★次回倭塾は12月24日13:30開催です。
この日は、今年最後の倭塾なので、ちょっぴり特別なイベントが開催されます。
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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)以下は、先週の月曜日に配信した「ねずさんのメールマガジン(有料版)」に掲載したお話です。
私なりの古典を読むときに気をつけているポイントをまとめています。
ここにまとめたことは、古書の読み方として、かつてはごくあたりまえのことであったものと思います。
ただ「理論的に考える」とはいっても、読み解きのための情報が不足していれば、理解し得ない場合もあるわけです。
そういう点について、鴨長明は、「わからないところは、わからないまま、そういうものだとしておきなさい」と説いています。
人類の科学や文明が進まなければ読み解けないところもあるからです。
ただ、そうはいっても、表面上に書いて有ることだけがあたかも真実であるとする姿勢は、疑問だと思います。
表面上に書いて有ることは、いろいろなことへの配慮から、婉曲な言い回しをしていたり、あるいは故意に隠したり、あるいは単に比喩(たとえ話)だったりもしているわけです。
そこをちゃんと見極めて読まなければ、これは「書を読んだ」ことにならないのだと思います。
書いて有ることがことごとく真実なら、南京虐殺はあったと書いている本があれば、それは真実になってしまいます。
ですから「どこかに書いてなければ論説といえない」というのは、非常に悪質な政治的プロパガンタです。
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【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第35回 2016/12/24(土)13:30〜16:30 第4/5研修室第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
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古典を読むポイント
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前回のメルマガで、次回は「淤能碁呂嶋とは何を意味しているのでしょうか」と前フリさせていただきました。
そのお話に入る前に、すこし「古典を読むポイント」についてお話してみようと思います。
ポイントは3つです。
一 言葉のひとつひとつをしっかりと読み解く
二 行間を読む
三 理論的に思考する
古事記でも、和歌でも同じなのですが、やはりまずは「理論的に思考する」ことなのではないかと思うのです。
たとえば、八岐大蛇(やまたのおろち)といえば、頭が八つある大蛇だというのですけれど、古代において八というのは神数で、「かぞえきれないほどの多数」という意味があります。
ということは、単純に考えれば、八岐大蛇は、胴体がひとつで、頭と尻尾が数え切れないくらいたくさんある蛇、ということになってしまいます。
「あるわけねーだろっ!」と決めつけてしまうのは横暴であり傲慢です。
といって、「神様ごとなのだから」と、文字通りに解して思考停止に陥るのも、それはそれで大切なことだとは思いますが、やはり残念な姿勢だと思います。
もちろん、どうしても理解できないとき、わからないときは、それはそれで「わかるときがくるまで保留にしておく」という態度も大切だと思います。
中途半端に勝手な解釈をして、古からの何千年と続く日本の智慧をかえって貶めることになってしまうことは、それは決して許されないことであると思うからです。
けれど、たとえば古事記なら、大和言葉や上古の言葉(これを縄文語とか弥生語と解説する人もいます)が、仮に失われてしまったとしても、China漢字を手がかりとして、それを読み解くことができるようにと、昔の人がちゃんと配慮して記述をしてくれているのです。
あるいは和歌なら、歌の前に付された詞書や、歌の前後の順番、歌人の名前の書き方(役職名か個人名かなど)、随所に、その本意を解き明かすためのヒントを散りばめてくれているのです。
そういうことを読み解きの手がかりとして、決めつけではなく、理論的に推論していく。
それが、おそらくは「行間を読む」ということなのではないかと思います。
つまり、あるわけないだろうと思えるような記述があったときは、そのこと自体はもしかしたら何かの比喩かもしれないと謙虚に考え、別な何かを言わんとしているのではないかと誠実に推し量りながら、語句の一字一句を慎重に解きほぐして真意を探っていく。
そういうことが、おそらく古典を読むときに大切なことなのではないかと思うのです。
以前にも書いたことがありますが、明治のはじめくらいまでは、日本人の書く文書に「、。」などの句読点はありませんでした。
「が」とか「ぱ」のような濁点や、破裂音符号もありません。小さく書く「っ」のような書き方もありませんでした。
漢文にせよ、和文にせよ、続き文字でぞろぞろと文がずっとつながっていました。
ということは、読む側は、文中の単語がどこで途切れるのか、それは濁音なのか破裂音なのかなどを、一字一句、考えながら読まなければならないものとなっていたわけです。
こうした日本語の文章の記述に、「、。゛゜」などの符号が付けられるようになったのは、明治の初期に日本にやってきた外国人の通訳が、日本語の表記はむつかしいからと、英語にある「,」や「.」を加えるように時の政府に薦め、また、「〜か」と書いてあるけれど「が」と読むのだと言われて、「それじゃあわからんから、何か符号を付けよ」と言われたことがきっかけです。
これによって、なるほど文章は、読みやすくなりました。
けれど、同時に、何百年、何千年の間、日本人が文章を書いたり読んだりするときに大切にしてきた何かが、そこで失われました。
その失われたことの最大のものが、「読む」ということです。
それは、単に、文字を読む、書いてあることを読むということではなくて、書いてあるに想像力や推理力、洞察力を働かせながら「読む」ということです。
このことを「行間を読む」と書かせていただいているわけですが、このことは、我が国においては、古来、ものすごく大切にされてきたことです。
例を申し上げます。
真剣を持った果し合いです。
日本刀は、触れただけで、吸い込まれるように斬れてしまうほど、精巧なものです。
ですから勝つためには、あらかじめ相手の動きを読み、その太刀筋を紙一重で見切って、相手に打ち込むという技が必要です。
西洋や大陸では違います。
剣と盾が常にセットです。
剣は、いちおうは歯がありますが、むしろその精度や使い方は、単なる鉄の棒を振り回すことと代わりがありません。
ですからやたらに振り回すし、これを受けるための盾が、常に剣とセットにされています。
歯がよく切れるものである必要すらないのです。
むしろその歯は、打ち据えられて抵抗力を失った相手の耳を削いだり、首を切り落としたりするために必要なものであり、戦いそのものに際しては、先の尖った金属の棒であることが優先していました。
戦いにおいては、相手の動きを読むというより、力と体力で打ち据えることが優先されました。
ところが日本では、刀は精巧な工芸品です。
めったやたらに振り回して、刀に傷をつけたら、ご先祖様に申し訳がたたない。
ですから、刀と刀が触れることさえも嫌い、相手の攻撃をかわして斬る、という技が磨かれました。
この日本人の戦い方は、東亜社会では最も恐れられた戦い方で、だから古来、倭人を名乗るだけで、相手は恐れおののくということが発生し、日本人にまったく関係のない、日本人の名を騙った倭寇が、半島から大陸にかけての海岸沿いの諸国を荒らし回っています。
いまでもどこかの国では、悪いことをして捕まったら「私は日本人です」と名乗れと言われているそうですが、彼らのそういう習慣は、いまに始まったことではないのです。
千年前からまったく変わらない。
西洋では海賊と呼ばれた連中が、東洋では倭寇と呼ばれていたわけです。
どれだけ倭人たちが強いという評判を勝ち得ていたか、ということです。
そしてその強さは、単に道具の良さというだけでなく、やはり、相手の動きを「読む」という技術をとことん磨き上げた中にあったということができようかと思います。
いささか、よくないたとえになってしまいました。
いずれにしても、相手の心を読むという文化は、そのまま思いやりの文化にも相通じます。
自分さえ良ければ良いということではなく、他人様の思いを忖度し、自他の関係の中で、互いに思いやりをもって生きていく。
それが日本社会の底流をなしていたと思うのです。
だからこそ、文書にしても、日頃から、行間を読むという鍛錬が求められたし、それが型となったし、和歌の文化なども生まれたのだと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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