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7月 2日(日)13:30
黎明教育者連盟講演 7月15日(土)18:30 第42回 倭塾 公開講座
7月17日(祝・月)18:30
CGS【ねずさんとふたりごと】公開収録 7月14日(金)08:00 ABCフォーラム朝食会(テーマ:百人一首)
7月23日(日)14:00 第 1回 名古屋倭塾 公開講座(テーマ:古事記)
7月27日(木)18:30 第17回 百人一首塾 公開講座
8月15日(火)靖国神社昇殿参拝
9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座
10月 1日(日)日心会『ねずさんと古事記』出版記念イベント
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先日もお伝えしましたが、古事記における年と歳の使い分けについて、再度考えてみようと思います。
古事記が戦後に否定されている理由のひとつに、古代の天皇の寿命があまりにも長過ぎるという点があげられています。
たとえば、
初代神武天皇は、137歳
第6代孝安天皇は123歳
第10代崇神天皇は168歳
第11代垂仁天皇は153歳
という記述です。
それぞれ古事記は「天皇御年」がこれだけの期間だったと書いています。
「天皇御年」ということは、素直に読めば天皇に御即位されてから退位、譲位、または崩御されるまでの年数というと読めるのですが、そうなると寿命がすさまじい年数になります。
だから「おそらくこれは御生誕から崩御までの年数ではないか」ということになっています。
しかし「そんなに長生きするはずないだろう!」ということになって、そこから、古事記は荒唐無稽な根拠の乏しい作り話、つまり「Myth(=神話)」に他ならないなどと言われてきたわけです。
そこで近年では、暦は農業と密接な関係があり、西日本一帯は今も昔も稲を年二回収穫する二期作だから、昔の日本では一年を半年でカウントしていたのではないかという推論が生まれました。
これが「二倍年歴法」という名称を得て、神武天皇は137÷2だから68歳と半年の御寿命だったのではないか、そうすると仁徳天皇くらいまでは、書かれている寿命を半分として読んで、そうなると神武天皇の御即位は、日本書紀に基づき、西暦紀元前660年ではなく、紀元70年前後だったのではなかろうか、といった推論がなされるようになりました。
ところが古事記の記述を読むと、実は「年」と「歳」を明らかに使い分けて記述しています。
たとえば初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命)については次のように書いています。
神倭伊波礼毘古天皇御年壱百参拾七歳
御陵在畝火山之北方白檮尾上也
漢字ばかりで読みにくいかもしれませんが、読み下しますと、「神倭伊波礼毘古(かむやまといはれひこ)天皇(すめらみこと)の御年は137歳にて御陵は畝傍山(うねひやま)の北方の白檮尾(かしお)の上なり」となります。
現代語訳すると、
「神倭伊波礼毘古は、天皇の御年137歳で畝傍山の北方のカシオの上の御陵に埋葬されました」となります。
ご欄頂いてわかりますように、「天皇御年」と「137歳」というように、古事記は明らかに、年と歳とを書き分けています。
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はじめにお断りしておきますが、古事記に書かれた、いわゆる神話は、神となられた、もしくは神様であった私たちのご先祖の物語です。
ですから、神々の物差しというのは、私たち人間には計り知れないものがあるわけで、その意味では、古事記に記載された年や歳も、私たちとは違った物差しであったかもしれません。
たとえは悪いですが、よくSF映画やアニメなどで、「宇宙暦☓☓☓☓年」といった表現が出てきます。
私たちは地球に縛られて住んでいますから、1年は365日ですが、太陽が銀河系を一周する期間が宇宙暦1年なら、それは私たちにとっての約2億2600万年に相当します。
神々の世界は、私たちの物理観では計り知れないのです。
ただ、だからといって、神武天皇が137歳はあり得ないから、古事記はインチキだと決めつける態度は感心できません。
明らかに古事記は年と歳とを使い分けて記述しているのだし、年も歳も、漢字自体にちゃんと意味があるからです。
では「年」とはどのような意味の文字かといいますと、これは稲穂が稔って垂れた稲穂を人が刈り取っている象形です。
西日本は今も昔も二期作ですから、稲の収穫は年に二回あります。
つまりここでいう「年」というのは、いまの半年のことを意味しているとわかります。
一方「歳」は、左右の足跡と斧の象形で、斧で生贄を捧げる=神事を意味します。
つまり神事から神事までの期間が「歳」です。
ですから天皇の即位は神事であり、崩御もまた神事ですから、この場合は誰がどう考えても、稲作の収穫期間を著す「年」ではなく、「歳」を用いるのが正解とわかります。
では「137歳」とは何を意味するかというと、そして神事は月例で行われます。
これはいまでも、献詠祭なら毎月15日というように、月毎に定期的に行われます。
つまり神事は月例です。
「歳時記」という言葉がありますが、これは毎月の催事を示す季語です。
一月ならお正月、二月なら節分、七月なら七夕(たなばた)、九月ならお月見等々です。
要するに「歳」は、天皇にご即位されてから、ご崩御されるまでの期間であって、それが137歳と書いてあれば、137ヶ月であるということになります。
昔は陰暦ですから、1ヶ月は平均29.5日です。
すると137歳は、4041.5日です。
太陽暦で1年は365.25日ですから、これはおよそ11年1ヶ月です。
つまり初代神武天皇は、天皇にご即位されてから11年1ヶ月御在位されてご崩御されたということを古事記は書いているとわかります。
だから、「天皇御年」と「137歳」と、年と歳を使い分けて書いているのです。
古事記に記述された最後の天皇は、第33代推古天皇です。
この推古天皇というお名前は奈良時代に贈られた漢風諡名で、古事記はお名前を豊御食炊屋比売命(とよみけかしきやひめのみこと)と書いています。
原文は極めて短い記述で、
豊御食炊屋比売命、坐小治田宮、治天下參拾漆歲
戊子年三月十五日癸丑日崩。
御陵在大野岡上、後遷科長大陵也。
意訳すると、
「推古天皇は、大和の小治田の宮に坐(ましま)して、37歳天下をお治め
戊子(つちのえね)年の三月十五日癸丑(みずのとうし)の日に崩御されました。
御陵は大野の岡の上にありましたが、後に科長の大陵に遷されました」となります。
ここでは、崩御年については、干支年記述があります。
一方、天皇御在位は37歳とあります。
いわゆる歴史時代となる皇極天皇や天智天皇以降の歴史をみると、天皇御在位は、必ずしも崩御されるまでということにはなりません。
また、天皇が崩御された後、殯(もがり)の期間が置かれ、その間は次の天皇が定まらない期間があったりもします。
ですから、天皇崩御の年と、天皇御在位の期間は必ずしも一致しないし、ご在位中の個々のエピソードも、年単位であったのか、月単位であったのか、やや曖昧な点もあります。
ただ、第28代宣化天皇(建小廣國押楯命)以降は、干支の記述があり、それ以前の第27代安閑天皇(廣國押建金日命)以前には、干支の記載がありません。
従って、古事記の記述としては、安閑天皇までは年と歳を区別し、以降は年と歳と干支を一致させて記述したと考えられます。
これを後ろから見ますと、下巻の推古天皇の崩御が七世紀はじめで、仁徳天皇の崩御が五世紀のはじめ頃で約二百年、中巻の応神天皇から神倭伊波礼毘古天皇までがおよそ二百年となります。
はじめの200年というのは、一世代がおよそ25年ですから、8代を意味します。
これは、
自分、父、祖父、曾祖父、高祖父までの5代と、
子、孫、曾孫までの3代の合計が8代200年です。
お孫さんをお持ちの方なら、おそらくご自分のお爺ちゃんのお爺ちゃん(高祖父)くらいまでの話は、孫に聞かせたりすることもあろうかと思います。
お爺ちゃんのお爺ちゃんというのは、5代125年ですが、いまから125年前というと日清戦争の少し前くらいです。
子供の頃に、祖父から、お爺ちゃんのお爺ちゃんが日清日露の戦(いくさ)で大陸に渡って云々といった話を聞いたご記憶のある方も多いのではないかと思います。
つまり、200年前くらまでというのは、記憶にある時代ということになります。
そこからさらに400年前、つまり600年前となると、室町三代将軍の足利義満が日明貿易を始め、応仁の乱が起こり、信長や秀吉が活躍した時代になります。
このあたりの歴史は、講談や小説、映画などでけっこう詳しい方も多いし、少し古い旧家なら、その頃から続く名門の家柄なんて方も結構おいでになったりします。
さらにそれ以上昔となると、鎌倉時代くらいよりも前の時代にまでさかのぼることになりますが、実はここまでくると、日本中の家系が、全部何らかの形でつながってきます。
どういうことかというと、ねずみ算で計算すると、700年前の一組のカップルから日本のいまの人口が誕生するのです。
逆にいえば、いま独りの日本人が在るためには、700年前に1億2600万人のご先祖が必要になります。
それがひとりのためです。
二人いたらその倍です。
三人いたら、その三倍です。
けれどそんなに人口がいたわけではないし、実際、700年前の日本の人口はおよそ699万人と推計されています。
これが何を意味しているかというと、誰もが「先祖がかぶっている」ということです。
日本人が、みんな親戚になってしまうのです。
ですから私たちにとって鎌倉時代以前のご先祖の物語というのは、日本人全員がその時代の登場人物の一人ひとりと血の繋がったご祖先の物語ということになります。
そしてそのご先祖は、もはや神様ですから、これを総称して神語(かむがたり)といいます。
古事記は、上中下の三巻建てになっていますが、
下巻 200年前くらいまで
中巻 600年前くらいまで
上巻 それ以前の神語(かむがたり)
として編成されています。
つまり古事記の神話というのは、私たちの共通の祖先となる神々の物語ということであるわけです。
先日、神話と神語は違うというお話を書かせていただきましたが、神話が「Myth」、つまり根拠の乏しい作り話を意味する「Myth」の翻訳語であって、幕末に生まれた言葉でしかなく、それ以前は日本神話のことを神語(かむかたり)と呼んでいて、この両者は区別されていた、と述べさせていただきました。
つまり古事記における神話は、荒唐無稽な根拠の乏しい作り話やお伽噺(おとぎばなし)ではなく、私たちと血の繋がった共通のご祖先の物語であり、いまは神となられているご先祖の物語だから、「神語(かむがたり)」と呼ばれていたわけです。
従って、「所詮は神話なのだから」と馬鹿にして、せっかく八俣遠呂智と書いているのに、これを八本頭の大蛇であると勝手に読み替えたり、神武天皇御年137歳で崩御と書いてあるのに、これを137才のご長寿だったと読んだりするのは、間違いだし、横暴だということです。
そもそも古事記は、その序文において、「古(いえにえ)を省(かえり)みることで今の時代を照らし、邦家、つまり日本の経緯、王化、つまり天皇統治の鴻基(おおもとのこと)を明らかにしようとして書かれた書」であると、ちゃんと書いてあるのです。
日本の文化は、すべてに共通することですが、基本的に子供でもわかるように出来ています。
和歌や俳句、茶道に華道、剣術に柔術、いずれをとっても、小学校に上る前の児童でも、その気になれば誰でもできることです。
けれど、これを極めようとすれば、大人になっても、あるいは老人となって死ぬまで探求しても、まだ奥が見えない。それくらい深いものになります。
児童でもわかるし、できるのだから、剣術や柔道、茶道に華道は、子供向けのものであると言ったら、笑われます。
けれどどういうわけか、神語については、その愚を、戦後の日本人は犯してしまってきたといえるのではないかと思います。
そもそも神語を神話と呼んでいる時点で、私たちは騙されているのです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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開催案内WEB : 発起人221名
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2017/06/29 URL 編集
ラベンダー
そしてそのご先祖は、もはや神様ですから、これを総称して神語(かむがたり)といいます。
***
とても大切なことですね。
このことを意識しながら歴史を学ぶと、より身近なこととして理解できそうです。
理解できないのは、その時代の思想や価値観を知らないからなのでしょう。
ねず先生のブログで学ばせていただきます♪
今日も、ありがとうございます😊
2017/06/29 URL 編集
大阪都民
私は、神武天皇さまが、137歳で帰幽された事は、そのまま受け取らさせて頂いています。神代から神武天皇が人代と宣言された時代は、霊肉一体の神ながらを生きられた日本人が多いのです。現代人とは心掛けも生活態度も違う事を拝察しなければいけないと想います。
2017/06/29 URL 編集