向聖教之上 聖教(しやうきやう)の上に向かつて
不可致無礼 無礼を致すべからず
人倫有礼者 人倫礼有れば
朝廷必在法 朝廷に必ず法在り
とあります。
「国家に法があるのと同様、人には倫理がある。目上の人に無礼をしてはなりません」といった意味になります。
目上の人には、上司、上官、師匠、先生のみならず、商人であればお客様もこれにあたります。
ただし、同時に上に立つものは、常に聖教を心がけなければならないということにも通じています。
おもしろいのは、
語多者品少 語(ことば)多き者は品少なし
老狗如吠友 老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆるが如し
というもので、メディアのコメンテーターなど、1分たりとも黙っていてはいけないという商売ですけれど、それは犬と同じだと説いています。
人なら何人、名のある人なら何名と数えます。
けれど犬なら、何匹と数えるものです。
また、
勇者必有危 勇む者は必ず危(あやう)き有り
夏虫如入火 夏の虫の火に入(い)るが如し
たとえば日頃の活動をしていく上においても、「過ぎたるは及ばざるが如し」、「飛んで火にいる夏の虫」ということです。勇んではいけない。
ではどうしたら良いかというと、
鈍者亦無過 鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し
春鳥如遊林 春の鳥の林に遊ぶが如し
です。「鈍感力」が大事だということです。
そうでなければ、
人以三寸舌 人は三寸の舌を以つて
破損五尺身 五尺の身を破損す
です。また、
入門先問諱 門(もん)に入(い)りては先(ま)づ諱(いみな)を問え
為敬主人也 主人を敬(うやま)ふ為なり
とあります。
人と付き合ったり、入門したりするときは、まずは、その人の祖先がどういう人であったかを問いなさいということです。
二重国籍などもってのほかです。
三代〜五代さかのぼって、先祖を知れば、その人を知ることができる。
ひと昔前までは銀行でも、親や祖父、曾祖父に倒産者がいれば、決して融資はしませんでした。
それくらい、血統が重視されてしていたのです。
まして余程の信用がなければ外国人に融資もありませんでした。
外国人に融資が行われるようになったのは、外国人がサラ金などをはじめたことによります。
また、ちゃんとした企業は、人を採用するとき、その人の親元がどういう人であるのかを調査しました。
すこしでもまともな人を採用しようとすれば、それがあたりまえのことだったのですが、差別はよくない、という戦後の人道主義の風潮のなかで、徐々に大企業でも国籍無視で人を採用するようになりました。
そして気がつけば、事実上会社を乗っ取られていきました。
もっともいまどきは、身辺調査をしようにも、背乗りのケースもありますので、調査が意味をなさないというご時勢にもなっています。
またどこかの大手広告代理店や大手テレビ局のように、採用条件が、男性はもともとの国籍が日本人でない特定の国の出身者、なぜか女性は生粋の日本人だけが選ばれ、選ばれた日本人女性が自殺したケースもありますので、世の中はおそろしいです。
公務員にせよ企業にせよ、まともな人を採用したいなら、私たちは国の形から、もういちど考え直さなければならなくなってきているように思います。
すくなくとも『童子教』は、「先づ諱(いみな)を問え」と説いています。
そしてそういう異民族の行動の特徴かもと思わせる記述もあります。
愚者無遠慮 愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し
必可有近憂 必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
如用管窺天 管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し
似用針指地 針(はり)を用ひて地を指すに似たり
というもので、昨今の国会の与野党の論戦を見ていると、まさにこれがあてはまりそうです。
また、保守系論壇に欠けているのもここの部分で、いまこの瞬間の政治の不協和は問題にしても、先々の議論となると、かなりアバウトになっているようです。
ジャーナリストは、批判が仕事です。
けれど、国民にとって必要なことは、今を幸せにし、より良い未来を築く力です。
次の文も同じです。
生而無貴者 生れながらにして貴(たっと)き者無し
習修成智徳 習い修(おさ)めて智徳と成る
貴者必不冨 貴き者は必ず冨まず
冨者未必貴 冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
雖冨心多欲 冨めりといえども心に欲多ければ
是名為貧人 これを名づけて貧人とす
雖貧心欲足 貧なりといえどもも心に足るを欲せば
是名為冨人 これを名づけて冨人とす
いまの日本は、はたして豊かなのでしょうか。
さらに、学校や塾、あるいは団体等に是非知っていただきたいことが、次の一文です。
畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)えば
師弟堕地獄 師弟地獄に堕(お)ち
養善弟子者 善き弟子を養えば
師弟到仏果 師弟仏果に到る
不順教弟子 教えに順(したが)はざる弟子は
早可返父母 早く父母に返すべし
不和者擬冤 不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば
成怨敵加害 怨敵(おんでき)と成って害を加う
順悪人不避 悪人に順(したが)いて避(さ)けざれば
緤犬如廻柱 緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
要するに悪い弟子を畜(やしな)えば、師弟ともに地獄に堕ちるのだから、従わない弟子は、サッサと追い出せ、というのです。
相手にしたら、付け上がるだけ。
私塾や団体であれば、議論の余地なく、サッサと追い出せ、ということです。
まして顔も見えないネットで、批判や中傷ばかりしている連中などと付き合う必要も理由もまったくありません。
それが社会であれば、逮捕遠島打ち首獄門晒し首にせよということです。
そうすることで、社会の安定は保たれるのです。
これは差別ではなく、区別であり矜持です。
ちなみに『童子教』は、なるほど鎌倉時代から明治中期まで、つまり教育勅語が発布されるまで、教育現場の主流をなしたものですが、もともと文の目的は、仏教のお布施を得るための文です。
このこと最後までお読みいただいたらわかります。
そのために内外の経綸の書を引用し、その中には『二十四孝』からの引用もされています。
福沢諭吉は現実主義者なので、この『二十四孝』が嫌いで、『学問のすすめ』の中で、これを「非現実的な妄説だ」と一刀両断にしています。
諭吉が意図して『二十四孝』を批判したのは、それが『童子教』を通じて世間の常識となっていたからです。
『二十四孝』については、また項をあらためてご紹介してみたいと思います。
明治中期に、この『童子教』が失われ、『教育勅語』に取って代わられたのも、『童子教』が前段、中段、後段に至るまで、非常に良いことを書いていながら、その結びのところで、お寺さんのお布施を募るという結語にしていたことが理由といわれています。
明治の廃仏毀釈運動の影響もあったのかもしれません。
ただ、お布施(神道では御礼)も、これは文化の伝承という意味でたいへん貴重なものであることは事実です。
これについて、次の一文があります。
得報如芥子 報(ほう)を得(う)るは芥子(けし)の如し
聚砂為塔人 砂を聚(あつ)めて人、塔を為す
ひとりひとりの謝礼は小さくても、それが積もり積もって偉大な建築物になるのです。
お伊勢様の式年遷宮も同じ。
ご近所の氏神様も同じ、菩提寺の供養も同じです。
そういうことをおろそかにしないように、幼年期からしっかりと教育をしていくということは、これはとても大切なことだと思います。
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『童子教』現代語訳
貴い人の前では、あらわに立っていてはいけません。
道にあっては、ひざまづいて通り過ぎるのを待ち、
呼ばれたら、うやまって承りなさい。
両手を胸に当てて向い、慎んで左右をかえりみて、
問われなければ答えず、おおせがあれば、謹しんで聞きなさい。
仏法僧の三宝には稽首(けいしゅ)、跪(き)、揖(ゆう)の三礼を尽し
神前においては、再拝しなさい。
人には必ず一礼をし、師匠や君主には頭をたれなさい。
墓地を通り過ぎるときは慎み深くし、
神社を通り過ぎるときは、乗り物を降りなさい。
お堂や仏塔などの前に向かって不浄を行ってはなりません。
すぐれた教えをくださる目上の人に向かって、無礼をしてはなりません。
人には倫理と礼儀があります。国家に法があるのと同じです。
人として礼がなければ、大勢の人前で過(あやま)ちます。
大勢の人と交わるときには余計なことは言わず、
ことが終わったら、すみやかに帰りましょう。
事に触れて仲間たちとの約束を違(たが)えず
言うこととすることが離れないようにしなさい。
言葉の多い者は品が少ないものです。
それは、老いた犬が、友の犬に吠(ほ)えることと同じです。
怠けることは、急いで食べたり、痩せた猿が樹の実を貪(むさぼ)るのと同じです。
勇む者は必ず危ない目に遭います。夏の虫が火に飛び込むのと同じです。
むしろ、鈍(にぶ)いくらいの方が、過(あやま)ちがありません。
それは、うららかな春の日に鳥が林に遊ぶようなものです。
人の耳は壁に付きます。ですから密(かく)して讒言(ざんげん)してはなりません。
人の眼(め)は天の眼と同じです。隠し犯してもからなずバレます。
車輪は三寸のクサビで留めてあるだけですが、
それで千里の路(みち)を走ることができます。
けれど人は三寸の舌で、たった五尺の身を滅ぼします。
口は禍(わざはい)の門(もん)です。
舌は是(これ)禍(わざわひ)の根です。
口を鼻のようにしてしまえば、身が終るまで事が起こることはありません。
余計なことをひとたび言えば、四頭立ての馬車で追いかけても、追いつくことはできません。
白い珠(たま)は磨けば光ります。けれど悪言(あくげん)の玉は磨くことさえできないのです。
福も災いも、家の門にあるのではありません。
ただ、人が招くところにあるのです。
天が与える災難は、避けることができますが、自ら作る災難は逃れにくいものです。
善い行いを積む家には、必ず善いことが起こります。
悪事を積み重ねてきた家には、必ず子孫にまで災いが及びます。
人として陰徳あれば、必ず陽報があります。
人として陰行(いんこう)があれば、必ず照名があります。
信じる力が堅ければ、災禍の雲が起ることはありません。
念じる力が強い家には、必ず福祐の月の光が射し込みます。
人の心はみんな違います。それはひとりひとりの顔が違うのと同じです。
たとえていえば、水が器(うつわ)の形に従って形を変えるのと同じです。
他人の弓を挽(ひ)かない。他人の馬に騎(の)らない。
前の車が覆(くつがえ)ったことは、後に続く車の誡(いましめ)としなさい。
忘れられない出来事は、後事(ごじ)の師です。
善き行いが広く知られるようになり、誉められたり可愛がられるようになると、
思わぬ禍いもやってくるものです。
人は死して名を留(とど)め、虎は死して皮を留めます。
国土を治める賢王(けんおう)は、身寄りがないことを悔いることはありません。
君子が人を誉めないのは、則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
境に入ってはその境の禁(いましめ)を問い
国に入っては国を問い
郷に入っては郷に随い
俗に入っては俗に随い
門(もん)に入(い)るには先(ま)づご先祖を問いなさい。
その家の主人を敬(うやま)ふです。
君には、私(わたくし)の諱(いみな)はありません。尊号は二つはないからです。
愚かな者は先々のことを考えません。
必ずいまこの瞬間の憂いしか持ちません。
それはまるで細い管(くだ)で天を観るようなものです。
あるいは針で地面を刺すのと同じです。
神は愚人を罰します。殺しはしません。懲(こ)らしめるためです。
師匠が弟子を打つのは、悪(にく)むからではありません。
より能(よ)くしようと思うからです。
生れながらにして貴(たっ)とい者などいません。
習ひ修(おさ)めて、はじめて智徳と成るのです。
貴(たっと)き者は、必ず冨みません。
冨める者は、必ず貴くありません。
冨んでいても、心に欲が多ければ、これを名づけて貧人(ひんじん)と言うのです。
貧なりといえども、心に足(た)るを持てば、これを名づけて冨人(ふじん)と言うのです。
師が厳しく弟子を訓(おし)えないのは、これを名づけて破戒です。
師が弟子を叱るのは、これを名づけて持戒と言います。
叱らずに悪い弟子を畜(やしな)えば、師弟ともに地獄に堕ちます。
厳しく薫陶して善い弟子を養えば、師弟ともに仏果に到ります。
教えに順(したが)わない弟子は、さっさと父母に返しなさい。
不和な者を冤(なだ)めようとすれば、不満を持つ敵となって必ず害を加えるようになります。
悪人を避けないことは、つながれた犬が柱をグルグル回るのと同じです。
善人に近づいて離れないことは、大船が海に浮ぶのと同じです。
善き友に随えば、麻の中に蓬(よもぎ)が生えるようなものです。
悪しき友に親近すれば、藪(やぶ)の中で荊(いばら)に近づくようなものです。
親元を離れ、孤高な師に付いて、
悪を止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧の
三学である戒定恵(かいじょうえ)を習うのです。
そうすれば自分の性が愚鈍であっても、
みずから進んで学ぶことで、自(おのづか)ら学位に致ります。
一日一字を学べば三百六十字
一字千金に当れば来世まで助けます。
一日の師から学ぶのであってもです。
まして数年の師であればなおのことです。
師は過去世・現在世・未来世の三世(さんぜ)の契りです。
父祖は一世(いっせ)の眤(むつび)です。
弟子は師匠の後ろに七尺(約2M)下がって、師匠の影を踏んではなりません。
観音様は師への孝のために、冠に阿弥陀様をいただきました。
勢至(せいし)様は親孝行のために頭上の宝瓶に父母の白骨をいただいたといわれています。
朝(あさ)早く起きて手を洗い
意(こころ)を込めて経を読みなさい。
夜は遅くに寝て、足を洗い、
心を静(しず)めて条理を考えなさい。
習い読んでも、それを心に入れなければ、
それは酔って寝てつまらないことを語るのと同じです。
千巻の書を読んでも、繰り返し読むのでなければ、
一文無しで町に出るのと同じです。
薄衣の冬の夜も寒さを忍んで夜通しでも口誦しなさい。
食べものが乏しい夏の日にお腹が空いても終日習いなさい。
酒に酔って心乱れたり、食べ過ぎたりすれば、学文に倦(う)みます。
身が温(あたた)まれば、眠気を催します。
身が楽ならば、だるさが起きます。
Chinaの匡衡(けいこう)という学者は、夜学のために
壁に穴を開けて月の光で書を学び、
同じくChinaの孫敬(そんけい)という学者は、学問のために
戸を閉じて人を通しませんでした。
蘇秦という学者は、やはり学問のためにと、
錐(キリ)を股(もも)に刺して眠気を払い、
俊敬(しゆんけい)は学問のために縄を首に懸(か)けて眠りませんでした。
車胤(しやいん)は夜学のために、蛍を集めて灯りにしました。
宣士(せんし)は夜学を好んで、雪を積んで灯りにしました。
休穆(きうぼく)は文に意(こころ)を入れていたため、
冠が落ちたことにも気付きませんでした。
高鳳(こうほう)は文に意(こころ)を入れていたため
麦が流れてしまったことにも気付きませんでした。
劉完(りうくはん)は衣を織りながら
口に書を誦(じゅ)して息をせず、
倪寛(げいくはん)は畑を耕しながら、腰に文を帯びて捨てませんでした。
これらの人は皆、昼夜学問を好むことで、学問への志を国に満たしました。
たと砦にこもり、武器を振ことになっても、
口にはつねに経と論を誦(じゅ)し
弓を削り矢を矧(は)ぐとも、腰には常に文書を挿しなさい。
張儀(ちょうぎ)は新古を誦して枯木に実を結んだといいます。
亀耄(きほう)は史記を暗唱し、老齢まで働きました。
伯英(はくえい)は九歳で博士の位に至りました。
宋吏(そうし)は七十にして初めて学問の師となりました。
智者は下層の出身者でも、国家の高位に登ります。
愚者は高い地位を得ても、地獄に堕ちます。
愚者の作る罪は、小さくても必ず地獄に堕ちるのです。
愚者は常には憂(うれい)をいだきます。
それは、たとえていえば、獄中の囚人と同じです。
智者は常に楽観です。
それは天界と同じです。
父の恩は山より高いものです。
それは須弥山さえも下におくほどです。
母の徳は海よりも深いものです。
それは海原さえも浅く感じさせるものです。
骨は父より、肉は母よりと思い、
骨肉あい和して五体となります。
胎内にいること十ヵ月
その間、母にずっと苦労をかけ、
生まれてから数年、今度は父母の養育をいただいています。
昼は父の膝に居て頭を撫でられること多年、
夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)してその乳をいただきました。
けれど後には山野に交わって妻子を養い、
海の幸をいただいて身命をたすけるため、
暮には、命のためと称して日夜悪業を重ね
朝夕の食のためにと無限地獄に堕ちていく。
恩をいただいて恩を知らないのは
樹に住む鳥が枝を枯らすようなものです。
徳をいただいて徳を思わないのは、
野の鹿が草を損ねるようなものです。
夢にも父を打つならば、天雷がその身を裂きます。
身をわかちあった母を罵(のの)しるならば、
霊蛇がその命を吸ふことでしょう。
Chinaの郭巨(かくきょ)は母を養うために、
穴を掘って金(こがね)の釜を得ました。
姜詩(きょうし)は妻とともに母によく仕え
天より美しい湧き水をいただきました。
孟宗は竹やぶの中で母のために哭(な)き、
真冬の深雪の中に筍(たけのこ)を抜きました。
王祥は、母に魚を食べさせようと氷の上に寝て
堅い氷の下から魚を得ました。
舜子は目の見えない父を養って天子の座をいただきました。
刑渠(けいこ)は老いた母を養って
食べものの毒味を行い、
母は70歳を過ぎても30歳ほどにしかみえなかったといいます。
董永(とうえい)は父の葬儀のために、自らの身を売りました。
楊威は独りの母を想って虎の前に啼(な)いて害を免(まぬか)れました。
顔烏(がんう)は墓で、烏(カラス)に助けられました。
許牧は自ら墓を作り、松柏植へて墓としました。
これらの人は皆、父母に孝養をし、
仏神の憐愍(れんみん)をいただき、
望むところを成就したという故事です。
生死は無常です。
早く涅槃(ねはん)を欲しても、煩悩の身は不浄です。
すみやかに菩提を求めても、
現実は娑婆世界です。
愛別離苦の苦しみがあり
恐れても六道輪回の生者必滅の悲しみがあります。
寿命はカゲロウのようなものです。
朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死ぬのです。
身体は葉の大きなバナナの木と同じです。
風が吹けば破れやすい。
刺繍を数多く施した美しい衣服は、冥途の貯えにはなりません。
黄金珠玉は、ただ今生だけの財宝にすぎません。
栄花栄耀は仏道の資(たす)けにはなりません。
官位寵職も、ただ現世の名聞(みょうもん)にすぎません。
万年千年の約束をしても、それは命のある間のこと、
仲睦まじい夫婦も、命のある限りのことでしかありません。
観世音菩薩は高僧の短命を嘆き、
梵天の高台の楼閣も、火血刀の苦しみを味わいました。
インドの長者の須達(しゅだつ)の十徳も、
無常を留めることができず、
アショーカ王の七宝も、寿命を買ふことはできませんでした。
かつての大国の大月支国も、ついには消え去り、
龍帝の龍さえ投げ飛ばす腕力も、最後には獄卒の杖に打たれるようになりました。
人は、もっと施しなさい。
布施は菩提の粮(かて)です。
人は、もっと財を惜しまず、
財宝は菩提の障(さわ)りと思い、
貧窮の身が布施を得れば、随喜の心を生じます。
心に悲しんで誰かに施せば、その功徳は大海と同じです。
自分のために誰かに施しをすることは、
それは芥子粒のようなものであったとしても、
その芥子粒が、集まって、仏塔となるのです。
黄金をみがき、
花を折って仏に供養する者は
すみやかに成仏の縁を得ることでしょう。
一句信受の力は、王の位を超えるものです。
半分しか理解できない聞法の徳は
実は、三千界の宝にも勝(すぐ)れたものです。
上が仏道を求め、
中が四恩報じれば、
下の功徳はあまねく六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人界、天界)に及びます。
共に仏に成る道です。
これらは幼童を教化するために、因果の道理を注したもので、
内外の書から書き起こしたものです。
これを見る者は、この文を誹謗してはなりません。
これを聞く者は、笑ってはなりません。
***
1 夫貴人前居 夫(そ)れ貴人の前に居ては
2 顕露不得立 顕露に立つことを得ざれ
3 遇道路跪過 道路に遇ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ
4 有召事敬承 召す事有らば敬つて承れ
5 両手当胸向 両手を胸に当てて向へ
6 慎不顧左右 慎みて左右を顧みざれ
7 不問者不答 問はずんば答へず
8 有仰者謹聞 仰せ有らば謹しんで聞け
9 三宝尽三礼 三宝には三礼を尽し
10 神明致再拝 神明には再拝を致せ
11 人間成一礼 人間には一礼を成せ
12 師君可頂戴 師君には頂戴すべし
13 過墓時則慎 墓を過ぐる時は則ち慎め
14 過社時則下 社を過ぐる時は則ち下(を)りよ
15 向堂塔之前 堂塔の前に向かつて
16 不可行不浄 不浄を行ふべからず
17 向聖教之上 聖教(しやうきやう)の上に向かつて
18 不可致無礼 無礼を致すべからず
19 人倫有礼者 人倫礼有れば
20 朝廷必在法 朝廷に必ず法在り
21 人而無礼者 人として礼無きは
22 衆中又有過 衆中(しゆちう)又過(あやま)ち有り
23 交衆不雑言 衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ
24 事畢者速避 事畢(おは)らば速(すみやか)に避けよ
25 触事不違朋 事に触れて朋(とも)に違(たが)へず
26 言語不得離 言語(げんぎよ)離すことを得ざれ
27 語多者品少 語(ことば)多き者は品少なし
28 老狗如吠友 老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆる如し
29 懈怠者食急 懈怠(けだい)は食を急ぐ
30 痩猿如貪菓 痩せたる猿の菓(このみ)を貪る如し
31 勇者必有危 勇む者は必ず危(あやう)き有り
32 夏虫如入火 夏の虫の火に入(い)るが如し
33 鈍者亦無過 鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し
34 春鳥如遊林 春の鳥の林に遊ぶが如し
35 人耳者附壁 人の耳は壁に付く
36 密而勿讒言 密(かく)して讒言すること勿(なか)れ
37 人眼者懸天 人の眼(め)は天に懸(かゝ)る
38 隠而勿犯用 隠して犯し用ゆること勿れ
39 車以三寸轄 車は三寸の轄(くさび)を以て
40 遊行千里路 千里の路(みち)を遊行(ゆぎやう)す
41 人以三寸舌 人は三寸の舌を以つて
42 破損五尺身 五尺の身を破損す
43 口是禍之門 口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん)
44 舌是禍之根 舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
45 使口如鼻者 口をして鼻の如くならしめば
46 終身敢無事 身終るまで敢へて事無し
47 過言一出者 過言(くわごん)を一たび出(い)だす者は
48 駟追不返舌 駟追(しつい)の舌を返さざれ
49 白圭珠可磨 白圭の珠(たま)は磨くべし
50 悪言玉難磨 悪言(あくげん)の玉は磨き難し
51 禍福者無門 禍福は門に無し
52 唯人在所招 唯(ただ)人の招く所に在り
53 天作災可避 天の作(つく)る災は避(さ)くべし
54 自作災難逃 自ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し
55 夫積善之家 夫(そ)れ積善(せきぜん)の家には
56 必有余慶矣 必ず余慶有り
57 亦好悪之処 又好悪の処(ところ)には
58 必有余殃矣 必ず余殃(よわう)有り
59 人而有陰徳 人として陰徳有れば
60 必有陽報矣 必ず陽報有り
61 人而有陰行 人として陰行(いんこう)有れば
62 必有照名矣 必ず照名有り
63 信力堅固門 信力(しんりき)堅固の門(かど)には
64 災禍雲無起 災禍の雲起ること無し
65 念力強盛家 念力強盛(ごうせい)の家には
66 福祐月増光 福祐の月(つき)光(ひかり)を増す
67 心不同如面 心の同じさらざるは面(をもて)の如し
68 譬如水随器 譬(たと)へば水の器に随ふが如し
69 不挽他人弓 他人の弓を挽(ひ)かざれ
70 不騎他人馬 他人の馬に騎(の)らざれ
71 前車之見覆 前車の覆(くつがへ)るを見ては
72 後車之為誡 後車の誡(いましめ)とす
73 前事之不忘 前事の忘れざるは
74 後事之為師 後事(ごじ)の師とす
75 善立而名流 善立ちて名流れ
76 寵極而禍多 寵(てう)極めつて禍(わざはひ)多し
77 人者死留名 人は死して名を留(とど)め
78 虎者死留皮 虎は死して皮を留む
79 治国土賢王 国土を治むる賢王(けんわう)は
80 勿侮鰥寡矣 鰥寡(くはんくは)を侮(く)ゆることなし
81 君子不誉人 君子の人を誉めざるは
82 則民作怨矣 則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
83 入境而問禁 境(きやう)に入つては禁(いましめ)を問へ
84 入国而問国 国に入(い)つては国を問へ
85 入郷而随郷 郷(ごう)に入(い)つては郷に随ひ
86 入俗而随俗 俗に入つては俗に随へ
87 入門先問諱 門に入つては先づ諱(いみな)を問へ
88 為敬主人也 主人を敬(うやま)ふ為なり
89 君所無私諱 君の所(ところ)に私の諱(いみな)無し
90 無二尊号也 尊号二つ無ければなり
91 愚者無遠慮 愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し
92 必可有近憂 必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
93 如用管窺天 管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し
94 似用針指地 針(はり)を用ひて地を指すに似たり
95 神明罰愚人 神明(しんめい)は愚人を罰す
96 非殺為令懲 殺すにあらず懲(こ)らしめんが為なり
97 師匠打弟子 師匠の弟子を打つは
98 非悪為令能 悪(にく)むにあらず能(よ)からしめん為也
99 生而無貴者 生れながらにして貴(たつと)き者無し
100 習修成智徳 習ひ修(しゆ)して智徳とは成る
101 貴者必不冨 貴(たつと)き者は必ず冨まず
102 冨者未必貴 冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
103 雖冨心多欲 冨めりと雖(いへど)も心に欲多ければ
104 是名為貧人 是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
105 雖貧心欲足 貧なりといえども心に足るを欲せば
106 是名為冨人 是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす
107 師不訓弟子 師の弟子を訓(をし)へざるは
108 是名為破戒 是(これ)を名づけて破戒とす
109 師呵責弟子 師の弟子を呵責(かしやく)するは
110 是名為持戒 是(これ)を名づけて持戒とす
111 畜悪弟子者 悪しき弟子を畜(やしな)へば
112 師弟堕地獄 師弟地獄に堕(を)ち
113 養善弟子者 善き弟子を養へば
114 師弟到仏果 師弟仏果に到る
115 不順教弟子 教へに順(したが)はざる弟子は
116 早可返父母 早く父母に返すべし
117 不和者擬冤 不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば
118 成怨敵加害 怨敵(おんでき)と成つて害を加ふ
119 順悪人不避 悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば
120 緤犬如廻柱 緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
121 馴善人不離 善人に馴(な)れて離れざるは
122 大船如浮海 大船の海に浮かめるが如し
123 随順善友者 善き友に随順すれば
124 如麻中蓬直 麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
125 親近悪友者 悪しき友に親近すれば
126 如藪中荊曲 藪の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し
127 離祖付疎師 祖に離れ疎師に付く
128 習戒定恵業 戒定恵(かいぢやうゑ)の業(わざ)を習ひ
129 根性雖愚鈍 根性は愚鈍と雖(いへど)も
130 好自致学位 好めば自(おのづか)ら学位に致る
131 一日学一字 一日に一字を学べば
132 三百六十字 三百六十字
133 一字当千金 一字千金に当る
134 一点助他生 一点他生を助く
135 一日師不疎 一日の師たりとも疎(うとん)ぜざれば
136 况数年師乎 况(いはん)や数年の師をや
137 師者三世契 師は三世(さんぜ)の契り
138 祖者一世眤 祖は一世(いつせ)の眤(むつび)
139 弟子去七尺 弟子七尺(しちしやく)を去つて
140 師影不可踏 師の影を踏むべからず
141 観音為師孝 観音は師孝の為に
142 宝冠戴弥陀 宝冠に弥陀を戴(いただ)き
143 勢至為親孝 勢至(せいし)は親孝(しんかう)の為に
144 頭戴父母骨 頭(こうべ)に父母の骨を戴き
145 宝瓶納白骨 宝瓶(ほうびん)に白骨を納む
146 朝早起洗手 朝(あさ)早く起きて手を洗ひ
147 摂意誦経巻 意(こころ)を摂して経巻を誦(じゆ)せよ
148 夕遅寝洒足 夕(ゆふべ)には遅く寝て足を洒(あら)ひ
149 静性案義理 性(せい)を静めて義理を案ぜよ
150 習読不入意 習ひ読めども意(こころ)に入れざるは
151 如酔寝閻語 酔ふて寐て閻(むつごと)を語るが如し
152 読千巻不復 千巻(せんぐはん)を読めども復さざれば
153 無財如臨町 財無くして町に臨むが如し
154 薄衣之冬夜 薄衣(はくえ)の冬の夜(よ)も
155 忍寒通夜誦 寒を忍んで通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ
156 乏食之夏日 食乏(とぼ)しきの夏の日も
157 除飢終日習 飢(うへ)を除いて終日(ひめもす)習へ
158 酔酒心狂乱 酒に酔(ゑ)ふて心狂乱す
159 過食倦学文 食過ぐれば学文に倦(う)む
160 温身増睡眠 身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
161 安身起懈怠 身安ければ懈怠(けだい)起る
162 匡衡為夜学 匡衡(けいこう)は夜学の為に
163 鑿壁招月光 壁を鑿(うが)つて月光を招き
164 孫敬為学文 孫敬(そんけい)は学文の為に
165 閉戸不通人 戸を閉ぢて人を通さず
166 蘇秦為学文 蘇秦は学文の為に
167 錐刺股不眠 錐を股(もも)に刺して眠らず
168 俊敬為学文 俊敬(しゆんけい)は学文の為に
169 縄懸頸不眠 縄を頸(くび)に懸(か)けて眠らず
170 車胤好夜学 車胤(しやいん)は夜学を好んで
171 聚蛍為燈矣 蛍を聚(あつ)めて燈(ともしび)とす
172 宣士好夜学 宣士(せんし)は夜学を好んで
173 積雪為燈矣 雪を積んで燈(ともしび)とす
174 休穆入意文 休穆(きうぼく)は文に意(こころ)を入れて
175 不知冠之落 冠(かんぶり)の落つるを知らず
176 高鳳入意文 高鳳(こうほう)は文に意(こころ)を入れて
177 不知麦之流 麦の流るゝを知らず
178 劉完乍織衣 劉完(りうくはん)は衣を織り乍ら
179 誦口書不息 口に書を誦(じゆ)して息(いこ)はず
180 倪寛乍耕作 倪寛(げいくはん)は耕作し乍(なが)ら
181 腰帯文不捨 腰に文を帯びて捨てず
182 此等人者皆 此等(これら)の人は皆
183 昼夜好学文 昼夜学文を好んで
184 文操満国家 文操国家に満つ
185 遂致碩学位 遂に碩学の位に致(いた)る
186 縦磨塞振筒 縦(たと)へ塞を磨き筒を振るとも
187 口恒誦経論 口には恒に経論を誦(じゆ)し
188 亦削弓矧矢 又弓を削り矢を矧(は)ぐとも
189 腰常挿文書 腰には常に文書を挿せ
190 張儀誦新古 張儀は新古を誦(じゆ)して
191 枯木結菓矣 枯木に菓(このみ)を結ぶ
192 亀耄誦史記 亀耄(きほう)は史記を誦(じゆ)して
193 古骨得膏矣 古骨に膏(あぶら)を得たり
194 伯英九歳初 伯英は九歳にして初めて
195 早至博士位 早く博士(はかせ)の位に至る
196 宋吏七十初 宋吏(さうし)は七十にして初めて
197 好学登師伝 学を好んで師伝に登る
198 智者雖下劣 智者は下劣なりと雖(いへど)も
199 登高台之閣 高台の閣に登る
200 愚者雖高位 愚者は高位なりと雖(いへど)も
201 堕奈利之底 奈利(ないり)の底に堕(お)つ
202 智者作罪者 智者の作る罪は
203 大不堕地獄 大いなれども地獄に堕(を)ちず
204 愚者作罪者 愚者の作る罪は
205 小必堕地獄 小さけれども必ず地獄に堕(を)つ
206 愚者常懐憂 愚者は常には憂(うれい)を懐(いだ)く
207 譬如獄中囚 たとへば獄中の囚(とらはれびと)の如し
208 智者常歓楽 智者は常に歓楽す
209 猶如光音天 猶(なを)光音天(くはうおんてん)の如し
210 父恩者高山 父の恩は山より高し
211 須弥山尚下 須弥山尚(なを)下(ひく)し
212 母徳者深海 母の徳は海よりも深く
213 滄溟海還浅 滄溟の海還(かへ)つて浅し
214 白骨者父淫 白骨は父の淫
215 赤肉者母淫 赤肉は母の淫
216 赤白二諦和 赤白の二諦和し
217 成五体身分 五体身分(しんぶん)と成る
218 処胎内十月 胎内に処(しよ)すること十月(とつき)
219 身心恒苦労 身心(しんじん)恒(つね)に苦労す
220 生胎外数年 胎外(たいげ)に生れて数年(すねん)
221 蒙父母養育 父母の養育を蒙(かふむ)る
222 昼者居父膝 昼は父の膝に居て
223 蒙摩頭多年 摩頭(まとう)を蒙(かふむ)ること多年
224 夜者臥母懐 夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)して
225 費乳味数斛 乳味を費すこと数斛(すこく)
226 朝交于山野 朝(あした)には山野に交はつて
227 殺蹄養妻子 蹄(ひづめ)を殺して妻子を養ひ
228 暮臨于江海 暮(ゆふべ)には江海に臨んで
229 漁鱗資身命 鱗(うろこ)を漁つて身命を資け
230 為資旦暮命 旦暮の命を資(たす)からん為に
231 日夜造悪業 日夜悪業(あくごう)を造り
232 為嗜朝夕味 朝夕の味を嗜(たしな)まん為に
233 多劫堕地獄 多劫(たこう)地獄に堕(を)つ
234 戴恩不知恩 恩を戴(いたゞ)ひて恩を知らざるは
235 如樹鳥枯枝 樹の鳥の枝を枯らすが如し
236 蒙徳不思徳 徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは
237 如野鹿損草 野の鹿の草を損ずるが如し
238 酉夢打其父 酉夢(ゆうむ)其の父を打てば
239 天雷裂其身 天雷其の身を裂く
240 班婦罵其母 班婦其の母を罵(のゝし)れば
241 霊蛇吸其命 霊蛇其の命を吸ふ
242 郭巨為養母 郭巨(くはくきよ)は母を養はん為に
243 掘穴得金釜 穴を掘りて金(こがね)の釜を得たり
244 姜詩去自婦 姜詩(きやうし)は自婦を去りて
245 汲水得庭泉 水を汲めば庭に泉を得たり
246 孟宗哭竹中 孟宗竹中(ちくちう)に哭(こく)すれば
247 深雪中抜筍 深雪の中(うち)に筍(たかんな)を抜く
248 王祥歎叩氷 王祥歎(なげ)きて氷を叩(たゝ)けば
249 堅凍上踊魚 堅凍(けんたう)の上に魚踊る
250 舜子養盲父 舜子盲父を養ひて
251 涕泣開両眼 涕泣すれば両眼を開く
252 刑渠養老母 刑渠(けいこ)老母を養ひて
253 噛食成齢若 食を噛めば齢(よはひ)若(わか)く成る
254 董永売一身 董永(とうゑい)一身を売りて
255 備孝養御器 孝養の御器(ぎよき)に備ふ
256 楊威念独母 楊威は独りの母を念(おも)つて
257 虎前啼免害 虎の前に啼(な)きしかば害を免(まぬか)る
258 顔烏墓負土 顔烏(がんう)墓に土を負へば
259 烏鳥来運埋 烏鳥(うちやう)来つて運び埋(うづ)む
260 許牧自作墓 許牧自(みづか)ら墓を作れば
261 松柏植作墓 松柏植へて墓と作(な)る
262 此等人者皆 此等(これら)の人は皆
263 父母致孝養 父母に孝養を致し
264 仏神垂憐愍 仏神(ぶつじん)の憐愍(れんみん)を垂れ
265 所望悉成就 所望(しよまう)悉(ことごと)く成就す
266 生死命無常 生死(せうじ)の命は無常なり
267 早可欣涅槃 早く涅槃(ねはん)を欣(ねが)ふべし
268 煩悩身不浄 煩悩の身は不浄なり
269 速可求菩提 速(すみやか)に菩提を求むべし
270 厭可厭娑婆 厭(いと)ひても厭ふべきは娑婆なり
271 会者定離苦 会者定離(ゑしやぢやうり)の苦しみ
272 恐可恐六道 恐れても恐るべきは六道(ろくどう)
273 生者必滅悲 生者必滅(しやうじやひつめつ)の悲しみ
274 寿命如蜉蝣 寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し
275 朝生夕死矣 朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死す
276 身体如芭蕉 身体は芭蕉の如し
277 随風易壊矣 風に随つて壊(やぶ)れ易し
278 綾羅錦繍者 綾羅錦繍(りやうらきんしう)は
279 全非冥途貯 全く冥途の貯えに非(あら)ず
280 黄金珠玉者 黄金珠玉は
281 只一世財宝 只一世(いつせ)の財宝
282 栄花栄耀者 栄花栄耀(えいぐわえいよう)は
283 更非仏道資 更に仏道の資(たす)けに非(あら)ず
284 官位寵職者 官位寵職は
285 唯現世名聞 唯(たゞ)現世の名聞(みやうもん)
286 致亀鶴之契 亀鶴の契りを致すも
287 露命不消程 露命の消えざるが程は
288 重鴛鴦之衾 鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも
289 身体不壊間 身体の壊(やぶ)れざる間(あいだ)
290 刀利摩尼殿 刀利摩尼殿(とうりまにでん)も
291 歎遷化無常 遷化(せんげ)無常を歎く
292 大梵高台閣 大梵(だいぼん)高台の閣も
293 悲火血刀苦 火血刀の苦しみを悲しむ
294 須達之十徳 須達(しゆだつ)の十徳(じつとく)も
295 無留於無常 無常を留(とゞ)むること無し
296 阿育之七宝 阿育(あいく)の七宝(しつぽう)も
297 無買於寿命 寿命を買ふこと無し
298 月支還月威 月支(ぐわつし)の月を還せし威も
299 被縛炎王使 炎王(ゑんわう)の使ひに縛(ばく)せらる
300 龍帝投龍力 龍帝(りうてい)の龍(りやう)を投げし力も
301 被打獄卒杖 獄卒の杖(つえ)に打たる
302 人尤可行施 人尤(もつと)も施しを行ふべし
303 布施菩提粮 布施は菩提の粮(かて)
304 人最不惜財 人最(もつと)も財を惜しまざれ
305 財宝菩提障 財宝は菩提の障(さは)り
306 若人貧窮身 若(も)し人貧窮の身にて
307 可布施無財 布施すべき財無く
308 見他布施時 他の布施を見る時
309 可生随喜心 随喜の心を生ずべし
310 悲心施一人 心に悲しんで一人(いちにん)に施せば
311 功徳如大海 功徳(くどく)大海(だいかい)の如し
312 為己施諸人 己(おのれ)が為に諸人に施せば
313 得報如芥子 報を得ること芥子(けし)の如し
314 聚砂為塔人 砂(いさご)を聚(あつ)めて人塔を為す
315 早研黄金膚 早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く
316 折花供仏輩 花を折つて仏に供する輩(ともがら)は
317 速結蓮台政 速(すみや)かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ
318 一句信受力 一句信受の力も
319 超転輪王位 転輪王の位に超(いた)る
320 半偈聞法徳 半偈(はんげ)聞法(もんぼう)の徳も
321 勝三千界宝 三千界の宝にも勝(すぐ)れたり
322 上須求仏道 上(かみ)は須(すべから)く仏道を求む
323 中可報四恩 中は四恩を報ずべし
324 下編及六道 下(しも)は編(あまねく)六道に及ぶ
325 共可成仏道 共に仏道成るべし
326 為誘引幼童 幼童を誘引せんが為に
327 註因果道理 因果の道理を註(ちう)す
328 出内典外典 内典外典より出でたり
329 見者勿誹謗 見る者誹謗すること勿れ
330 聞者不生笑 聞く者笑を生ぜざれ
お読みいただき、ありがとうございました。


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コメント
くすのきのこ
長文の現代語への変換、有難うございます。
・・・しかしまあ・・こういうのは実は各地に伝わる昔話の中にも見つかる
考え方だったりも・・します。日本はそれぞれの地域にわんさかと伝えられ
ているお話というのがあります。類似の物語も多いのですが、地方色が付け
られていたりします。そして、理想と現実のギャップもまた物語の形で残っ
ていたりするのです。礼を重んじたいが・・実際は姥捨て山であり、飢饉で
食えない現実に・・理想通りにはいかず納得のいかない現実に・・人々は悲
しい結末から逃れるために、殿様のお困り解消に老人の智慧を使い老母が助
かる話にしてたりします・・有り得ないですけどね。。姥捨てが有り得ない?
徳川綱吉が生類憐みの令を出すまでは、河原に子供が捨てられてましたね。
だからかな?”あんたは橋の下で拾った子供だよ~”という戯言が戦後まで使
われていたりしました。・・姥捨て山の話には、バージョンはいくつかあり
ましょうが、なんとか理想に沿った話にしたいと、老母が助るという結末が
ついていたりしますが、そこに対立していた嫁が姿を消すという付随事項が
あったりもしますw母と嫁の間で痛し痒しと・・ここら辺は時代を超えて普
遍的な悩みですか?wwそして、こういう理想を振り回す世の中ほど、実は
荒れ果てていたと・・昔話は、そういう事も伝えてくれます。鬼婆は峠越え
の旅人を食すために刃物を研いでいますしw慈悲の心で救った旅人から珍し
い物を貰った者は、それゆえに嫉妬されて身を滅ぼしたり・・隔離された狭
い社会では、現代も顔見知りの土地争いや犯罪はつきません。
世の中が荒れると、お説教聞け~~が始まるのですw
そして説教ならぬ説経節。仏教を広めるための語りものの民衆芸能。
その中の”さんせう太夫”(山椒大夫)は浄瑠璃で演じられ、歌舞伎”由良湊
千軒長者”へ。地方の民話となり、その後児童文学の”安寿と厨子王”へ。森
鴎外の小説”山椒大夫”は映画化も。人買いの拉致による一家離散、弟の逃亡
と姉の悲劇的な死、弟の成長と出世した挙句の報恩と報復、その後の老いた
母との再会。・・お寺さんは賢いw文字の読めぬ庶民にも、これで世間の様々
なことわりと、仏教的な考え方が浸透していくというものです。
平安時代の唱導に元があるという説教節。民衆の芸能として江戸の元禄まで
親しまれていたと。それが印刷による文字の文化の中に埋没していくと。
・・・まあ、元禄と言えば徳川綱吉の文治政策、生類憐みの令。まず第一項
が捨て子の保護から始まる。子供を食べさせる事ができない世の中はまだま
だ荒れていたのでしょうね。慈悲を持て~と法が制定する世の中でしたが、
文治政策が功を奏してきた時、姥捨てが当然の世の中ではなく、姥捨てを悲
しく思う世の中へと変化してきたのではないかな?そこで説経節が、更なる
展開をするには(思想を深めるのには数多の人々と歴史経過という時間が必
要ですから)文字を使う文化の中で人々に繰り返し普遍的なテーマとして提
示されるネタ元になっていったのでは?
明治の中頃に童子教が引っ込められていったのは、例の”天は人の上に人を
つくらず、人の下に人をつくらずといえり”・・つまり有色人種だからといっ
て、欧米列強に頭をたれるわけにはいかぬという事でしょう。福沢諭吉だけ
ではなく、明治のトップ陣は皆、不平等条約を撤廃するために頑張っていた
わけですからw童子であっては無理がある。固く信じてたって災禍は起こる。
(大地震とかね)大事なのは、災禍が起きても挫けずに復興に向かう心意気。
頭を垂れたら、さらに叩かれる。(ハントウやチャイナにねw)口を開かね
ば、いいように了解され利用される。(欧米やトクアにね)童子で許された
のは江戸時代のほとんど鎖国していた時代まで。開国するのであれば、海外
の弱肉強食ルールを(正しいとは思えなくても)呑み込む大人でなくてはね。
昔~のチャイナの人物と清国は全くの別物なのに、チャイナの人物を載せる
必要はない・・むしろ誤解を招く・・こういう判断もあったでしょう。時代
の要請に合っていなかった。それに妙に仏教と道教と儒教と何か他を詰め合
わせたようなおや~~な内容ww突っ込みどころ満載ww悪言の玉を磨きま
くるハントウやチャイナは当時もそうだったしw
・・・明治の庶民の中には、貴人を婦人とさしかえるようなお茶目な人間も
いたはずだよな~・・そう思います。
道徳には普遍的なものもあるでしょうが、時代とか国によって違うものもあ
る。現代には現代の要請に合った行動規範も必要でしょうね。それを仏教そ
の他に求める事は無いと思いますよ。何故なら、既にそれらは民衆芸能によっ
て日本人の文化に繰り返し提示され続けているからです。
例えばアニメのワンピースは、少年ジャンプのバトルものですが・・。この
ジャンプのバトルもの分野の先達で、北米以外の海外にメチャ受けしたのが
聖闘志星矢シリーズのアニメ・・・これ、十二神将ですよね?・・星座に当
てはめて西洋化してますけど・・仏教恐るべ~しww(慈)愛、友情、努力、
根性・・そしてバトル・・。(この作品は古いですけどw)
その中の名セリフを一つ・・希望こそが、人々をあやめてきた。それでも・・。
これは明治の猛者達の心情でもあったかも・・。
2016/10/16 URL 編集
junn
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12209267818.html
2016/10/15 URL 編集