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本日開催の百人一首塾で『古事記弐』、初お目見えします。◆
【お知らせ】◆
6月 8日(木)18:30
第16回百人一首塾 6月24日(土)18:30 第41回倭塾
7月 2日(日)13:30
黎明教育者連盟講演 7月15日(土)18:30 第42回倭塾
7月17日(祝・月)18:30
CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
7月23日(日)14:00 第 1回名古屋倭塾(テーマ:古事記)
7月27日(木)18:30 第17回百人一首塾
*****
先日の記事に「日本は永遠に不滅です」と書かせていただきました。
なぜそうと断言できるのか。
その答えこそ日本文化の根源です。
日本人が上下心をひとつにして、
上古の昔から希求し続け、目指し、実現してきたものです。
大真面目に申し上げます。
それは民の、
「愛と喜びと幸せと美しさを求める心」です。
これを実現しようとしてきたのが日本であり日本人です。
大東亜の戦いがなぜ行われたのか。
それは、日本の求める「愛と喜びと幸せと美しさ」のためです。
特攻隊員や、戦地の兵隊さんたち何故、命を的に戦ったのか。
それは日本と、そして世界の「愛と喜びと幸せと美しさを守るため」です。
当時はそのことを「祖国を護るため」という言い方がされました。
では、その「祖国」には、何があるのでしょうか。
母がいて、父がいて、姉や妹がいて、大好きな彼女がいて、妻がいて子がいて、友達がいます。
その人達を護るために命を捨てるというのなら、その家族や仲間たちの何を護るために命をも捨てようとしたというのでしょうか。
それこそ、彼ら彼女たちの持つ「愛と喜びと幸せと美しさ」だったといえるのではないでしょうか。
だからこそ、自分の命を捨ててでも、という選択が生まれたのだと私は思います。
私は、古事記や百人一首の新しい解釈を本にしています。
古事記にしても百人一首にしても、私などが本を世に問う前に、すでに多くの方々が本を出しています。
しかし解釈がおかしいと思えるのです。
古事記の世界を、妬みや恨みといった世界観で解読しようとしたり、百人一首を支配や男女の性的欲望で解読しようとしたりするのでは、そこに書かれた真の姿は、絶対に見えてきません。
なぜなら、古事記も百人一首も、そこに書かれているのは、
「愛と喜びと幸せと美しさ」の世界だからです。
それを
「憎しみと恨みと欲望と穢れ」の世界観で読み解こうとしても土台、無理があるし、解釈にほころびが生まれます。
多くの場合、「愛と喜びと幸せと美しさ」の人は、鬼瓦のような顔をしています。けれど真面目で笑顔が素敵です。
多くの場合、「憎しみと恨みと欲望と穢れ」の人は、いかにも優しそうな顔をしていて、立派そうな肩書にものを言わせます。要するにハッタリや見た目で誤魔化そうとするからです。
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百人一首の場合、多くの解説書が、あたかも中世の貴族たちが愛欲の生活を送っていたかのように解説しています。
『ねずさんの百人一首』では、そうではなく、そこには政治があり人間関係があり、天皇やおほみたからへの考え方があるのだという解説をさせていただきました。
これらをひとことで要約すれば、それは「愛と喜びと幸せと美しさ」を希求した世界です。
古事記神話も同じです。
イザナキ、イザナミや、天照大御神、スサノヲ、大国主神、ニニギノミコト、海幸山幸、初代神倭伊波礼毘古天皇の物語のいずれもが、「愛と喜びと幸せと美しさ」を求め、そのためにこそ様々な苦労を経ていきます。
その姿が活き活きと描かれているのが古事記です。
古事記の中に「憎しみと恨みと欲望と穢れ」などないし、ただの荒唐無稽な神様物語などでは決して「ない」のです。
「愛と喜びと幸せと美しさ」は、実は一語に集約することができます。
「愛」の一文字です。
「愛」は、China式の音読みをすれば「アイ」です。
その字源は、心をときめかせるものがあれば、振り返って足を運んで奪うといった意味の字です。
従って漢字での「愛」の意味は、いわば掠奪にあります。
漢字は、ほぼすべての漢字が、あまり良い成り立ちや意味を持ちません。
なぜならその漢字が生まれたのは、「憎しみと恨みと欲望と穢れ」の国であったからです。
これに対し、我が国は、太古の昔から「愛と喜びと幸せと美しさ」を求め続けた国です。
そしてこのことを言葉にするために用いられたのが大和言葉です。
ですから古(いにしえ)の人たちは、その漢字に、大和言葉による「訓読み」を与えました。
では、「愛」という漢字に、昔の人がどのような読みを与えたか。
いとし(愛し=御魂の糸を結ぶ)
めでる(愛でる=いつくしむ心)
をしむ(愛しむ=たいせつに想う心)
おもふ(愛ふ=同上)
めぐむ(愛む=愛を与えること)
まな(愛=真実)
いつくしむ(愛くしむ=たいせつにする)
うつくし(愛し=美しいこと)
です。
めでるような気持ちでいとしく想い、わかちあい(めぐ)、わけあい(まな)、いつくしむ真実の想いを、私たちの祖先は「うつくしい」と呼び、「愛」という漢字に与えています。
ですから日本人にとっての「愛」は、とても「しあわせ」なことであり「よろこび」です。
「うつくしい」は、「美しい」とも書きます。
そしてこれを昔の人は「美し(うまし)」と呼びました。
そして日本のことを「美(うま)し国」と呼びました。
「愛(アイ)って何?」と聞かれて、即答できる人はあまりいないと思います。
けれどそれが、
「めでるような気持ちでいとしく想い、わかちあい(めぐ)、わけあい(まな)、いつくしみ、しあわせになるよろこび」と訓読みで言われれば、私たちはその意味を言葉として実感できます。
つまりそれは、私たち日本人の心は、もともと大和言葉で出来ています。
こうした大和言葉によって出来ている日本人の願いは、上古の昔から現代にいたるまで、まったく変わることなく続いてきたものです。
そしてそのことは、身分の上下、権力の有無、財力の多寡、血筋や家柄などに一切関わりなく、民衆の誰もが大切に想い願うことです。
そしてこれを国の形として実現するために、何人にもおかされない最高の身分にあって、誰からも否定されることのない最高の血筋にあって、もっとも財力があって、権力者よりも上位の存在である国家最高権威を起き、その国家最高権威によって、民衆を「大御宝(おほみたらか)」にしてきたのが日本の古くからの形です。
権力者は、その国家最高権威よりも下位の存在です。
国家最高権威に財力の及ばない存在です。
そして国家最高権威の血筋に及ばない家柄です。
その国家最高権威が、民衆こそ「大御宝」だとしている以上、権力者の役割は民衆を支配することではなく、「大御宝」である民衆が「愛と喜びと幸せと美しさ」を得て、豊かに安心して安全に暮らしていけるようにすることになります。
これを古い大和言葉で「シラス」といいます。
日本はずっとこの形を根本にしてきました。
ただし、世の中には、自分の「愛と喜びと幸せと美しさ」のために他人を犠牲にしても良いと考えるクズが、必ずいます。
このようなクズを野放しにしておけば、世が乱れるもとになります。
ですから後に、最高権威の下に権力者を置くようになりました。
その権力機構は、必ずウシハク存在でなければならないとされました。
ウシハクは、主人(ウシ)が、大刀を腰に佩(は)く、つまり「私的に支配する」という意味の言葉です。
シラス統治は、その内部(もしくは下部)に、ウシハク統治を持つことによって実現します。
その役目を担ったのが、太政大臣であり、関白であり、将軍です。
江戸に幕府を開いた当時の徳川家康について、当時の宣教師が、
「彼は世界一の大金持ちである」と書いています。
日本には、当時の世界全部が所持している金(Gold)の3分の1があり、家康はその金(Gold)資本を一手に握り、また日本の国土の3分の1を直接支配していました。
その兵力は、国内最強でしたし、当時の世界が保有していた鉄砲の3分の1は、家康の軍団が所持していました。
文字通り、家康は、世界最大の大金持ちであったし、金融資本家であったし、誰も逆らえない世界最強の武将であったわけです。
ところが家康は、自らすすんで天皇に任命される「将軍」の地位に就いています。
そして天皇の軍事の出先機関としての「幕府」を自ら名乗っています。
つまり、家康は、自らが持つ軍も、財力も、土地も金(Gold)も、すべては天皇のたからを預かる立場にある、と規定したのです。
要するに家康は、「自分の所有する全ては天皇のものである」という立場をとり、天皇のシラス国におけるウシハク将軍という地位を自ら望んでいます。
なぜ家康がそのようにしたのかといえば、民の幸せこそ、天下の幸せという根源的日本文化こそ最も大切なことであると考えたからです。
残念なことに、世界には天皇がいません。
ですから世界の頂点には、常に権力者がいるし、その権力者のスポンサーとなっている財力者がいます。
そしてその権力者や財力者は、どこまでも自分たちだけのための「愛と喜びと幸せと美しさ」を実現しようとします。
そのために「彼ら」は、荒くれ者たちを使うことも辞さなかったし、民から収奪や掠奪が重ねられることを日常にしたし、それによって民族そのものが滅ぼされるという悲劇も繰り返されてきたのが世界の歴史です。
このことは、今なお変わらぬ世界の形です。
およそ500年続いた欧米による植民地支配は、白人たちが
自分たち支配層の「愛と喜びと幸せと美しさ」を実現するために、有色人種国を支配し、収奪した時代です。
ただしこれには、ただ収奪という意味以外に、有色人種国のエリアで白人に何かあったとき、それをどの国が責任をもって対処するかという意味もありました。
有色人種国にも、王や部族長はいましたが、責任能力が欠如していたのです。
だから彼らが、それぞれに担当エリアを決めて支配するしかなかったのです。
ところが彼らは日本にやってきて驚きます。
有色人種の政府など、白人に対して一切賠償責任など負うはずがないと思っていたのに、薩英戦争で7つの海を制する自慢の英国軍艦は、薩摩に散々やられてほうほうの体で江戸湾に逃げ帰ることとなるし、そうであるにもかかわらず、幕府はちゃんと10万ポンドの賠償金をキャッシュで払ったのです。
ちなみにこの薩英戦争、生麦事件の賠償請求のために英国海軍が薩摩藩と戦ったのですが、戦(いくさ)そのものは、薩摩藩の勝利です。
理由は当時英国海軍が世界に先駆けて採用し搭載した艦載砲のアームストロング砲で、これは炸裂弾を発射するという当時の最新兵器だったのですが、肝心の炸裂が、目標への着弾時ではなく、発射時の艦上で起こってしまったことが原因です。
英国は、この戦いの後、アームストロング砲の注文を全部キャンセルしています。
(参考)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2359.html薩摩との戦いで敗北した英国は、その船速を活かしてすぐに江戸に戻り、幕府に談判して賠償金を受け取りました。
このときあまりにもあっさりと幕府がいまの価格にして30億円の賠償金を支払ったことに欧米諸国は驚きました。
ちなみにこのとき幕府は、賠償金を銀貨で支払いました。
これには実は理由があって、当時、国内にクズ銀が補助通貨として出回っていて、幕府はその処分に困っていました。
幕府は、その使い物にならないクズ銀を、ちょうど良い期会だからと「ゴミ掃除をする感覚で」英国に渡しています。
このことがきっかけとなって、日本は大金持ちの国であるということになり、欧米列強が日本からいかにして金銀を吸い取るかが課題になって行きます。
(ご参考→
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1923.html)
このお話をしだすと長くなるので、この辺にしておきますが、当時の世界にあって、有色人種国で独立を保っていたのは、事実上、日本だけです。
ただ国の統治権がまだ温存されていたということを独立と捉えるなら、タイ、チベット、ネパール、エチオピアも独立国でした。
しかしタイは、英国とフランの勢力の緩衝地帯としてかろうじて独立を保っていただけで、自力で独立を保っていたわけではなかったし、チベット、ネパール、エチオピアは奥地すぎて欧米の海軍力が至らず、植民地支配しようとするモチベーションがわかない地域であったために、結果的に植民地になっていなかっただけです。
また清国は、南部は英仏に、北部はロシアに、山東半島はドイツにと、すでに広大な地域を植民地化され、かろうじて北京の紫禁城に皇帝が存続していたというだけの状況です。
朝鮮は、欧米の植民地以前に、清国の属国であり被支配地ですから、独立国とはいえませんし、チベット、ネパール、エチオピアなどとは比較にならないほど、支配しようとするモチベーションのわかない地域でした。
要するに、ある程度の豊かさを持っている有色人種国で、この当時にあって純粋に独立を保っていた有色人種国は、世界の中で日本だけだったのです。
そしてその日本が、維新の改革を経て欧米に追いつき追い越せの努力を重ね、わずかその20年後には、欧米列強と並ぶ世界の大国の仲間入りを果たし、40年後にはロシアさえも打ち破って世界の一等国となり、大東亜の敗戦で傷つきながらも、有色人種国に工場を新設したり、近代的農業の指導をして産業の育成を図り、気がつけばいまや世界中の多くの有色人種国が白人国と並ぶ経済力と豊かさを身に付けています。
そしてその多くの国々の人々が求めてやまないのは、「愛と喜びと幸せと美しさ」のある国民国家の建設です。
残念ながら、特亜と呼ばれる3国は、いまだそのことに気づかず、民衆の「愛と喜びと幸せと美しさ」とはかけ離れた国の統治を行っています。
「自分さえ良ければ良い」という思考の過程にあっては、国民の「愛と喜びと幸せと美しさ」は実現できません。
三国が、いまだに「愛と喜びと幸せと美しさ」の対極にある「憎しみと恨みと欲望と穢れ」を世界中の誰の眼にも明らかなほど共通して拡散している理由も、そこにあります。
民衆が「愛と喜びと幸せと美しさ」を希求するのは、これは肌の色とは一切関係のない、万国共通のまともな民衆の願いです。
そしてそれが万国共通の、つまり人類不偏の願いであり、それが日本にある以上、日本は永遠に不滅です。
なぜなら日本が目覚め、日本が持つ「愛と喜びと幸せと美しさ」の国柄を、世界の中でピカピカに輝かせ、若者も年寄りも男も女も金持ちも貧乏人もお互いを助け合い、許し合い、喜びに満ちた嬉し嬉しの世を目指すことは、世界の民衆の「愛と喜びと幸せと美しさ」への目覚めをいざなうことでもあるからです。
そしてこのことをこそ、古事記に書かれた日本の神々のみならず、世界中の神々が望んでおいでなのだと思います。
だから日本は「永遠に不滅」です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
コメント
シミズ
それです、まさに自分がこうあって欲しいと常に妄想してやまない、日本のあるべき姿。
眩いばかりの金色の光に包まれた日本列島を中心に、世界中が、大和の心を持ったなら、どれだけ素晴らしい世の中になるかと思います。
というか、全ての人が幸せになるにはそれしかないとも思うのです。
この大和心はどこからくるのか、いつ生まれたのか、
知りたいと思います。
天皇が日本の最高権威として確立されたとされる6世紀あたりからなのか、もっとずっと縄文の始まりに遡るものなのか、神武東征、国譲りとは異民族による侵入なのか、天皇家のルーツとされる高天原とは、天津神とはどこから来たのか、、?
いつもモヤモヤ考えてしまいます(^^;
2017/06/08 URL 編集
にっぽんじん
台湾は戦前日本が統治していたところです。
カイロ宣言で日本は統治権を放棄しました。が、主権は放棄していません。
台湾を統治しているのは、戦後台湾を占領している「アメリカ」です。
蒋介石の国民党政府はアメリカの傀儡政府でした。その台湾に「台湾民政府」なるものがあったとは驚きです。
先日、台湾民政府のデモ行進があったようです。
彼らの主張は「国籍を日本に回復し、日本の自治領となる」ことだそうです。
下記のユーチューブを見てください。これほど統制が取れた組織は日本にもありません。
何故か中国の報道がないのが不思議です。
https://www.youtube.com/watch?v=OZ1dzAc7b64
2017/06/08 URL 編集
kaminari
愛と喜び、幸せ、美しさを
求める心
素晴らしいです!
国を護るというと直ぐに守らせたくない人や国の意見が湧いてきま。
そういう声こそ、自らの穢れを他人に押し付けようとするする
自分さえよければ良いという、魑魅魍魎の世界観から来るものだと
思っています。
祖国を護ること、
愛と喜びと幸せ美しさを護りはぐくむこと、
このような概念は子供たちでも分かりやすいし、
凝り固まった頭の人達でさえ、否定しにくい
素晴らしい説明だと思いますよ!!
2017/06/08 URL 編集
みわ
新刊予約しています。
時折、日常会話に古事記のお話を入れています。
以前は解釈が難しい本ばかりでしたので、そのようなことは出来なかったのですが、ねずさんの御本を読むと、神様の名前もさることながら、内容が腑に落ちるので、すっと話題に上げることが出来ます。
そうしますと、次の家族旅行は、ならではの土地になり、実際に足を運ぶことでより身につく感じです。
次の御本も今からとても楽しみにしています。
ところで、愛と喜びと幸せと美しさの人は鬼瓦のような顔をしているのに笑顔が素敵というのは、勤め先の社長さんがまさにそうです。
勿論、毎日の仕事がとても楽しいのは言うまでもありません。
今日も、ありがとうございました
2017/06/08 URL 編集
junn
https://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/65650189.html
2017/06/08 URL 編集