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6月 8日(木)18:30 第16回百人一首塾
6月24日(土)18:30 第41回倭塾
7月 2日(日)13:30 黎明教育者連盟講演
7月15日(土)18:30 第42回倭塾
7月23日(日)14:00 第 1回名古屋倭塾
7月27日(木)18:30 第17回百人一首塾
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古事記でスサノオのお名前が最初に登場するのは、伊耶那岐(いさなき)大神が黄泉(よみ)の国からお帰りになり、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で、禊祓(みそぎはらひ)をされたときのことです。
このとき、
天照大御神(あまてらすおほみかみ)、
月読命(つくよみのみこと)
建速須佐之男命(たけはやのすさのをのみこと)
の
三貴神(さんきしん)がお生まれになられたと古事記は書いています。
この三番目の須佐之男命(すさのをのみこと)について、古事記は「建速須佐之男命」と御神名を書いたすぐあとに、「須佐二字
以音」と書いています。
「以音」は、
「音(こゑ)を以(もち)いる」
と読み下します。
「ゑ」は、いまでは、「え」と発音しますが、昔の日本語には、「e」でなくて「ye」のように、子音を伴う「e」の発音があり、これを「え」と区別して「ゑ」と書いていました。
さて、須佐之男というお名前のうち、「須佐」が「以音」と書かれているということは、「須佐」は、もともと大和言葉の「すさ」であって、その大和言葉の「すさ」と同じ意味を表す適切な漢字がないから、「須」と「佐」の音だけを用いましたいうことです。
「之男」は、わかると思います。
「〜の男」という意味です。
では、大和言葉の「すさ」とは、どのような意味なのでしょうか。
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「すさ」の古語で連想できるのは、おそらく「すさぶる」であろうかと思います。
これは漢字で書いたら「荒ぶる」です。
「荒」という字は、「草+亡+大きな川」で出来ていて、草むらに人の死体があり、そこに大きな川が流れているという象形です。
戦いの後なのでしょうか。
荒れた、暴れまわったあとに、草むらに遺体が転がり、それを川が運んでいく。
いかにも荒れた状態、姿をイメージさせる恐ろしい字です。
この「荒」に「ぶる」が付いていますが、「ぶる」は態度などを示す接尾語です。
つまり「荒ぶる」は、遺体が転がるような荒れ果てた状態を招くような態度という意味になります。
けれどもし、「スサノヲ」の「スサ」が、「荒(すさ)」であるのだとしたら、スサノヲのお名前は、「荒之男」と書けば良いはずです。
ところが古事記は、須佐之男と書いていますし、日本書紀なら「素戔男」、出雲国風土記でも須佐能袁と書いています。
そもそも漢字の意味と大和言葉の意味が一致していれば、その漢字を用いて書けば良いわけで、それをあえて「荒」を使っていないということは、スサノヲの「すさ」は、「荒ぶる」ではない、意味が違うということです。
では「すさ」とはいったい何なのでしょうか。
古い大和言葉ですと、「すさ」にはもうひとつ、「赤い色をした鉱物の辰砂(しんしゃ)」を意味する名詞の「朱砂(すさ)」があります。
これは鉱物化した赤色硫化水銀のことです。
その「朱砂」のことは、漢字圏では「丹(に)」と書きます。
この「丹」と日本の関係は古く、魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山丹有(その山に丹あり)」と書かれていて、日本ですでに赤色硫化水銀の採掘が進められていたことが明らかにされています。
ちなみにこの赤色硫化水銀は、古墳の壁画や石棺の装飾、書き物などに使う朱墨や、医療用にさかんに用いられていたものです。
では、スサノヲの「すさ」は、この赤色硫化水銀のことなのでしょうか。
なるほど、須佐之男命は、後にヤマタノオロチを退治していて、そのヤマタノオロチの目は真っ赤だったという描写が古事記にあります。
しかしだからといって、ヤマタノオロチの眼=須佐之男命、ということにはなりそうにありません。
ちなみに最近では「ホツマ文字」の解読が池田満先生の解読によって、かなり進んでいますが、これによると、カナ文字には、一音ごとに意味があり、「ス」はバランスをとってみんなで住むこと、「サ」は太陽の恵みであるのだそうです。
するとたとえば、「サクラ」は、太陽の恵み(さ)の神様と、降りてきてお座りになるところ(くら)の組み合わせで生まれた言葉であって、お花見のとき桜の木の下で花見の大宴会をするのは、「サの神様」と一緒に酒を酌み交わして一年の豊作を願うという神事からきているなどと解釈されることになります。
古事記の神話のなかでも、須佐之男命は、鳥上村でヤマタノオロチを退治したあと、村人や、村の娘である櫛名田比売たちとみんなで仲良く暮らしていますから、まさに村のバランスをとって、みんなで仲良く暮らしているわけで、その村では、美しく整った田畑で、太陽の恵みを受けて、たくさんの農産物の生産が行われたわけです。
まさに、「すさ」そのものであるわけです。
もし「すさ」が、暮らしや太陽を意味するなら、それと同義の漢字は存在しません。
そこで古事記の編者は、須佐之男命が霊力を持つ男性神であることから、
顔に生えたヒゲを意味する「須」、
村の農業を助けたことから、人が左手に工具を持って互いに作業を助け合う意味の「佐」
この二字を用いて「須佐」という漢字を用いて、「須佐之男命」と記述したうえで、「須佐二字以音」と注釈したのかもしれません。
さて、こうなると、お生まれになった三貴神は、それぞれ
天照大御神=天にあってすべてを照らす大御神
月読命 =月の満ち欠けを読む、つまり暦の命(みこと)
須佐之男命=ヒゲ(霊力)のある助ける人
という文字が当てられています。
そして須佐之男命は、物語の先には、須佐之男大神となっていきます。
神様のお名前には順位があって、
最上級 大御神
上級 大神
それ以外 神
と書かれます。
古事記が大御神と書いているのは天照大御神だけですから、須佐之男命は、それに次ぐ偉大な大神様だということになります。
その須佐之男命は、高天原を追放されるとき、罰としてヒゲを剃られたと古事記は書いています。
神様にとってのヒゲは、神としての霊力の象徴ですから、「ヒゲを剃る=神様としての霊力を奪われる」ということになり、須佐之男命は、人としてヤマタノオロチを退治するわけです。
そしてその後、高天原と和解し、和解することによって神としての霊力を取り戻されて、まさに大神となられたのだということで、古事記の物語は展開しているわけです。
では、須佐之男命のお名前の頭にある「建速(たけはや)」とは何でしょうか。
一般には、「建速」は、たけ(猛)き波で速い潮流のことを意味していて、須佐之男命は父大神から「海原をしらせ」と命ぜられていますから、その海原が、潮の流れの速い海、つまり海峡のようなところを意味するなどと解釈されています。
ところが、建速須佐之男命の「建速」には「以音」と書いてありません。
ですから、ここは漢字の意味をそのまま用いて解釈することになります。
すると、
「建」という字は、手で筆記用具を持つ象形で、そこからきちんと建てるという意味になった字、
「速」は、藁(ワラ)を束ねるように時間を束ねることを表す字ですから、
「建速」は、「短い時間にきちんと建てた」ことを意味しているとなります。
実際、その後の須佐之男命の物語を読むと、須佐之男命の活躍によって、高天原では、最高権威と最高権力を切り離し、最高権威によって神々が「おほみたから」とされるという、近現代の世界においても、日本以外にまったく類例のない、素晴らしい統治の体制が築かれています。
そしてその体制が、そのまま中つ国である日本の古来からの天皇と臣による政治という体制となって、現代日本にまで受け継がれています。
まさに、須佐之男命は、御神名の通りの、建速須佐之男命なのです。
以上は、いま予約開始中の『ねずさんと語る古事記・弐』の中の須佐之男命のお話を、一部掘り下げて記したものです。
古事記は現代語訳された日本神話物語としてだけ読むのではなく、古事記に書かれた漢字の意味を一語一語掘り下げて、漢字で古事記を読み解くことで、実は私たちは、これまでに知られなかった古事記の秘密を知ることができます。
というよりも古事記は、何百年、あるいは何千年も経って日本語の単語の意味がすっかり変わってしまったとしても、あるいは大和言葉の語彙(ごい)そのものが失われてしまったとしても、ちゃんと後世の人々が、意味を知ることができるように、工夫して書かれています。
このことは、同時に、当時の全国の豪族たちが、方言等によって、発音が同じでも、言葉の意味が異なっていたとしても、漢字という共通語を用いることで、すべての豪族が、同じ意味を得ることができるように、工夫して書かれているということでもあります。
というよりも、そもそも漢字というのは、そのために当時の東アジアの共通語として用いられていたものです。
Chinaは大きな大陸ですから、地方によって言葉はまるで違います。
今でも誰もが北京語を話すわけではなくて、広東語もあれば、上海語もあります。
これは、日本の関東弁、関西弁の違いのような生易しいものではなくて、東北弁と沖縄弁以上に、まるで異なる言葉です。
そうした広い地域に住む人々が、互いの交易等を行うに際して、発音は異なっても、同じ意味を持つ漢字を用いることで、互いの意思の疎通をはかるようにした、それが漢字です。
つまり、そもそも漢字は、異なる語圏の人たちであっても、そもそも互いに意思疎通ができるようにすることを目的のひとつとして使用されてきたものです。
そしてその漢字は、四書五経によって、個々の漢字の意味が特定されているし、その四書五経は、漢字の成り立ちに基いて記述されています。
このことを裏返しにすると、使われている漢字の成り立ちを探ることによって、世界中、どこの国の人であっても、言語が異なっていても、誰もが同じ意味にたどり着けるように工夫されているのが漢字である、ということができます。
そして古事記は、漢字で書かれています。
その漢字一字一字の意味をしっかりと踏まえ、また、漢字では同じ意味を示すものがなかったときには、「以音」と細かく注釈がされているところに注意して、古事記を読み解けば、古事記の編者の伝えようとした文意を、私たちはしっかりと知ることができるわけです。
古事記を、いわゆる「神学」の立場から解説したものは、これまでにたくさん出ています。
しかし、古事記を、使われている漢字から、そこの書かれた意味を紐解いたものは、おそらく『ねずさんと語る古事記』が、本邦初となろうかと思います。
そして漢字で読み解いた古事記の内容は、これまでの解釈にも増して、現実的であり、実践的であり、日々の生活に役立つものであり、日本の神話の持つ素晴らしさと凄みをあらためて、私たちに教えてくれるものです。
今日の須佐之男命でいえば、こうして読んだ須佐之男命は、言い方は下世話にになりますが、もう、しびれる程にかっこいいのです。
まさに男の中の男。
日本男児の戦慄すべき男らしさの原点が、まさに須佐之男命であり、須佐之男命の神話があったからこそ、しなやかで強靭で、命を賭けてでも、どこまでも責任をまっとうしていこうとする、日本男児が生まれたし、大和魂が生まれたのだと、あらためて気付かされます。
また、この物語のなかにある天照大御神のお姿を通じ、私たちは何故、日本の経営者たちが世界の経営者と違うのかも、学び、知ることができます。
そして、もちろん天照大御神や須佐之男命に遠く及ばないまでも、そこに一歩でも二歩でも近づこうと努力した大国主神の神話によって、私たちは、人が成長するためには何が必要なのかを学ぶことができます。
もう、本当に、古事記神話ってすごいです。
是非、『ねずさんと語る古事記・弐』を通じて、そのあたりを感じていただければ嬉しく思います。
まだ壱を読み終わっていないという方でも、大丈夫です。
弐の方が、ストーリー性があるだけに、本としては弐の方が、はるかに読みやすいし、わかりやすいです。
読むのが速い方なら、40〜50分もあれば、弐は読み切ってしまうことができるかもしれません。
そしていちど読んだら、そこで得た知識と知恵は、きっと読まれた方の人生の宝になると思います。
それだけの深さと感動が、この「弐」には、間違いなくあります。
いまなら、書店さん、amazon、楽天、紀伊国屋などでご予約可能です。
本は、今月15日が発売日です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
くすのきのこ
話者の姿勢、方針を示します。
まあ・・こういう捉え方も・・w
新石器時代の姶良カルデラ、あるいは縄文時代の鬼界カルデラの破局噴火。
・・火山灰により太陽光は遮られ、降灰は東北にまで及び畝は埋まり、九州
の一部には数メートルの関東にも数十センチの降灰、火砕流に大津波。生き
延びた人々の一部は咳でむせ返りつつ東へと移動するしかなかったろう。縄
文時代にはすでにヒスイ、黒曜石などの産地からの広がりで手から手への交
易が広がっており、他部族の知識もあったはず。この大災害は1部族ではな
く数多の部族を巻き込んでおり、こういう大災害を民族の記憶として残すた
めに神格化したのでは?災害神としてスサノヲ、まさにすさまじい天災であ
るが・・人々の傲慢をあっという間に正す神。そして光溢れる統治神として
アマテラスと。災害時に統治のトップだった女性巫女は逝ってしまい、東進
のために男性が指導者へ。行く先の先住民との軋轢はもちろんあったろう。
またその地の生存者をグループに加えて、更に東へ行く事もあったかも。さ
まざまな困難が。オモイカネ(数多の人々の思慮を兼ね備える神)が知恵を
しぼったと。暗い空の下、鶏を鳴かせ鉄を作り鏡を作り勾玉を作り・・交易
なのか、土地を分けてもらうためか・・さらに巫女の踊りを見つつ一同会し
て笑いで事を治めようとする努力・・最後にアメノタヂカラオがチカラ・・
武力をちょっぴり示すのも忘れず、そこで御代の統治を再開。
・・人々は天災により痛めつけられており、知恵を絞って禍に対処しまくり、
最後の最後の詰めに武力を用いたと。そういう縄文あたりの記憶なのかもし
れませんw何人ものアマテラス、何人ものスサノヲが存在したでしょう。名
前は受け継がれる、あるいは貰うものでもあったでしょうから。(日本国内
にはいくつもの一宮があり、○○富士がありますよw)歴史が記される以前の
記録は語り継がれて継承していたはず。九州~近畿~北陸にまたがる、国譲
り前の出雲勢力の存在は、人々の移動が古来より行われてきたからと推測で
きるし、特に話し言葉の共通性の存在がベースにあったはず。それは大天災
によって否応も無く始まった可能性も否定できない。縄文は1万年くらい続
いたとされるから、西日本の火山灰の層の下には、いまだに安らかに眠る縄
文の遺跡があると・・。縄文土器の縄目がバーコードのような言語ではない
かという説もありますねwこれらは現在の考古学会では顧みられていないよ
うですが、全否定して研究しないのは科学的なのかな~?ww銅鐸は上辺に
落させる影を使う古代のカレンダーであったという説もいいですね。ヒミコ
は日巫女あるいは日見女ではなかったか?太陽を測定し夏至と冬至を知り、
1年の動植物の収穫計画を立てる役割りもあったのでは?コヨミは暦だが・・
コ年の・ヨミ あるいは、コの・ヨを・ミる と解くのも面白いw
2017/06/03 URL 編集
junn
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68647498.html
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68648102.html
2017/06/02 URL 編集