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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)この10年ほどで、非常に顕著になってきた傾向としてあるのが、「なんでもかんでもランキングにする」という不思議な現象です。
ランキングをつけるということは、上下を付けるということです。
本来、需要というのはそれぞれのニーズに基づくものであって、上下関係のものではありません。
もちろん、ランキングが便利なものであることは否定しませんが、上下関係のつかない、もしくはつけるべきではないものまで、十把一絡げにランキングをつけるというのは、異常行動です。
たとえば、歌のランキングがあります。
歌には童謡唱歌から演歌、ポップスなど、いろいろな種類があります。
そのときの気分によって、楽しい歌が良いときもあれば、悲しい歌が良いときもあります。
どんな歌が好きなのか、どんな歌手が好きなのか、そのときどんな曲を聞きたいかは、それぞれの人の自由です。
ところが、それらすべてが十把一絡げに、ランキングされる。
新曲のCDセールスランキングというのなら、まだわかります。
相撲の番付のようなもので、特定のジャンルや期間を区切ったものならば、それは意味があると思います。
しかしその場合、ジャンルや期間がわかりやすいものでなければならず、また、新曲というのなら、新曲の定義が必要です。
これを旧作も含めたランキングとしたら、もう何のことかさっぱりわからなくなります。
いろいろ聞いてみると、どうもこのランキング、どれだけお金になるか、どれだけお金になったかということが、ランキングの意味になっているようなのですが、これまた不思議な現象です。
先日、テレビで盆栽の展示会のことを紹介していたのですが、そこでも盆栽の価格が大げさにとりあげられていて、ある盆栽が「1億円の値段が付くからすごい!」というまとめになっていました。
しかし盆栽というものは、その形の美しさや、造形の見事さなどもさりながら、どういう場所に設置するのかによっても、価値が全然異なってくるものです。
たとえば、和式の床の間に似合う盆栽もあれば、金屏風の前に置いて引き立つ盆栽もあるわけです。
金屏風の前で映えるからといって、小さな床の間に置いて光るとは限りません。
要するに、TPOによって映え方が異なります。
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「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉があります。
あるいは、
「立てば芍薬(しゃくやく)、
座れば牡丹(ぼたん)
歩く姿は百合(ゆり)の花」
という言葉があります。
意味はおわかりと思いますが、だからといって、芍薬、牡丹、ユリのそれぞれにランクを付けるという発想はそもそも日本にはありません。
「籠に乗る人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人」
という言葉もありますが、この言葉に登場する三者にランキングはありません。
それぞれがかけがえのない大切な存在と考えてきたのが日本人です。
時価数百億円のダイヤモンドの宝石を散りばめた、どんなに美しいハリウッド・セレブ御用達のカクテルドレスであったとしても、それを着て告別式に参加したら世間の顰蹙(ひんしゅく)を買います。
腕時計は、数百円のものから数千万円の時計まで、値段の幅は大きいですが、正確な時間を知りたいというのなら、数万円内外の電波時計か、スマホと連携の時計がもっとも正確です。
腕時計は、値段が高くなればなるほど、時計としての性能は悪くなります。
要するに、価値というのは、TPOやニーズによって異なるということです。
冒頭に歌のランキングの例を申し上げましたが、このはじまりは、かつての歌番組にあったように思います。
局側が勝手に仕組んだ根拠不明のランキングで、
「今週の第一位はこの曲です!」と言って、歌手と歌を紹介する。
視聴者の方は、1位という順位に引きずられて、その曲を良い曲だと思い込まされたものです。
けれど、たとえば昭和50年代の歌のランキング番組で、高いランキングを誇った曲が、いま、どれだけ生き残っているでしょうか。
むしろ、ベストテンにも入っていなかったような曲が、いまでもカラオケの人気ナンバーになっていたりします。
ランキングというのは、一瞬で比較の結論を得るには、たいへんにわかりやすいものです。
興行的には面白いものかもしれません。
それによって、どれだけ人を呼べるかのバロメーターにもなるでしょう。
しかしそのランキングが、どこかの国のフィギアスケートの審査のように、はじめから収賄や都合によって意図的に操作されたものであれば、操作された時点で、すでに意味を持ちません。
このあたりのマインド、つまり意図的に操作したランキングで世間をたばかるという思考回路は、どうもその、どこぞの国のマインドであるように思います。
そのどこぞの国では、上か下かは死活問題であり、常に最大の関心事です。
とにもかくにも、上に立てば、下を支配できるし、下にあれば上から何もかも奪われるという過酷な社会構造にあっては、下にいることは、常に恐怖です。
ですから、少しでも力があれば、その恐怖から逃れるために、上下関係、つまりランキングを調整しようとします。
そういう人たちが日本にやってきて、日本に住み、日本語を話して日本人の通名を名乗り、とにかく金さえあれば何でもできるとばかり、ライバル企業の製品に針を仕込んだり、企業舎弟と称するゴロツキに会社を脅迫させたりと、ありとあらゆる非合法手段を併用しながらのし上がり、いまでは日本社会の上部に大きな力を持つようになりました。
出自というのはおもしろいもので、そういう種類の人たちにとって、最大の関心事は、常に上下のランキングです。
日本人は、上下関係よりも、それぞれがそれぞれの立場で、お天道さまに恥じないしっかりした生き方をすること、毎日コツコツと努力を積み重ねることを大事にしてきました。
戦後、大学合格のためには偏差値なるものが採り入れられた時代もありましたが、戦前は、単純に試験の結果が合否を決めました。
ただし、陸海軍の学校の場合、身長体重、視力、健康状態、性格など、勉強以外の要素も合否の重要な判断要素となっていました。
そもそも、その人にとって本当に価値あるものに出会えるか否かは、その人の日頃からの心がけによります。
身を律していれば、いつの日か本当に価値あるものに出会える、そういうものです。
そもそも魂が、自らを磨くためにこの世に生まれてきているのです。
魂の成長に役立つような価値あるものは、そう安々とは手に入るものばかりではありません。
こうした考え方は、もともと日本人が、単に今を生きる、今だけの贅沢を求めるのではなく、人生を通じて自らの魂を磨くことに根本的な価値を見出してきたことによります。
私の尊敬するある先輩は、たいへんな読書家で、読むのも書くのも、とても速くて上手な人でした。
しかも字がきれいで、書いた文章は誤字脱字もなく、常に論理的で筋の通ったものでした。
とても、私など太刀打ちできるような人ではなく、いまも尊敬しています。
当時の私は、先輩がいったいどこでそんなすごい技術を身に着けたのかと不思議でした。
その先輩は、いつもカバンやポケットに本を持ち歩いていました。
けれどその本は、名前もあまり聞いたことがないような著者のものでした。
逆に先輩は、流行作家の本や、書店さんの店頭にあるベストセラーにはまったく無関心でした。
名前を言っても、「そんな人、知らねえよ」と言っていました。
そして著者名など聞いたこともないような、どちらかというとマニアックな、余程のツウでなければ知らないような作家の本ばかりを読んでいました。
そうすることで、先輩は、他の誰も真似のできないような実力を身に着けておいでになりました。
私自身、30代でその先輩と出会えたことが、ひとつの人生の転機になったと思います。
その先輩は、出世にもあまり関心のない人でした。
生活は十人並みで良い、けれど身につける学問は、
「何かを極めた人の本で学ぶ」
といっていました。
これは、昨今の、富を得たものが勝ち組、得ないものは負け組という価値観とは、まったく異なる考え方です。
けれど、金だけでは決して得ることができない、素晴らしい学びを得る喜びを、私はその先輩から学びました。
たぶん、その喜びは、金や上下関係だけしか知らない日本人のような顔をした日本人でない人には、絶対にわからないことだろうと思います。
私たちは、つくられたランキングのようないかがわしいものに価値を見出すのではなく、もっと本質的な日本人とての魂の入った価値観を取り戻すべきときにきているのではないかと思います。
追加です。
ある方がおっしゃいました。
「ニュースランキングって、おかしいですよね。
悲惨な殺人事件と、
どうでもいいお笑い芸人がどうしたこうしたが
一緒にランクインしている・・・・。」
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
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せび見てください!
kamikaze (歌・作詞 川村ゆみ) CD ゆみザウルス
https://youtu.be/yMVMJDDLkuM
2017/05/01 URL 編集
くすのきのこ
番付とは大相撲における力士の順位表・・しか~し・・単なる強さの順位表
ではないのです。横綱と大関とは意味あいが違うのです。横綱に要求される
ものと大関に要求されるものは違う。横綱は負けてはいけない・・それだけ
の心根の強さと茫洋感が必要。大関は技ありきの強さ。カテゴリーが違う。
こういうカテゴリーを感じさせないのであれば、大相撲とは・・言い難い?
江戸時代には様々な番付表で庶民が楽しんだと。(石川英輔著・大江戸番付
づくし)庶民の献立メニューなども番付とw番付表の楽しさは、そこに何を
読み取れるかです。見る側に知識がなければあまり面白くない。何故その番
付けなのかという書かれていない事や意図をアレコレと詮索して、人様と言
い合うのが娯楽なのです。中には横綱では無くて大関が好きな人もいたりし
て、何がいいのかを語るでしょう。それが楽しい。番付は単なる順位付けで
はありませんよ~~wwうん蓄ガイドラインでもありますw
日本語の魅力は言葉の綾です。表面とは異なる裏の意味合いがいくつかある。
和歌も恋愛視点と政治的視点ではまた別の意味が浮かび上がる。日本語は同
音異義語が多数あり、このことも多数の意味を持たせるのに一役買っている。
そして日本語は言葉をくっつけて造語できる。キモカワイイ・・とかwこの
単純だが含みは複雑な言語であるために、二元論と相性が合わないw善悪の
みの黒白のみの世界ではなく、偽善偽悪グレーも見分けるし認める。この単
純さと複雑さを併せ持つから、欧米言語を翻訳できた。中には恣意的な誤訳
もあったりするwコクサイレンゴウとかw(戦勝国)連合の事ですけどね。
ランキングは順位でしょうが、番付とはならないでしょう。
2017/05/01 URL 編集
愛信
(朝鮮モランボン楽団の北京公演の中止で、
彼女達の高度な演奏を発表する事が出来ずに
遺憾です。)
https://youtu.be/vM_gynhBbzg
(動画)
朝鮮牡丹峰樂團 超短迷?裙美女5重唱 《學習?》 high爆全場
https://youtu.be/TBv9kjfkiUk
(動画)
詳細は
【書籍街の掲示板】
http://www.aixin.jp/gktj/sss/sss.cgi
2017/05/01 URL 編集
one
素晴らしいことだと思います。私は”営業の神様”の動画を毎朝4分位、身振り手振り、緩急抑揚を真似しながら見ています。
もちろん営業は戦いであって、江戸社会とは対をなすもの、とは重々承知致しているつもりで御座います。
しかしながら、飛び込み営業で99%契約を取ってしまう、なんて人から学ぶものは、とてつもなく大きいです。私、営業はしておりませんが、礼儀・ものの順序・愛対意識・上手な人間関係の作り方等々、超一流から学べていることに、幸せを感じております。
一流の真似をすると、才能や何かに秀でた人が成功する。
超一流の真似をすると、凡人がスーパーマンに変身する。
これは大きな違いである。私、潜在意識にあったことを文章にすることで、はっと気がつくことができました。
誠にありがとうございます。
2017/04/30 URL 編集
junn
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6647.html
2017/04/30 URL 編集
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2017/04/30 URL 編集