米百俵

20170329 米百俵
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米百俵(こめひゃっぴょう)といえば、2001年の流行語として覚えておいでの方も多いのではないかと思います。
当時、小泉内閣発足時の総理の国会所信表明演説で、この言葉を引用して有名になりました。
この言葉は、幕末から明治初期にかけて活躍した越後・長岡藩(いまの新潟県長岡市東部)で大参事を務めた小林虎三郎(1828-1877)にまつわる故事から引用された言葉です。

越後・長岡藩藩主は牧野氏です。
三河国でもともとは今川家の家臣でしたが、今川家が滅んだ後に、徳川家康の家臣となりました。
豪勇を持って知られ、徳川十七将に数えられた名門です。

この牧野氏が当時知行していたのが牛久保で、ここは戦国期に常に今川、武田、織田、松平からの脅威に晒されていたところです。
そこから家訓としての「常在戦場」の言葉が生まれています。

「常在戦場」とは、
「常に戦場にあるの心を持って生きる」
という意味です。
ちなみに山本五十六大将も、この「常在戦場」が座右の銘でした。

米百俵の逸話に出てくる小林虎三郎も、「常在戦場」を座右の銘にした人です。
小林虎三郎は、幼いころ天然痘を患い、その後遺症が左顔面に残る人でした。
けれど一生懸命に努力して、長岡藩校で若くして助教を務めるほどの俊才となり、長じて佐久間象山の門下生になります。



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佐久間象山は、多数の弟子を獲った人ですが、特に吉田松陰と、小林虎三郎を可愛がり「義卿(松陰)の胆略、炳文(虎三郎)の学識、稀世の才」と褒め称えています。
ちなみにこの頃、黒船が来航するのですが、このとき幕府の老中であった長岡藩主の牧野忠雅に横浜開港を建言したのが小林虎三郎です。

このことが原因で、小林虎三郎は帰国謹慎を申しつかります。
けれど結果として虎三郎のこの案は幕府が採用し、何もない砂浜だった横浜に、わずか三ヶ月という、おどろくべき短期間で建設されたのが、横浜の町並みです。
これがいまの「横浜市」に至っています。
都内から横浜にクルマで行く時には、横浜ベイブリッジを通りますが、あの美しい橋も、もとをタドせば小林虎三郎の建議があったからこそのものであるわけです。

さて、戊辰戦争のとき、小林虎三郎はやってくる官軍に、幕府の正当性をしっかりと訴えながら、なおかつ戦わないという独自の非戦論を唱えました。
けれど藩内の意見は河井継之助の奥羽越列藩同盟による会戦論になりました。
長岡藩は勇敢に戦うのですが、結果は敗北です。
そのため、14万2700石あった藩の俸禄は、わずか6分の1の2万4000石に減じられてしまいます。

ちなみに長岡藩の城のあった町が、いまの長岡市ですが、この長岡市は、江戸に次いで全国でなんと二番目に人口が多かった町でした。
このように申し上げると、大阪や京都があるではないかと言われそうですが、それほどまでに長岡藩の力は強かったのです。

ところが明治に入ってから、戊辰戦争における幕府方となった諸藩と旧幕府の直轄領は、鉄道駅の設置等から明治政府によって意図的に外され、このため長岡市も衰亡の一途を辿っています。
しかし長岡の人々は、実は以下の小林虎三郎の米百俵の精神を失わず、いまや世界一とも言われる長岡大花火大会や、産業の育成等によって、再び往年の勢いを取り戻しつつあります。
たいしたものです。

さて、長岡藩ですが、戊辰戦争後に減封になったからといって、藩士たちの食べ物が6分の1で済むようになるわけではなく、藩士たちはたいへんな貧窮のどん底に追いやられてしまいました。
残念なことですが、一部の足軽などの下級藩士が、妻子に食べさせる食べるものを得るために商家に盗人に入ろうとして、護衛の浪人者に斬り殺されるという事件などもあったそうです。

あまりの藩内の貧窮ぶりに、藩主の親戚の三根山藩の牧野氏がみかねて、長岡藩に米を百俵送ってくれることになりました。
飢えに苦しむ藩士たちからしてみれば、ひさびさに米にありつけることです。
とてもありがたい。

けれど、百俵の米というのは、藩士とその家族の数で頭割りしたら、ひとりあたり、わずか2合程度にしかなりません。

そこで当時、藩の大参事となっていた小林虎三郎は、その百俵を元手に、藩に学校を造ることを提案しました。
「皆、腹は減っている。
 しかし百俵の米をいま、
 ただ食べてしまったら、
 それだけのもので終わる。
 こうした苦しい状況に藩が追いやられたのも、
 もとをたどせば、官軍と自藩の戦力の違いを見誤り、
 ただ感情に走ったことにある。
 結果、多くの命が失われ、
 生き残った者も、
 このように苦しい生活を余儀なくされている。
 それもこれも、教育がしっかりしていれば、
 時勢を見誤ることなく、
 危機を乗り越えることができたはずである。
 そういうことのできる人材が育っていなかったために、
 藩がこのような窮乏に立たされているのなら、
 二度と同じことが起こらないよう、
 しっかりとした人材を育てるべきである。
 そのためにこそ、
 この百俵の米は使うべきである」

けれど、誰もが腹を減らしているのです。
男性である武士だけなら我慢もしましょう。
しかし妻子が目の前で腹を減らしているのです。
どうして、目の前にあるせっかくの米を「要らぬ」ということができましょうか。

藩士たちの言い分と、小林虎三郎の意見は真っ向から衝突しました。
藩の若い侍たちは、虎三郎の家に行き、膝詰めで直談判をしました。
そして、「どうあっても、百俵の米を分けてもらいたい」と虎三郎に迫りました。
小林虎三郎の目の前には、若い侍の刀が突き立てられました。

それまで、黙って彼らの話を聞いていた虎三郎は、このとき目を開け、後ろにある「常在戦場」と書かれた額を示しました。
そして言いました。
「長岡藩の家訓は『常在戦場』にある。
 戦場にあれば、
 腹が減っても
 勝つためにはたとえ餓死してでも
 我慢をしなければならぬ。
 貴公らは、その家訓を忘れたか。」

「百俵の米も、
 食えばたちまちなくなる。
 だが教育にあてれば
 明日の一万、百万俵となる」

物静かでありながら、それは裂帛の気合の篭った言葉でした。
現代を生きる私たちは、安直に流され、滅多にかつての日本人が持っていたこの種の気迫を受けることがありません。
けれど、ひと昔前までの日本人の気迫というものは、まるで漬物石でぶん殴られるほどの衝撃があったものです。
若い藩士たちは、そんな虎三郎の気迫の前に、誰も一言もありませんでした。

そして、百俵の米は売却されました。
その売得金によって、藩内に学校が建てられました。
その学校には、士族だけでなく、一般の庶民の入学も許可されました。
明治政府によって学制が敷かれたとき、この学校は現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校となって、現在に至っています。

本当に苦しいときに、道義や道徳観を失い非行に走るか、あるいは辛いからといって逃げ出すか。
知恵は、常に今を生き、未来を切り開くためにあります。
知恵の源は、教育です。

「知」という字は、神々の知恵を学ぶという意味を持ちます。
ですから教育とは、もともとは、神々の時代から代々受け継がれた知恵を学ぶものでした。
そしてそれは、ただ暗記したり、試験で良い点数を取るためのものではなく、長い歴史に培われた人が生き抜くための知恵を学ぶものでした。
長岡藩にとって教育とは、まさに米百俵の精神を受け継ぐ「人をつくるもの」だったのです。

小林虎三郎は、
「こうした苦しい状況に藩が追いやられたのも、
 もとをたどせば官軍と自藩の戦力の違いを見誤り、
 ただ感情に走ったことにある」
と厳しく指摘しています。

要するに、冷静に時勢を見極めて、藩が二度と決して戦乱に巻き込まれることがないようにしていく。
そのためにこそ、米百俵は、使うべきであると、自らも、藩の武士たちも、みんなが飢えている中で主張し、これを鉄の意志で実現しました。

実は小林虎三郎は、藩の大参事に就任したとき、妻に離縁を言い渡しています。
収入が減って厳しくなっている藩政に責任を持つのです。
大参事として権限を行使する。
そこには当然、藩政に関する全責任が伴います。
つまり、万一のときは、虎三郎は腹を斬る覚悟です。
だからこそ、妻に離縁を言い渡しています。

妻は実家に帰りました。
しかしその妻は、その後も小林虎三郎を気遣って、毎日のように虎三郎のもとを訪れては、内助の功を尽くしました。

虎三郎が百俵の米を学校建設に、と主張したとき、その妻は、なんとかして夫の主張を、藩の武士たちに納得してもらおうと、藩士の女性たちに集まってもらい、妻たちから夫を説得してくれるように、夫の虎三郎に内緒で行動を起こしています。
結果は、「とんでもない」と、追い返されるというものでした。
そしてその帰り道、虎三郎の妻は下手人不明で、路上で斬殺されています。

さて、この米百俵の小林虎三郎の実話は、映画化されて、いまではyoutueで無料でご視聴いただくことができます。
中村嘉葎雄主演で、いまは参議院議員となっておられる三原じゅん子さんも出演している、たいへん良い映画です。
ご覧いただければ、きっと何かが心に残ると思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

※この記事は2015年3月の記事のリニューアルです。

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コメント

大阪人

No title
江戸時代、長岡が日本で江戸につぐ人口、というのは、何にもとづいていますか? 調べてみたのですが、わかりませんでした。
明治初期、日本で人口が一番多かったのが新潟県。
という話と
長岡は新潟県で二番目の町。という話が
ごっちゃになっての話ではないかと愚考する次第です。

アムリタ

牛久保牧野氏
> 今川家が滅んだ後に、徳川家康の家臣となりました。

牧野氏の徳川臣従が先(1565~1566年ごろ)、今川氏の駿河喪失が後(1569年)です。越後長岡藩初代・牧野忠成の父、牧野康成は掛川城攻めの先鋒でした。

敬天愛人

教育の荒廃極まれり
貴重な情報の提供ありがとうございます。ブログを読ませて頂く度に、自らの浅学を恥じ入るばかりです。

最近学校でのいじめの問題が話題になっています。確かに、いじめる子供達は悪いとは思います。しかし、いじめられる方も自殺したいとか登校拒否するとか脆弱な子供達が多くなったような気がします。そしてマスコミの論調もいじめられた子供は被害者だと言うことを強調します。

昔の教育では弱いものをいじめてはなりませんと言うことをしっかりと教えました。しかし子供の世界のことですからいじめはありました。昔はいじめられる方も知恵を絞りいじめっ子に対処する方法を考え出したものです。いわゆる自助努力があったのです。

今の時代、何事も人のせいにして自分は全く悪くないと言いながら自暴自棄になりグレてしまう子供も少なくありません。子供達をこんなに弱くしてしてしまったのはまさに教育のせいだと思います。人間社会では理不尽がまかり通り道理が引っ込むのは普通に起こる出来事です。

いじめを経験した子供は決して少なくないと思います。問題はその後のその子の対応です。私も中学時代には校内の不良グループに執拗に付け狙われたことがあります。迷わず先生に相談しました。相談を受けた先生はその不良グループにいじめを止めろとさとし、その後、いじめはピタッと止まりました。これは告げ口でも卑怯でもありません。弱いものが身を守るために強いものを利用するのは当たり前の話です。

ところが今の学校ではこのように簡単なことすら実行されていないのです。親にも学校にも相談できなかったとか、相談したけど何もしてくれなかったとか、言い訳が先に立つのです。いじめられた子供は追い詰められたら警察に駆け込んでも良いのです。それが自らを守る手段なのですから。

マスコミの論調ではいじめられた子供達が被害者であることばかりをクローズアップしますが、どうして教育のことを話題にしないのでしょうか。いじめが悪質化するのもいじめられた方が立ち向かわず逃げてしまうことも、全てが子供に対する教育に問題があるからです。日教組が教育界に与えた悪影響は計り知れません。

弱いものをいたわる精神を涵養し、心身共に強い子供を作ることこそが教育の使命です。
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: nezu3344@gmail.com
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出身:静岡県浜松市
住所:千葉県野田市
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「明治150年真の日本の姿」、「日本と台湾の絆」、「奇跡の将軍樋口季一郎」、「南京事件は4度あった」、などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長
倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表
日本史検定講座講師&教務。
《著書》
『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!和と結いの心と対等意識』
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!日本はなぜ戦ったのか』
『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』日本図書館協会推薦
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