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【お知らせ】◆
4月20日(木)18:30 第14回百人一首塾(江東区文化センター)
4月30日(日)13:00 玉響講演会「甦れ、日本魂」(御茶ノ水ソラシティ)
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日本史検定講座・第八期生募集中◆
応募多数につき4月末で募集を締め切ります。お早めにお申込みください」
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CGSで、このたび出版させていただいた古事記の本を紹介する動画を撮っていただきました。
コピーは以下の通りです。
「古事記に託されたメッセージは、
今を生きる日本人にこそ伝えたい。
『ねずさんと語る古事記 壱』は、
今までにないわかりやすさで
ねずさんが古事記を読み解きます!」
CGSは、ChGrandStrategyの略で、神谷宗幣さんが主催する様々な論客の皆様と対談を繰り広げるYoutube番組です。
私もシリーズで出演させていただいて、
「ねずさんとふたりごと」
「目からウロコの日本の歴史」
の2つの番組を担当させていただいています。
CGSは、日本的精神を取り戻すためにと、古事記にたいへん力を入れていて、古事記の紙芝居も、第二集まで出るようになりました。
その「古事記紙芝居」か、「目からウロコの日本の歴史」のいずれかをご購入いただいた方に、もれなく「ねずさんと語る古事記 壱」の署名本をプレゼントするというキャンペーンが行われています。
詳しくは↓コチラ↓
http://www.gstrategy.jp/</u>">
http://www.gstrategy.jp/◆『ねずさんと語る古事記 壱』絶賛発売中!
すこし余計なことを書きます。
いわゆる歴史ものにしても、和歌の解釈や古事記の解釈にしても、私の解釈が「間違っている」とのご批判の声を聞くことがあります。
まるで「真相はかうだ」みたいですが、
まず第一に、基本的に歴史とは、
「過去の出来事が
どういう因果関係で
起こったかを
明らかにするもの」
です。
このことは、星空の天動説と地動説に例えることができます。
夜空にはたくさんの星座が浮かんでいます。
これが事実です。
その星空の運行を、星空が動いていると解くか、地面が動いていると解くか。
これは、どちらが「正しい」というものではなくて、天体の仕組みを理解するには地動説が合理的かつ論理的であり、天体の運行の仕組みを理解するには、天動説が合理的かつ論理的な説明ということになります。
歴史も同じで、たとえば先の大戦にしても、米国側から観た太平洋戦争と、日本および東亜諸国から見た大東亜戦争では、認識に隔たりがあって当然です。
従って、何が正しく、何が間違っているかという二者択一的な思考自体が、実はすでに共産主義的歴史観に毒されているものであるということになります。
このことは同時に、事実関係というものは、いろいろな解釈が成り立つということも示します。
逆にいろいろな解釈が成り立たず、一面的な「これだけが正しい歴史」というような認識は、中共や韓国の歴史認識と同じで、むしろ「事実でないものは、一面的な解釈を押し付けることしかできない」ということになります。
日本は、長く歴史が続いてきた国です。
それだけに、その見方は、様々な面から観たり考えたりすることができるわけで、そのなかのひとつを、ねずさん的歴史観として提示させていただいています。
ですから、見る人によっては、「それは違う」と感じるものがあっても、当然です。
ただし、だからといって、そちらが正しく、こちらが間違っているといった二者択一に陥ることは、帰って思考を狭め、歴史をつまらないものにしてしまうのではないかと思います。
和歌の解釈も同じです。
和歌は、書かれたシチューションで読み解く場合と、百人一首のうちの一首として読み解く場合では、その解釈がまったく違ったものになることがあります。
和歌とはそういうものです。
同じ「愛してる」でも、恋人と二人きりのときに告げる「愛してる」と、遠く祖国を想いながら思う「愛してる」では、同じ言葉でも、意味が違います。
こうした微差を大事にするのが、日本の文化であり、またその微差を察するのが和歌の文化であると思います。
古事記も同じです。
原文はひとつです。
そこから何を読み取るのか。
すくなくとも、古事記の場合、「三字以音」などのような注釈が原文にある以上、そのあたりに注目して読み解くのは当然のことといえます。
日本書紀にある八岐大蛇は、古事記では「八俣遠呂智」であり、「遠呂智」は「以音」と注釈されています。
用いている字が違うのですから、違いを見極めながら読み解くことは当然といえます。
加えて古事記は神の書です。
つまり、人知を超えた書であるということです。
ですから人が解釈するには、当然、限界があります。
けれど、すくなくとも、人が読む書になっている以上、古事記の編者がなぜそのような文字を使って書いたのかというレベルまでは、追いつけるものであろうと思います。
以上、蛇足でした。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
beany
いつもありがとうございます。
久々にコメントを。
蛇足とはまたご謙遜を。
こちらを毎日放映される番組と見たときになぞらえたお話をしたいと思います。
ひとつづつの番組はテーマに沿って起承転結があるわけですが、政見放送みたいなカメラを据えた長回しはありえません。
ひとつづつの番組は、こちら、あちら、そちらというふうに、視野に収まるシーンごとに分けられ、
ひとつづつのシーンは、一目瞭然となる位置から見せるために、いくつかのカットに分けられます。
また、もっと積極的にカメラワークを演出することもあります。
視聴者を視野狭窄にいざなっておき、そこからカメラを引いて全体を見直す手法です。
こうすることで、目の前のことに意識を奪われているお客は、あらためて措かれている状況の全容に気づくわけです。
何がいいたいか。
カチカチの石頭で読んではいけない、ということです。
ねずさんというカメラは、魚眼レンズから広角レンズへ望遠へと、視野が変幻自在に変わります。
距離も超望遠から顕微まで変わるし、位置だって360度全天全どこからでも映してしまいます。
我々はその視野の変化に自由自在についていけてはじめて、目からうろこのツアーに来る意味があるのです。
かたくなな持論を持ったままこちらに来ても、おみやげどころか不快なだけだと思います。
変わりたくない方は変わりたい気持ちになれとまでは言いませんが、
せめて別解を当たる気持ちでおいでになることを願ってやみません。
そうすれば持ち帰れないほどお土産を見つけることができるでしょう。
僭越ながら、書かせていただきました。
2017/04/15 URL 編集