地動説こそが科学的に正しいとされています。
さらに古事記は、人類の始祖はイザナキ、イザナミであり、この二神が島に降り立ったからだと説明しています。
つまり人類は大陸ではなくて、島が出発点だったというわけです。
生物の進化は環境適合の結果起きるというこは、現代ではすでに常識化されるようになりましたが、森に住むには、毛がなくて、足指が退化したヒトよりも、全身が毛で覆われて足指が手指と同じくらい器用に動く猿の方が、明らかに環境に適合しています。
また森での歩行は、四足歩行の方が、子孫を残すのに必要な外性器を守れるという意味で、明らかに理に適っています。
これらが示している事実は、内陸部にいる猿は、ヒト型になることはない、ということです。
ところが何らかの事情で猿が離れ小島に住むようになると、食物を得る先は、もっぱら海になります。
海水で濡れた体は毛がない方が乾きやすいし、海に潜るにも毛がない方が速く泳げます。
また、大きな魚を引き揚げるときには、足は踏ん張りがきくように、両腕よりも筋力が発達している方が、適者生存を得やすいです。
さらにいうと、釣り針を使う場合、その針は魚の骨で作れますが、釣り糸には、髪の毛が適しています。
女性が髪が長ければ、釣り糸を得やすくなりますから、髪の長い女性が好まれ、それが適者生存に繋がったとすれば、これまた理に叶います。
このような古事記に書かれた人類が島で生まれたとする「人類島嶼誕生説」は、実は従来からあったものの、部分的な、たとえばジャワ原人は身長1m、頭蓋骨の大きさが現世人類のの1/3程度に矮小化したのは島に孤立したからだという「島嶼矮小化説」という限定的な一部についてだけしかいまは認められていません。
しかしこれもまたもしかすると、宇宙創生や宇宙無限説、地動説同様、近い将来、進化論を決定づける世界の常識になるかもしれません。
神話は、何千年もの間、語り継がれてきたものの集大成です。
数十世代に渡る人々の営みが、たった一柱の神様の行跡として描かれていたり、創世神に至っては、138億年
が、一柱の神様で説明されたりします。
そうした神話の時代から、綿々と、実はそのままの国体が続いている国(あるいは民族)は、実は世界広しといえども日本だけです。
古い神社の石に刻まれたただの落書きや、銅鏡や銅鐸に刻まれたただの模様と思われているものが、実は文字であり、そこにいまだ知られていない超古代史が明確に描かれていて、しかもそれを日本は今現在でも保持している貴重な国でもあるわけです。
そういう日本を、しっかりと精査していくと、もしかするとそこには世界が変わるかもしれない偉大な知恵が隠されているかもしれない。
このように思うと、ワクワクするのです。
日本を頭から否定してしまうのは、あまりにもったいない。
もっと自由にチャレンジしていくということには、ロマンがあると思うのです。
お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント
ポッポ
戦後の日本の歴史はGHQのWGIPや公職追放によって、まともな教職員は追放されたのではないでしょうか、その結果、新説や珍説を唱える人が日本の主な大学で幅をきかし、また、その後も、その連中の説を継続した結果、正当な研究をしていた人は消えていったと聞いたことがあります。
当時の大学において、歴史の専門家ではなく少し外れた(別の学問をしていた)人が、公職通報にならなかったため、正当な歴史の研究者として残ったとも聞きました。
日本は古い国ですから、永い歴史に応じた歴史があります。
新説や珍説も含まれると思いますが、それらが一つ一つ研究されて正しいものが残れば良いし、様々な説の考証結果も残れば良いと思います。
2016/09/15 URL 編集
陸井夏樹
_自由と言うより不学の奔放ですが、甘々の中卒でも生っ齧りでも日本人(納得第一)なら、その深奥高遠はともかくとしても誰もが道らすは分かるハズです。
◉_自主協立所念:自分の頭で考え、み~んなと為すべき為せるを為す原則(津波てんでんコ[自知自重]と結っコ[公知公協]⇔民主他律主義)。
2016/09/15 URL 編集
ネコ太郎
私に取っての聖典は「ホツマツタヱ」です。
この書にはファンタジーの要素がなにひとつありません。
イザナギ様が皇位継承者としてどのように選ばれたかに始まり、偉大なる八代目アマカミのアマテル様のお話しが膨大に書かれています。
アマテルカミ様は男性天皇で三千年前に実在されていた方です。
アマテルカミ様が神上がりされた場所がおそらく伊勢神宮です。実際に神宮のある場所に行くと霊感のない人でもものすごい気を感じます。
ぜひ「はじめてのホツマツタヱ」今村聰夫著をお読みください。
2016/09/15 URL 編集
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2016/09/15 URL 編集
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秋篠宮親王殿下は神代文字を学ばれているそうです。 マスゴミは秋篠宮家について放映する機会が極端に少ないですが、秋篠宮殿下は、よく各地の一の宮神社や旧所名跡を訪ねておられるそうですが、うるさいマスゴミに放映されないで、逆に好都合かも知れません。悠仁親王殿下が天皇に即位される時は、真の神道の光が復活する時です。 私達国民は願い事をするのでなく、日本に生かされている感謝を神社や先祖、英霊に捧げる事が、宮さま方の働きを後押しする事になります。
2016/09/15 URL 編集
junn
http://www.tenteki.net/
2016/09/15 URL 編集