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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)今日、お話するのは「勤勉革命(きんべんかくめい)(英:Industrious Revolution)」です。
これは、国際日本文化研究センター名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、麗澤大学名誉教授、経済学博士の速水融(はやみあきら)教授が唱えた歴史・経済用語で、いまや世界的な用語になっている社会・歴史用語です。
産業革命という用語は、学校でも習うので皆様御存知と思います。
産業革命は西洋で起きたもので、ひとことでいうなら、人が家内工業的に行っていたモノ作りが機械に代わり、大型化して工業化することで生産性が劇的に向上したとするものです。
この産業革命によって大量の余剰生産が生まれるようになった英国は、世界に販売市場を求め、これが7つの海を征する大英帝国大発展の基盤となりました。
そして産業革命によって、英国人の生活は豊かになり、その豊かさが民間の教育令ベルを上げ、英国人の生活革命を実現したというのが、いわゆる産業革命について語られることです。
つまり英国では、産業革命が先、その後に民間の生活革命が起こったという流れになっています。
ところが速水教授は、日本ではまったく異なる革命があったと主張したわけです。
それが勤勉革命(インダストリアル・レボリューション)です。
速水教授は、日本の江戸時代に食料生産高が増えて人口も増加したのに家畜数が減ったことに注目しました。
順を追って説明します。
関ヶ原の頃の日本の総人口はおよそ1500万人です。
ところが江戸中期には、人口はおよそ倍の約3000万人に倍増しました。
この時代の日本は鎖国しています。
つまり人口は、食料の国内生産高以上に増えることはありません。
つまり17世紀初頭から18世紀初頭という100年の間に、日本国内の食料生産高が倍増したのです。
食料生産高が倍増したから、人口も倍増したのです。
なぜ食料生産高が倍増したのでしょうか。
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これには理由があります。
江戸時代以前の日本社会では、名主と呼ばれる大地主たちが、名子(なこ)と呼ばれる小作農たちを動員した大規模農業経営が一般的でした。
この名主がいざというときに名子とともに集団武装したものが、武士団です。
ところが江戸時代に至り、世の中から戦(いくさ)がなくなります。
世の中平和ですから、集団で武装する必要がなくなります。
すると名子と呼ばれた小地主たちは、豊かさを求めて平野部の開墾を進めます。
こうして江戸初期から中期にかけて、耕地面積が劇的に広がりました。
これにあわせて人口も倍増したわけです。
ところが江戸中期になると、新しい農地の開拓は、開拓しつくされておおむね終わってしまいます。
そこで人々は、限られた面積の耕地の中で、いかに生産性をあげるかに腐心するようになりました。
このために、それまでは牛馬に引かせることで、割りと大雑把に耕していた田んぼや畑を、今度は人が丁寧に手堀りで耕して、密度の濃い農業生産を行うようになりました。
また、栽培に使う肥料も、それまでは里山の腐葉などの自然肥料が持ちられていましたが、もっと栄養価の高い干鰯や油粕などの金肥(かねごえ)と呼ばれる人工肥料(化学肥料)が使われるようになりました。
すると農家の中に、現金収入をあてこんで、こうした(化学肥料)を作る人々が生まれるようになりました。
また、できあがった肥料を運ぶためのズタ袋を家内手工業的に製造したり、販売輸送のための輸送業者が生まれたり、これを売る卸問屋が繁盛するなど、付随した様々な産業が発達していきました。
こうして農業だけでなく、農業付随の家内手工業が発達し、それによる生産物の流通が活発になると、これら一連の農業関連製品の生産が促されて産業化していきます。
そして産業化は、良い製品つくりのための競争を促し、研究され、開発されていきます。
こうして狭地での農業耕作活動がより高度化されることによって、土地の農業生産性が劇的に向上します。
耕地1反(いったん)あたりの石高は、江戸時代初期の0.963石から、明治初期にはなんと1.449石です。
なんと1.5倍に増加しています。
ところが人口は変わっていません。
ではどうなったのかというと、生産性の向上が庶民生活の余裕となり、その余裕が識字率の向上や読書の普及などの民間教育の進化を生み、農村歌舞伎など、大衆文化の発展を生み出し、各地の農業団体による団体ツアー旅行が活発になることによって、各地の外食やみやげ産業が育まれていきました。
さらに名子の自立は、大名主の指導から、各人の自立的な農業経営を生み出し、このことが、たとえば戦国期までの大衆生活では、着物は麻が主流であったものが、木綿の普及によって着心地の良い綿の衣服が主流となり、さらに木綿の着物の普及が、衣服の生地のデザインの発展をももたらし、また食器に使う陶器の発展にもつながっています。
要するに江戸中期以降の日本では、家畜を利用した生産を、勤勉努力によってその生産性を劇的に向上させたという点に注目して、これを勤勉革命(インダストリアル・レボリューション)と名付けたわけです。
そしてこの勤勉革命があったからこそ、日本は幕末の欧米列強の植民地支配から、有色人種国として唯一、これに抗する産業革命を短期間で実現することができた、というのが、速水教授が唱えた勤勉革命です。
この勤勉革命について、速水教授は、英文でも本を書いていて、早くから欧米でもこの説は紹介されました。
勤勉革命論は、
日本=勤勉革命が起こって市民生活が向上し、産業革命が実現した。
英国=産業革命が起こって市民生活が向上し、勤勉革命が実現した。
と、まったく異なる流れを提唱しています。
これは聞き捨てならないと、速水教授の講演を聞いた英国のJan de Vriesという学者が、昭和61(1986)年に著書の中で、英国でも、実は産業革命の前に勤勉革命が起こっいたのではないか。
産業革命以前に勤勉革命が起きて市民生活が改善されていたから、様々な商品への需要の高まりがあり、このことが結果として産業革命の必要を起こしたのではないかと説きました。
それまでの西欧における歴史認識は、どこまでも工業の機械化による生産革命(産業革命)があったから、社会・経済に大変革が起きたとするものでしたから、このVriesによる主張は、賛否両論、たいへんな議論を西欧で巻き起します。
こうして西欧では、勤勉革命について様々な議論が行われ、現代においては、むしろ勤勉革命があったから、産業革命が起きたという論が主流になりつつあるといわれています。
要するに、日本人の歴史理論が、新たな歴史認識の幕を開けたわけです。
この勤勉革命論は、日本の歴史にも、大きな影響を与えています。
たとえば幕末明治維新にしても、これが成功した背景は、江戸時代の武士たちの民度が高かったからといった、抽象的な解釈ではなく、むしろ江戸時代に勤勉革命が進み、そのことによって教養豊かな国柄があらかじめ出来上がっていたことにこそあると考えたほうが、歴史を語る上で合理的といえるからです。
おもしろいことに、明治初期に日本を訪れた西洋人の中には、日本人は怠惰な民族と感じた人も少なからずいたようです。
なぜかというと、産業革命によって工業化を経験した西欧人からみると、この時代の日本人には「定時性」という概念があまりなかったからです
けれど実際には、定時に集まって生産活動を開始するという工場勤務などと異なり、日本人はむしろ「早起きは三文の得」と考えて、いかに人より努力するかを大切にしていたわけです。
そして、早起きしてでも働く、生産性を高め、競争力のある品質を得るために、常に努力を重ねるという勤勉努力は、もともとの日本人の国民性と相まって、庶民に至るまで教養の高さを生み、そのことが、黒船来航以降、欧米列強にあらゆる面で、追いつき追い越せという日本人の行動になっています。
要するに、勤勉革命というものがあったからこそ、江戸期の日本は人口が倍増し、豊かで民度の高い国民性が育まれたわけですし、少しわかりやすく言うならば、その勤勉革命を経験していなかったから、ChinaやKoreaでは工業化が行われ、義務教育を含む教育制度が確立してもなお、民度があがらない。
なぜなら人々の間に、勤勉によって生まれる知性から生まれる豊かさを努力して得る経験がないからです。
つまり、産業革命が行われても、いまだ勤勉革命が実現できていない。
少し考えたらわかることですが、泥棒して他人の財を奪うより、自分でコツコツ努力して生産性を高めて行ったほうが、長い目で見たら、家族みんながはるかに豊かになるのです。
盗むより働くこと、嘘をつくより正直でいること、威張るより現場で頑張ること、そういったことを大事にする日本人の国民性は、もともとの日本人の国民性に加えて、まさに勤勉革命によって、これが補強されたものです。
以上は、速水融著『歴史人口学研究ー新しい近世日本像』をもとに要約し、自分の意見を加えさせていただいたものですが、私は、もうひとつ、日本で勤勉革命が実現できた大きな要素として、やはり天皇の存在こそ極めて大きな要素となっていたということをあげておきたいと思います。
天皇という国家最高権威が、国民を「おほみたから」とする。
その「おほみたから」は、漢字で書いたら「黎元」です。
そして「黎」という字は、作物を前にクワを振るう姿の会意形声文字です。
いわゆる極右的思想の中に、日本は農本主義であるべきである、というものがあります。
思想としては、それも結構なことだと思いますが、上に述べましたように、江戸時代において勤勉革命が進んだのも、天皇という存在があり、民が「おほみたから」とされ、第一線で働く人々である民衆こそが、国の宝と考えられてきた日本です。
その民が、いま以上に豊かに安心して安全に暮らせるようになっていくために、必要が必要を生むことによって、より一層の進歩があるのだと思います。
従って、日本人としての大切なものを取り戻すということは、同時に人々の生活を安定させ、誰かひとりや、一部の大金持ちではなく、日本人全体がより豊かになっていくことを意味するのであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
beany
勤勉革命と言うのですね。初めて知りました。
國學院大學名誉教授だった樋口清之先生が『梅干しと日本刀』「NONブックス」で40年ほど昔、聖なるものであった田んぼへ、やむにやまれず人糞を鋤き混むことで、1粒が260粒になるジャポニカ米が完成したと書いておられました。
これに寒冷化を併せて考慮した私は、寒冷化と天変地異により農業が不作と飢饉をもたらし、これが墾田を生み出し、墾田が私有民を生み、私有民が武士を生み、武士が天皇に還ることで太平がもたらされ、このとき乱世で培われた能率化が江戸の繁栄につながっていったと認識していました。
なるほど勤勉革命ですか。その下地があるなら二宮金次郎尊徳が豊かになるやり方を指導すればうまくいったわけですね。
イギリスの例も、ルブランがルパン対ホームズを書いた時点でルパンは最後にガニマル警部に引き渡されながらも、イギリス人が勤勉ながらも契約外のことに介入しないことを見切り虎口を脱しています。
この時点でフランス人とイギリス人に価値観に相当の開きを感じたものです。
また、同じく日本に併合され日本となった台湾と朝鮮のあの差はいったい何でしょうか。
私は台湾が7部族対立と流刑者による独立不羈の気概があったか無かったかではなかろうかとぼんやり想像しますが、それだと決め手に欠けますね。
勤勉革命、新しい概念だけにいろいろ考えさせられます。ありがとうございました。
2017/05/24 URL 編集
くすのきのこ
日本という国は、大きく分けると南方海洋系民族と北方大陸系民族の混じり
あった人々の集団であるし、多民族多文化多神がこの島国に展開していたと。
それがある程度の統一へと向かった時、トップは女性巫女であった・・卑弥
呼がそうであり、卑弥呼の跡を継いだ壱与も・・この方が諍いが起きにくかっ
たとか・・。更に統一の範囲が広がり国譲りが行われ・・トップを男性にす
るには?・・ちょ~いと頭を捻れば・・トップを多民族多文化多神を保証す
る役割にしてしまえばいい・・このトップの存在こそが、全てのルーツの異
なる人々への公正さの(平等ではない)保証・・多神教の神官・・この権威
を守るためには?・・権力はその下の大臣や摂政や会議に委ねればいい・・
差し障りがあれば、権力者が責任を取ればいいのだ・・権威に傷はつかない。
この権威を守れば、それぞれの地方のそれぞれのルーツの違う人々が、それ
ぞれの神や文化を守りつつも共存や融合へと歩んでいける。
皇紀2677年・・国内の変遷は度々起こるも、皇室の下に治まってきた。
外国からいろいろと取り入れてきたが、日本は多神教国である事を崩さない。
日本に合わないものはいずれ廃れていく(・・多大な犠牲を伴う事もあるが)
皇室は扇子の要のよう・・描かれている新しい御代の絵を開く要。これから
も久しくありますように。
追補:
大集団の人間と小集団の人間の一人一人に同じ”平等”に1票を与える事は、
社会的な公正さに繋がらない。大集団だけを利する羽目になりかねない。
昨今の1票の格差論・・農業は林業は、それを正しく行うだけで国土保全の
働きになる。山を崩さない、川を暴れさせないなど。都市部の大集団と同じ
では公正ではないのではないか?国土なくして国はない。
まともな野党がなければ、まともな与党はない。右手と左手を使い、右足と
左足を使って歩くのが人間・・その形を写すのが人間社会。それは様々な姿
で現れる。例えば右大臣に左大臣。江戸時代だと、江戸・那古屋に対する
京都・大阪。東大に京大wしかし現在、東大は唐アカで京大はヒダリという、
異常な状態で・・崩壊の兆し?w目覚めても左右手足が使えなくてはねえ・・。
2017/05/24 URL 編集
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2017/05/23 URL 編集
junn
http://www5c.biglobe.ne.jp/izanami/kaminohado/001miuchi.html
2017/05/23 URL 編集