遮光器土偶(亀ヶ岡遺跡から出土)

これは遮光器土偶といって、目玉が横線になっていたり、着衣が妙に膨らんでいたり、細かな絵柄が描かれていたりすることから、飛来した宇宙人を象ったものではないかとか、ガンダムのような古代ロボットに違いないとか、いろいろなことが言われています。
想像力がかり立てられるのは、とても楽しいことだと思います。
この遮光器土偶は発見も早くて、江戸時代の初期(1622年)にまでさかのぼります。
たまたま津軽藩の二代目藩主が城をそこに築こうとしたら、丘から大量の土偶や土器、甕(かめ)などが出土しました。
この土偶もそのときに発見されたもので、発見されたときは五体がバラバラでしたが、それを組み合わせて復元したのが、写真の遮光器土偶です。
ちなみに、丘(岡)から甕(亀)が発見されたので、発見場所は「亀ヶ岡遺跡」と名付けられています。
分かりやすいです。
場所は青森県つがる市です。
残念なのは、昔は遺物の保存や保管が大切なものとは、あまり認識されていなかったため、遺跡から発掘された多くの遺物が持ち出されてしまいました。
遠くオランダにまで売られて行ったものも少なくないそうです。
散逸した遺物は、一万点以上ともいわれています。
実は、縄文時代の土偶というのは、日本国内でものすごくたくさん出土しています。
すでに発見されているものだけで約1万5千体です。
実際に作られた土偶は、おそらく3千万体以上であろうといわれています。
その中でもっとも古いとされている土偶が、平成22(2010)年に滋賀県東部にある相谷熊原遺跡で発見されました。
今から約1万3千年前の縄文時代草創期のものです。
下の写真がそれです。
最古の土偶(粥見井尻遺跡)

高さ3.1センチ、幅2.7センチ、重さ14.6グラムのこの土偶は、女性の胴体部分のみを表した見事な造形です。
1万年前といえば、ヨーロッパでは、まだ旧石器時代です。
それより三千年も古い時代に、日本ではなんと土偶が作られていたわけです。
下の写真は、長野県茅野市の棚畑遺跡から出土した、いまから約四千年前の土偶です。高さは二七センチあります。
この土偶も冒頭の西ノ前遺跡の土偶と同じく、美しい風姿から「縄文のビーナス」と呼ばれています。
縄文のビーナス(茅野市尖石縄文考古館所蔵)

胸があり、お尻が豊かに張り出しています。
そして、ちょっとお腹も張り出しています。
そういえば遮光器土偶も、乳があり、お腹が張り出しているように見えないこともありません。
実はこのことが、そもそも
「土偶が何のために作られたのか」
ということと、密接に関係しています。
土偶の特徴は、体つきがリアルなわりに、顔がなかったり、かなりデフォルメされていることが、まず挙げられると思います。
そしてさらに大事なことは、完全体で発掘される土偶は非常に珍しいという点です。
土偶は明らかに意図的に割られ、バラバラな状態で、しかも同じ遺跡の中で各所に分散して埋められているのです。
しかもそれが縄文期を通じて3千万体も作られたであろうことが分かっているのに、その用途は不明といいます。
土偶が何に使われていたかについては、さまざまな説があります。
中にはそもそも土偶は男なのか女なのかという議論もあり、それぞれの学者さんたちの論説はたいへん面白いものです。
土偶の用途について、私がなるほどと納得させられたのが、
「妊婦身代わり説」
です。
土偶は、どれもがすぐにそれと分かる女性像です。
乳房があり、お尻が張り、中には女性器が刻まれていたりするものもあり、そして何より、ほとんどの土偶のお腹が大きいのです。
つまり土偶は、妊婦なのではないかというのです。
女性の出産は、とてもたいへんなことです。
現代では、かなり安心して子供を産めるようになりましたが、いまから何千年も前の縄文時代では、なかなかそうはいきません。
母体も子供もどちらも無事なまま、見事、元気に生まれてきてもらいたい。
その思いは、昔も今も変わるものではありませんし、たいへんに切実な願いであったことでしょう。
そして妊婦姿の土偶が、意図的に破壊され、埋められたということは、妊婦の身代わりとして、土偶にあちらの世界に行っていただいたのではなかろうか、というのです。
つまり土偶は妊婦の「身代わり人形」だったというわけです。
女性が妊娠したら、その女性を型取った土偶(人形)を一体用意します。
あまりリアルに作ったら、神様が間違えてホンモノの母体のほうを連れて行ってしまうかもしれません。
ですから、人形はデフォルメされた形にします。
そして、神様の捧げものとして、土偶を破壊して埋め、身代わりにあちらの世界に行っていただく。
そうすることで、母体や胎児の安全が図れると縄文時代の人々は考えていたのではないでしょうか。
土偶が装飾されていたりすることも、神様への捧げものであると考えればうなずけます。
実際いまでも、「お守り札」などは、中に板が仕込まれていて、何かのときに身代わりに割れることで、それを所持する人の命を守るとされているものがあります。
日常の安全祈願でさえそうなのです。
まして生涯の一大事である出産です。
そして女性の出産のために、これだけたくさんの土偶が作られていたということは、子を産むという神秘の力を持つ女性が、大昔の日本でとても大切にされていたことを物語っているのではないでしょうか。
中世以前の世界では、人身御供や、人柱などという習慣もありました。
誰かを守るために、誰かが犠牲になる。そのために誰かが殺される。
人類の歴史には、そのようなことも多数ありました。
けれど縄文の日本人たちは、誰も殺さず、むしろ土偶という身代わりを立てて、神様に捧げました。
そういえば古墳時代の埴輪も、古墳の人柱を人形で代用したものといわれています。
人の命をなにより大切にしてきたのが、日本の古来からの変わらぬ文化です。
縄文時代の遺跡は全国に数万カ所あります。
お近くに「なんとか貝塚」というのがあれば、それが縄文時代の遺跡です。
さまざまな遺跡から、さまざまな遺物が発掘されています。
けれど、世界中の古代遺跡からは必ず発見されるのに、我が国の縄文遺跡からは、ただのひとつも発見されていないものがあります。
それは「対人用の武器」です。
矢じりや石斧はたくさん発掘されているのですが、どれも形が小さく、小動物を射たり、加工用の道具には使えても、大型動物である人を殺すには、どうみても適さないのです。
対人用の武器が全く出土しない一方で、馬に食わせるほどたくさん見つかっているのが、ブレスレットとかアームリング、ネックレスなどの女性用の装身具です。
古来、女性は布や花冠などのやわらかなものを加工するのが得意ですが、貝殻や石などの硬いものを加工するのは、世界中どこでも男性の役目です。
そして宝石などで身を美しく飾るのは、女性です。
実際に、縄文時代の女性の人骨には、装身具をまとったままで発掘されているものが多数あります。
装身具をまとっているのは、ことごとく女性の人骨です。
縄文時代の平均寿命が二十四歳くらいだったということなどを考え合わせると、おそらくは、こういうことだと思います。
男性が好きな女性を射止めるために、一生懸命貝殻などを加工してブレスレットやネックレスなどを作り、それを彼女に
「私の妻になってください」
とプレゼントしたのでしょう。
女性はそれを受け取って男性の妻になり、そして子を授かるのだけれど、若くして永遠のお別れが訪れます。
身につけた装身具は、つまり
「私、永遠にあなたのものよ」
というわけです。
なんだかとても温かいお話です。
結婚したカップルのことを「夫婦」といいますが、実はこれは戦後の言葉です。
戦前までは「めおと」といいました。
「めおと」は漢字で書いたら「妻夫」です。
妻が先、夫が後です。
男性は、妻のことを「かみさん」と呼びますが、それは女性が家の神様だからです。
なぜ神様なのかは、縄文時代の土偶を見れば分かります。
子を産む力は、女性にしか備わっていません。
命を産み出す力は、まさに神様の力です。
そして極めつけは日本の最高神です。
天照大神は女性神といわれています。
面白いもので、いまから1400年ほど前に渡来した仏教では、「女人五障」などといって、女性は穢れていて悟りを開くことができないと説かれていました。
もっとも宗派によっては女人成仏を説いたり、女性が悟りを得たときには、男性より高みに上れるという宗派もあるそうですから一概にはいえません。
キリスト教では、女性のイブは、アダムの肋骨の一本から生まれ、神の戒めを破ってリンゴの実をかじり、エデン追放の原罪をつくった悪者とされています。
高名な宗教家のマルチン・ルターは、
「女児は男児より成長が早いが、
それは有益な植物より雑草のほうが
生長が早いのと同じである」
などと説いています。
ちょっとひどい言い方です。
西欧はレディー・ファーストの国で、女性がとても大切にされているといいますが、西欧文化の根源になっている宗教観は、どうやら違っていそうです。
イスラムでは、『コーラン』に
「女は男の所有物である」
と書かれています。
私はここで、宗教論議をするつもりは毛頭ありません。
大切なことは「そこから何を学ぶか」という謙虚な姿勢だと思うからです。
なぜ学ぶのかといえば、先人の知恵を借りて、自分自身の人生や、集団や社会の新しい未来を築くためです。
批判したり頭から否定したりするだけでは、そこから何も学べません。
日本は八百万の神々の国だといわれますが、これは日本が多神教の国であるということです。
多神教の国は世界にいくつかありますが、日本はその中で世界最大の人口を持つ国家です。
多神教というのは、多様な価値観を認めるということです。
一方、ひとつの価値観しか認めないとなると、異なる価値観とは常に「対立関係」になります。
男尊女卑、女尊男卑論など、どちらか一方が優れているなどと考えること自体、実は男女の対立観念でしかありません。
ところが日本には、そもそも太古の昔から、「対立」という概念そのものがなかったのです。
男と女は「対立」するものではなく、どちらも不可欠な存在なのだから、互いに協力しあい共存して、互いの良いところや特徴を生かし合いながら、一緒に未来を築くものとされてきました。
これは「対立関係」ではなく「対等関係」です。
そして「対等」は、相手をまるごと認めながら、双方ともに共存し、共栄していこうという考え方です。
女性には子を産む力が備わり、男性には体力があります。
女性が安心して子を産み育てることができるよう、外で一生懸命働いて、産屋を建て、食料を生産するのが男の役割です。
そして、子をもうけると、こんどは子供たちの未来のために、互いに役割分担して共存し、協力しあって、子供たちの成長を見守っていくのです。
男尊女卑だとか、女尊男卑だとか、あるいはジェンダーフリーだとかは、基本的に「対立」がその発想のもとにあります。
けれど、そもそも男女を「対立」と考えること自体、おかしなことです。
この世には男と女しかいないのです。
大切なことは互いの違いをしっかりとわきまえ、お互いにできることとできないことを区別して、互いの良い点を生かしていくことだと思います。
これが「対等」です。
根っこのところに、そういう「対等」という観念がないから、
「男女は
互いの権力の確保と
相手に対する支配のために
常に闘争をする存在」
などというおかしなご高説がまかり通ったりするのだろうと思います。
「縄文の女神」に象徴されるように、日本人は一万年以上もの昔から、女性にある種の神秘を感じ、女性を大切にしてきました。
男女は互いに対等であり、互いの違いや役割をきちんと踏まえて、お互いにできることを相手のために精一杯やろうとしてきました。
日本人は、そうやって家庭や村や国としての協同体を営んできたのです。
日本人の知恵は、この何十年かの間に、外来でけたたましく起きてきた女性差別云々などよりも、はるかに深くて温かなものなのではないかと思います。
ちなみに女神像といえば、女性の肉体美を讃える存在というのが、世界の定番です。
けれど日本の縄文の女神は、お腹の大きな妊婦であり、生きた女性を守るための身代わりでした。
女神様が率先して身を捧げて、私たちを守ってくださる。
そこに感謝する。
神様に身代わりになっていただいて永らえたありがたい命だから、お互いに大切にする。
互いに慈しみ、支え合って生きる。
それが縄文以来一万年以上もの長きにわたって培われた、私たち日本の文化の底流をなすものなのだろうと思います。
これからの日本は、単に「外国でこう言っているから」という、外来文化をただ無批判に受け入れることに、もう終止符を打っていいと思います。
日本的文化や価値観を踏まえながら、逆に世界に向けて堂々と意見を発信していく。
そういう人材や、そういう教育が求められる時代になってきているのではないでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。

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※今日の記事は『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人・第二巻』の転載です。

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コメント
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同じ価値観で動いていたんですね。
あの当時からすればすごい広さでしょう。
そして一万年後も同じ価値観を共有している民族。
ここが一番すごいところだと思います。
2017/02/17 URL 編集
くすのきのこ
古代ギリシャの海洋文明で、7000年前後前の石器に、女性のふくよかな
下半身だけというようなのがあります。4000年くらい前の乳房のついた
壺とか。古代の経典のない信仰の時代、多神教の時代には、大らかな女性崇
拝があったのかもしれませんね。
2017/02/17 URL 編集
ありがとうございます。
願わくば、人類史の長さまで、絶やされず続きますように。
日本が再生しますように。
2017/02/16 URL 編集