大国主神神話は、もともとオオナムチという名だった青年が、後に大いなる国の主となった物語です。
古事記は、この神話の冒頭を、次の文章で始めています。
***
大国主神の兄弟には、八十神(やそかみ)がいました。
けれどその八十神たちは、国を大国主神に譲りました。
(原文)
此大国主神之兄弟、八十神坐。然皆国者、避於大国主神。
***
ひとつひとつを丁寧に書いていくと膨大なページ数が必要になってしまいますので、要約を示しますが、要は、この八十神たちが、若い頃のオオナムチをイジメ抜くのです。
すると「なぜイジメられるようになったのか」という疑問が生じます。
その理由も古事記は示しています。
それは、ひとことでいうなら、「オオナムチが優秀だったから」です。
オオナムチは、稲葉で白ウサギを助けています。これは、彼がやさしい青年だったことをあらわします。
またオオナムチは、正確な医療知識にもとづいてウサギを助けています。つまり頭の良い青年です。
そしてオオナムチは、八十神たちの荷物をひとりで運ばされています。つまり体力のある青年です。
さらにオオナムチは、八上姫と結ばれています。要するにイケメンです。
まとめれば、オオナムチは、やさしくて、頭が良くて、体力に恵まれていて、イケメンだったわけです。
だからイジメられたのです。
世の中に「やさしくて、頭が良くて、体力に恵まれているイケメン」というのは多数います。
おそらくみなさまの子供時代、同じクラスにひとりは、勉強ができてスポーツ万能でやさしくて、いい男という子がいたと思います。
しかし、よく考えてみますと、ひとつのクラスにひとりは必ずそのような優秀な子がいたということは、同じ小学校にクラスは複数あるわけですし、全国でみたら、いまだと約2万3千校の小学校があります。
クラス数は、およそその倍ほどの数があります。
つまりひとつの学年だけを見ても、そのような優秀な子は全国で約5万人です。
一方、大いなる国の主となる人というのは、それこそ何十年にひとりです。
仮に20年にひとりとするならば、20年間で合計200万人にも達しようという、学業優秀、スポーツ万能でイケメン男子のなかで「たったひとり」なのです。
そしてそのひとりであれば、必ず嫉妬を買い、イジメ、中傷を受けるようになります。
とくに、それがまだ若い種の場合、つぶすのは簡単ですから、場合によっては先に力を得ている者が、そのチャンスさえも奪おうとします。
ですからオオナムチは、八十神というたくさんいる兄貴分たちのパシリをさせられます。
兄貴分たちが美しい八上姫を妻にしようと旅をしたとき、彼ら全員の荷物運びをひとりでやらされるのです。
兄貴分は八十もいます。
どれだけたくさんの荷物であったかということです。
それをひとりで担がされるました。
けれど、ここまではまだ良かったのです。
もともと良い子であるオオナムチはウサギを助け、そのことがきっかけとなって、兄たちが目的にしていた八上姫と結ばれてしまいます。
兄たちからしてみれば「なんで弟分のあのパシリ小僧が」となります。さらに、
「俺達がモノにしようとしていた女を横取りしやがって」
「ちょっとできが良いと思って、調子づいてんじゃねえ」
「あったまくるぜ、やっちまおうか」
「おう!やっちまおうぜ」
というわけで、オオナムチは、それから兄貴分たちによるひどいイジメに遭います。
山の上から真っ赤に焼けた岩を落とされたり、木の股に挟む罠にかけたりして、オオナムチは殺されてしまいます。
幸い、母の愛とサキガイ姫、ウムギ姫という美しい姫による看護で一命はとりとめますが、安全を期して木の国まで逃げる(つまり転校する、会社を変わる、廃業する)までしても、兄貴分たちは、そこにまで追いかけてきて、オオナムチを殺そうとしました。
ところがこの間、ずっとオオナムチは、なまじ良い子であるがゆえに、兄貴分たちのイジメに対する対抗手段をまったく持っていないのです。
つまり「やられっぱなし」です。
兄貴分たちは、人数が多くて多勢に無勢で手も足も出ないし、助かるためや戦う手段はいくらでも思いつきますが、どれを選んだら良いかわからない。
こちらから下手に手を出せば、かえってこちらが加害者にされてしまう。
その一方で、罠にかけられたり、弓で射られたりして、オオナムチは心身ともに痛い思いをしています。
木の国から、叔父の須佐之男命のもとに逃げたオオナムチは、その須佐之男命のいる根の堅州国の入り口で、美しいスセリ姫と出会います。
須世理姫は須佐之男の娘です。
つまり根の堅州国の王の娘です。
ふたりはひと目で熱愛に陥ります。
スセリ姫は、父の須佐之男命に、
「この人と結婚したい」と言います。
須佐之男命は、猛将神です。
しかも根の堅州国の大王です。
その娘の夫になるということは、将来、オオナムチは、須佐之男の跡を継ぐことになる可能性があるわけです。
ところが聞けば、オオナムチは、酷いイジメに遭って逃げてきたというのです。
イケメンだけど、弱っちいのです。
そこで須佐之男が行った薫陶が、蛇の部屋、ムカデの部屋、蜂の部屋です。
蛇の部屋は、夜中になると、数多くの毒蛇がゾロゾロと這い出してくる部屋です。
毒蛇ですから噛まれたら、死にます。
それを察知したスセリ姫は、
「夜中に蛇が出てきたら、この肩衣を振ってね。
そしたら蛇が退散するから」と、あらかじめオオナムチに肩衣(ひれ)を渡します。
古事記には、蛇が出てきたので、オオナムチが言われたとおりにヒレを振ったら、蛇がみんな逃げていったので、オオナムチはその夜、安心してぐっすり眠れました、めでたしめでたし、と書かれています。
翌朝、蛇の部屋から悠々と出てきたオオナムチを見た須佐之男命は、今度は彼をムカデの部屋に入れます。
そこでも同じように肩衣をつかって難を逃れたオオナムチを、今度は蜂の部屋に入れます。
そこでもオオナムチは、スセリ姫からもらった肩衣によって、難を逃れています。
実は戦前は、神話の先生が、ここで生徒たちに質問したのです。
「みなさん、話の筋書きはわかりましたね。
ではここで、
蛇、ムカデ、蜂は何を意味しているのでしょうか。
さあ、みんなで考えてみましょう」
実はここからが本当の意味での神話教育です。
もともとオオナムチは、八十神たちに命の危険にまでさらされるイジメを受けていました。
そのイジメに、オオナムチは、
1 手も足も出なかった。
2 対抗する手段はたくさんあったけれど
どう戦ったら良いのかわからなかった。
3 イジメによって痛い思いをした。
4 こちらから手を出せば、こちらが加害者にされてしまう危惧があった。
こうした事情があるから須佐之男命のもとにやってきたのです。
しかし須佐之男命からすれば、そんなことも解決できないような男では、娘との結婚を承認できないのです。
1〜3は、そのまま、蛇(手も足も出ない)、ムカデ(たくさんの選択肢)、蜂(心身の痛み)と対応しています。
その1〜3を乗り切れなかったオオナムチが、根の堅州国では乗り越えています。
しかも問題にさえしていません。いとも簡単に乗り越え、しかものんびりと大いびきで寝ています。
その違いはどこにあるのでしょうか。
形の上では、それぞれの部屋で肩衣を振ったからです。
では、その肩衣は、なぜオオナムチは持っていたのでしょうか。
・・・心配してくれたスセリ姫が渡してくれたからです。
ではなぜスセリ姫は、オオナムチにその肩衣を渡したのでしょうか。
・・・オオナムチを愛しているからです。
では、オオナムチは、なぜ危機に際してその肩衣を振ったのでしょうか。
・・・スセリ姫の愛を信じたからです。
つまり、手も足もでない苦境を乗り越える、たくさんある選択肢の中から何かを選ぶ、心身の痛みを乗り越える、その力は、「自分を愛してくれる者の愛を信じること」から生まれると、須佐之男命はオオナムチに教えているのです。
兄貴分たちに酷い仕打ちを受けていたとき、母はとても心配してくれていました。
殺されたオオナムチを蘇生するために、神々に頼んでサキガイ姫と、ウムギ姫が献身的に看護してくれもいます。
ところがオオナムチは、自分のことで精一杯です。
その母の愛に応えること、
サキガイ姫やウムギ姫の献身的努力に応えること、
もっというなら、結婚した八上姫を守ることです。
ところがそこがオオナムチの行動から見えてこない。
一方、根の堅州国において、オオナムチは、ここではじめて、自分を愛してくれている者への愛を信じ、その愛に答え、勇気をもって危険に立ち向かっています。
愛するものを守るために、愛を信じ、愛のために勇気をもって危険に立ち向かっているのです。
商売をしていて、あるいは会社を経営していて、あるいは仕事をしていて、手も足も出ないような苦境に苦しむときや、たくさんの選択肢の中で、何を選択したら良いのか迷うとき、あるいは心身に猛烈な痛みを受けるときというのは、必ずあります。
そのとき、たいせつなことは、自分を愛してくれている人たちの愛に、自分がどう応えるかが大事であるということを、古事記は教えてくれているのです。
たとえば資金繰りに窮して会社が倒産しそうになった。
そのときに、何をどうすべきかは、
1 自分を愛してくれている人を信じる
2 どうすればその愛に応えることができるのかを考えて行動せよ
と神話は教えてくれているのです。
学校でイジメに遭う。
それはとても辛いことです。
けれど、自分を愛してくれている人がいる。
それは、母かもしれないし、友人かもしれない。恋人かもしれない。
日頃から、自分なりに真面目に努力をして生きているなら、必ずそういう人は身近にいるものです。
その愛を信じる。
そしてその愛に応えるためには、自分はどうすべきか考える。
そして勇気をもって行動する。
ところが、神話は、「それだけではダメだ」というのです。
というのは、「4 こちらから手を出せば、こちらが加害者にされてしまう」という問題が、まだ解決されていないのです。
そこで須佐之男命が何をしたかというと、野原の真ん中にオオナムチを立たせて、周囲から火を放ちます。
オオナムチは四方を紅蓮の炎に包まれます。
これはまさに、地獄の業火に巻かれる試練です。
そしてこのとき、その野原に住むネズミが、オオナムチを助けてくれています。
ネズミにしてみれば、実は迷惑な話なのです。
自分たちの住むフィールドに、自分たちとは何の関係もないことで勝手に火をつけられ、生活の拠点を奪われてしまうのです。
それでもネズミは、オオナムチを助けてくれています。
紅蓮の炎に巻かれながらも、民草は、そのなかにあってさえ、互いを助け合い、慈しみ合って暮らしているのです。
自分だけが辛いとか、自分が嫌な思いをしているとか、そればかりであっては、そうした民草(この場合はネズミ)たちの辛さや哀しみや苦労はわかりません。
けれど、リーダーたる者は、その民草を守るためにこそ存在します。
みんなが豊かに安全に安心して暮らせるようにしていくことこそがリーダーの勤めです。
その自覚のもとに行動したとき、はじめて、その行動は「正義」となります。
つまり、この段階で1〜3の「愛と勇気」に、4の「正義」が加わっています。
ただのイケメンで勉強ができるだけの受動では、世の中の難局は乗り切れないのです。
「愛と勇気と正義」のもとに、愛する者を積極的に守るという能動が加わったとき、はじめて情況が打開できるのだと、神話は教えてくれています。
中傷を受けた→反撃したでは、蛮勇かもしれませんが、これではパブロフの犬と同じです。
刺激を受けた→ヨダレを垂らした、です。
オオナムチの場合は、
刺激を受けた→何もせずにイジメられっぱなしになった、です。
これもまた、ひとつの反応です。
けれど古事記は、その「刺激と反応」の間に「愛と勇気と正義」を入れよと教えてくれています。
これが知恵です。
刺激を受けた→愛と勇気と正義のもとに知恵を絞って考えた→そして行動した。
ただ、反応するだけではダメだと教えてくれているのです。
具体的にいうならば、酷い仕打ちにあったと感じたとき、
(1) 自分を愛してくれている者のために、自分に何ができるのか勇気をもって考える。
(2) さらに愛してくれている者だけでなく、みんなのために何が必要かを考える。
(3) そして行動する。
(2)が正義です。
難局に立ち向かうということは、加害者をやっつければそれで良いということではないのです。
みんなのことを含めて自分が愛する者たちに何ができるのか。
そこを考えて行動することが大事だと神話は教えてくれています。
自分ばかりが酷い目に遭っているわけではないのです。
酷い目は、誰でも遭うのです。
加害者となってイジメている者も、別な局面では、イジメられている人であったりもするのです。
そして彼らは、その中に埋没して、そこから前に進むことさえできずにいるのです。
そうではなく、それを乗り越えようとするのなら、自分が愛する者たちになすべきことは何かに集中する。
それは、自分が愛のために影響できることに集中するということです。
他人は関係ないのです。
そして勇気をもって、愛のために行動することが正義だと、神話は教えてくれています。
日本神話を、ただ表面上のあらすじだけを読んで、それで知った気になったら、本当にもったいないと思います。
そこには、何千年も前からの私たちの祖先からの日本の知恵のプレゼントがぎっしり詰まっています。
謙虚に、日本神話の行間の声に耳を傾けたなら、まさにそこは宝の山です。
お読みいただき、ありがとうございました。


↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
■ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」
http://goo.gl/WicWUi</u>">
http://goo.gl/WicWUi■「耳で立ち読み、新刊ラジオ」で百人一首が紹介されました。 http://www.sinkan.jp/radio/popup.html?radio=11782■ねずさんのひとりごとメールマガジン。初月無料 http://www.mag2.com/m/0001335031.html</u>">
http://www.mag2.com/m/0001335031.html【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

コメント
通りすがり
確かに解決法は時代や国によって違い、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せば済むような単純な世界では無いことは明らかで、また個々のケースを挙げればキリがありませんので、皆様のおっしゃる通り難しい問題だと思います。
しかし解決法だけを追うとキリがない枝葉のテクニカルな事で、『対処法・解決法』は地政学で『戦略の7階層』で言われているところの最下層に属する『技術(テクニック)』であるように感じます。
地政学の奥山真司博士は、
「会社でも個人でも技術や方針など全てを決定するのは、社長や個人の(戦略の7階層の最上位とされる)『世界観(思想・哲学)』である」とされています。
その論理をお借りすれば、ねず様はブログを通して、一番最上位であり根本的な哲学の『世界観』を常に提供していらっしゃる様に感じます。
つまり、自動車を操る人間の人間性の重要性を述べていらっしゃるのだと思います。
発言者と著者の議論が食い違うのは、
『技術論(車体・ハンドル操作)』を言う発言者側と
『世界観(運転手)』を言う著者側の論点の違いという一点に尽きるように感じます。
恐らく共にある程度『前進しよう』という方向性は同じなのですが、
読者は
『ハンドルの握り方やキリ方や意見は色々ある。道も単純ではない』テクニック論に焦点を置き、
著者は
『車体も道も技術も色々だが、要は運転手の素質だ。過去の優れた運転手はどう生きたかを学ぼう』
という全体論の違いが見て取れます。
言うまでもなくブログ全体を通して
『生き方や対処法は色々あるが、その大前提にある愛、勇気、知恵、覚悟、発展は哲学、歴史観、地政学的視点が総合的に生み出す。
こうした最も根本的でマクロな考えを世界中で教えているのに、様々な要因で今の日本の教育では全く教えない。
結果的に、薄っぺらくて視野の狭い、自分さえ良ければいいという利益追求型のロクな人間しか育たないし、おおやけを考えないから諸問題が起こり、どんどん社会が痩せ細る。』
という国内外のマクロな問題提起と
『だからせめて読者の皆さんだけでも今の状況を理解してもらいたい。』
というミクロな状況・情報の拡散と
『自分たちが属している思想や哲学や国家であるアイデンティティーを通時的・共時的に再確認するため、外来ではない元々祖国にある立派な世界観(先人の生き様)を掘り起こし、読者に感じてもらい、みんなで考え、それを未来につながるより良い社会作りへと反映させてもらえたら』
『個々の車体(事例)をうまく操作する為にも、まず先人達の失敗と成功例を参考に、優れた運転手(世界観)を育もう』
という、云わば人生のMBA的提案であり、絶対的解決法など無いと述べているのは明らかです。
私は別に特定の教えの信者ではありませんが、良く読んで、日本人らしく祖国伝来の思考法を活用して、一人の人間として自分の生き方を反省し、ささやかながら後輩の育成に活かせれば、と考える次第です。
長文失礼しました。
2016/10/03 URL 編集
くすのきのこ
イジメにはいろいろあるのでは?皆より遅れた子供もイジメにあいますよ。
いじめる方にもいじめられる方にも、何かしら問題・・あるいは認識の違い
があるように思います。子供はまだまだ脳機能が発達していく途上にありま
す。その発達が社会観の形成、あるいは(コレは大人になってもつづきます
が)自分だけでなく、社会を広く見ることのできる社会観察眼の熟成に繋が
ります。
ところが子供の成長はそれぞれちがいますから、社会観の発達状態もそれぞ
れ違ってくるわけです。お互いの違いを認識しあい許容できるか否かで騒動
が起きたりします。その中に同等な者同士の喧嘩があり、ちょいと違う者同
士のイジメがあったりします。イジメはかならずしも1対多数でもなく、1
対1でも起きてたりしますね・・・そういうのを反りが合わないと表現しま
す。(コレは実は親子の間でも起きるわけです。他の子はマトモに扱えるの
に、その子だけには酷く扱ってしまう・・その為に子供を母親から引き離す
事例もあります。何が違うのか???でもコレが人間の一つの姿です。外国
では父親が子供の中の一人の娘だけに性的暴力を加え続けた事例もあります)
子供同士のイジメに話を戻すと、兄弟姉妹がいれば毎日が脳の鍛錬になるわ
けで社会観の拡がりは早いのでしょうが、一人っ子が増えると・・どうでしょ
うか?昨今は子供をスポイル(甘やかしてダメにする)親御が増えている様
ですが・・?
ですからエネルギーにあふれて、ツイやっちまう子供達を教師はスポーツに
参加させて、ルールに則った中での達成感というものを経験させたり、実力
により自分の分を探す・・チームの中で自分が得意とする分野の発見をさせ
てみるわけです。イジメの解決法は一つではないし、年齢によっても対処は
違ってくるでしょうが、過剰エネルギーは発散させないとねw嫉妬心を切磋
琢磨へと切り替え、なんと協力体制まで持っていく・・そうしていいプレイ
ができるように持っていく・・そしてそれを子供ら認識できるように叱咤激
励すると。先生ってのは大変ですね。スポーツだけでなく、文化的な音楽な
どの事業でも同様ですね。指導者次第な面が実感できるのが、日本全国のブ
ラスバンドコンクールとか合唱コンクール。理科系にもいろいろな研究発表
会がありますし・・紅白林檎は女子高生グループによるものですねw
イジメは人間社会のあらゆる年齢、あるいは世界各国の間でも見られる現象
ではないでしょうか?ソレは、お互いの姿をよく見極めきれていない場合に
より酷く起きているのでは?無くなる事はないが、切磋琢磨へと変えていく
・・例えば戦後日本とアメリカの技術競争のように・・のが程度の軽減に繋
がるのでは?もちろん、人間社会におきる騒動に完全解決などありはしませ
んけども、解決方向への努力過程にいろいろな発見があるのでは?
2016/10/03 URL 編集
ポッポ
もっとも、クラス替えがなかったら大変ですが、その場合でも卒業すれば、次は中学か高校で、全員が同じ中学か高校の進学したときに、同級生は変わると思います。それで、治まります。
それまでは、大変だけど我慢しましょう。1年は長いけれど、永久ではないのです。
幼いときの1ヶ月は長く思いますが、永久ではないのです。
それでも我慢が出来なかったら、次の方法がありますが、子供だけでは分からないことがありますから、出来れば大人の協力を得る方が良いと思います。大人がいなければ、自分でやるしかないです。
警察の相談窓口は、警察総合相談室です。
警察相談専用電話 #9110
受付時間:平日 午前8:30~午後5:15(各都道府県警察本部で異なる)
また、都道府県の少年相談窓口もあります。都道府県で名称と電話番号が異なります。
これらに相談した場合には、教育委員会に連絡されますし、教育委員会から学校へも連絡されます。
ですから、これらに相談する場合には、出来るだけ具体的な話をする必要があります。
警察に相談するというのは、誰にとっても大事ですが、そんなことに構っていられない位に、大変な状態だから相談するのです。
警察は基本として、被害者には優しいです。(加害者は、相談しないと思います。)
ですから、被害者として安心して相談すれば良いのです。
相談窓口でない場合には不慣れなことがあって、対応が多少不親切なこともあるかも知れないので、できる限り相談窓口の方が良いと思います。
自分は虐められて我慢が出来ないのですから、警察に行くのは怖そうだと思わないようにしてください。
また、警察なんて大袈裟だとは考えないでください。自分は被害者なのです。我慢できないところまで来ているのですから、出来るだけ多くの人を巻き込んでも構わないと思います。
相談先には他にもあるのですが、一番強力と思われるところを書きました。
先日も、虐め被害が報道されましたが、幼気な子供を虐めるのも子供です。しかし、被害者は加害者よりも保護されるべきです。
2016/10/02 URL 編集
通りすがりの一人です
読ませて頂き、ここまで奥が深いものだったと知りました。
本当に有難うございましたm(__)m
2016/10/02 URL 編集
-
ただ、子供に限らず、イジメの問題に関しては、最近のイジメは昔と違って変質しているように思う。
なにか、優秀な者への妬みとかなら、まだまともな感じすらするけれど。
それ以下の水準でのイジメになっているように思う。
個であれば、単に喧嘩程度のものだけれど、イジメは多数がいなければ成り立たない。
世の中の多数が精神的にレベルが下がると、イジメそのものも変質して来たんだと思う。
そこまで落ちた者達に、大国主神話がどこまで理解出来るかは…もう、別の問題のような気もする。
昔ながらのイジメをやっている連中の方が、まだしも救いがあるような昨今ではなかろうか?。
2016/10/02 URL 編集
junn
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pep/haniwa/syoko/1.htm
2016/10/02 URL 編集
junn
https://samurai20.jp/2015/04/yurusenai/
2016/10/02 URL 編集