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6月 8日(木)18:30
第16回百人一首塾 6月24日(土)18:30 第41回倭塾
7月 2日(日)13:30
黎明教育者連盟講演 7月15日(土)18:30 第42回倭塾
7月23日(日)14:00 第 1回名古屋倭塾
7月27日(木)18:30 第17回百人一首塾
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戦後の日本は欧米式の個人主義と、工業化のための出稼ぎ者による核家族化が進み、いまでは家族というのは、同居している者に近い語感となるに至るようになりました。
特に法律上、戦前まであった「家族」という用語が戦後に廃止され、単に「世帯」と置き換えられたことによって、単にひとつ屋根の下で暮らす者たちが家族という、家族そのものが非常に曖昧な概念となるに至っています。
ですから子が幼くて両親と同居している間は、同一世帯の家族ですが、子が成長して結婚して別世帯を持つようになれば、「それは家族?」・・・とハテナマークがつく有様です。
なぜそのような単純な設問にも答えがわからなくなるかというと、戦後日本の法体系に世帯という言葉はあっても、家族という言葉が失われているからです。
その点、西欧は日本より厳格です。
なるほど西欧は「個人主義(Individualism)」の国といわれますが、「Family(家族)」という概念はちゃんと生きています。
ですからそこらへんにいるホームレスのおじさんがある日突然、何代も前の遠い、いまではまったく関係が途絶えている親戚が亡くなって巨額の遺産が生じ、その遺産が突然、そのホームレスのおじさんの懐に飛び込むなどということも、滅多にないこととはいえ、起こります。
つまり個人主義と言いながら、「Family(家族)」の概念を失っていないのです。
昨今、女性宮家のことが話題になっています。
このようなことがいわゆる保守と呼ばれる人たちの間でさえ議論になるのは、「家族とは何か」という概念そのものが失われ、人によってまちまちであることによります。
そこで今回は、日本にもともと昔からあった「家族」について、述べてみたいと思います。
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自分がいて、妻がいます。
その間に、たとえば長男と次男が生まれたとします。
その子供たちが結婚して子が生まれると、これが孫になります。
ここまでは、簡単にわかると思います。
その孫達は、自分(孫達からみたら祖父)から見れば、長男の子であれ、次男の子であれ、みんな可愛い孫達です。
生まれた順番が、
1 長男の子A
2 次男の子B
3 長男の子C
4 次男の子D
となっていたとします。
(話をわかりやすくするために、全部男の子だったとします)
このAからDまでに順番を付けます。
そして、それらは、全部、自分から見たら孫であり、家族であり、家督相続権者です。
ですからたとえば幕末の大老の井伊直弼は、井伊家の14男でしたが、井伊家の家督を継ぎました。
それは、ひとりの父親と、その正妻や側室から生まれた男子が全部で14人いたということではなくて、祖父からみたときの14番目の男子であったということです。
つまり孫たちは、祖父母からみたら、みんなひとつ兄弟とみなされたわけです。
ですから、自分の親の兄弟の子のことを「いとこ」といいますが、これは漢字で書いたら「従兄弟・従姉妹」です。
「実の兄弟・姉妹」も、「従兄弟・従姉妹」も、祖父母からみたら、全部血を分けた兄弟であり、自分からみたら、それらは自分の兄弟姉妹という関係になります。
つまり「いとこ」は家族です。
自分の父の兄弟姉妹は、「おじ・おば」と言います。
漢字で書くと、「伯父・伯母」または「叔父・叔母」です。
父の兄や姉なら「伯父・伯母」
父の弟や妹なら「叔父・叔母」と書きます。
いずれも、「父・母」という字が使われていますが、要するに実の父母と同じもしくはそれに準ずる父母という意味です。
つまり、父の兄弟姉妹は、家族です。
その家族の長は、祖父または祖父の父である曾祖父または、曾祖父の父である高祖父です。
ただし、高齢によって家長としての役割を果たせないときは、家督を次世代に譲ります。
図示すると下の図のようになります。
そしてこれが、自分を中心としたときにみた、親族の範囲であり、家族の範囲です。
(図はクリックすると拡大します。)

親戚のひとつひとつに名前がついていますが、名前があるということは、日常的に親族が意識されているということです。
西欧ではここまでの名称はありません。
親族は日本における三親等、五親等のように、順番に番号をふるだけです。
番号だけなら、ルーツをどこまでもさかのぼることができるからです。
つまり相続権を失いません。
つまり個人主義と言いながら、相続権だけは放棄しない。
逆の言い方をすれば、個人主義だから相続権への欲があるわけです。
さらに西欧型の特徴は、上下と支配の関係からは、妻方の親戚といえども、配下になるならファミリーです。
つまりこれは、一族の長の権力機構の拡大を意味します。
これに対し、もともとの日本は、家族主義です。
家族という集団がひとつのかたまりとなって、家督が相続されていきます。
これは農地や領地を失わないために必要なことですし、また高齢者や子の成長にあたって必要なことでもありました。
なぜ明治のはじめにそのような造語が生まれたかには理由があります。
日本型家族主義を維持するためです。
図に示した以外に、大おじの子とか、はとこの子、はとこの孫、姪の子、姪の孫、高祖父の父などと言った言い方がありますが、これらは明治のはじめに西欧式の「Family(家族)」の概念と、もともと日本にあった家族主義の概念を融合させるためにつくられた造語だからです。
もともとは日本にそのような単語はなかったし、西洋社会にもありません。西洋社会は番号だからです。
大阪大学名誉教授の加地伸行先生によれば、こうした造語の発明によって、明治の先人たちが「西洋型個人主義」と「日本型家族主義」を融合させたことは、日本社会を守るためにものすごく重要なことといえるのだそうです。
なぜなら西洋型個人主義を、まるごと採り入れた、たとえばアフリカ社会は、もともと部族単位で行動する部族社会であったのに、法的には個人主義としました。
この結果、いまなお、部族と個人が対立し、血の抗争が続いています。
これは社会構造が破壊されたからです。
日本は、上手にこれを融合させることで、血縁社会を破壊せずに近代化に成功したのです。
さて、図を見て、意外と家族の範囲が広いことに驚かれるかもしれません。
けれど、すこし規模の大きな冠婚葬祭のときに、見たこともない親戚が来ていてびっくりすることがあると思いますが、これを父の代や祖父母の代での家族に適用すれば、どれだけの人数になるかと考えれば納得いただけることではないかと思います。
そして図に明らかな通り、家族の範囲は世代がひとつ下るごとに変わっていきます。
一族という語がありますが、これを高祖父や祖先の段階まで遡らせれば、まさに一族となります。
妻となる女性は、嫁ぐことでその家の人になりますから、実の兄弟と同じ立ち位置になります。
つまり血族の一員となるわけです。
ということは、娘は結婚すると、よその家に嫁いで、その家の人になるわけですから、別な血族集団の仲間入りすると考えられたわけです。
これを外戚(がいせき)とか、姻族(いんぞく)、傍系(ぼうけい)などと言いますが、はっきりいえることは、それらは「別な家系に属する」ということです。
ですから、別な家系に属した娘の子は、別な血筋の子ということになります。
たとえば田中家の所領となっている家督と土地があったとします。
その土地は、日本は家族主義なのですから当然、代々田中家がこれを引き継いでいます。
ところが、結婚して鈴木家に嫁いた娘が、その家督と土地を受け継いだらどうなるか。
田中家の家督や土地は、気がつけば鈴木家のものになってしまっています。
それが大名なら、大名家が交替したことを意味します。
けれど、将軍からその家督や土地を委ねられているのは、田中家であって、鈴木家ではありません。
従ってこの相続は認められず、田中のお殿様も、鈴木のお殿様もお家お取り潰しになります。
これが皇族になると、もっと大きな問題を生みます。
皇族の女性が、他家に嫁ぎ、そこで生まれた子が皇位を継げば、それは天照大御神というご祖先からの血筋が失われて、別な血筋の家系が皇位を持つことを意味します。
もしそのような天皇が誕生すれば、我が国の天皇は、天照大御神の直系という万世一系の血筋を失います。
つまりそれは、日本に別な王朝が生まれることを意味します。
わかりやすくするために、すこし極端な例をあげると、日本の皇族の女性がエチオピアの王様の嫡男と結婚して、肌の色の黒い男子が誕生したとします。
そしてその黒人さんが天皇の皇位を継いだとします。
これを「女系天皇」と言います。
するとこの段階で、我が国の皇室は、天照大御神の直系ではなく、エチオピアのシバの女王の系統になります。
つまり日本はシバの女王の子孫の統治する国に易(か)わることになります。
我が国は、太古の昔から繋がる世界最古の国ではなく、別な王朝の国家になるわけです。
日本の天皇には姓がありませんが、もしその黒人さんに姓があれば、新しい皇室には姓がつくようになります。
つまり「姓が易(か)わ」ります。
姓が易(か)わり、王朝が革(あらた)まることを、易姓革命(えきせいかくめい)といいます。
Chinaの歴史は、こうして皇統が入れ替わることによって、都度、国民の半数前後が殺されて、国民そのものの人種が入れ替わるという歴史です。
我が国では、そのような事態を防ぐために、上古の昔から天皇は姓を持ちません。
つまり、そもそも易姓革命が成り立たないようにしてきたのが日本です。
ところが女性宮家が生まれ、女系天皇が生じれば、それは天皇の血筋が易(か)わることをいみします。
これは革命です。
太古の昔から続く日本は、その瞬間に滅びてなくなるのです。
英国は、王室はそのままで、女系の王でも誕生するという仕組みを採っています。
それがウエールズ朝とか、ウインザー朝とか呼ばれるものです。
ただし、これが成り立つのは、英国が征服王朝であって、もとからいるケルト系の人たちとは人種が異なるからです。
英国王室は、フランスから渡来してきた人たちによる渡来人王朝であるために、渡来人王朝であれば良いという概念が根底にあることが、その根拠となっています。
日本は、そうした征服王朝ではありません。
日本人のすべての家系の共通のご先祖が、天皇家です。
つまり天皇家は、日本人にとっては、本家の中の総本家です。
そしてその天皇は、天照大御神の直系であり、我が国の政治上の最高権力者よりも上位にある国家最高権威者です。
その国家最高権威者が、国家国民を「おほみたから」と規定しているのが日本の形です。
これによって国民は、政治権力者による私的支配を受けずにこれたのが日本です。
もちろん政治権力者と一般の民衆の間には、社会構造的な役割分担はあります。
その役割分担がなければ、社会が壊れます。
けれど、それはどこまでも政治上の権力であって、民衆の私的支配とは異なるものです。
つまり日本の民衆が権力からの自由を得ているのは、民衆が権力よりも上位の天皇という権威の「たから」とされているからです。
それが日本の歴史であり、伝統であり、そしていまも変わらぬ日本人が自由な民である証です。
その最高権威者が、別な血筋に入れ替わるということは、日本の民衆が持つその自由が失われることを意味します。
なぜなら、別な血筋に易(か)わるということは、天照大御神からの直系の血筋が失われるということだからです。
天照大御神の直系の血筋が失われるということは、天皇が持つ「最高権力者よりも上位にある国家最高権威」が失われるということです。
国家最高権威が失われるということは、国家の頂点に政治権力者が立つということです。
つまり日本は、Chinaのような易姓革命の国になるということです。
国民は「おほみたから」であることによって得られていた自由を失います。
ということは、女性宮家から女系天皇へと動かそうとする人たちは、日本人から自由を奪おうとしている人たちであると断言できるといいえると思います。
そしてそれは、英国王朝の路線に日本の皇統を置こうとする渡来人的発想でもあります。
そしてこのような議論ができてしまうのは、日本人が世帯と家系ということの区別を失ってしまっていることに由来すると思います。
冒頭にも書きましたが、西欧はなるほど個人主義です。
しかし家系という概念は、明確に持ち続けています。
彼らはそれを何代でもさかのぼります。
彼らの感覚としてのアイルランド系米国人とか、ドイツ系米国人とかいう言葉の中には、そうした先祖を何代でもさかのぼる「家系」という概念が強く存在し、そこに法的根拠も持たせていることを私たちは知る必要があります。
個人主義というのは、権利主体としての個人のことを言っているだけであって、家系の問題とは切り離された別な議論なのです。
また私たち日本は、世帯ではなく、家系や家族という概念を今後取戻す必要があると思います。
なぜなら、昔は、この家系に基づく一族で、老後や疾病の面倒をみたり、費用のかかる冠婚葬祭も執り行ってきたのです。
それが世帯主義に陥り、さらに個人主義となって、国庫の年金財源や医療負担の問題を生んでいます。
極めて馬鹿げた話だと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
ねこ
2017/06/13 URL 編集
シバサマ1966
戦後レジームからの脱却、憲法9条改正、東京裁判史観の見直し等、日本の再生に必要となるキーワードを他人の言葉であれこれ考えてきたが、ここ数年でたどり着いた自分なりの結論は「家族の再興」。
本文最後に書かれている通り、家族の再興が年金、医療費、少子化問題にとどまらず、我が国に山積するあらゆる問題を解決すると信じる。
自分の事は自分でする、が大切で基本中の基本。
今の日本人はあまりにも他人に頼り過ぎているんじゃないですか?
数年前ですが、石原慎太郎氏が「中福祉社会の実現」という言葉を使いましたが、その時は大いに賛同しておりました。
極端ですが、国が一切の福祉を止めれば、最も問題となっている年金·医療費の財政負担が軽減され、少子化問題も解決する一石二鳥の効果が生まれるでしょう。
2017/06/10 URL 編集
渡辺
2017/06/07 URL 編集
くすのきのこ
そして1国のなかにいくつかの民族(文化、言語の共有)がおり、1つの
民族の中には氏族(clamどこかで血のつながりのある集団)が存在するの
だそうです。最近では世界的に部族(tribe)という言葉は、欧米による差
別用語で民族や氏族の範疇を考慮に入れていない用語という認識で排除方
向なのだそうです。アフリカでも治安のよい国が存在します。
高野秀行 著 「謎の独立国家ソマリランド」によるところですが・・・
ソマリランドは、あのソマリアの一部で、国際的に国家承認はされていな
いものの、現実は議会制の政治機構を持つ独立国で、もちろん周辺国との
紛争はあるものの内紛は治まり治安がいいそうです。この内紛は幾度も起
き、その度に氏族長たちが話し合いを繰り返しようやく納めたと。武器は
氏族長に差し出して武装解除したと。この話し合いが面白い。まるで、
鎌倉~戦国時代の武将達の戦功評価の様で、その逆wあそこで何人ヤった
から、その代わりに家畜を渡すというように掟に従ってキッチリ数を出し
て計算して清算したという。ソマリランドにとって幸運だったのは、旧英
国領だったために間接統治であり、氏族長と一族が温存されたこと。ソマ
リア南部は旧イタリア領で移民が来たためにこの家族制度が壊されてしま
い氏族長の力が無く、話し合いができないのも内紛が続く理由であろうと。
また元々北部のソマリランドは遊牧しか産業が無く、人々は困窮すると略
奪と和解を繰り返す歴史を持っており、戦闘的であるがゆえに戦争の止め
方を知っていると自負しているとwカネ目の産業が無いから国際社会から
目を付けられず、内紛終焉のための援助もないが自分達で解決。外部から
カネが来れば・・利権をめぐり汚職が始まり内紛も始まるだろうと。南部
は正にその様相らしい・・。
この本には書いてないが、再び武器もやってくる。再び内紛で国は壊れる。
独立国認定されていないから援助という名目のカネによる支配機構の内部に
組み込まれる事もない。しばらくの間、ソマリランドは考える時間を持つ。
・・アフリカには植民地時代の国境を変えないという不文律があるそうです。
そうでないと更に細々とした自治領に分かれる紛争が起きるだろうからと。
はたして本当にそうなのか?それは欧米理論に過ぎないのではないかな?
ソマリランドの例では、治安の回復に最も大事だったのが氏族長の話し合い。
氏族は分家の分家の分家の・・以下略・・・まで別れ、必ず氏族と家族を聞
けば、何某かの知り合いとか繋がりがわかり、悪さをしても解るらしい。こ
ういう話はモロッコやケニアなどの話にもあったような・・。氏族は人を縛
る所もある一方、社会を治める働きも大であると。
日本も家族制を大事にしてきたからこそ保ってきたものがあるのではないか
なwそれは治安だけではなく、社会環境全般に及ぶ・・寺社仏閣などの古い
建物、古くからの文化、伝統芸や技術などなど。はぐれる者はいつの時代に
もいるが、中核が家族を基盤としてしっかり立つ事が全体を成り立たせてい
ると・・これ以上家族制がこわれたらヤバイですね・・。
2017/06/06 URL 編集
ゆき
三代前に遡ることができない素性の方が2600年以上続く皇統に嫁がせるなんて実質的天皇家断絶計画でしょう
日本は拝金主義で、外国人観光客を神社に自由に出入りさせるから神社におわします神々も大部分天界へ帰って行かれた、と聞きます
頼みの綱は橿原神宮ですが、お願いしに行っても、いらっしゃいますでしょうか…
天皇と祭祀⑦嘘をついて入内した美智子、何と「幼児洗礼」を受けていた、無限拡散 - 伏見顕正の政経塾
URL:
http://p222.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/1204YeB71LCVjWK0/b8?_jig_=http%3A%2F%2Ffushimi.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F06%2F02%2F055843&_jig_source_=srch&_jig_keyword_=%82%C5%82%EA%82%C5%82%EA%91%90&_jig_xargs_=R&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Fp%3D%2582%25C5%2582%25EA%2582%25C5%2582%25EA%2591%2590%26fr%3Dm_top_y&guid=on
2017/06/06 URL 編集
taka
そもそも古事記を少しでもかじっていれば、有り得ない主張です。
2700年近く続いた万世1系が途絶えた時点で日本は日本でなくなるのです。私達の先祖が築いた、世界で最も歴史ある国が消滅してしまうのです。
こんなことが絶対にあってはならないのです。
このままだと外敵に滅ぼされる前に内部から崩壊してしまいます。
もっと皆さん声を大にして反対しましょう。
2017/06/05 URL 編集
大阪市民
付帯決議案として女性宮家創設が
可決されましたが、如何に民進党だけでなく、自民与党にも我が国の皇統の意義を理解していない愚かな議員が
多くて気が滅入ります。政治は駆け引きかもしれませんが、将来に禍根を残す女性宮家創設など付帯でも決議すべきではありません。
秋篠宮殿下、悠仁親王殿下という男系皇族に正しく皇統が移行することを
心より願い祈っております。
2017/06/05 URL 編集
ずびずだー
田中さんと山田さんが結婚しても田中は田中、山田は山田のままだったら、その田中や山田は何の符号なのでしょうか? 夫婦別姓論者は田中や山田も個人の名前だと強弁しますが、その方向で主張するなら名字廃止の方が筋が通っています。
古代の日本には名字も姓もありませんでした。「古代に戻れ」なら同意するかどうかは別にして主張の内容は分かりますが、家族で別の名字を名乗るのでは名字の意味がありません。
住友銀行と三井銀行(説明例なので事実と違います)が合併したとき、「支店によっては三井住友じゃなくて、住友銀行を名乗ってもよいことにしよう」みたい主張が夫婦別姓論です。
1つの会社に1つの社名(愛称や別称はあってもよい)、1つの家族に1つの名字です。
2017/06/05 URL 編集
にっぽんじん
今回発刊された沖縄県史の執筆者は皆左に傾いた学者たちで、研究と言いながら誤った史実を書いていると言います。上原正稔氏は一人で「沖縄左翼」と文筆で戦っています。
自分も上原氏と同じく、沖縄県史を疑っている人間の一人です。先日、近所に住んでいる80代の方と話していると、その方は沖縄生まれで、終戦時は8歳だったので良く覚えていると言っていました。
その方の話では、昭和38年頃出版された「沖縄戦史」を持っているとのことでした。昭和38年といえば沖縄の本土復帰より前です。
読みたければ貸してやるということなので、沖縄の本土復帰前の「戦史」に何が書かれていたか、楽しみにしています。
2017/06/05 URL 編集
おてもやん
天皇はその存在が尊いのであって、一国民としてはお元気でいていただけるだけで満足です。
現在、旧宮家、皇別摂家には合わせて120名もの男系男子がいらっしゃるそうです。
旧宮家に復帰していただければ何の問題もありません。
旧宮家の復活を希望します。
ちなみに、この情報は、水間 政憲氏の四月発売の著書「ひと目でわかる 戦前の昭和天皇と皇室の真実」で得ました。
天皇家の系図も載っており、多くの男系男子がいらっしゃることが一目でわかります。
婚礼時のお内裏様おひな様のような美しい写真、そのほかの
見慣れない写真もたくさん載っており、見ているだけで楽しくなります。
また、氏は「水間条項」というホームページも持っておられます。
ご興味のおありになる方はお尋ねください。
2017/06/05 URL 編集
ポッポ
そして、天皇陛下は健康上の問題から、退位を考えられておられます。
考えてみれば、80歳を超えた天皇陛下に現在なされているお仕事が、余りにも激務なことを並べられていますが、高齢になり、健康上の問題を抱えられている天皇陛下に、過酷なことを要求してはならないと思います。幸い皇太子がおられますから皇統を維持できますが、男性の親王が少ないことは、今後の天皇家の継続に不安を覚えることを、否定できないこともあると思います。
しかし、現在の宮家が少ないからと言って、女性の皇族を宮家とすることは、皇紀2677年 を男系で継続してきた日本国にとって相応しいこととは思えません。
たった一度、戦争に負けたくらいで、男系天皇を潰すことになっては、これまでの125代を数える天皇に顔向けが出来たものではないのです。
日本に現在の男性の親王の減少をもたらしたのは、敗戦によって占領軍が命じた宮家の減少です。ですから、日本が占領軍の指揮を脱した現在ならば、必要に応じて宮家の復活を行えば良いと思います。
幸い、今の日本には明治天皇の血を引く旧皇族が残っていますから、宮家の復活は可能だと思います。
2017/06/05 URL 編集