ちなみに日本が生んだ世界的スターに渡辺謙さんがいますが、謙さんのご出身の新潟県北魚沼郡のあたりは、いまでこそ、魚沼産コシヒカリの大ヒットで豊かな村になりましたが、もともとはたいへんに貧しかったところで、不思議なことに、地元には謙さんのような渋目のお顔立ちをされている方が多いです。
謙さんの大ヒットで、いまでこそモテ系となりましたけれど、ひと昔前までは、醜男の産地(ごめんなさい)と悪口を言われていたものです。
けれどその醜男が、逆に男らしさに通じ、また地元の人達、これは謙さんも同じですけれど、外見ではなく、内面の心を磨くということ、心を込めて何かを作り続けるという生き方となり、その生き方が寒冷地に強いコシヒカリと出会うことで、いまや全国有数のブランド米産地として、たいへん豊かな地域となっています。
そしていまや、魚沼の男性たちは、全国的に隠れたモテ系男子となっています。
外見上の美しさというのは、女性の場合はお化粧でつくったりしますけれど、男の場合は心がけ勝負なのだと思います。
心が顔をつくる。
ところがその心が冷たくて傲慢で自己の欲望だけに忠実という自己中にあれば、外見は歪みます。
そしてそれを隠してナンパしようとすれば、自然と顔を隠そうとする意識が働き、前髪を垂らしたり、ネックウォーマーをまるで犯罪者のように深く被ったりするのかもしれません。
とにかく不思議に思うのは、普通は冬にしか用いないネックウォーマーを、アチラ系の人は、夏の暑いときにもかぶる。
実に不思議な心理だと思います。
さて、古来、なんでもかんでも、文化は半島経由で日本に渡来したのだと言いはる人がいて、そうでないことが証明されそうになると、ファンタジーでありもしない歴史を描こうとする人たちがいます。
たとえばひと昔前に大ヒットした『宮廷女官チャングムの誓い』は、16世紀初頭の李氏朝鮮王朝時代を舞台にしたドラマで、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇とうたわれていました。
韓国では最高視聴率57%を記録し、日本、香港、台湾などでも爆発的な人気を呼びました。
この番組では、登場する女官や貴族たちが実に美しい衣装をまとい、華やかでみやびな宮廷生活が営まれていたように演出されているようです。
そして不思議なことに、女官達それぞれに、ちゃんと名前もあります。
16世紀といえば、日本では上杉謙信や、武田信玄、織田信長、羽柴秀吉などが活躍した時代です。
つまり簡単にいえば日本は戦国乱世にあったわけで、これに対して、朝鮮半島ではみやびで美しい宮廷文化が営まれていた、というのが、そのファンタジーの設定です。
娯楽としてなら、それはそれで良いと思います。
ただ、そんなところにまで、対立や対抗をしなければならないというところに、たいへんに貧相な価値観が見え隠れしています。
では、実際の歴史はどうだったのでしょうか。
第一に、この時代の李氏朝鮮は、明の属国です。
第二に、ドラマで色とりどりに描かれるチマ・チョゴリは、明の皇帝に献上する女性以外は、白以外の認められていません。
そもそも染料がないのです。
ですから染料で染めた衣類を着れるのは、李氏朝鮮唯一の献上品である女性が、献上されるときだけでした。
第三に、チマ・チョゴリを女性が着用するに際し、長男を産んだ女性は、以後生涯、両方の乳房を露出して過ごす名誉(?)が与えられていました。
それ以外の女性たちは、両班の求めに応じてすぐに露出できるよう、乳は短い上着で覆うだけで、生地で巻いて隠すことが禁じられていました。
気象条件からすれば、冬場は日本と同じように半島もたいへんに寒くなります。
寒くても、両方の乳房を露出して過ごさなければならないというのは、不合理に思えますが、女性に人権はなく、ただの子を産むための子宮と考えられていたのが、中世から近世、そしてもしかしたらいまでも続く半島の価値観です。

(現実)第四に、庶民は男性も女性も名がありません。
これが女性となると王妃であっても、名がありません。
韓流ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』のチャングムは、実在の女医とされているけれど、名前のチャングム(長今)というのも、後世の字(あざな)です。
第五に、チャングム(長今)は、なるほど実在した女性ですが、その生涯については、いっさい史料がありません。
チャングム(長今)は「朝鮮王朝実録」の「中宗実録」に、「大長今」という呼び名で記されているのですが、その人物が女性であったこと、および、その事績については、中宗39年(1544年)10月に「予證女醫知之(予の証しは女医之を知る)」という、たった一行の記載があるにすぎないのです。
要するに、宮廷女官チャングムのドラマは、ただの「おとぎ話」にすぎないということです。
浦島太郎の竜宮城の物語の方が、まだ現実味があるくらいです。
実際に、この李氏朝鮮の時代の様子がどうであったのかについては、実は、朝鮮は日本よりずっと極端な鎖国政策をとっていたため、客観的に記述された史料はほとんどありません。
と、このように書くのも、やはり誤解を招きそうです。
現実の半島は、匪賊盗賊が跋扈して庶民の暮らしを常に脅かす、極めて治安の悪い土地で、李氏朝鮮王の存在も、名ばかりで、そもそも国の体をなしていない。
ソウルのあたりに、いちばん勢力のあるヤクザの親分がいたというだけのことで、庶民は人としてさえ認識されていなかったというのが、実際の姿です。
ですからそのような土地に、外国から入ってきた人がいても、あまりの臭気と醜さと汚さに、すぐに逃げ出す他なかったし、誰もがそれと知って半島に行こうとしなかったということが、言い方を変えると「厳格な鎖国体制が敷かれていた」という記述になるわけです。
この17世紀の朝鮮に関するまとまった報告といえば、1650~60年代に捕虜になっていたヘンドリック・ハメル(Hendrick Hamel)の『朝鮮幽囚記』があります。
ハメルは、オランダの東インド会社 (VOC) の書記だった人で、1653年7月(日本でいったら江戸時代の初期)に、交易船デ・スペルウェール号に乗って日本へ向かう途中、朝鮮半島南部沿岸の済州島付近で難破してしまうのです。
乗員は64名で、ハメルを含む36人が生き残ったのだけれど、彼らは済州島で直ちに捕縛され、漢陽(現在のソウル)にいる国王のもとに、めずらしい「貢物」として送られました。
そして彼らは朝鮮から出ることを禁じられ、13年間を、漢陽で過ごしています。
漢陽での日々、彼らは朝鮮から去ることは禁じられていたけれど、いくらかの移動の自由と、朝鮮社会の異なる階級と交わる自由は与えられたそうです。
その処遇は、朝鮮の一般庶民と同じものだったのですが、そのあまりのひどさに、一行のうちの2人が耐えかねて、清の使節に日本への送還を直訴したのです。
ところが、朝鮮は清使に賄賂を送ってこの一件をもみ消し、彼らを全羅道(半島南部)に送りました。
そこは、その時代から遡ること千年前には、倭国の一部だったところです。
5世紀頃までの半島南部は、きわめて文化レベルの高い土地であったのですけれど、ハメル一行は、そこが征服されて千年以上が経過した南部です。
極めて貧しい。
そんな中、1659年に南部に熱病が流行します。
たくさんの死者が出て、その結果、1660年から1663年までの間には、南部一体を飢饉が襲いました。
この情況で、ハメルらに対して、役人たちが注意を払わなくなったことから、1666年8月、その時点ですでに生存者は16名になっていたけれど、ハメルと7人の乗組員は、決死の覚悟で朝鮮から船で脱出して、日本に向かうのです。
そして五島列島で捕えられ、長崎奉行所に送られました。
日本は彼らを丁重にもてなし、彼らの健康の回復を待って、翌年にはハメル一行を帰国させました。
そしてハメルたちは、11月にオランダのバタビアに無事帰国しています。
また朝鮮国内に残った8名のオランダ人について、幕府はその引渡しを朝鮮王に求めました。
そしてその時点での生存者7名を1668年6月にひきとり、これもまた健康を回復させてオランダに送り届けています。
オランダに帰国したハメルは、東インド総督と、当時置かれていた「17人委員会」に、朝鮮幽閉当時の報告書を書き遺しました。
その報告書が、1667年、本になって出版されています。
そしてこの本こそ、実はヨーロッパで初めて朝鮮に関する詳細かつ正確な描写を紹介した本です。
本のタイトルを『朝鮮幽囚記』といいます。
そのハメルの「朝鮮幽囚記」から、李氏朝鮮時代の半島の様子を抜粋して紹介します。
ブログ用に、内容をそのままに、多少文体を変えています。
***
『朝鮮幽囚記』ヘンドリック・ハメル著
生田滋訳 東洋文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4256181253?tag=nezu34-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4256181253&adid=0NT1163EF04FVVC8SFMP&夫を殺した妻は、多くの人々が通る往来に肩まで土に埋められ、その傍に木の鋸が置かれる。
貴族以外の通行人は、彼女の首をその鋸でひいて死にいたらしめる。
過失致死を犯したものは、朝鮮では酸っぱい濁った鼻をさすような匂いのする水で死者の全身を洗うのだが、彼らはその水をじょうごですくって罪人の喉から流し込めるだけ流し込む。
それから胃の所を棒で叩いて破裂させる。
盗みは厳重な刑罰が課せられるが、盗人は非常に沢山いる。
泥棒に対する刑罰は、足の裏を叩いて、しだいに死にいたらしめるものである。
一般の人々は彼らの偶像の前である種の迷信を行なうが、
彼らは偶像よりも、自分の目上の人に対してより多くの敬意を払う。
大官や貴族らは、偶像に対し敬意を表するということをまったく知らない。
なぜならば彼らは、彼ら自身が、偶像よりも偉いと考えているからである。
大官たちの家は非常に立派だが、一般の人々の家は粗末なものである。
自分の考えに基づいて家を建築することは、一般人には許されない。
総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていない。
この国民は、妻を女奴隷と同じように見なし、些細な罪で妻を追い出す。
そして夫は子供を引き取ろうとしない。
子供は妻が連れて行く。
だからこの国は人口が多いのである。
彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、だましたりする強い傾向がある。
彼らを信用してはならない。
他人に損害を与えることは彼らにとって手柄と考えられ、恥辱とは考えられていない。
彼らは病人、特に伝染病患者を非常に嫌う。
病人はただちに自分の家から町あるいは村の外に出され、そのために作られた藁ぶきの小屋に連れて行かれる。
そこには彼らを看病する者の外は誰も訪れませんし、誰も彼らと話をしません。
その傍を通る者は必ず病人に向かってつばを吐きます。
病人を看病してくれる親戚を持たない人々は、病人を看病に行かないで、そのまま見捨ててしまう。
***
現実は、だいぶ、チャングムに描かれる世界と違うようです。
ハメルよりだいぶ時代が下りますが、1874(明治7)年、フランス人宣教師であったクロード・シャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)が、日韓併合直前の朝鮮半島の様子を『朝鮮教会史』という本にまとめています。
時代は、李朝朝鮮末期にあたります。この本でも、朝鮮の様子がきわめて詳細に綴られています。
***
『朝鮮事情』シャルル・ダレ著
金容権訳 東洋文庫
https://www.amazon.co.jp/dp/4256183353?tag=nezu34-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4256183353&adid=135F3WWQV38CDGM27NWR&この山国では、道路と運輸機関とが極端に不足し、それが大規模な耕作を妨げている。
人々は、各自の家の周囲とか手近なところを耕作するだけである。
大部落はほとんど形成されず、人々は3、4軒、多くてせいぜい12~3軒ずつ、固まって散在している。
年間の収穫は、住民の需要をかろうじて満たす程度であり、しかも朝鮮では、飢饉が頻繁にみられる。
1637年に締結された条約は、清に対していっそう屈辱的な従属関係のものとなった。
朝鮮国王は清国皇帝に対して、たんに叙任権を求めるばかりでなく、身分上の直接の権限、すなわち主従(君臣)関係まで承認を求めなくてはならなくなった。
朝鮮の王宮は、パリの少しでも余裕ある年金生活者でも住むのを嫌がるようなつまらない建物である。
王宮は、女と宦官で充ちている。
ソウルは、山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁にかこまれた人口の多い大都市だが、建築物には見るべきものはない。
かなり広い、いくつかの道路を除いては、曲がりくねった路地だけであり、この路地には空気も流れることなく、足にかかるものといえばゴミばかりである。
家はふつう瓦で覆われているが、低くて狭い。
官吏の地位は公然と売買される。
買った人は、当然その費用を取り戻そうと努める。
そのためには体裁をかまおうとしない。
上は道知事から最も下級の小役人にいたるまで、徴税や訴訟やその他のすべての機会を利用して、それぞれの官吏は金をかせぐ。
国王の御使すらも、極度の破廉恥さでその特権を濫用している。
朝鮮における学問は、全く民族的なものではない。
読む本といえば中国のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、大学者が信奉している哲学体系は中国のものである。
公開試験(科挙)は、最も学識があり最も有能な人に学位免許状が授与されるのではなく、最も多額の金を持った者や最も強力な保護者のいる人びとに対してのみ与えられている。
朝鮮の貴族階級は、世界中で最も強力であり、最も傲慢である。
他の国々では、君主、司法官、諸団体が貴族階級を本来の範囲内におさえて、権力の均衡を保っているが、朝鮮では、両班の人口が多く、内部では対立しているにもかかわらず、自分たちの階級的特権を保持し拡大するために団結することはよく心得ており、常民も官吏も、国王すらも、彼らの権力に対抗することができないでいる。
朝鮮においても、他のアジア諸国と同じように、風俗は甚だしく腐敗しており、その必然的な結果として、女性の一般的な地位は不快なほどみじめで低い状態にある。
女性は、男性の伴侶としてではなく、奴隷もしくは慰みもの、あるいは労働力であるにすぎない。
朝鮮人は一般に、頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。
子供たちは、ほとんど懲罰を受けることもなく成長し、成長した後は、男も女も見さかいのないほどの怒りを絶え間なく爆発させるようになる。
不思議なことに、軍隊は概して非常に弱い。
彼らは重大な危機があるとさえ見れば、武器を放棄して四方へ逃亡することしか考えない。
朝鮮人は、金儲けに目がない。
金を稼ぐために、あらゆる手段を使う。
彼らは、財産を保護し盗難を防ぐ道徳的な法をほとんど知らず、まして遵守しようとはしない。
しかしまた、守銭奴はほとんどいない。
いるとしても、富裕な中人階級か商人のあいだにいるにすぎない。
この国では、現金の2、3万フランもあれば金持だといわれる。
一般に彼らは、欲深いと同時に、無駄づかいも多く、金を持てば余すところなく使ってしまう。
朝鮮人のもう一つの大きな欠点は、暴食である。
この点に関しては、金持も、貧乏人も、両班も、常民も、みんな差異はない。
多く食べるということは名誉であり、会食者に出される食事の値うちは、その質ではなく、量ではかられる。
したがって、食事中にはほとんど話をしない。
ひと言ふた言を言えば、食物のひと口ふた口を失うからである。
そして腹にしっかり弾力性を与えるよう、幼い頃から配慮して育てられる。
母親たちは、小さな子供を膝の上に抱いてご飯やその他の栄養物を食べさせ、時どき匙の柄で腹をたたいて、十分に腹がふくらんだかどうかをみる。
それ以上ふくらますことが生理的に不可能になったときに、食べさせるのをやめる。
朝鮮の家屋は、一般に、非常に小さく不便である。
台所の煙を送りだす煙突を下に通す必要上、地面よりも少し高く建てられているが、しかしソウルでは、必ずしもこの方法が一般的とはなっていない。
これは、冬場をしのぐにはかなり便利であるが、夏場になると、熱気が屋内にこもって、まるで人びとに耐えがたい体罰を課していると同じような状態になるからである。
で、おおかたの人は戸外で眠る。
衣服は、白衣ということになっているが、しかし、ちゃんと清潔さを保っているのはとても労力のいることなので、たいていの場合、濃厚な垢のため色変わりしている。
不潔ということは朝鮮人の大きな欠陥で、富裕な者でも、しばしば虫がついて破れたままの服を着用している。
朝鮮人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。
この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。
商取り引きにおけるもう一つの障害は、交通路のみじめな状態である。
航行の可能な河川は非常に少なく、ただいくつかの河川だけが船を通すが、それもごく制限された区域の航行が許されているだけである。
この国は、山岳や峡谷が多いのに、道路を作る技術はほとんど知られていない。
したがってほとんどすべての運搬が、牛か馬、もしくは人の背によって行われている。
政府は、おのれの保持のためには必要であると信じているこの鎖国を、細心に固守しており、いかなる利害や人道上の考慮をもってしても、これを放棄しようとしない。
1871年、1872年の間、驚くべき飢饉が朝鮮をおそい、国土は荒廃した。
あまりのひどさに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に一人当たり米一升で売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東にたどりついた何人かの朝鮮人は、むごたらしい国状を図に描いて宣教師たちに示し、「どこの道にも死体がころがっている」と訴えた。
しかしそんな時でさえ、朝鮮政府は、中国や日本からの食料買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。
アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。1860年から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。
これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。
***
で、ロシアが南下して朝鮮を併合すると、日本は安全保障上問題があるから、やむなく日本は日韓併合を行ったのです。
どうも日本では、江戸から明治・大正・昭和初期の歴史は実際にありもしないほど酷く描写され、一方で韓国の歴史については、実際にあったものより数段、というより、数万倍美化して語られる傾向があるようです。
歴史は、政治的に歪めて見るものではありません。
学ぶためにあります。
そのためには、事実から目を背け、歴史を歪曲し、ねつ造し、政治的な印象操作をするのは論外です。
ファンタジーはファンタジーでしかありません。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
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2016/12/07 URL 編集
ポッポ
日本のドラマでは、例えばNHKの大河ドラマで2012年の「平清盛」のとき、物語の舞台となる兵庫県の井戸敏三知事が1月10日の記者会見で「画面が汚くチャンネルを回す気にならない」「もっと華やかで生き生きした清盛を」「ドラマの人気で観光に影響が出る」と批判しました。
すると、神戸市の矢田立郎市長は1月11日の記者会見で「実際の時代背景、当時の状況も考慮したセットを使っており、制作側の一貫した思いがあると思う。違和感はなかった」と発言しました。
日本人の真実に対する感覚と、韓国人の嘘でも何でも良いように見せれば良いとの差が如実に表れます。
困るのは、韓国人はこの嘘で作られたものが本当だとして、これを歴史認識とすることです。
ですから、韓国人に歴史を語る資格はないのです。
今年はなかったようですが、世界遺産の登録についてを申請するときに、韓国と協調するときには気を付けなければならないと思います。
間違っても、取引をしてはいけないと考えます。
2016/12/07 URL 編集
匿名希望
田舎でも多々見受けられますが、最終的にはお互いに辛抱すること(天災、人災)があると結束する。
いた仕方がないですね。
2016/12/07 URL 編集
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最後の方の豆知識的なコーナーで「倭寇の被害があった記録がある地域」の地図が出てきて
北朝鮮の内陸の方にまで印がついてたのは笑ってしまったな
海賊じゃなくて山賊じゃん!ってね
2016/12/07 URL 編集