文化の異なる民族と無制限に関わることは本当に良いことなのか



◆View Pointに拙記事が掲載されました。
「日本人の想像を越える理不尽な暴力が当然の社会とは」
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◆第34回倭塾は、2016年11月12日 18:30〜開催です。
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20161105 日清戦争_th
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明治28年2月22日付報知新聞に、フランスのフィガロ紙記者カレスコーと、イリュストラシオン紙記者ラロー両名の日清戦争における従軍記が掲載されました。
両名は日本軍の行動を観察するために従軍していました。

その書き出しです。
「大日本帝国軍隊が、
 世界に対して誇るに足る名誉を有することを
 観察し報道することを愉快に思ふ」

日本軍の栄城湾(山東半島)上陸についても書いています。
「毫末の乱るるなくして整然と行なはれたことに感心した。
 上陸した村外れの某家に『産婦あり。入るべからず』
 との日本軍の掲示がでてゐるのを発見した。
 予想もしなかったことであった」

そして、
「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、
 この広大なる地球上に発見し得るかを怪しむなり」
と日本軍について客観的な視点から惜しみない絶賛をしています。

この一方で清國軍については、
「ひるがへって清軍を見よ。
 日本軍卒の一度彼等の手に落つるや、
 あらゆる残虐の刑罰を以て
 これを苦しむるにあらずや。
 或は手足を断ち、
 或は首を切り、
 睾を抜く。
 その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず。
 しかして日本はこれあるに拘らず暴に酬ゆるに徳を以てす。
 流石に東洋君子国たるに愧ぢずと云ふべし」

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牙山で日本軍に敗れた清國軍は、平壌市内になだれこみました。
そして平壌の朝鮮人に対して掠奪、強姦、虐殺を欲しいままに行いました。
そのあまりの行状に、指揮官である李鴻章までも、
「髪、天を指す」と打電しました。

しかし李鴻章に、すこしは人間らしい心があったのでしょうか。
彼らは建前だけは、このようにまっとうなことを言います。
それは昔も今も変わらぬ彼らの習性です。

その李鴻章が行った、明治27年9月の平壌での敗退の模様についての清廷への報告です。
「我が軍は日本軍の首を取った者に
 銀30両の懸賞金をかけた。
 兵は協力血戦して、
 日本軍を生捕り、
 首を取れる者200余名に至る。
 銃殺者は数計り知れず」
(王芸生『日支外交六十年史』第二巻)

賞金をかけて敵兵の首級を求めれば、Chinaの兵は、一般の無抵抗の人民を殺して首を挙げます。
これをChinaでは古来「殺良冒功」(良民を殺して賞金をむさぼる)といいます。
これはもはや近代戦ではなく、文明以前の問題です。

同じく日清戦争のさなかの明治27年11月18日、旅順北方の土城子に斥候に出た日本兵11名が、清國軍に虐殺されるという事件が起きています。
この現場を調査した秋山好古騎兵大隊の稲垣副官が次のように書いています。
「敵は我軍の屍に向って
 実に畏怖べからざる恥辱を与へたり。
 死者の首を斬り、
 面皮を剥ぎとり、
 或は男根を切りとり、
 胸部を割きて入るるに石を以てす。
 この様を見て誰か驚かざらん」

明治28年1月30日、日本軍が威海衛の趙北嘴砲台を抜きました。
敵が潰走したあと、その兵営に人ってみると、なかにワラ包みがぶら下げでありました。
開いてみると日本人の首級が七つ入っていました。
いずれも鈍刀で斬ったらしく、五、六刀から十数刀を加へたことが斬り口から分かりました。
首級は両耳を穿って紐を通し、
或は魚を串刺しにするように口から喉に紐を通して持ち運び易くしてありました。
この首は、前日に斥候に出た第六師団歩兵第13連隊所属の7名の将兵であることが判明しました。
(長谷川伸『日本捕虜志』上)

清國軍の余りに残忍な行状に、明治27年9月、京城に入った山県有朋第一軍司令官は次の布告を出しています。
「(敵に対しては)軍人といへども降る者は殺すべからず。
 然れどもその詐術にかかるなかれ。
 かつ敵国は古(いにしえ)より極めて残忍の性を有せり。
 誤って生捕りに遇はば、
 必ず酷虐にして死にまさる苦痛を受け、
 遂には野蛮惨毒の所為を以て
 身命を殺害せらるるは必然なり。
 故に決して敵の生捕りする所となるべからず。
 むしろ潔く一死を遂げ、
 以て日本男児の名誉を全うすべし」

これこそ捕虜となることを禁じた我が国最初の訓令です。
「生きて虜囚の辱めを受けず」は戦陣訓の有名な言葉でが、それは1941年(昭和16年)のものです。
半世紀も前に、上の布告が出ているのです。

その一方で、「旅順虐殺事件」というものが宣伝されました。
これは明治27(1894)年11月20日、日本軍旅順を攻略した際に多数の旅順の市民を虐殺したという宣伝工作です。
これが1937年の南京事件よりも43年も前にあった、Chinaによる誇大歪曲報道の第一号です。

その誇大報道に乗せられたのが米国の『ワールド』紙です。
「日本軍は旅順陥落の翌日から四日間、
 非戦闘員、婦女子、幼児など
 約6万人を殺害し、
 殺戮を免かれた清国人は
 旅順全市でわづか36人に過ぎない」
 (道村道生『日清戦争』)

同様に英紙の『タイムズ』は、
「日本軍は無差別に200名の中国人を虐殺した」と書きました。
ところが同じく英国の『セントラル・ニュース』は
「公正な戦闘以外では1人の中国人も殺されていない」と反論しています。

事実はどうかというと、日本軍が旅順市内に侵入した際、China兵は民家の中から民間人の服装で銃撃してきたため、兵士と非戦闘者の識別は困難であったけれども、現実に後の現場検証を通じて確認できたことは、
「婦女幼児の犠牲は極めて少なく、
 女子は水中に一人
 及び途上に一人ありしのみであり、
 いづれも男子の群集に混りて倒れをれり」
という情況です。

このことについて、当時、日本の外務省が各国の駐在公使宛てに送った弁明書(原文英文)があります。
その骨子です。
1 旅順で多分必要以上の血が流されたことは確かであるが、
  外国紙、就中、ワールド紙特派員の報道は誇大かつ煽情的である。
2 旅順陥落時、清国兵は軍服を脱いで便衣に着換へ、
  一般市民に変装して秘かに武器を携へ民家に入り込み、我が軍に抵抗した。
3 旅順に残ってゐた市民は武器をとって戦ふやう命令された。
  だが、戦闘で殺された市民の大部分は実は市民に変装した兵士、
  即ち便衣兵であった。
  それは遺体検死の結果、
  彼等が平服の下に軍服を着てゐたことで証明された。
4 ある外国特派員によれば、殺された者の多くが刀傷を負ってゐるので、
  銃撃で殺された場合よりも、残酷の観を与へたとのことである。
5 しかし日本兵は、清国側の捕虜になった味方の兵が、四肢を斬り分けられ、
  生きながら火焙りにされたり、磔にされたのを目撃して激昂したが、
  軍紀を厳正に維持している。
6 抵抗せずに投降した者は虐待されることなく、
  現に旅順陥落時に捕虜となった355人の清国人は日本側の厚遇を受け、
  東京に護送中である。

更に旅順攻略後、同地行政庁の行政官になった鄭永昌の報告書によれば、
「日本軍の花園口上陸(10月24日)を聞くや、
 旅順道台(市長)は忽ち恐怖の念を起し、
 ひそかに家族と共に芝罘へ退去したため、人心は大いに乱れ、
 市民はみな財産家族を取りまとめて陸続芝罘へ遁れ、
 又は近村に移転する者数を知らず。
 China兵が旅順に駐屯するや、
 欲しいままに民家に乱入し、
 家具を破壊し、財産を掠奪せしもの少なからず、
 故に日本軍の進撃せし時は旅順市街すでに空虚なり云々」
と旅順攻略前後の状況を述べています。

当時、旅順市街の広さは約0.24平方キロです。
そこで6万人が虐殺されたとするならば、1平方キロ当りの人口密度は25万人という途方もない数字になります。
昭和60年、マンションの林立する東京23区の人口密度が1平方キロ当り1万4千弱です。
1平方キロあたり25万という数字がいかに異常かがわかります。

そしてこのことについて、明治26年から43年のあいだ日本公使を務めたアルべール・ダネタンというベルギーの公使が、事の真偽を確かめるべく調査を行いました。
そしてべルギー本国政府に対して、次の報告書を提出しています。
「旅順港において日本軍によって行われたと伝えられる残虐行為は、
 新聞報道者、特に二ューヨーク・ワールド紙の記者によって
 多分に誇張されたものである。
 私はその場に居合わせたフランス武官ラブリ子爵より直接聞いたが、
 殺されたのは軍服を脱いだ兵士で、
 婦女子が殺されたのは真実ではない。
 住民は占領前に避難、残っていたのは兵士と工廠の職工だけであった。
 日本兵は無残に扱われた戦友の死骸を見ながら、
 何とか敵を捕虜にするだけにとどめた」
(磯見辰典・黒沢文責・桜井良樹著「日本・べルギー関係史』)

このダネダンの報告が公開されることにより、Chinaの捏造情報による『ワールド』誌のウソが明らかになり、西洋社会の日本糾弾はことごとく沈静化しています。

古い話を持ち出しましたが、明治27年(1894)の日清戦争以来、日本は大陸において、Chineseからおよそ日本人の常識では考えられない残酷な暴虐と欺瞞、そして日本人こそが残虐な民族であるという捏造情報を受け続けることになりました。

典型的なものが昭和12(1937)年の通州事件ですけれど、その通州事件は、通州だけがたまたま暴虐に遭ったということではなく、同じ時期に大小約3千件におよぶ、むごたらしい事件被害を日本人は受けています。
そしてこのことは、日清戦争から大東亜の終戦まで、まる51年間、日本人に対して継続して与えられ続けたことです。

では、その相手は日本人だけだったのでしょうか。
戦後に成立した中共政府によって、その拡大版の残虐が、チベット、ウイグル、内モンゴルで行われました。
それはいまもまだ現在進行系で続いています。
他にも、天安門事件がありました。
法輪功虐殺事件はいまも続いています。
ウイグルや内モンゴルの人たち、あるいは政敵を殺して、プラスチックで屍体を固め、「人体展」と称してそれを世界中で自慢げに展示しているのはどこの国でしょうか。

日本に、大量の外国人労働力を呼び込むべきだという人たちがいます。
Chineseの観光客や移民を積極的に受け入れるべきだという人たちもいます。
人種差別は良くないという人たちもいます。
差別は良くないと思います。
けれど、まったく文化の異なる民族と無制限に関わることは、私たちの子どもたちや孫たちの未来にとって、それが本当に良い結果を招くものなのでしょうか。

いまお住いのマンションや戸建住宅の、お隣の家と、自分の家は違います。
ましてお隣さんが、過去、虐殺事件や窃盗を犯した犯人なら、一定の警戒は必要です。
そもそも、玄関にも窓にも鍵などかける習慣がなかった日本が、(国法を保管する正倉院だって、鍵は紙のお札一枚でした)、いまでは、玄関に二つも鍵をかけるようになったのは何故でしょうか。

誰だって家を守るには戸締まりをします。
お隣の家が、どんなに立派な方であったとしても、鍵はかけます。
お隣を差別しているからではありません。
あたりまえの自己防衛をしているだけです。

では、国家には、自己防衛は必要ないのでしょうか。
警戒は必要ないのでしょうか。

私たちはもっと冷静に、過去の歴史を振り返り、文化の異なる民族と無制限に関わることが本当に良いことなのか、あらためて考える必要があるのではないかと思います。


※今日の記事は、下のサイトを参考に書かせていただきました。
「正統史観年表」
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-259.html</u>">http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-259.html

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント

二番

No title
四ツ谷駅前にアルべール・ダネタン男爵の銅像を!

AN

奥が深いのが文化
文化という表層に出ているものには根と言うべき根底のこの文化を持つ民族の思想とも言えるものがある。

例えば食文化というもの、そこには美味い不味いだけでなく作法もあれば成りたり歴史があるもので、食べ物を食べ散らかす食文化との対比が出来る。
又服飾文化にしてもあの子供の便の為の服を生む文化もある。
だからそれぞれの民族の根に繋がって表面にあらわれているものが文化でもあるのでしょう。

one

No title
朝鮮独立のために、日本は戦ったのですね。勿論必要性に追われてのことだったとは思います。しかしながら、日清両国の宣戦布告文、そして1千年以上に及ぶ朝鮮からの朝貢がなくなったこと。このくらいは、我が国、韓国ともに、自国の教科書に載せてもいいと思いました。
今朝テレビをつけたら、オバマとトランプが対等に話し合っておりました。2012という映画では、白人が悪役で、黒人大統領が善人役で描かれておりました。もしこれが50年前なら、脚本家の命さえ、危うかったかもしれません。
ジャプスは猿だと本気で思われていたその時代、人種差別撤廃に対して、我が国の世界に与えた強い影響力もまた、大いに語られて然るべきだと思います。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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