たいへんに長いものですので、先に要点だけを箇条書きにしますと、次のようになります。
<結論>226事件の決起は、憂国の熱意は諒とすべきだが、その手段は道を誤ったものである。
<理由>
1 陛下の御信任ある側近、並びに内閣の重臣等を殺害したのは国法侵犯並軍紀紊乱である。
2 皇軍を私兵化し惨劇を行い官舎等を占拠したのは彼等が唱えている重臣の過失に倍する迷妄である。
3 所属師団長以下の説諭に耳を貸さなかったのは抗命行為である。
4 勅命が発せられても罪に服さない行為は武士道に違背する。
5 平素の行為と最後の処置の両方を誤ることで世間の同情と真価を失った。
6 軍隊の幹部は、羊頭狗肉の誘惑に陥ってはならない。
7 本気で憂国の情があるならば、先ずもって自己の本分に邁進しなければならない。
たいへんに厳しい指摘です。
226事件については、私も決起した将校たちに同情的であり、阿南大将も、それは同じであったろうと思います。
ただ、未来の陸軍幹部となる陸軍幼年学校の校長として生徒たちに指導すべきは、同情ではなく、軍人としての本分であり、その本分から、私たちが何を学ぶべきなのかを、阿南大将が詳しく述べられています。
そのことこそが、大事なことなのだと思います。
文中に、たとえ決起するにしても「まず我が身を修むべし」と述べられています。
原文ですと、「其身を修むべし」です。
どこかの誰かの利権のために私物化され私用される、どこかの国の軍や民と異なり、我が国では、ひとりひとりの国民が「おほみたから」です。
そして国民のひとりひとりが「おほみたから」であるということは、その国民自身が、まず我が身を修めていく努力が必要になります。
臣民が「たから」であるならば、臣民は常に「たから」とされるにふさわしい高い民度を保持しなければならないのです。
阿南校長は、そのことを強く生徒たちにたしなめているということもできます。
さて、この「帝都不祥事件に関する訓話」の原文は、文語体です。
読みやすくするため、先に私が口語訳したものを掲載し、末尾に原文を掲載します。
******
【帝都不祥事件に関する訓話】
昭和11年3月12日
於第一講堂 阿南惟幾
去る2月26日早朝、わが陸軍将校の一部が、その部下兵力を使用して国家の大官を殺害しました。
おそれ多くも、宮城に近い要地を占拠した帝都不祥事件は、みなさんのすでにご承知の通りです。
その決起の主旨は、現下の政治並社会状態を改善し、皇国の真の姿の発揚に邁進しようとしたものであり、憂国の熱意は諒とすべきものです。
しかし、その手段は、全然皇軍の本義に反し、忠良な臣民としての道を誤ったものです。
そこで以下に重要事項について訓話します。
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第一、国法侵犯並軍紀紊乱
───────────
単に同胞を殺したというその一点だけでも既に国法違反です。
そのうえ陛下の御信任ある側近、並びに内閣の重臣、特に陸軍三長官の一人である教育総監までも殺害するというのは、国法、並びに軍紀上、何れから論じても、許すべからざる大罪です。
一、 重臣に対する観念
仮にこれら重臣に対して国家的不満の点があったとしても、陛下の御信任厚く、国家の重責を負っている者を、ほしいままに殺害駆除したというのは、臣節を全うするものとはいえません。
なによりも先ず、陛下に対して誠に恐懼に堪えざる事であることを考えざるを得ないからです。
忠臣楠正成は、足利尊氏上洛に対処するための対策が用いられず、これを湊川で邀撃しようとしました。
当事の国家の安危は、到底昭和の今日とは比べ物にならないけれど、楠正成は尚御裁断に服従し、参議藤原清忠を斬るが如き無謀は一切行わず、一子正行に遺訓を残しました。
そこには、
「言々国賊誅滅一族殉国の赤誠あるのみ」
とあり、戦利あらず弟正季と相刺ささんとしたときには、
「七度人間に生れてこの賊を滅さん」
と、あくまで大任の遂行を期して散っています。
これは誠に日本精神の発露であり、忠臣の亀鑑であることはいうまでもありません。
そして特に責任観念の本義を千載の後に教えたものでもあります。
私たちは、自己の職責と重臣に対する尊敬を、この楠正成から学ばなければなりません。
そしてこうした正成の振る舞いは、今回の一部将校の行為と雲泥の差があるということを知らなくてはなりません。
ニ、長老に対する礼と武士道
重臣、なかんずく陸軍の長老である渡辺教育総監を襲いし一部の如きは、機関銃をもって数十発を発射し、更に軍刀で斬り付けています。
このような陸軍大将に対する礼儀をわきまえない行為は、勿論その他、高橋蔵相や斉藤内府等に対しても同様で、重臣に対する礼を知らず、軍紀を解せず、武士道に違反し、軍人特に将校としての名誉を汚辱するものです。
彼の大石良雄等四十七士が苦心惨憺の後吉良上野介を誅したとき、不倶戴天の仇に対しても良雄はひざまづいて短刀を捧げ、
「御腹を召さるるよう」
と、懇ろに勧告して武士の道を尊びました。
これに抵抗する已むを得ざるを見て、
「然らば御免」
と首を打ち、そのすべての場面において、大石内蔵助は、
「吉良殿の御首頂戴」
等、常に鄭重な敬語を用いています。
これが、真の日本武士の大道に叶えるものと言うべきものです。
今回の将校等は、ほとんど全部が幼年校、または士官校に学んだ者ですが、にもかかわらずこうした「たしなみ」がなかったということは、臭(くさみ)を千載に残すものであり、武士の礼、武士の情を知らないが如きは、まさに軍人として修養の第一歩を誤ったものです。
みなさんも、よく反省してください。
三、遵法の精神
「動機が忠君愛国に立脚し、その考えさえ善ならば、国法を破るもまたやむを得ず」という観念は、法治国民として甚だ危険なものといえます。
道は法に超越す、などと言い出せば、一歩誤ったら大いなる国憲の紊乱を来すものです。
道は、むしろ法によって正しく行われるものです。
そういう観念を持っていないから、こういう事件が起こる。
古来、我が憂国の志士が国法に従順であり、遵法の精神旺盛なのは、私たちの想像さえおよばないものがあります。
吉田松陰は、米船によって渡航を企てましたが、その彼の悩みは「国法を犯す」という一点にありました。
ゆえに、彼はこの件について佐久間象山に相談するのだけれど、象山は近海に漂流して米船に救い上げられば国禁を犯すことにならないのでは、と助言します。
松陰はおおいに喜んで、以て大図を決行したと伝えられています。
また林子平は、幽閉中に、役人さえ密かに外出してしまいなさいと勧告するのだけれど、
月と日の畏みなくはをりゝは
人目の関を越ゆべきものを
と言って、一歩も外出することはありませんでした。
これら先生方の罪は、自ら恥ずる所なく愛国の至誠より出でたることであるにもかかわらず、なおこのように天地神明に誓って国法を遵守したことは、いかにも志士として恥じざるものというべきです。
これらの忠臣烈士は、仮にも幕府の法に問われ、あるいは斬罪の辱(はずかし)めを受けるものであるといえども、その精神は、多くの人達の心を感動させ、かつ世論を善導するものとなりました。
このことを思うとき、今回の事件が武人として我らに多大なる精神的尊敬を起させるものではなかった、その原因が、彼ら決起した将校たちに遵法精神が欠落していたことにあることを、私たちは知る必要があります。
───────────
第二、統帥権干犯行為
───────────
彼ら一部将校は、いたずらに重臣たちの統帥権干犯を攻撃し、これをもって今回の決起の一原因に数え、悲憤慷慨しました。
そのためにほしいままに皇軍を私兵化し、軍紀軍秩を乱し、所属長官の隷下を離れ、兵器を使用し、同胞ことに重臣殺戮の惨を極め、あまつさえ畏くも皇居に近き官庁官舎を占拠したのは、まったく自ら統帥権を蹂躙破壊したものといえます。
その罪状と国の内外および将来に及ぼす悪影響は、彼等が唱えている重臣の過失に倍する、
「迷妄恐るべきかな」
とはこのことをいいます。
───────────
第三、抗命の行為
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霞ヶ関付近の要地を占領後、自ら罪に服さないのはもちろん、所属師団長以下、上官の噛んで含めるような説諭に対しても、あるいは帰隊に関する命令も、全然耳を貸そうとしませんでした。
あるいは条件を附し、あるいは抗命の態度を取る、これらはことごとく軍紀を破壊する行動です。
しかも彼ら一部将校に率いられた下士兵の行動は、多くは真の事情を知らず、唯上官の命令のままに行動したといわれています。その心理の詳細は、現時点ではいまだ明らかにはなっていませんが、この点は後日の判明を待って研究する必要があろうと思います。
ただし、今日の教訓として、軍人の服従に関する心得中、次の二項は特に肝に銘じておかなければなりません。
一、服従の本義は不変なり
服従の精神は、いつの時代においても依然として軍人勅諭の礼儀の条の聖旨に基くものです。
このことは「絶対不変」のものです。
今回の事件を特例だというのなら、それは「服従に条件を附する」ものです。
こんなことを許しておけば、たちまち「上下相疑う」の禍根を生じ、軍隊統率、軍紀の厳粛に一大亀裂を与えるものとなります。
深く戒めなければなりません。
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(参考)軍人勅諭、礼儀の条
軍人は礼儀を正しくしなければならない。
およそ軍人には、上は元帥から下は一兵卒に至るまで、その間に官職(官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲)の階級があり、その統制のもとに属している。
そして同じ地位にいる同輩であっても、兵役の年限が異なるから、新任の者は旧任の者に服従しなければならない。
下級の者が上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命令を承ることと心得なさい。
自分がつき従っている上官でなくても、上級の者は勿論、軍歴が自分より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くしなさい。
また、上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。
おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ、上級者も下級者も一致して天皇の事業のために心と体を労して職務に励まなければならない。
もし軍人でありながら、礼儀を守らず、上級者を敬わず、下級者に情けをかけず、お互いに心を合わせて仲良くしなかったならば、単に軍隊の害悪になるばかりでなく、国家のためにも許すことが出来ない罪人であるに違いない。
~~~~~~~~~
ニ、上官特に将校の反省と教養
上官たらん者は、
「上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」
という聖旨を奉体し、常に至尊の命令に代って恥じない正しい命令の下に服従を要求すべきものです。
にもかかわらず、「国家の重臣を殺せ」など命令するが如き行為は、ひとえに命令の尊厳を害し、軍規服従の根底を破壊するものです。
こんなことでは、将来部下の統率は絶対に不可能に陥いる。
かねてより戒めえいる通り、「其身正不正雖令不従(論語)」とは、すなわち服従の精神をつなぐ者は、下にあるのではなく、常に上官であることを忘てはならなりません。
故に、将校たらんとするみなさんは、今日からでも遅くない、先ずその身を正しくし、教養を重ね、部下をして十分の信頼を得しめ、喜んで己に服従し、命令一下水火も辞せざらしむるほど人格と識見とを修養することを第一義としなければなりません。
───────────
第四、最後の態度
───────────
226事件最後の時に、ついに勅命が下りました。
これは誠に恐懼に堪えざるものです。
如何なる理由があるといえども、ひとたび勅命を拝するときは、皇国の臣民たらんものはひとえに不動の姿勢を取り、自己を殺して陛下の大御心を悩また罪を謝し奉ねばなりません。
しかしながら惜むらくは、彼等はこの期におよんでも、大命すら君側の奸臣の偽命なりとして、これに服さなかった。
これは如何なる理由あるとしても、恐懼痛心に堪えざるものであり、実に軍人勅諭の信義の御戒めに背くものとしか言いようがありません。
事ここ至っては、彼等の心境に多大な疑問を残すものです。
同胞軍人として、遺憾至極に思います。
一、 自決と服罪
我国にて自決、切腹等は、武士が戦場等に於て、やむを得ない場合に、その名誉を全うするために行ったことに始まり、自分が国法を犯したときなども「自ら殺す」、すなわちみずから罪を補うことで御上に対してその道に背いた謝罪を意味する行為です。
すなわち切腹は、武士の面目を重んじたるものです。
自分の行動が死罪に値するとするならば、更に絞首や火炙りに値するかもしれず、ならば潔く服罪して処罰を仰ぐを武士道といいます。
大石内蔵助は、復讐達成後に覚悟も自分の身の処置も明かにし、万一にも死罪を免れることはない、だから少くとも内蔵助と息子の主税は自決して罪を天下に謝すべきものであるとの信念を持っていたと聞きます。
これが真の武士道というものです。
しかるに今回の事件に際しては、将校等は、自ら進んで罪に服そうともせず、わずか二名が自殺し、一名が未遂に終っただけというのでは、これでは我が国の武士道精神とあまりにも相反します。
自分はこのさい、いさぎよく自決するを第一と考え、たとえ一歩を譲って、もし我儘の自決が陛下に対し奉りおそれいと感じているというのならば、せめて潔く罪に服すべきものであると断ぜざるを得ません。
ニ、彼等の平素
彼等は、平素に於て、人格高潔で一隊の輿望を担わなければならない地位にありました。
ところがその大部分の者は、上官同僚にさえ隔心あり、隊務を疏外し、本務である訓練にも専心せず、軍務以外の研究に没頭し、武人として必ずしも同意し得ない点が多々あったと聞き及んでいます。
平時において人格高潔であり、真心で誠実に人を動かし、しかも最後に潔く自決する。あるいは大罪を闕下に謝するために従容として進んで罪に服するのなら、少くとも今回の挙は精神的に日本国民の多大の感銘を与えるものであったであろうと思います。
しかし平素の行為と、最後の処置の両方を誤ったという点において、彼らは一段と同情と真価を失ったと言わざるを得ません。
「まず我が身を修むべし」というのは、古い諺(ことわざ)に明示されているところであることを、深く思わないではいられません。
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第五、背後関係
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本事件の背後関係については、未だ確報を得ていませんが、彼ら青年将校たちは北輝次郎、西田税一派と密接な連絡があり、彼らの「日本改造法案」を実効しようとする主義に基づいて行動したという疑いがあります。
果してもしそうだとするならば、深く戒慎を要するといえます。
彼の改造法案は、すでに昭和2年頃一読させていただきました。
その後も我々の間には、よく話題に上ったものですが、その主旨が、国家社会主義と言うよりも、寧ろ民主社会主義に近く、我国体の本義に一致していないことは、多くの人が明らかに認めているところです。
彼ら一部青年将校たちは、その純真な心情から、いたずらに彼らを過信し、或いはよくこれを熟読批判することもなく、彼らの主張に引きつけられたものでしょう。
もしこれに心酔していたとするならば、将校として、その見識、ことに国体観念に於て、研鑽と信念の不十分というべきで、むしろこの点は、同情に堪えざるをえません。
以上のような心境は、羊頭を掲げる幾多の不穏思想に乗せられやすいものです。
こうした心境は、欧州大戦時の独海軍や露軍の革命参加の経過と同様に、一歩誤まったら、皇国皇軍を危険に導くとんでもないものに至る可能性がある。
軍隊の幹部たらん者は、自ら修養と研鑽と積み、皇軍将校としての大綱を確実に把握し、何物も動かすべからざる一大信念に生き、いささかも羊頭狗肉の誘惑に陥ってはなりません。
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第六、結論
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以上は事件の経過に鑑み、比較的公正確実な情報を基礎として、生徒に必要な条件につき説明訓話したものです。
どのような忠君愛国の赤誠も、その手段と方法とを誤れば、大御心に反し、ついには大義名分さえも失うこととなります。
軍人勅諭の信義の条のもとに、日々訓諭していたにも関わらず汚命を受けることになった諸子は、この際、深く自らを戒め、本気で憂国の情があるならば、先ずもって自己の本分に邁進しなければなりません。
これこそが、忠孝両全の道です。
軍人勅諭が述べていることは、まさに忠孝一本の日本精神に基づく、千古不磨の鉄則です。
今回の事件は、巷間、是非の批判解釈多種多様あるけれど、本校生徒である諸子は、堅く本訓話の主旨を体し、断じて浮説に惑わされてはなりません。
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(原文)
【帝都不祥事件に関する訓話】
昭和11年3月12日
於第一講堂 阿南惟幾
去る二月二十六日早朝我陸軍将校の一部が其部下兵力を使用して国家の大官を殺害し 畏くも宮城近き要地を占拠せる帝都不祥事件は諸氏の己に詳知せるる所なり。而して其蹶起の主旨は現下の政治並社会状態を改善して皇国の真姿発揚に邁進せんとせしものにして憂国の熱意は諒とすべきも其取れる手段は全然皇軍の本義に反し忠良なる臣民としての道を誤れり。以下重要事項につき訓話する所あらんとす。
第一、国法侵犯並軍紀紊乱
単に同胞を殺すこと既に国法違反なるに 陛下の御信任ある側近並内閣の重臣特に陸軍三長官の一人たる教育総監を殺害するが如きは国法並軍紀上何れより論ずるも許すべからざる大罪なり。
一、 重臣に対する観念
仮りに是等重臣に対し国家的不満の点ありとするも苟も陛下の御信任厚く国家の重責を負いたるものを擅に殺害駆除せんとするが如きは臣節を全うするものにあらず。先ず陛下に対し誠に恐懼に堪えざる事なるを考えざるべからず。
忠臣大楠公の尊氏上洛に処する対策用いられず之を湊川に邀撃せんとするや当事に於ける国家の安危は到底昭和の今日の比に非ざりしも正成は尚御裁断に服従し参議藤原清忠を斬るが如き無謀は勿論之を誹謗だにせず一子正行に桜井駅遺訓す。言々国賊誅滅一族殉国の赤誠あるのみ。而して戦利あらず弟正季と相刺ささんとするや「七度人間に生れて此賊を滅さん」と飽く迄大任の遂行を期して散りたるが如き誠に日本精神の発露にして忠臣の亀鑑たるは言うまでもなく特に責任観念の本義を千載の後に教えたるものにあらずや。自己の職責と重臣に対する尊敬とは此間によく味うを得べく今回の一部将校の行為と霄壤の差あるを知るべし。
ニ、長老に対する礼と武士道
重臣就中陸軍の長老たる渡辺教育総監を襲いし一部の如きは機関銃を以って数十発を発射し更に軍刀を以て斬り付けたる如き陸軍大将に対する礼儀を弁えざるは勿論其他高橋蔵相斉藤内府等に対しても一つの重臣に対する礼を知らず実に軍紀を解せず武士道に違反し軍人特に将校としての名誉を汚辱せるものなり。
彼の大石良雄等四十七士が苦心惨憺の後吉良上野介を誅せんとするや不倶戴天の仇に対しても良雄は跪きて短刀を捧げ「御腹を召さるるよう」と懇ろに勧告して武士の道を尊び已むを得ざるを見て「然らば御免」とて首を打ち総ての場合に於て「吉良殿の御首頂戴」等いとも鄭重なる敬語を用い居る所真に日本武士の大道に叶えるものと言うべし。今回の将校等殆ど全部が幼年校又は士官校に学べるものなるに斯かる嗜みなかりしは臭を千載に残すものにして武夫の礼、武士の情を知らざるが如きは己に軍人として修養の第一歩を誤りたるものとす。諸子反省せざるべけんや。
二、 遵法の精神
動機が忠君愛国に立脚し其考えさえ善ならば国法を破るも亦已むを得ずとの観念は法治国民として甚だ危険なるものなり。即ち道は法に超越すと言う思想は一歩誤れば大なる国憲の紊乱を来すものなり。道は寧ろ法によりて正しく行わるるものなりとの観念を有せざるべからず。
古来我憂国の志士が国法に従順にして遵法の精神旺盛なりしは吾人の想像だに及ばざるものあり。
吉田松陰の米船により渡航を企つるや其悩みは「国法を犯す」ことなりき。故に此件につき佐久間象山に謀りしに象山は近海に漂流して米船に救い上げられば国禁を犯すにあらずとの断案を授けぬ。松陰大に喜び以て大図を決行せしなりと伝う。又林子平が幽閉中役人さえ密かに外出して消遣然るべしと勧告せしに
月と日の畏みなくはをりゝは
人目の関を越ゆべきものを
とて一歩も出でざりきとぞ。先生の罪は自ら恥ずる所なく愛国の至誠より出でたるにも拘らず尚且斯の如く天地神明に誓って国法を遵守せしが如きは如何にも志士として恥じざるものと謂うべし。此等忠臣烈士は仮令幕府の法に問われ或は斬罪の辱を受しと雖も奕々たる精神は千載の下人心を感動せしめ且つ世道を善導せる所以を思うとき今回の事件が武人として吾人に大なる精神的尊敬を起さしめ得ざるもの茲に原因する所大なるものあるを知るべし。
第二、統帥権干犯行為
彼ら一部将校は徒に重臣等共の統帥権干犯を攻撃し之を以て今回蹶起の一原因に数え悲憤慷慨せり。然るに何ぞ擅に皇軍を私兵化し軍紀軍秩を紊乱して所属長官の隷下を離れ兵器を使用し同胞殊に重臣殺戮の惨を極め剰え畏くも皇居に近き官庁官舎を占拠せるが如き全く自ら統帥権を蹂躙破壊せるものにして其罪状と国の内外及将来に及ばす悪影響とは蓋し彼等の唱うる重臣の過失に倍すること幾何ぞや迷妄恐るべきかな。
第三、抗命の行為
霞ヶ関付近要地占領後自ら罪に服せざるは勿論所属師団長以下上官の諄々たる説諭も帰隊に関する命令も全然耳を仮さず或は条件を附し或は抗命の態度を取る等軍紀を破壊せり。而して是等一部将校に率いられたる下士兵の行動は多くは真事情を知らず唯上官の命の儘に行動せるもの多きも未だ其心理の詳細に到りては明かならず。他日判明を待ちて研究する所あらんとす。但し今日の教訓として軍人の服従に関する心得中左の二項は特に肝銘しおかざるべからず。
一、 服従の本義は不変なり
服従の精神は依然として 勅諭礼儀の条の 聖旨に基き従来と何等変化なく「服従は絶対」ならざるべからず。
今回の如き特例は以て服従に条件を附するが如きことあらんか忽ち上下相疑うの禍根を生じ軍隊統率軍紀の厳粛(訓育提要軍紀の章参照)に一大亀裂を与うるものなり深く戒めざるべからず。
ニ、上官特に将校の反省と教養
上官たらんものは「上官の命令を承ることは実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」との 聖旨を奉体し常に至尊の命令に代りて恥じざる正しき命令の下に服従を要求すべきものにして猥りに「国家の重臣を殺せ」など命令するが如きことあらんか啻に命令の尊厳を害い服従の根底を破壊するのみならず将来部下の統率は絶対に不可能に陥らん。嘗て戒め置けるが如く「其身正不正雖令不従」(論語 訓話第一号の如く書きある書物あり)と。即ち服従の精神を繋ぐものは下にあらずして上官にあることを忘るべからず。故に将校たらんとする諸子は今日より先ず其身を正しくし教養を重ね部下をして十分の信頼を得しめ喜んで己に服従し命令一下水火も辞せざらしむる底の人格と識見とを修養することを第一義となさざるべからず。
第四、最後の態度
事件最後の時機に於て遂に 勅命下るに至る。誠に恐懼に堪へざる所なり。如何なる理由あらんも一度 勅命を拝せんか皇国の臣民たらんものは啻に不動の姿勢を取り自己を殺して 宸襟を悩まし奉りし罪を謝し奉るべきなり。然に惜むらくは彼等は此期に及んで尚此大命すら君側の奸臣の偽命なりとして之に服さざるが如き其間如何なる理由あるにもせよ寔に恐懼痛心に堪えざる所にして実に 勅諭信義の御戒に背きしものと謂うべく事茲に至りて彼等の心境に多大の疑問を残すに至り同胞軍人として遺憾至極とす。
一、 自決と服罪
我国にて自決、切腹等は武士が戦場等に於て已むを得ざる場合其名誉を全うせんが為取りしに始まり己が国法を犯したるとき等は自ら殺す即ち自ら罪を補うは御上に対し其道に背きし一種の謝罪を意味す。畢竟切腹は武士の面目を重んじたるものなり。己の行動が死罪に値するとせば更に絞首火炙りに値するやも知れず故に潔く服罪して処罰を仰ぐを武士道とせるが如し。是れ大石良雄の復讐達成後の覚悟及処置にても明かにして万一にも死罪を免ぜらるる事ありとするも少くも良雄と主税とは自決して罪を天下に謝すべきものなりとの信念を有したりしとき聞く。
是れ真の武士道なり。然るに今回の事件に際し将校等が進んで罪に服するにもあらず僅か二名が自殺し一名未遂に終りしのみなりしは我武士道精神と相隔つること大なるものにして吾人は此際自決するを第一と考うるも一歩を譲りて若し我儘の自決が 陛下に対し奉り畏れ多しと感ぜしならば潔く罪に服すべきものなりと断ぜざるを得ず。
ニ、彼等の平素
彼等の平素に於て人格高潔一隊の輿望を担いつつありしもの決して之れなしとせざるも仄聞する所によれば其大部は上官同僚にさえ隔心あり隊務を疏外して本務たる訓練に専心ならず軍務以外の研究に没頭し武人として必ずしも同意し得ざる点多々ありしと。平素の人格高潔にして真に至誠人を動かし而も最後に潔く自決するか又真に大罪を闕下に謝せんが為従容進んで罪に服せしならんには少くも今回の挙は精神的に日本国民の多大の感銘を与うるものありしならんに其平素の行為と最後の処置を誤りし点とに於て一段同情と真価とを失えりと言わざるべからず。夫れ其身を修むべしとは古諺に明示せられある所深く思わざるべからず。
第五、背後関係
本事件の背後関係につきては未だ確報を得ざるも北輝次郎、西田税一派と密接なる連絡ありしものの如く其大部が彼の「日本改造法案」を実効せんとするが如き主義に基けるにあらずやとの疑あり。果して然りとせば深く戒慎を要するものあり。彼の改造法案は己に昭和二年頃一読せしことあり。其後も吾人の間には屡々話題に上りしものにして其主旨が国家社会主義と言わんより寧ろ民主社会主義に近く我国体の本義に一致せざるは何人も明かに認め得ざる所なるに彼等一部青年将校は其純真なる心情より徒に彼等を過信し或はよく之を熟読批判することなく彼等の主張に引きつけられしものならん。もし之に心酔せりとせば将校として其見識殊に国体観念に於て研鑽と信念の不十分なるによるべく寧ろ此点同情に堪えざるものあり。以上の如き心境は羊頭を掲ぐる幾多不穏思想の乗ずる所となり易く彼の欧州大戦時に於ける独海軍及び露軍の革命参加の経過より見るも明かにして(例記載を除く)一歩を誤らば皇国皇軍を危険に導くもの之より大なるは莫し。軍隊の棹榦たらんものは自ら修養と研鑽と積み皇軍将校としての大綱を確実に把握し何物も動かすべからざる一大信念に生き苟も羊頭狗肉の誘惑に陥るが如きことあるべからず。
第六、結論
以上は事件の経過に鑑み比較的公正確実なる情報を基礎として生徒に必要なる条件につき説明訓話せるものにして如何なる忠君愛国の赤誠も其手段と方法とを誤らば 大御心に反し遂に大義名分に戻り 勅諭信義の条下に懇々訓諭し給える汚命を受くるに至る諸子は此際深く自ら戒め鬱勃たる憂国の情あらば之を駆って先ず自己の本分に邁進すべし。是れ忠孝両全の道にして各条述ぶる所は此忠孝一本の日本精神に基ける千古不磨の鉄則なり。今回の事巷間是非の批判解釈多種多様ならんも本校生徒たる諸子は堅く本訓話の主旨を体し断じて浮説に惑わさるることあるべからず。==========
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は2011/08の記事のリニューアルです。

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