
←いつも応援クリックをありがとうございます。

(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)歳末といえば、いろいろな支払いに追われて、お金がいろいろと忙しくなる時期でもあります。
そこで今日はお金のお話をひとつしてみたいと思います。
我が国では、いま一万円札や千円札のような「お札(紙幣)」と、10円玉や100円玉のような「ジャリ銭(コイン)」の二種類があることは、みなさま御存知の通りです。
そのお札をよく見ると、そこには、
「日本銀行券」
と書いてあります。
一方、ジャリ銭(コイン)の方は、これまたよく見ると
「日本国」
と書いてあります。
これが何を意味しているかというと、いま日本国内で通用している貨幣(お金・通貨)は、
「日本銀行が発行するお札(銀行券)」と、
「日本国政府が発行しているコイン(貨幣)」の二種類があるということです。
ではどうしてその両方のお金を政府が発行しないのでしょうか。
明治のはじめには、実は明治政府がお札を発行していたのです。
それが冒頭の写真です。
中央に一円紙幣に「大日本帝国政府紙幣」と大きく書かれています。
発行者の名前も、画面左側に「大蔵卿」と赤く書かれています。
【倭塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第36回 2017/1/14(土)13:30〜16:30 第4/5研修室第37回 2017/2/26(日)13:30〜16:30 第4/5研修室第38回 2017/3/18(土)18:30〜20:30第4/5研修室【百人一首塾】(江東区文化センター)
〒135-0016 東京都江東区東陽4丁目11−3
第11回 2017/1/19(木)18:30〜20:30 第三研修室第12回 2017/2/ 9(木)18:30〜20:30 第三研修室第13回 2017/3/23(木)18:30〜20:30 第三研修室
ところがこうした政府発行紙幣は実は信用がない。
これは世界中どこでもそうです。
なぜなら、政治は色物で、色はコロコロと変わります。
また、政治の都合で、紙幣をガンガン印刷することもあるわけです。
なにせただの紙ですから、原価はしれています。
A5版にも満たない小さな紙切れ一枚で、何万円もの価値を創造できてしまうのです。
ある意味、危険極まりない。
徳川幕府は、そうした貨幣の信用のなさを、金(gold)で裏付けていました。
つまり、金(Gold)を使った大判小判を用いることで、幕府の信用だけでなく、金(Gold)の持つ信用をそこに重ねることで、安定した通貨の供給をしていたわけです。
ところが幕末に、日米和親条約の細則によって、日本から金(Gold)が大量に米国に流出しました。
慌てて幕府は、金の含有量の少ない万延小判を発行することで、この流出に歯止めをかけました。
するとこんどは、幕軍と薩長軍に分けて国内に内戦を仕掛けられ、米国の南北戦争の余り物の中古の軍服や銃や大砲、弾薬を幕軍、薩長軍両方が買わされました。
結局、この「洋式装備」という、ひらたく言うなら南北戦争のときの南軍から没収した中古の装備を、戊辰戦争という内戦のために大量に買わされた日本は、うまく行けば、南北戦争並みに、国が傾くくらい、ドロドロの泥仕合を繰り広げ、それこそ「ケツの毛まで」むしられるほど、装備を買わされるところでした。
要するに、日本の幕府をうまく騙して金(Gold)を大量に日本から吐き出させたけれど、それに日本が気がついてしまったので、今度は、内戦を煽って、仕入れがタダの南軍の装備を日本に買わせることで、もっと日本から金(Gold)を吸い上げようとする策略に、しっかりと日本はハマってしまったわけです。
だいたい世界において、内戦というものは、ドロドロの泥仕合になります。
南北戦争だって、両軍合わせて死傷者90万人です。
ところが日本は、西郷どんと勝海舟が会談して、いともあっさりと江戸城が明け渡され、内戦が終わってしまった。
一部会津の抵抗や、函館の五稜郭の戦い、その他地方ごとに戦いは続いたけれど、南北戦争のような国を二分したドロドロの戦いは回避されてしまったのです。
日本に底なしに戦時用品を売ろうと思っていた米英仏は、おもいきり拍子抜けです。
けれど日本にしてみれば、その戊辰戦争までの間に、通貨の裏付けとなる金(Gold)がすでに大量に国外に流出しているわけです。
だから明治新政府にはお金がない。
そこで明治新政府が、新紙幣を発行しました。
これが征韓論が湧いて西南戦争があった翌年の明治11年です。
そのときの紙幣が、冒頭の紙幣で、絵柄が三韓征伐を行った神功皇后です。
要するに時の明治政府は、征韓論に湧く国内世論に、神功皇后を描いたお札を発行することで答えたのです。
ところが、そこまでしたのに、政府紙幣に信用がない。
なぜなら明治政府に金(Gold)がないからです。
ですから両替屋さんたち(いまでいう銀行)が、政府発行紙幣を額面で受け取ってくれないのです。
そこで、政府に信用がないのなら、今風に言うなら
「では、第三者機関を作って、そこにやらせよう」
ということになってできたのが、明治14年の日本銀行の創設です。
日銀は、翌明治15年に開業し、明治16年には政府や、それぞれの銀行が独自に発行していた通貨を全部額面で回収し、明治17年には、日本に残った「銀」を用いて、日本銀行兌換紙幣を発行します。
つまり金(Gold)はないけれど、銀なら手元にあるから、その銀を裏付けにした紙幣を発行したわけです。
そしてこれによって、日本の通貨はようやく安定を迎えました。
ちなみに、この「明治政府発行通貨に信用がなくて額面の半値程度でしか両替商が扱ってくれない」という時代に、せっせと政府発行紙幣を安値で集めていた男がいます。
岩崎弥太郎です。
日銀がその紙幣を、額面で買ってくれるということになったとき、これで弥太郎は大儲けして、時の財閥となりました。
こうしてできたのが三菱財閥です。
誰もがこれを、「岩崎弥太郎は先見の明があった」といいます。
違います。
弥太郎は、金(Gold)やシステムのもたらす信用より、「約束を守るという日本という国と日本人」を信じたのです。
そしてそのことが、三菱の大財閥を生んでいます。
昨今、三菱グループは、何かと叩かれていますけれど、その国を信じ、民族を信じるという創業精神がいつのまにか失われ、「儲け」が重視される体質になってしまったことが、ひとつの原因かもしれません。
困ったときは、創業精神に帰れ、は、古くて新しい言葉です。
頑張っていただきたいと思います。
というわけで、いまも日本では、日銀が紙幣を発行し、政府は補助通貨としてコインを発行するという住み分けが行われています。
お手元のお札や、コインを見たときに、そんなお話をお子様やお孫さんたちにお正月、してあげたらいかがでしょう。
「先輩たちに、いろいろな苦労があったんだね」
その苦労の上に、いまの日本があるのだということを知っていただく、良いきっかけになるかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。


【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

コメント
コロリン
やっぱり日本人の心です。
世界を救えるのは、日本人だけかも知れませんね。
2016/12/29 URL 編集
ポッポ
政府に信用がないとき、発行される紙幣は幾ら高額に設定しても、その国において政府が思うような価値として認識されず、紙切れにされます。
今の日本は金の産出に恵まれませんが、その紙幣の価値は日本全体で保障していると思いますと、何か嬉しくなるような気持ちになりました。
ところで、財務省は12月26日に、昭和天皇在位60年の1万円記念銀貨を偽造した銀貨が約250枚見つかったと発表しました。
この偽造通貨、大きさや重さは本物と変わらず、形状は本物といくつかの点で異なるそうですが、材質は不明です。
偽造通貨は、製造コストで引き合わない犯罪とされていますが、この日本で偽通貨とは久し振りです。
思わず、500円硬貨に重さを合わせた500ウォンを、思い出しました。
2016/12/27 URL 編集