
←いつも
応援クリックをありがとうございます。

(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)◆
『ねずさんと語る古事記・弐』6月15日発売です。↓画像をクリックすると購入ページに飛びます↓

◆
【お知らせ】◆
7月 2日(日)13:30
黎明教育者連盟講演 7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
7月17日(祝・月)18:30
CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
7月23日(日)14:00 第 1回 名古屋倭塾 公開講座(テーマ:古事記)
7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座
8月15日(火)靖国神社昇殿参拝
9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座
10月 1日(日)日心会『ねずさんと古事記』出版記念イベント
*****
戦後左翼や在日外国人による日本破壊工作、その典型に沖縄の反日独立工作や、アイヌ分離工作があります。
ウソでも捏造でも、とにかく日本を破壊したいというのが彼らの考え方です。
そのためにはどんな卑劣な手段を使っても無罪だ、許されるのだと考えます。
これは明らかな甘えで、しかも絵に書いたような卑怯卑劣です。
普通の日本人の常識では考えられない非常識です。
だから、誰もが「ここは日本なのにおかしいな」と思っていたら、なんのことはない、黒幕も運動員も日本人になりすました外国人だったということが近年はネットを通じて暴露され、運動員は世間の嘲笑を買うようになりました。
森友学園、加計学園にレイプ報道等、意味不明の議論が続くと思ったら、なんのことはない「組織的犯罪処罰法改正法」略称「テロ等準備罪法」の成立を妨げたかっただけ。
この法律はテロを未然に防いで市民の平穏な生活を守ろうという法律なのに、なぜかその名前まであたかも「共謀罪法」であるかのように偽装され、宣伝される。
国会で「テロを未然に防ぐことに反対します」とはいえないから、別件で騒いだだけであるということは、いまどき、ほとんどの国民が知っています。
もうバレバレなのです。
そして自分で勝手に火をつけておいて、火事だ火事だと大騒ぎしているのも、結局は日本人になりすました外国人たちであるということも、すでに世間はしっています。
日本人は馬鹿ではないのです。
◆youtubeの動画サイトをはじめました。↓下のバナーをクリックするとチャンネルに飛びます↓

↑よろしかったらチャンネル登録をお願いします。登録無料です↑
新しい動画がアップされました!
国家というのは、国民の集合体ですが、間違えてはならないのは、国家があるから個人がある、ということです。
ずっと昔の縄文時代や石器時代の集落なら、個人という考え方はありません。
さんちゃん経営の小さな商店で、お互いが個人を言い出したら、家業はなりたたないし、なりたたなければ無収入となって経済も生活も破綻します。
それだけのことです。
それが国家という大きな集合体が生まれたとき、その集合体に支配される側、つまり民衆が、人としての尊厳を確保する。
そこで生まれた概念が個人です。
王侯貴族だけが贅沢三昧な暮らしをするのではなく、個人の集合体に所属する誰もが、豊かに安心して安全に暮らせること。
これを標榜して行われたのが、民主主義革命であるわけです。
ちなみにこの革命のことを、英語でレボリューション(Revolution)といいます。
これはリボルバー(Revolver)と同じ語源で、回転してもとに戻ることをいいます。
つまり、王権支配の前の状態に戻そうよ、というのが、フランス革命を代表とする西欧の市民革命であるわけです。
ですからこのレボリューションの思想は、実はChinaの易姓革命の思想と全然異なります。
Chinaの革命は、天命(てんめい)が革(あらた)まるという意味です。
つまり支配者が代わるという意味であって、西洋の「王権支配前の状態に戻そう」という概念とはまるで違います。
実は、左翼の人たちや日本人になりすました外国人たちが、まったく曲解しているのが、ここの部分です。
彼らは日本で易姓革命が起せると思っています。
けれど、どんな国でもどんな民族でもそうですが、その国や民族の歴史伝統文化に則った延長線上でしか、改革も革命も起こりません。
そして日本は、太古の昔から、ChinaやKoreaのような易姓革命はまったくなかった国です。
ですから日本における革命、改革は、実は西洋と同じ「レボリューション(Revolution)」によって起こります。
明治維新も、7世紀の大化の改新の再現(Revolve)です。
その大化の改新も、神武創業に戻れという再現(Revolve)です。
鎌倉将軍、室町将軍、徳川将軍と支配は移りましたが、これはいまでいう政権交代であって、国のカタチがかわったわけではありません。
日本で易姓革命が起こるとすれば、それは日本が外国人王朝によって支配されるときです。
要するに、台湾のように、いきなり国民党の軍隊がはいってきて、領土領民を乗っ取るみたいなものです。
日本には1億2600万人の人々がいて、およそ1億人の有権者がいますが、そのほぼ全員、日本をChineseやKoreanに統治してもらいたいなどと思っている人はいません。
思っているのは、彼ら自身くらいなものです。
Chinaは、ずっと外来王朝だった国です。
いってみれば漢族は、ずっと植民地支配を受け続けていたわけで、市民という概念はまったく育っていません。
清朝が中華民国になり、中華人民共和国になっても、支配される側の漢族にとっては、支配者が代わっただけで、漢族はどこまでも漢族のままです。
ですから、中華人民共和国政権が倒れて、たとえば中華共和国が誕生したとしても、彼らにとっては自分がいかに金を得るかが大事でしかない。
西洋のように、リボルブ(Revolve)すべき政治体制を彼らは持たない、いまだ実現できていないのです。
日本では、大日本帝国が日本国に代わり、憲法が代わっても戻るべき国のカタチがあります。
それは、民衆が天皇の「おほみたから」とされ、政治権力者は責任を持って、その天皇の「おほみたから」のために政治を行うという、国のカタチです。
残念ながら、戦後の教育から、そのことがごっそりと抜け落ちているために、現代人の私たちは、その戻るべき日本の姿を見失っています。
そしていきおい、日本を破壊したい国壊議員や、国壊メディアによって、あたかも日本を壊すことが良いことであるかのように宣伝されています。
ややこしいのは、戦後の政治体制が、そうした国壊側の立場であるがゆえに、多くの知識人や言論人が、戦後の政治体制が「よくない」という立場に立ち、そのことが日本を壊したい人たちと方向性が重なったことです。
野党王国といわれた都道府県の選挙区でも、多くの日本人は、誰も日本が失われて良いとは思っていません。
ただ、現状を打破したいと思っているわけです。
東京都知事選においても、小池知事率いる都民ファーストが自民党を破りそうな勢いですが、これもまた、現状を打破したいという、まさに都民の声であろうかと思います。
そこで問題になるのが、打破した先にある日本の姿です。
不思議なことに、現状を打破すべしとする議員やメディアにおいても、では、その打破した先に、どのような日本を描いているのかについては、各者バラバラです。
保守と呼ばれる人たちにおいても、これは同じで、あるべき日本の姿こそ、はじめに明確にしなければならないのに、左翼はけしからん、在日はけしからん、中共や韓国はけしからんというばかりで、ではあるべき日本の姿はどのような姿なのかについては、見解がバラバラであるかのようです。
このため、いきおい保守と呼ばれる人たちも、私を含めてですが、単に現下の左翼等に対する対抗保守となってしまっているふしがあるように思います。
しかし、対立だけでは、残念ながら世間の支持は得られません。
そして世間の支持がなければ、政治は変わりません。
ではどうしたら良いのかといえば、古くからある日本の姿形を明確にしていくことではないかと思います。
憲法議論も同様で、憲法はただ変えれば良いというものではなく、国家としての理想がそこになければ、憲法はただのご都合主義のいきあたりばったりの議論にしかならないのではないかと思うのです。
私は、古事記や百人一首を通じて、そのあるべき日本の姿を、まずは学ぼうと思います。
そんな時間はない、と言われるかもしれませんが、改革にせよ革命にせよ、いまどきChinaのように、権力者が代わる易姓革命のようなものを求める人は、日本国内には皆無ではないかと思います。
むしろ日本における革命改革は、西洋的なレボリューション(Revolution)、つまりあるべき姿に立ち戻るということではないかと思うのです。
そしてその日本のあるべき姿は、いったいつ出来上がったのかといえば、推古天皇、聖徳太子の時代から、持統天皇、元正天皇、元明天皇に至る時代、つまり、日本が国家としてひとつのまとまりを築こうとした、飛鳥から平城京時代に描いた理想にあるのではないかと思います。
あるいはそれは江戸時代の日本にあるかもしれません。
そして江戸時代の平安は、天皇を天子様として、すべての領土領民を、天皇のおほみたからとし、大名や武士たちは、その「おほみたから」を預かる立場として、民のためにあろうとした、つまりそれは飛鳥時代から奈良平安の時代に築かれた日本を、あらためて守り通そうとしたことによってもたらされたものでもあろうかと思います。
対立だけでは日本は変わらないのです。
変わるためには、理想が必要なのです。
そしてその理想は、日本社会の歴史伝統文化に根ざしたものでなければ、世間の理解は得られないのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

コメント
くすのきのこ
信長は、1467~1585年の123年の間頓挫していた伊勢神宮の
遷宮を復するのに動きました。戦前はその事を評価されていたそうです。
もちろん熱田神宮やその他の神社や皇居の改修にも資金を出しました。
そして筋を通して北条の将軍のサブとして上洛するも、その将軍が皇室
を軽んじるために追放したとw
そんな信長の目指したのが楽市楽座。そのためには治安と貨幣経済が必
要で、その路線を継いだのが秀吉であり家康であったと。単に権力を持
つだけでは足りない・・国の安定は皇室の権威の下に安定した政権が必
要であり、それをもって戦国社会が治まると。それでも足りない。時間
が必要でした。徳川は6代もかかって、漸く武官が文官へ・・生類哀れ
みの令で・・女子供も記録(いわゆる戸籍)されるようになったと。
人の社会とはすぐに変わる事はありません。戦後の復興も、実は戦前の
社会の記憶があり、そこに戻るための努力であったのではないかと。
・・伊勢神宮を篤く敬った信長もまた、古事記を読んだかもしれない、
あるいは話として聞いたかもしれないと思うと楽しいですねw
2017/06/28 URL 編集
ポッポ
この法律は、ねずさんが話される「明察功過」そのものだと思います。
日本の国でテロを起こそうとする犯罪者達は、テロを起こして何人もの平和に暮らしている日本人が被害を受ける前に、ひとまとめにして逮捕しなければならないと思います。
2017/06/27 URL 編集
Kaminar
あるべき姿を明確に訴えられる候補者と、それを理解できる素養がある有権者が求められます。
その数は確実に大きくなっていると感じられます。
小名木さんのブログにも励まさられる毎日です。
2017/06/27 URL 編集