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6月24日(土)18:30
第41回倭塾 7月 2日(日)13:30
黎明教育者連盟講演 7月15日(土)18:30 第42回倭塾
7月17日(祝・月)18:30
CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
7月23日(日)14:00 第 1回名古屋倭塾(テーマ:古事記)
7月27日(木)18:30 第17回百人一首塾
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古事記の解説本は、本当にたくさん出ています。
その多くは、基本は、
1 昔から知られた神話の紹介
2 その神話のおもしろさ、楽しさや感動、あるいは仰天説の解釈
などとなっています。
古事記執筆中は、とにかく「古事記」と書いてある本は、手に入れれる限りの本を買ったり借りたりして、たいていの本は読ませていただきました。
ただひとつ自分でどうしても納得できず、疑問に思った点がありました。
神話のあらましはそれで良いのですが、問題は「解釈」の方です。
たとえば「ヤマタノオロチとは◯◯である」という説は、実に様々なものがあるのですが、いずれも「文意から、私はこう考える」という想像であって、「なぜそう言い切れるのか」という具体的説明がないのです。
あるいは、須佐之男命(すさのをのみこと)の高天原の大暴れについて、その大暴れが意図して書かれたことの理由について、ちゃんと納得の出来る説明がなされていない。
あるいは神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこのみこと=神武天皇)の物語に、いわゆる久米歌(くめうた)と呼ばれる歌があるのですが、古女房には旨いものを食わせるな!などという、ちょっと考えるとひどい解釈がなされているという点などなど、たとえをあげればきりがないのですが、要するに、どうしてそうなるのか、という説明がない。
それではまずいのではないかと思うのです。
わからない、理解できない点について鴨長明(かものちょうめい)は「古事記はいわば神の書なのだから、わからないところは、わからないのだから、そのままにしておけ」と述べ、本居宣長は、鴨長明と接することで、この言葉がおおいに救いになって、『古事記伝』を著(あらわ)すのですが、それが学問する態度ではないかと思うのです。
たとえば数学の図形の問題を解くときに、補助線を引くことがありますが、それはあくまでも問題の解を得るためです。
それで解けなければ、まだ実力が足らないのですから、もう少し簡単な問題から先に手を付けて、実力を養って再チャレンジするのが、正しい問題の解き方です。
あたりまえのことですが、わからないからといって、問題文や、問の図形を変形したら、それはいけないことです。
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わからなかったら現場百回です。
原点(原典)に帰って考える。
先日、「年と歳と二倍年歴」の記事に書きましたが、一般に、神倭伊波礼毘古天皇、つまり初代神武天皇は、日本書紀から各天皇の御在位の年数から逆算して紀元前660年と計算されています。
これは明治のはじめに、暦学者の塚本明毅(つかもとあきたけ)計算したもので、それが皇紀となって終戦まで暦として用いられています。
私は日本書紀はまだ研究途上で、古事記の記述しかわかりませんが、古事記では、神武天皇は、
神倭伊波礼毘古(かむやまといはれひこ)
天皇御
年壱百参拾漆
歳、
御陵在 畝火山之北方白檮尾上也
と書かれています。
読み下すと、
神倭伊波礼毘古(かむやまといはれひこ)の
天皇(すめらみこと)の御年(みとし)は137歳にて
御陵は畝傍山(うねひやま)の北方の白檮尾(かしお)の上なり
となります。
この場合の「天皇御年」は、天皇が人として生まれてからの年数ではなく、「天皇であられた年」を意味しますから、要するに「御在位年数」です。
現代語訳しますと、
神倭伊波礼毘古は、天皇の御在位137歳にて、
畝傍山の北方のカシオの上の御陵に埋葬されました。
となります。
原文を見たらわかりますが、古事記はあきらかに「年」と「歳」を使い分けています。
「年」という漢字は、稲穂が稔って垂れた稲穂を人が刈り取っている象形文字で、そこから「稲穂の刈入れ」から、次の「刈入れ」までを意味します。
そしてこの時代、というか今でもですが、西日本は二期作です。
収穫は年2回あります。
ということは、「年」は、いまでいう半年の意味です。
「歳」の方は、左右の足跡と斧の象形です。
「斧で殺した生贄を神様に捧げる」のですから、これは神事です。
つまり「神事から神事までのの期間」が「歳」です。
我が国において、定期的神事は、月例か四季別か、年(いまの半年)別です。
つまり、最短の定期神事は月ごとです。
また「歳」という字では、俳句に「歳時記」というものがありますが、これは俳句の四季折々の季語をまとめたもので、各月別に定められています。
つまり「歳」=「月」です。
そうすると古事記は、神武天皇が天皇としての御位にあられた月数を「137ヶ月だった」と書いていることになります。
旧暦のひと月は、平均月齢で29.5日ですから、
神武天皇は、
137×29.5日÷365.25日
答えは11年余り天皇の地位に御在位されて崩御されたと古事記は書いていることになります。
歌などで使われる言葉ですが、俳句は各月ごとに季語があります。
いまでは「歳時記」を辞書でひいたら、「一年の折々の自然などを記した俳句集など」と書かれていますが、その句集をみれば、1月、2月と各月ごとに季題が書かれています。
いまなら6月ですから、田植やアヤメやメダカが季語です。
誰がどうみても「歳」は、各月のことを言っています。
これはひとつの例ですが、他にも因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)について、古事記は「兎」ではなく、「菟」という字を用いています。
ウサギは耳の長い動物ですから「兎」です。
けれど古事記にはクサカンムリで、「菟(と)」と書いているわけです。
これは植物のネナシカズラのことであって、動物のウサギではありません。
植物のネナシカズラは、その名の通り地面に根を生やさない、いわば「根無し草」です。
そして「菟」が「根無し草」であるということから、土地に根を生やした農民ではなく、行商など商流や物流を生業とする人という意味だとわかります。
ちなみに「商」というのは、古代のChinaにあった殷(いん)王朝が周(しゅう)によって滅ぼされたとき、その亡民が、流浪の民となってもっぱら商業に勤(いそ)しんだ(いまの華僑のような存在)ことが由来となって、流民による行商を意味する言葉になったものです。
いまでもChinaは商業国家で、モノをつくることよりも、モノを右から左に転がして利ざやを稼ぐことがChineseの特徴です。
だれもが自分の利益を図ろうとして、いつも声を張り上げていますから、Chineseの集団は、うるさい。
世界中でChineseの団体観光客は、ミニ台風と呼ばれています。
古事記では大国主神話の後に続く葦原の中つ国の平定の物語で、まず冒頭で、天照大御神から中つ国をシラセと命じられた天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が、「下界は騒々しい」と言って、帰ってきてしまうというシーンが描写されています。
これは要するに大国主神が築いた国家が、商流国家であったといういうことです。
だから中つ国が騒々しい。
そのことを、古事記は大国主神神話の冒頭に「菟(と)」を登場させることで、理解のための伏線にしていたとわかるわけです。
これらは、「物語のあらすじから、こうではないかとイメージを膨らませた」ものではなく、具体的になぜ「菟」なのかという疑問を素直に読み解いて行くことによって、自然と導き出される結論です。
同様に、「高志(こし)のヤマタノオロチ」にしても、「高志」を勝手に「越」と読み替えて、越の国からやってきたオロチなのではないか、などという想像をたくましくした解説もあったりしますが、私は「高志(こし)」が「越(えつ)」だというのなら、その理由と証拠を見せていただかないと納得出来ないのです。
なぜなら、古事記は意図して「高志」と書いているからです。
古事記は、「高志」に「以音」との注釈は付していません。
ということは、「こしのやまたのおろち」は、漢字の「高」「志」に意味があるということです。
その謎解きが、幾何でいう補助線になります。
ヤマタノオロチにしても、最近「斐伊川のことである」という河川説が有力になりつつありますが、古事記はヤマタノオロチを、「遠呂智」と書いていて、これは「以音」ですから、いまでいうならカナの「オロチ」であって、どこにも「川」とは書いてないわけです。
そして、奥出雲に「おろち川」という川はありません。
そうであるならば、「オロチとは何か」を検証していかなければなりません。
そしてその「オロチ」は、「高志」と矛盾してはならないはずです。
そういうことを、地道に読み重ねて行って、古事記の真意を知る努力をする。
決めつけや、思い込みではなく、どこまでも、根拠を積みあげていく。
その上で、自分なりに何を感じとるかを考える。
そういうことが大事だと思っています。
日本文化の特徴は、和歌にせよ、茶道や華道、あるいはお能や歌舞伎にしてもそうですが、小学生でも感動を得ることができます。
お能はむつかしそうですが、能面を見たら、小学校の低学年でも感じるところはある。
華道の美しさを体感するのは、大人も子供もありません。
つまり、幼児でもわかるように構成されていて、ところが学問を重ね、大人になって様々な人生経験を経ると、そこからものすごく深い知恵を感得することができるというのが、日本文化の特徴です。
たとえば柔道にしても、いまでこそ体重別のスポーツ化して、体が起きくて腕力のある者が強い時代となりましたが、一昔前までの日本文化としての柔道は、三船久蔵十段に代表されるように、まるで枯れ木のようになった70〜80代のか細い老人に、大柄な現役4段、5段の選手が、まるで手もなくコロコロと投げ飛ばされる。
剣道なら、棒振りだけなら、幼児にもできますが、剣聖の域に到達するには、それこそ何十年もの修行をして、それでも扇に至るか至らないかという世界です。
つまり日本文化は、入り口は広くて、出口は極端に深くて遠い。
それがあらゆる日本文化を構成しています。
古事記の世界も同様で、入り口は、絵本にもなるわかりやすい神話です。
そして、実は、幼いうちに、その古事記の世界を、絵本的な知識として知っておくと、大人になったあるとき、なるほど!とそれが納得できる日がやってくる。
とりわけ、大昔は、それを絵本ではなく、漢文で覚えたわけです。
知識の深さは違って当たり前です。
古事記の原文を読んで、ショックだったこともありました。
私は、当初、解説本で古事記の筋書きを学んでいたのですが、少名毘古那神は、私は親指くらいの身長の一寸法師のご祖先(笑)と思い込んでいました。
ところが古事記の原文を読むと、そんなことはどこにも書いてない。
これには驚きました。
『ねずさんと語る古事記・弐』は、そんな次第から、帯に「大人が楽しむ」と書かせていただきました。
大人が読む古事記が、小学校低学年向けの絵本と同じレベルであっては、はっきりいってもったいなさすぎです。
古事記は神の書なのです。
ならば、大人には大人の読み方がある。
私はそう思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
街のバカ猫
工藤隆著「中国少数民族と日本文化」勉誠出版である.
理由:古事記には帝紀(系譜伝承)が延々とある.
物語的には面白くないのに何故系譜を延々と記載するのか?
疑問に思ったことはありませんか?
現在世界の片隅に追いやられてしまった少数民族の族長の任務は,
系譜口承であると紹介している.古事記が上古持っていた一機能を垣間見る思いである.
2017/06/24 URL 編集
ラベンダー
「つまり日本文化は、入り口は広くて、出口は極端に深くて遠い。
それがあらゆる日本文化を構成しています。」
「古事記の世界も同様で、入り口は、絵本にもなるわかりやすい神話です。」
ここが、とても大切なところですね。
百人一首も、カルタとして小さい頃から親しむことができるようになっています。
大人として、たくさんの人生経験をした上で、若い頃とは違う、古事記や百人一首の読み解きをしないのでは勿体無いですね。
今日も、素晴らしいブログをありがとうございます(^-^)
2017/06/24 URL 編集
にっぽんじん
それは、職業柄彼らの人権を守るための手段として許されているものと思います。
そのような特殊な人以外は実名で生活するべきではないでしょうか。
インターネットが普及し、膨大な情報が飛び交う中には多くの「フェイク情報」が含まれています。
たいして害のないフェイクもあれば、国家の運営まで揺るがすフェイクもあります。これらの情報は全て「匿名情報」です。
実名であれば簡単に「フェイク」は発信できません。
国会議員の中にも実名でない人がいます。
実名を使用できない社会は安心できる社会ではありません。
犯罪事件でも実名を出さないのは間違った行為であり、健全な社会とは言えません。
「匿名社会の危険性」を政府は真剣に考えるべきではないでしょうか。
2017/06/24 URL 編集