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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)古事記の中で、古来、もっとも人気のある男性神といえば、やはり建速須佐之男命(たけはやのすさのおのみこと)が筆頭に挙げられようかと思います。
母に会いたいと願い、罪を背負って高天原を追われたときには、神様としての霊力さえ奪われながら、堂々と八俣遠呂智(やまたのおろち)を制して、愛する妻とともに須佐に都を開いています。
八雲(やくも)立つ
出雲(いづも)八重垣(やへがき)
妻籠(つまごみ)に
八重垣作る その八重垣を
という須佐之男命(すさのおのみこと)の詠んだ歌は、日本最古の和歌としても知られています。
須佐之男命が高天原を追われた経緯については省略します。
ただひとついえることは、須佐之男命は、何もかも失い、その持てる力のすべてを奪われながら、それでも民のために果敢に戦い、勝利し、最後には高天原との和合まで果たしているということです。
古事記は、須佐之男命が、高天原で田んぼの畦(あぜ)を壊したり、新嘗祭を執り行うための天照大御神の神殿を汚したりした様子を描いています。
そこにも実は深い意味があるのですが、そのことは今回は割愛します。
ただ須佐之男命は、なるほど高天原では、八百万の神々に迷惑をかけたし、天の織女がそれによってお亡くなりになってしまわれるといった悲惨な事故を招いているわけです。
そのことは、もはや取り返しがつかないことです。
けれど須佐之男命は、そのマイナス分を、地上の中つ国において、民の苦しみを救うことで、すべて帳消しにしています。
先日、このブログで、小原竹五郎という不良のことを書きました。
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http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3276.html小原竹五郎は、飲兵衛の暴れ者で、町の嫌われ者でした。
けれど竹五郎は、町にコレラが流行ったとき、その始末を自分から積極的に行って死んでいきました。
人の過去というものは、これは誰しもがそうなのですが、恥ずかしこと、呪わしいこと、反省することばかりなものです。
「そんなことはない。自分は過去からずっと立派だった」と胸を張れるような人は、ただ反省が足りない人であるか、ただの馬鹿者です。
なぜそのようにいえるかといえば、人は日々成長するものだからです。
成長すれば、成長する前の行いに反省が生まれるのは、当然のことです。
物質的なことを言っているのではありません。
昔はクラウンに乗っていたけれど、いまは軽自動車だ等々、物質的なことや経済的なことは、いろいろと変化します。
昔は高収入で良い暮らしをしていたけれど最近はダメだね、というケースもあれば、昔は貧しかったけれど、いまは努力して良い暮らしができるようになったとかいったことは、物質的にはごく普通にあることです。
ただ、精神的な面からいえば、人は成長するし、成長すれば、かつては「正しい」と思って真剣に打ち込んでいたことが、実は、他人様や身内に迷惑をかけていただけにすぎなかったということに気付いたりもするわけです。
こうなると、自分の過去に正対することが、とても恥ずかしくなり、思わず自分の過去から逃げ出したくなったり、あるいは「考えないでいる」という選択肢しか残らなかったりもします。
男女を問わず、人生を振り返ってみれば、恥ずかしいことの連続です。
そのことに正面から向き合ったら、いま生きていること自体が恥ずかしくなって、死んでしまいたいくらいの思いを抱かれる方もおいでになるかもしれません。
しかし自分が「迷惑をかけた」と思っている人も、その迷惑をかけられたことで、実は成長しているのです。
人は互いに、苦しいこと、辛いことを経験することで成長するものだからです。
その意味では、辛いことや悲しいこと、苦しいことが起こることは、魂の訓練であり、互いに必要なことなのです。
スポーツにたとえると、たとえばバレーボールは、オリンピックで優勝するようなチームであっても、弱小とされるチームとの試合で、味方のミスによって点を取られたりします。
取られても良いのです。
それ以上に点を取り返すから、チームは勝利するのです。
敗れた側も、そういう強いチームと試合をすることで、様々なことを学び、より強いチームへと成長していきます。
その意味で、持ちつ持たれつは、プラスの意味も、マイナスの意味も両方とも実はプラスのものなのです。
また、典型的なのが親孝行です。
「親孝行をしたいと思うときには親はなし」と昔の川柳にありますが、実際、世の中、そんなものです。
では、親に恩返しができないから、それで良いのかというと、それは違います。
成長し、親に返せない恩を、別な形で世の中に対して恩返ししていくのです。
預金通帳と同じです。
何かの事柄のために、預金を引き出したのなら、別なことで稼いで預金残高のマイナスを補い、さらに残高を増やしていくのです。
須佐之男命は、高天原でのマイナスの働きをしました。
その高天原では、須佐之男命が暴れたことによって、八百万の神々が目覚め、これによって実は、高天原の最高権威が天照大御神、そして高天原の政治権力は八百万の神々の代表が責任をもって行使するという、シラス国の基本形が完成しています。
一方、須佐之男命は、中つ国において、偉大な貢献をしました。
これによって須佐之男命の罪は許され、須佐之男命は偉大な神となられています。
小原武五郎も、生前は、いわゆるやくざ者でしたけれど、人生の最後に偉大な貢献をすることで、いまもその名が伝えられる男になっています。
男というものは、なまじ覇気があるがために、人生において、様々な失敗を繰り返します。
けれど男は、そんな失敗を重ねながら、人生を学び、最後には男でなければできない世の中への貢献をします。
そうすることで人生を意義あるものにし、御魂を浄化していくのが、男という生き物です。
須佐之男命は、まさに男の人生を生きた神様であるわけです。
人は、生きていく過程で、たくさんの不義理をしたり、失敗をしたり、人様に迷惑をかけたりします。
ですから、そこだけを見たら、その人の信頼預金の通帳残高は、真っ赤の大赤字です。
だから、他でお返しをします。
悲しいことですが、迷惑をかけた相手に、直接お返しをすることはできません。
けれど、その分、他のことで世の中にご恩返しをしていく。
そうすることで、自らの魂を高めていくのが男です。
人は、御魂が本体であり、肉体は仮の宿にすぎないというのが、縄文以来の日本人の古くからの考え方です。
その魂が、自らを高めるために、何かと制約のあるこの世に生まれてくるのだとされてきました。
そのために、あえて苦労の人生を選んで生まれてくるのが人間です。
ところがそうした苦労を、自分ひとりだけでなく、みんなの力で乗り越えていくことこそが三次元の世の中に肉体を持って生まれた意味なのに、ここを履き違えて、かえって今生で転落してしまう人もいます。
そういう人は、人に生まれたのを幸い、自らの欲望のためだけに生きようとします。
他人に対して、どんなに残酷なことをしても、自分さえ良ければそれで良いと考えます。
そのひとつの典型が通州事件です。
多くの日本人は、人であった御魂を持って生まれてくるのだそうです。
そうして、今生でさまざまな試練を受け、魂をより高度なものへと高めていきます。
その意味において、日本人に生まれたということは、実はとっても幸せなことだと思います。
けれどせっかく日本人に生まれながら、動物と同じレベルの生き方しかできないというのでは、残念なことです。
短い人生を、何のために捧げて生きるのか。
他人の誹謗中傷だけのために自分の人生を過ごすのか。
我欲の虜になって、自らの魂を汚すことだけに自分の人生を費やすのか。
人々のために、何事かをなして、自分の御魂を高めて生きるのか。
その選択は、すべて自分自身の中にあります。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
takechiyo1949
それはそうかも知れません。
しかし…その迷惑で社会的に潰れてしまう方々も大勢います。
余所様には迷惑を掛けない!
それが最優先と位置付けて…少なくとも私は生きてきました。
自分でも気が付かない内に迷惑を掛けていたとしたら…言い訳抜きで「腹切りもの」だと今も思っています。
失敗は誰にでもある?
その通りです。
しかし、失敗したとしたら…その張本人が言う言葉では無いと思います。
2019/02/12 URL 編集
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ご紹介したい動画があるので投稿します。パラオ共和国の故イナボ・イナボさんをご存知でしょうか。1995年8月15日に靖国神社でスピーチをされていて、その動画がアップされています。とても心に響きます。又、パラオの現地でイナボさんが取材を受けている動画もアップされていて、こちらもとても良い動画です。
故イナボ・イナボさんは1925年のお生まれで1999年に亡くなられています。イナボさんがもう少し長くご存命されていれば、或いは今上天皇皇后、両陛下のパラオ共和国訪問がもう少し早く実現されていれば、と切に願わずにはいられませんでした。
故イナボ・イナボさんの靖国神社でのスピーチと現地取材の両動画を
、人気ブログのこちらでご紹介して頂ければと思います。
2017/02/22 URL 編集
ラベンダー
今朝も素晴らしいブログをありがとうございます💖
***
母に会いたいと願い、罪を背負って高天原を追われたときには、神様としての霊力さえ奪われながら、堂々と反日左翼を制して、愛する仲間とともに東陽町に倭塾を開いています。
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(^^)v
本文をねず先生と置き換えてみました。
何だかピッタリとしますね❣️
ねず先生に、アメノミナカヌシの神様からのご加護がたくさんありますように、お祈り申し上げます。
2017/02/22 URL 編集