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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)パンの中に小豆餡が詰まった「あんぱん」は、菓子パンの定番です。
この「あんぱん」、西洋生まれの普通のパンと異なり、実は正真正銘日本生まれの日本育ちです。
パンもあんも日本流なら、帝国陸軍とは深い因縁で結ばれているパンでもあります。
どうして日本式なのかというと、西洋式パンは、ビールと同じホップを用いたパン酵母を使って作られるのですが、あんぱんは、日本酒に使う酵母の麹を使って作られているのです。
実はこれは、パン作りに和菓子の饅頭の皮の製法を取りいれたものです。
ですからパン自体がアンコの味によく合います。
だから飽きずに食べれる、あの美味しいあんぱんになります。
「あんぱん」が日本で最初に発売されたのは、明治七年のことです。
発明したのは、木村安兵衛(きむらやすべえ)という茨城県牛久生まれの武士です。
藩が幕府側だったことから明治維新後、すぐに藩が解体され、家は碌を失ってしまう。
このときす安兵衛はすでに五十五歳でした。
当時としては結婚の遅かった安兵衛は、この時点でまだ子供も幼かったのです。
生活に困った安兵衛は、本家筋を頼って江戸に出ました。

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そしてようやく決まった職業が「東京府職業授産所」の職員でした。
名称が「授産所」となっていますが、女性が子を産むお産ではなく、当時巷にあふれていた失業した元武士たちに職を世話したり、手に職をつけさせるための職業訓練をしたりするところを、そのように呼んだのです。
安兵衛はそこで事務職を勤めました。
そこでたまたま、長崎でオランダ人宅のコックを務めたという梅吉という人物と出会いました。
そして「パン」というものの存在を知りました。
これからの日本は文明開化の時代になると考えた安兵衛は、明治二年、妻のわずかな蓄えを元手にして、いまの新橋駅あたりにパン屋「文英堂」を開きました。
当時の新橋は人通りの多い一大繁華街です。
文英堂の「文」は、妻の名前の「ぶん」、「英」は、息子の名前の「英三郎」からとった名前でした。
場所もいい。
店の名前もいい。
商品も画期的である。
これで成功間違いなしと思ったのもつかの間、開店間もない「文英堂」は、この年の大火で、全焼してしまうのです。
あっというまに安兵衛一家は全てを失ってしまいました。
無一文です。
しかも安兵衛の年齢も年齢です。
もはや後戻りができる年齢ではありません。
なにもかもなくなって、もはや一家心中するしかない、というところまで追いつめられて、それでもなお、子や妻のために生きなければと奮起しました。
息子の英三郎も、パンの作り方を覚え、なんとかしてパン屋を再開したいと言ってくれました。
安兵衛は落ち込む心を振り切り、ようやく銀座の煉瓦街の裏通りに小さな店を借りた。
いまでこそ銀座煉瓦街といえば大繁華街である。
けれど明治三年当時の煉瓦街は、一種の倉庫街であり、人通りもまばらです。
場所がよくないのです。
商品を作って店頭に並べておけば売れるという立地ではありません。
朝早く起きて、店でパンを焼き、昼間はそれを親子三人で担いで行商に歩きました。
疲れきった体で帰宅すると、夜な夜な美味しいパンを作ろうと開発に努力しました。
安兵衛は、最初はとにかくふっくらして柔らかなパンを作ろうとしました。
ようやくできあがったそのふっくらパンを食べた客は、誰もが美味しいと喜んでくれました。
しかし当時の日本には、まだパンを食事として食べるという習慣がありません。
まだお菓子のうちでした。
その日本で、もっとみんなが好きになってくれるパンにするためにはどうしたらいいか。
明治七年、安兵衛は、パンの製法そのものを、ホップではなく、米麹を使った和風テイストのパンにすることを思い立ちました。
そして、そのパンの中に小豆あんを入れたパンを開発しました。
それは、これまで味わったことのない新しい食感のパンでした。
安兵衛はこのパンに「あんぱん」と名前をつけました。
ある日、評判を聞きつけた山岡鉄舟がこの店にやってきました。
鉄舟は安兵衛の和風パン「あんぱん」にいたく感動しました。
そして鉄舟は、明治天皇が水戸家へ行幸される折に、陛下にこの和洋折衷の米麹あんぱんを献上してくれました。
明治天皇は「あんぱん」がとてもお気に召され、皇后陛下は特に愛され、「あんぱん」は引続き上納の栄を賜ることになりました。
なんと安兵衛の木村屋は、なんと宮中御用商に加わったのです。
明治十年、西南戦争が起こると、明治新政府は、このあんぱんを陸軍の軍用食として採用しました。
陸軍は木村屋から大量のパンを仕入れました。
軍を通じ、米麹を使ったあんぱんは、またたく間に全国に普及しました。
そしてあんぱんは、ついに日本人の常識商品になりました。
安兵衛の店も多いに繁盛しました。
そしてついには大店(おおだな)になりました。
それが今に続く銀座木村屋総本店です。
いま、日本はたいへんな経済苦の中にあります。
ボーっとしているのは、平和ボケした国会議員と、倒産寸前にありながら高給を食んでいるマスコミの社員とパチンコ屋くらいなものです。
けれど、こうした苦しい時こそ、日本人の真価が発揮されるのです。
どんなに苦しくても、明るく朗らかに、未来を信じて戦う。
それが日本人です。
天は、木村安兵衛に、あんぱんという報酬を与えました。
木村屋総本店はいまも老舗として立派に営業しています。
けれど、その背景には、明治維新でなにもかも失い、ようやく出したお店まで火事で失い、年齢も当時としてはもう、とっくに引退しているような年齢で、それでもがんばりぬいた安兵衛の姿があります。
安兵衛は苦労に苦労を重ねても、明るさや家族への愛を忘れず、けっしてくじけたり、いじけたりしませんでした。
そして安兵衛が、そういう心がけの男だから、鉄舟が見出し。明治天皇が見いだしてくれました。
そして陸軍が常備食として採用してくれ、木村屋に未来が拓けました。
あんぱんを食べながら、苦しいときこそ、めげずくじけず、明るく清く、せいいっぱい働き、未来を信じて生きる、それが日本人なのだと強く思う次第です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
ポッポ
菓子パンも好きで食べるのですが、ジャムパンやクリームパン、カレーパンも好きです。
でも、結局は一番おいしいと思うのは、あんパンです。
木村屋さん、ありがとうです。
2017/01/20 URL 編集
ミルティリおばさん
もう何十年も頂いていませんが美味しいです。
この間、頂き物のこし餡を使って
お持ち代わりにイタリアの小麦粉を練って炒め、
頂いてみました。
美味しかったです!
2017/01/20 URL 編集
一有権者
それを残し伝える為にも今を生きる日本人は中共や南北朝鮮の反日工作に勝たねばなりません。
それにしても日本国外務省は日本国と日本人に仇なす省庁か。?何故一時帰国の対応をした駐韓大使と釜山総領事を早く帰任させたいのか。?
本当に名前を害務省に変えたらどうか。?その方がすっきりするわ。!(怒)
自分達が優秀なエリートと自負しているのだろうが、はっきり言ってただの専門馬鹿であってそれも事なかれ主義の売国奴と呼ばれても仕方がないだろう。!
2017/01/20 URL 編集
ばいばいき~ん
銀座に煉瓦街が登場するのは明治6年(1873年)。前年の大火で丸焼けになった銀座を再生するに当たって、不燃都市建設のために煉瓦家屋を建てたのでした。なので木村屋は銀座でも店を焼失しています。
現在の銀座木村家・銀座本店は銀座和光の並びですが、煉瓦街に再建された店は現在の三越がある場所。同じ住所で平野豊次郎が煉瓦街入居第一号として平野茶屋(平野園)を創業しており、こちらは抹茶アイスクリームの発祥だそうです。
写真にある「木村家」暖簾の文字は、山岡鉄舟の筆によるもの。当時から屋号は「木村屋」だったはずですが、看板の文字が「家」になった理由は不明です。
2017/01/20 URL 編集
にっぽんじん
企業の中には健全な企業もあれば不健全な企業もあります。提携先を選ぶのは企業の勝手です。が、不健全企業を提携先に選べばその先行きは怪しくなります。
パソコン大手として成長していた富士通が韓国などの企業に押されて苦心しています。私は富士通のパソコンが好きで使っていました。その富士通が提携先として中国のレノボを選択したのです。
提携は自由なので反対はしません。が、私は中国製のパソコンは信用していません。信用していないのは品質のことではありません。機密情報の保護の問題です。
アメリカ政府は中国企業のIT製品の使用を禁じています(民間人は別)。理由は機密情報が洩れる可能性が高いからです。私は1民間人なので大した個人情報はありません。が、自分のパソコンが不正使用されるかわからないから怖いのです。
富士通は日本の健全な企業だから問題はありません。が、提携相手が中国のレノボとなると今までと同じ目でみることはできません。
この杞憂は私だけかもしれないが、企業が提携先を選択するときには規模よりも「信用」が大事ではないでしょうか。
2017/01/20 URL 編集
古格
2017/01/20 URL 編集