「報告」だけではない、「復奏」という古事記に書かれた大事な観念とは(4)



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下照比売
20170515 下照比売
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今回、4日間連続で「復奏(かへりごと)」という、いまではすっかり死語になってしまっている言葉が、実は、かつて神話教育がなされていた頃には、とても大切な常識語として定着していたということをお話しています。
前回の末尾にも書きましたが、古事記のすごいところ、おもしろいところは、こうした大切なことを記すのに際して、ただ筋書きだけを語るのではなく、そこに感動や共感を与える物語を付することで、そうした大事なことを人々の心に強く印象付ける工夫が凝らされているところです。
それがどのような話なのか、というのが、今日のテーマです。

────────────
6 下照比売の悲しみと天若日子の葬儀
────────────

天若日子(あめのわかひこ)が亡くなったことで、妻の下照比売(したてるひめ)は嘆き悲しみます。
その声は、天にいる天若日子の父にまで届き、父は妻とともに中つ国に天降ります。
そして盛大な葬祭を営みます。

それがどれだけ盛大な葬儀であったのかについては、ここでは省略します。
ただ、八日八夜続く葬儀であった、ということだけを記しておきます。

この盛大な葬儀が営まれているとき、斎場に阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)という神様がやってきます。
阿遅志貴高日子根神は、下照比売の兄です。
つまり大国主神の子です。

ところがこの阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)という名は、実に不思議な名前なのです。
「阿遅」は、遅れてやってきたという意味です。
「志貴」は、貴い志です。
「日子根」は、日が天照大御神ですから、天照大御神の子孫(子)を根とするという意味です。
つまり、中つ国の大国主神の子であるはずなのに、名前は「高天原系の血筋です」と書いてあるのです。
これはいったいどういうことでしょうか。

その阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)が葬儀にやってくると、高天原から来ていた天若日子の両親は、皆、泣きながら、
「我が子は死んでなかった」
「我が君は死んでなかった」と言って、手足に取りついて泣くのです。
なぜかというと、その阿遅志貴高日子根神が、亡くなった天若日子とそっくりだったからだと古事記は書いています。

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そこで思い出すのが、以前、保育園の親子会で体験した、不思議な出来事です。
子供たちが、教室の後ろの方に下がり、お母さんたちが、教室の黒板側の方に移動し、教室の横いっぱいに貼られ、床まで届いた模造紙の後ろに隠れます。
その模造紙には、指先だけが出せる程度の小さな穴が空いていて、お母さんたちは、その穴から、片手の手先だけを子供たちに向けて出します。
つまり子供たちから見えるのは、お母さんの指先だけです。

この状態で、先生が、
「さあ、君たちのお母さんはどこにいるのかな。
 おかあさんのところに行って、手をつなぎましょう!」
と子供たちに声をかけます。
「ようい、どん」
で子供たちは、まっすぐに走っていって、自分のお母さんの手を握ります。
このとき、子供たちは、まったく迷わずに走っていって、自分のお母さんの手を握るのです。

模造紙が破られます。
すると、なんと驚くべきことに、すべての子供たちが、まったく迷わずに自分のおかあさんの手を握っていることがわかるのです。

お母さんたちは、模造紙の後ろです。
子供たちから見えていたのは、お母さんの片手の指先だけです。
それでも、子供たちには、自分の母がわかるのです。
これにはほんとうに驚きました。

けれど考えてみると、親子というのは、そういうものです。
小学校の運動会などに行くと、同じ体操服を来た児童たちが、運動場にいっぱいいます。
けれど、お父さんもお母さんも、あの大勢いる児童たちの中で、自分の子供がどこにいるのか、ちゃんとフォーカスできてしまうのです。
親子というのは、そういうものです。

その親が、「我が子は死んでなかった」と、阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)の手足に取りついて泣いた、と古事記は書いているのです。
しかもその名前は、どうみても「日の子」、つまり大国主神の子、国つ神ではなくて、高天原の「日の子」というご神名です。
つまり、葬儀に現れた自称、下照比売の兄の「阿遅志貴高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)」は、実は、天若日子(あめのわかひこ)本人であったと、古事記は名前でちゃんと書き表しているのです。

ところが、取り付いて泣く親たちに、自称:阿遅志貴高日子根神は、おおいに忿(おこ)り、
「私は親友だから弔(とむら)い来たのだ。
 なせ私を穢(けが)れた死者と一緒にするのか」
と言って、刀を抜くと喪屋を切り伏せ、足で蹴散らして去ってしまうのです。

────────────
7 下照比売の歌
────────────

阿遅志貴高日子根神が去ったあと、下照比売は次の歌を歌います。

 天(あめ)なるや
 弟棚機(おとたなばた)のうながせる
 玉の御統(みすまる) 御統(みすまる)に
 穴玉(あなだま)はや
 み谷 ふた渡らす
 阿治志貴高日子根神ぞ


意訳すると次のようになります。

「天上界においでになる若い機織り娘が
 首に架けている首飾りの緒で貫く穴の空いた玉は、
 二つの谷を渡る阿遅志貴高日子根神です」

一見すると、兄の阿遅志貴高日子根神を讃えた歌にも見えます。
しかし歌は、「玉を緒で貫く、ふた渡らす」と詠んでいます。
そしてその玉の緒は、天上界で紡がれたものだとも詠んでいます。

天若日子は、天上界である高天原で生まれた神です。
その御魂が緒でつながっているということは、
これは「死んでいない」ということです。
その死んでない天若日子が、「阿治志貴高日子根神ぞ」と詠んでいます。

歌から、ここまでの記述を逆に読んでいくと、次のことがわかります。
天若日子は実は胸を矢で貫かれました。
けれど死んではいなかったのです。

天若日子は、それなりに真摯に中つ国と高天原の統合を願い、そのために働いてきたのです。
そういう誠実な若者だから、大国主神も信頼して娘の夫に選んでくれたのです。
けれど「復奏(かへりごと)」がなかったために、天若日子は、高天原から疑われてしまいます。
そして自分が疑われているとことを、自分に中った矢で知るのです。

言い換えるとその矢は、高天原が天若日子に死を賜ったということです。
事態がそこまで来ているならば、もはやどんな言い訳も通用しません。
そうであれば、天若日子は従容として死ななければなりません。
それが、男としての責任の取り方です。

ただ現実には、天若日子は、自分なりに本気で誠実に事を進めてきたのです。
中つ国に派遣される前の天若日子には、もしかしたら、高天原に意中の女性がいたかもしれません。
なにせ、若くていい男なのです。
そして高天原にも、若い独身女性はいるのです。
天若日子と結婚したいと想う女性もいたかもしれませんし、天若日子が結婚をしたいと願った女性がいたかもしれません。

けれど天若日子は、自分に与えられた使命をまっとうするために、高天原での生活のすべてを捨てて、任地である中つ国に赴いているわけです。
そして中つ国の大王である大国主神から、「わが娘を」という話に従い、下照比売を妻に迎えています。

もちろん経緯はともあれ、天若日子は、妻の下照比売を大切に想ったであろうことは容易に推測できます。
しかし、天若日子は、様々な誤解が積み重なって、死を賜ることになってしまったのです。

ひとつ救いがあるのは、高天原の最高神は、天照大御神様であることです。
天照大御神は、最高神です。
最高神であるということは、何もかもお見通しであるということです。
そうであれば、いつの日か誤解が解け、復命できる日がやってくるかもしれない。
天若日子が、そのように決断できたのは、彼自身が、中つ国が静かなる国になるように、彼にできるすべての事柄を、彼なりに誠実に履行してきていたからにほかなりません。

そうであるならば、自分は、ここでは「死んだこと」にしておいて、当分の間、身を隠そうと、実はこのようなケースは、日本史には度々登場します。
ところが、そうと知らない妻の下照比売は、夫が死んだと嘆き悲しみます。
その比売の嘆きを聞いて、高天原にいる両親も、息子が死んだと思って、わざわざ遠く高天原からやってきて、悲しみに沈んでいます。

そこで天若日子は、下照比売の兄を名乗って、両親や妻の前に現れたのです。
本当は、可愛い妻だけに、物陰からそっと手招きして、
「おい、オレだ。」
「えっ、あなた!、まさか生きてたの?」
「うん、いろいろ事情があってな。死んだことにしておいたんだ」
「良かった。あたし、あなたが死んだとばかり思って・・」
といった具合な展開で、妻をギュッと抱きしめて・・・という姿を天若日子は思い描いていたのかもしれません。

ところが、そうしてやってきた天若日子を、親が見つけてしまうわけです。
いくら、「私は下照比売の兄だ!」と言い張ったところで、親には本人かどうかくらいわかります。
しかし、両親は、高天原の神なのです。
処刑されたはずの天若日子が生きていて、両親が隠したとなれば、その咎は両親に及びます。
周囲の目もあります。
天若日子は、親に迷惑がかからないようにと、心を鬼にして祭壇を壊し、大暴れして去っていくのです。

この短い挿話の中で、阿遅志貴高日子根神の名は、歌では阿「治」志貴高日子根神と、名前の文字が「遅」から「治」に変わっています。
はじめの「阿遅」は、葬儀に遅れてやってきたことです。
あとの「阿治」は、間違いを整えようとしたということです。
なぜなら「治」には「間違いを整える」という意味があるからです。

そして「治」が間違いが整えられたという意味なら、後年、天若日子は嫌疑が晴れて、再び下照毘売と幸せに暮らしたということになります。
なぜなら下照比売の名前も、ここで「高比売」と変わっているからです。
夫が「志貴」なら、妻は「高」です。
二神揃えば、それは「高くて貴い志」を遂げたという意味になります。

古事記は、この節の末尾に、
「この歌は楽器とともに演奏される歌(夷振(ひなふり))です」と書いています。
夷振(ひなふり)というのは、宮中の大歌所(おおうたどころ)に伝えられた楽舞のことです。

天若日子と下照比売の物語が、感動的な二人の物語になっているからこそ、それが宮中楽舞として、長く伝えられたのだろうということができます。
なぜなら、天若日子の夫妻は、一時は疑われてつらい思いをしたけれど、任務をよく遂行しようとし、また互いに深く愛し合う一途な気持ちを抱いています。

「この世は、あの世からみたら仮想現実なのだ」ということが古事記の世界観と言って良いと思います。
そしてこのことが、シミュレーション仮説として、現代科学の最先端理論となっているということを先般ご紹介させていただきました。

ではなぜあの世の御魂の世界の住人は、この世をバーチャル世界として作られたのか、あるいは御魂となって、この世の肉体に宿るのかといえば、それは
「愛を経験できるからなのだ」そうです。

この世は、まさに愛のために築かれたというのが、真理なのだという話を、先日、ある方から教わりました。
古事記に書かれたこの下照比売と天若日子を通じて、私は、それが真実かもしれないと思いました。

────────────
8 まとめ
────────────

現代では死語になってしまっている「復奏」ですが、実際の社会において、「復奏」という言葉こそ失われているけれど、顔を見せての報告が大切な要素であるということは、誰もが社会人としての経験則から学ぶことです。
そして、こうしたことの重要性が、「復奏」という言葉があることによって、より明確になり、社会や組織の中での多くの失敗を防ぐことができることになります。

この「復奏」について、古事記の葦原の中つ国の平定の箇所を訳しているときに、もし自分が若い頃、社会人となった当時にこの「復奏」という言葉を知っていたのなら、おそらく自分のサラリーマン生活は、もっと大きく変わった、もっと良い方向に向かっただろうな、と、しみじみ実感しました。

そして古事記は、たいせつなことを、ただ「たいせつだ」と書くのではなく、そこに感動のストーリーを挿入することで、大事なことを、さらに強く印象付けようとする工夫まで凝らしてある。
これはすごいことだと思い、4回に渡って、この物語を特集させていただいた次第です。

西欧における宗教には、教義があり、その教義を学ぶことが宗教活動の一環ともされています。
ところが日本のかんながらの道では、そうではなくて、神話という子供でもわかる平易な物語仕立てにしながら、それが年齢とともに、あるいは自分自身の成長とともに、
「なるほど、そこに書かれているのは、そういう意味だったのか」
という気付きを与えてくれる仕様になっているところが、実は、本当にすごいところだと思います。

そしてこの、「教えてもらう」のではなく、「自分で気付く」ことを大切にした日本の文化というものは、どんな教義よりも、はるかに人間の持つ主体性を大切にし、人の持つ可能性を信じている文化なのではないかと思いました。

古事記は、このような人が生きる上で大切なことを、私たちにわかりやすい物語で伝えてくれています。
そしてその大切なことを決して忘れることがないように、感動の物語で伝えてくれています。
さらに古事記は、その感動を「愛」で語ることによって、我が国が「愛」を大切にした国であることも教えてくれます。

「愛」という字は、音読みしたら「アイ」ですが、訓読みは「いとし、めでる、おもい」です。
そしてその、「愛(いと)しく愛(め)でるような愛(おも)い」のことを、やはり「愛」の訓読みで、昔の人は「うつくし」と読みました。
このことは、古くからの日本人が、「愛」というものをどのようなものと考えていたのかを私たちに教えてくれているといえることなのではないでしょうか。

(1)〜(4)まで、たいへんに長いお話となってしまいましたが、おつきあいくださり、ありがとうございました。

「報告」だけではない、「復奏」という古事記に書かれた大事な観念とは
第一話 天忍穂耳命
第二話 天菩日神
第三話 天若日子
第四話 下照比売

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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。今回は、呑み屋の江戸猫の一人喋りもどきで・・
あっしが古事記で好きなのは、イザナミさまが黄泉の国にいなさるところだ
ねえ・・死後は誰もが国母がおわします黄泉の国へと行けるって事だから。
親より先に逝っちまう親不孝をしても、その先に国母がいらっしゃる。下手
すると追い返してくれたりする・・鬼の様に現世でやり残した事あるでしょ~
って言ってさwそんなとこだから、そこで親を待つのは寂しくないだろうっ
てね・・そう感じるねw悪い事ばっかりしてたら、怒られるねw閻魔様とどっ
ちが恐いかな?wそれから・・日本の社会ってのは昔っからま~ったりして
たのか、アマテラスオオミカミが岩戸に引っ込むまで、問題児の狼藉に手を
打たず、ついに大問題になってようやく会議の日々・・しかも解決法が宴会
だってんだから面白い。世界に日の光を取り戻すための盛大な宴会wいいね
えww酒も出たのかな?w

junn

No title
すべては神のもの 人間のものは何も無い
http://www5c.biglobe.ne.jp/izanami/kaminohado/004ashirirera.html

junn

No title
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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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