「報告」だけではない、「復奏」という古事記に書かれた大事な観念とは(3)



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天若日子
20170515 天若日子
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)


一昨日から同タイトルで、古事記の「葦原の中つ国の平定」の物語を通じて描かれる報告と、古い大和言葉にある復奏(かへりごと)の違いを、古事記の「葦原の中つ国の平定」から学んでいます。

「復奏(かへりごと)は、いまではすっかり死後になっている言葉です。
しかし単に紙やメールや電話で報告するだけでは、実はちゃんと報告の勤めを果たしたことにはならず、関係者が一同に介した席で、ちゃんと顔を見せて報告をすることは、実はとても大切なことです。
なぜなら、与えられた仕事、あるいは任務というのは、与えられた側が結果責任を負っているだけでなく、与えた側も、与えるために意思決定に参加した人たちも、皆「与えた責任」を負担しているからです。

よく「おれ、会議は嫌い」という言葉を聞くことがあります。
眠くなるだけだし、何の発展性もないし、つまらないし、他にやることがたくさんあるし、だから会議なんて嫌だ、という人です。
こうした人は、結構、実力のある人、自分の実力に自信のある人に多く見られるようです。

けれど、そうした人が、意外と社内で様々な誤解を生み、気がつけば社の主流派から外されていて、出世コースから落第してしまうことが多いのも、また事実です。
会社から見ると、そうした人が落第することは、実力のある優秀な社員であるだけに、非常にもったいない。
また、その人自身にとっても、実力があるのに出世できない、力の発揮ができないということは、これはたいへんにもったいないことです。

そうならないためのヒントが実は「復奏」で、良識ある企業文化を共有するということが、いかに大切かということが、なんと古事記に書かれている。
これはすごいことだと思います。
とりわけ今日お話する天若日子(あめのわかひこ)の段では、復奏がないことが組織人としての命にまで影響を与えてしまうということが書かれていてます。

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いま、イスラエルとの間で、大きなプロジェクトを進めている友人がいます。
彼が先日、イスラエルのスタッフとのビジネスの様子をメールしてくれました。
そこには、概略次のようなことが書かれていました。

 *

イスラエルでは、エネルギーとても軽く感じます。
ビジネスパートナーとなっている彼らは、
「人生は楽しむためにある」と考え、「毎日を感謝しながら」生きているようです。

たとえばイスラエルは、とても休日が多くて、日本の3倍もの祝日があります。
彼らはその祝日を祝い、感謝します。
日本では、金曜半ドンになって、休みが増え、そのことが日本企業の生産性を落とすのではないかと心配する声がありますが、日本よりもはるかに休日の多いイスラエルは、日本よりはるかに世界最先端技術の進んだ国です。
生産性は、休日の多寡ではないとあらためて気付かされました。

彼らは「アイディアとはレボリューショナル」と考えているようです。
そのために会議の場においても、常に「次はどうしようか」という「励ましのエネルギー」を持ちます。
失敗も進化のうち。
成功と失敗は紙の裏表。
どちらも生成発展する人と宇宙の営みの中のプロセスに過ぎないし、人生とは生成発展する旅のプロセスなのだからと、他人の意見を否定するのではなく、そこから「もしそれが成り立つなら~」と考える習慣を持ちます。

このときに、彼らはよく「out of box」という言葉を多用します。
狭い考えから脱却するという意味の慣用句です。
だから会議は、角度を変え、次元を変えるためにあると考えていて、会議がものすごく楽しいものになっています。

 *

「復奏」は、平たく言ったら「報告会議」のことです。
その報告会議とは、どのような人の前で行われる会議であるべきなのか、そして、なぜそのような会議が必要なのかが「復奏」という言葉の中に込められています。
そして会議は、本当は面倒なものでも、重たいものでも、眠たいものでも、時間の無駄でもない。
会議の姿勢ひとつで、会議は「out of box」になっていきます。

けれど、それが不適切でなされないと、これは命に関わる問題となくるわけです。
それが今日の、天若日子(あめのわかひこ)のお話です。

────────────
4 結婚した天若日子(あめのわかひこ)
────────────

天菩日神がなかなか復奏してことないことに、業を煮やした高天原では、再び会議を開き、天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子である「天若日子(あめのわかひこ)」を地上に遣わすことを意思決定します。
そしてこのとき天若日子に高天原の神々は、
 天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)
 天之波波矢(あめのははや)
を手渡しています。
今度は武器を持たせての派遣です。
どれだけ高天原の神々の、天若日子への期待が大きかったかということです。

ところが古事記は続けて、
「天若日子は中つ国に降りると、大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)を妻にし、国を自分のものにしようとして、八年経っても復奏をして来なかった」と書いています。

ここに大国主神の娘として、「下照比売(したてるひめ)」が登場します。
その下照比売が、高天原から中つ国に派遣された天若日子と結婚するわけですが、このような神々のお名前というのは、それぞれに意味があります。

天若日子は、イザナキ、イザナミの間に生まれた金山毘古(かなやまひこ)の子の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の子です。
つまり、イザナキ、イザナミの血を引く、二神の孫にあたる神様です。
そして天若日子という名は、高天原の若々しい、神々の血を引く日の子であるという名前です。
失礼をかえりみずに今風にいえば、相当イケメンの創成神直系のお孫さんです。

そういう天若日子が、葦原の中つ国を治める大国主神のもとにやってきたのです。
大国主神にはたくさんの子がありますが、古事記が記録している大国主神の娘は、下照比売だけです。
「下照」という言葉は、「上照」に対応した言葉です。
つまり、高天原の天照大御神が天上界で照らす「上照神」なら、地上界の中つ国を照らすのは「下照」だといった語感があります。

おそらく大国主神は、女の子である下照比売が、天つ神である天若日子と結ばれることで、将来、高天原と中つ国がひとつに結ばれていくという期待があったのであろうと思われます。
また、アマテルに対応したシタテルという名前に、大国主神の下照比売への深い愛情が感じられます。

その愛する娘を、大国主神は、天若日子と結婚させています。
大国主神の天若日子への期待が、わかろうと思います。

天若日子にしても、大国主神の娘の下照比売との結婚は、自分の任務である中つ国を「騒々しい国から静かな国に戻す」という大きな使命を達成する上で、とても貴重なお話です。
本人も喜んだでしょうし、中つ国の大王のプリンセスと、高天原の王子との結婚なのです。
おそらく結婚式の場には、高天原からも、天若日子の両親をはじめ、たくさんの列席者がいたであろうことは、常識として十分に考えられることであろうと思います。
家出娘と勘当息子の結婚ではないのです。
これは両家の祝福された結婚です。

といことは、高天原と中つ国は、ここでも「ちゃんと日常的交流があった」ということになります。
そして日常的交流があれば、天菩日神のときと同様、天若日子は、そうした交流を通じて、随時必要な状況報告は高天原にあげていたことは、容易に察することができるものと思います。

ところが高天原の理解は、
「八年経っても復奏をして来ない。
 これは中つ国を天若日子が
 自分のものにしようとしているのではないか」
という疑いになってしまうのです。

ここでも「復奏(かへりごと)」の大切さが強調されているわけです。
 
そして心配した高御産巣日神は、諸々の神々に、
「天若日子は久しく復奏がない。
 次はどの神を遣わして、
 天若日子がひさしく留まっている理由を
 問わせたらよいであろうか」と問います。

────────────
5 キジと「さぐめ」
────────────

諸々の神々と思金神は、
「それでは鳴女(なきめ)という名の雉(キジ)を遣わしましょう」
と答えます。
そして雉(キジ)に、
「お前が行って天若日子に問うことは、
 汝を葦原中つ国に遣わせた理由は、
 その国の荒振(あらぶ)る神等を、
 言趣(ことむ)け和(やは)すためである。
 どうして八年経つのに復奏しないのか、である」
と詔します。

キジの鳴女は、天(あめ)から降って、天若日子の家の門にある湯津楓(ゆつかつら)の木に止まります。
そして、詔の通りに伝えます。
ところがこれを聞いたのが、不幸にして「天佐具売(あめのさぐめ)」であったわけです。
「天佐具売」の「佐具売」は、「此三字以音」と書かれています。
つまり、これは大和言葉の「さぐめ」であるということです。

大和言葉の「さぐめ」は、「探る女」を意味します。
大国主神が天若日子に付けた間者のことです。

大国主神は娘の下照比売も可愛いし、天若日子も信頼しています。
信頼しているから結婚を許可したのです。
それでも隠密間者を天若日子の身近に付け、逐次天若日子の行動を見張らせています。
これは上に立つ者として、当然の行動です。

こうした間者という者は、周囲に対して常に疑いを持つ者でなければなりません。
頭から人を信用するようなタイプでは、「さぐめ」は務まらないのです。

天若日子にとって不幸だったのは、キジの鳴女から、高天原からのメッセージを聞いたのが、たまたまこの「さぐめ」であったことです。
「さぐめ」は、いわゆる教養人ではありません。
本来の職務は、大国主神の娘である下照比売を警護することにありますし、そのためには何事にも警戒することが仕事です。
ですから「さぐめ」にとって必要なことは、大切な下照比売に危害が及ばないように、比売(ひめ)の安全を確保することであって、キジの話す内容ではありません。

ですから「さぐめ」は、キジの話す内容ではなく、「わけのわからないことを言っているおかしなキジが来た」と警戒します。
そしてキジを「怪しい者」と感じて、天若日子に「射殺すべき」と進言しています。

天若日子にしてみれば、大国主神から付けられた間者がそのように言うのです。
とりあえずは言うことを聞いておいたほうが無難です。
それに相手は、ただのキジなのです。

天若日子は弓矢で、そのキジを射殺します。
ところがこのときに使った弓矢が、高天原から賜った「天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)」と「天之波波矢(あめのははや)」なのです。
「麻迦古(まかこ)」の「かこ」は鹿の子という説、古語で「かこ」とは水夫のことなので船上で用いる弓という説などがありますが、いずれも大型の強い弓のことを意味しています。
「波波(はは)矢」の「はは」とは古語で大蛇のことで、これは大蛇を射抜く強い矢という意味です。
要するに、威力が絶大なのです。

このため放たれた矢は、キジを射殺しただけでなく、その体を貫いて、さらに遠くへ飛んでいき、「射上がって天の安河の河原に坐(いま)す、天照大御神、高木神(たかぎのかみ)の御所に逮(いた)り」ます。
高木神というのは高御産巣日神の別名です。

矢が高天原まで届いたのは、高天原とある神界と中つ国が次元を隔てているだけで時空間に共存しているということを意味しているのか、それとも、キジの鳴女が、単独ではなく、誰か別な者と一緒に中つ国に行っており、その者が復奏する際に矢を持ち帰ったのか、それは文面だけではわかりません。

いずれにせよ、そのキジの鳴女の血の付いた矢は、高木神(高御産巣日神のこと)のもとに届けられ、高木神は、
「もし天若日子が命(みこと)を誤っていないのなら矢は当たるな。
 もし天若日子に邪心があるならこの矢は麻賀礼(まがれ)」
と言って、中つ国に矢を差し戻します。
麻賀礼(まがれ)とは「禍(まが)れ」」という意味です。

すると戻された矢は、寝ている天若日子の胸元を貫きます。
こうして天若日子は亡くなってしまいます。

「復奏(かへりごと)」を怠るということが、どれだけ大きな影響を及ぼすのか。
ペーバーやメールで報告を怠りなく行っていても、顔を会わせた会議の席で関係者が一同に介する前で、オフィシャルな報告がなければ、結果として組織人として大切な命さえも失いかねないという怖さが、こうして描かれます。

さらにこの段ではもうひとつ。
自分で直接見聞していないことを、信頼する、もしくは信頼すべき部下の報告だからといって、真に受けて信じて行動することの、愚かしさ、危うさも、古事記は教えてくれています。
たとえ、とるにたらない相手(この場合はキジ)のように見える相手であっても、弓を射るということは、ひとつの生命を奪うことです。これは重大なことなのです。

しかも天若日子は、高天原から使命を帯び、また中つ国においても、これを改良するという重大な使命を帯びています。
微妙な立場であるだけに、
「もしかすると、キジは使いかもしれない」
と考えるだけの注意深さが本当は必要だったといえるのです。

さらにいうなら、サグメは、それとわかる大国主神から付けられた探索方です。
そういう人が部下であるわけです。
そしてその探索方が、「キジの声が良くない」と報告してきたわけです。
単に声が悪いというだけでなく、そこでキジが何を言っていたのか、そのことを、実は天若日子は一挙手一投足で知ることができたはずだったのです。

天若日子は、高天原の神々から推薦を受けることができるだけの優秀な若者です。
しかもその派遣にあたっては、神通力を持った弓矢を与えられるほど信頼された若者です。
その弓矢は、武力を象徴します。
人の上に立つ者は、武力行使をするときには、迷わず果敢に行わなければなりません。
けれど、その行使の前に、事情を自分で見聞するという慎重さが求められるのです。

このことは、少し言い方を変えるなら、
 噂信じて行動することの馬鹿らしさ。
 真実を見極めるための大切さ。
 そして上に立つものは、部下の報告を鵜呑みにせずに、自分の目と耳で確かることの大切さ、でもあります。
要するにインテリジェンスの欠如した行動が、無駄な死を招くのです。
これはまさに今の日本にぴったりの教えといえるのではないでしょうか。

このようなことを、古事記は物語のカタチをとって、私たちにわかりやすく教えてくれています。
そして古事記のすごいところは、このような大事なことを、ただ物語のストーリーで明確にするというだけでなく、そこに感動を与える物語を付与することで、さらにこれを強く印象付ける配慮がなされていることもあります。

それがどのような感動話なのか。
それは、明日のお楽しみとします。

お読みいただき、ありがとうございました。

「報告」だけではない、「復奏」という古事記に書かれた大事な観念とは
第一話 天忍穂耳命
第二話 天菩日神
第三話 天若日子
第四話 下照比売

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「お詫びと訂正」
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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。ヤダヤエリートは、小さい頃からタルムートでディベートの訓
練を積むのが伝統らしいですよ。ディベート好きな人には楽しいかも~w
アメから多額の海外援助費貰ってますし国の予算のしくみがニホンとは違い
ますよ。つまり休日多くてもアメから吸い取れますしwだからかな?アメ庶
民の一部は、アメはイスラエルの植民地だ~~と表現してたりする。国と国
を比較するのには、単に数字を並べるだけではなくその国の縁起と伝統と現
実も加味してみる必要があるのでは?
一方、ニホンは戦後復興時の多大な?アメ(日系)庶民の寄付以外は全てア
メに支払ってますし。麦も裸麦の自国生産を減らされてアメに小麦買わされ
てますし。アメ軍にカネを払う方が自軍でやるより防衛費は少なくて済む~?
・・やり方次第の可能性あるかもね。

junn

No title
慰安婦強制連行の虚構と元朝日記者の耳を疑う弁解「間違いに気づいていたが…」
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1584.html

natural9

No title
いつも読ませていただいてます。ありがとうございます。
本文中に、日本よりはるかに世界最先端技術とありますが
どういった分野、技術なのでしょうか?
教えていただけないでしょうか。
少なくともある自動車などの工業分野、物作りの技術では、日本の方がはるかにイスラエルを凌駕していると思います。

ラベンダー

おはようございます。
毎日、生きるためのヒントが盛りだくさんのブログの更新をありがとうございます。

神社の片隅で、ねず先生の古事記序文を読み上げています。

古事記や和歌を知ることで、神代からの縦糸で結ばれることの有難さを感じます。


ちはやふる 神のまもりに よりてこそ
わが葦原の くにはやすけれ
明治天皇御製

昨日の参拝で、とても心に響きました。
大切にしなければいけないメッセージだと思いました。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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E-mail info@musubi-ac.com
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