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(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)何年か前のことですが、隣家の二階の雨戸の戸袋の下に、蜂が巣を作りました。
はじめは、数匹の蜂がたかっているだけでした。
なんだろう、と思っていました。
何日かすると、だんだん見事な蜂の巣になっていきました。
ほんとうに徐々に徐々に、数匹の蜂達が一生懸命毎日コツコツ働いて、ようやく蜂の巣は直系8cmくらいに育ちました。
きっと、もう子供が中にいるのかもしれない。
そう思った矢先、一昨日、その蜂の巣に薬品がかけれられ、蜂の巣は撤去されました。
住んでいる人にとっては、いつ刺されるかわからないからです。
蜂の巣があった雨戸の戸袋のすぐ下には、やはり隣のお宅の車庫のトタン屋根があります。
その屋根の上に、一匹の蜂の遺体が転がっていました。
昨日のことです。
あまりの暑さに窓を開けて外をみていたら、一匹の蜂が飛んできました。
その蜂は、巣があったあたりを、何度も行ったり来たりしていました。
見ていると、そこにあったはずの自分たちの巣を一生懸命に探していることが、その様子からわかりました。
まるで、「ええ?!どうしちゃったの?ここに家があったのに!、ええっ?!おかしいよぉ!」と蜂の声が聞こえてきそうな、そんな蜂の行動でした。
その蜂が、車庫の屋根の上の蜂の遺体を見つけました。
蜂は、その遺体のところに飛んで行くと、遺体のすぐ脇に止まり、なんだか匂いを嗅ぐような仕草をしたり、頭で一生懸命に、死んだ蜂を起こそうとしたり、遺体のまわりをぐるぐると回ったりしていました。
「おい、起きろよ。起きてくれよ。どうしちゃったの?」と、蜂が泣きながら遺体にすがっていることが、やはり仕草から伝わってきました。
小さな蜂でも、そうやって巣を思い、仲間を思う気持ちがあるんだな、と感じました。
昆虫にも魂があるのかもしれないと思いました。
命は、体が滅びれば、それでなくなります。
けれど魂は永遠です。
もしかすると、昆虫にも、その魂が宿っているのかもしれません。
そういえば昔読んだ瀬島龍三の『幾山河』に、こんな話が載っていました。
庭の木から蝶の幼虫を取り払おうとした。
すると、その幼虫の親なのでしょうか。
一匹のチョウチョが、その取り除こうとした手に必死にまとわりついてきた。
こんな昆虫でも、愛ってあるのだなと、そう思ったという話です。
アッツ島の玉砕のときのことを書いた瀬島龍三の『幾山河』にあるエピソードです。
蝶でさえ、仲間や子を護ろうとします。
敵わないと知りつつも、必死に戦う。
子や同胞というのは、それほどまでに生き物にとって大切なのです。
けれど、次のような話もあります。
ラルフ・タウンゼントは、アメリカ人のジャーナリストで、昭和7年頃、上海にいました。
そのタウンゼントの使用人の中の、あるチャイニーズは、爪に火を灯すようにして1800ドルを貯めました。
当時のチャイニーズにとって、それは一財産です。
見上げたものです。
ところがそのチャイニーズ、よせばいいのに博打か株に手を出して、貯めたカネをすっかりスッてしまいました。
しかもそれを、よく知らない男に頼んでやらせてしまったのです。
彼は、あまりのショックに、死にそうなくらい落ち込みました。
ありそうな話です。
タウンゼントはかわいそうになって、事情をそのチャイニーズから聞きました。です。
「ワタシ、もうイケナイ。
友達ミンナ、飲んで笑って楽しそうある。
でもワタシ、声出ないある。
笑えないある。食べられないある。
ワタシ、何もできないけれど、
心臓だけドッキンコ、ドッキンコと、
時計みたいに鳴っているある。
ココよ、ココ(といって胸に手を当てる)。
夜、睡眠ゼロ、心臓だけドッキンコ。
ワタシ、声も出ねえし、涙もでねえある。
でも心臓だけ泣いているある」
すごい落ち込みようです。
ところがこの使用人、コレラで死んだ友の話となると、ガラリと様子が変わりました。
いかにも可笑しかったというように大笑いしながら、
「2日前の晩だった。
ワタシ、あいつの家に行ったある。
あいつ、まさか自分が死ぬとは思わなかった。
それからコレラがきた。罹った。
四時間もしないで昨日死んだ」
と、話したあと、大笑いしたのだそうです。
タウンゼントは、この話に続けてチャイニーズの京劇見物の様子を書いています。
かわいそうな場面、たとえば息子が死ぬ、嵐に家を吹き飛ばされるなど、涙をさそう場面があります。
ところがなんと驚くなかれ。
ここで大爆笑が起こるのである。
私自身、何度も芝居小屋に足を運んだから間違いない。
芝居だけではない。
現実も同じである。
何事にも鈍感なのに、
カネの話になるとヘナヘナっとなるのである。」
日本人は、古来、おおいなる存在を信じ、生きているのではなくて、生かされているのだと考えていました。
そして、みんなが安心して食べて行かれる国作りを、なんと太古の昔から行ってきたわけです。
日本は、地震や津波、洪水、火災、噴火など、度重なる天変地異の多い国です。
日頃から災害に備え、万一の場合にも飢えて全滅することがないように、日頃からしっかりと蓄えをしてきた国であり民族です。
だからこそ、日本では「民こそが宝」とする思想が発達しました。
そうすることで、日本は世界最古の国民国家となったし、これを天皇のシラス国として実現してきました。
これに対しChinaは、ウシハク国です。
世界中のホテルでは、ポーターさんにチップを渡す習慣があります。
Chinaにも、もちろんその習慣はあります。
ところが世界でおそらくChina一国だけは、そのチップはポーターさんの懐に入りません。
ポーターにはポーターの親方がいて、お客様からいただいたチップは、全部、親方に巻き上げられます。
そしてその親方は、親方の親方、つまりその上の親分に、集めたチップを搾り取られます。
これをChinaでは、漢字一文字で「搾」といいます。
「絞(しぼ)りとる」という意味です。
ポーターだけではありません。
街の乞食から、一般企業に至るまで、すべての職種に親方がいます。
そして社会のあらゆる階層で「搾」が行われます。
「搾」に応じなければ、残酷なリンチが待っています。
働いて稼ぐことよりも、働いて稼いだお金を巻き上げる人が上位です。
ウシハク国とは、そういうものです。
日本とは反対です。
日本では、末端で働く人こそが「おほみたから」です。
Chinaは国土は広いですけれど、多産系で、人口も多い国です。
常に食い物が足らない。
だから、とにかく全ての人が、今、生きることだけに集中しています。
明日のことなど関係ありません。
自分さえ良ければ、今日、いま、この瞬間に実入りが多ければ、贅沢ができれば、それで良いと考える傾向があります。
これが社会の伝統です。
だから人の命よりも、自分の今日のお金が大事です。
冒頭に、蜂のお話をしました。
蝶のお話もしました。
そんな昆虫でさえも持っている心を持ち得ない、不幸な国や民族もあるということを書かせていただきました。
日本人と、チャイニーズを分けるもの、それは天皇の存在によるシラス統治の実在と、日本人が持つ魂観にあるのだと思います。
日本人は、古い昔から、「魂こそが本体、肉体は借り物」と考えてきました。
魂が本体ですから、肉体がどんなに辛くても、苦しくても、どこまでも魂を大切にしてきました。
戦時中の兵隊さんたちは、日頃はごく普通の日本人のお兄さんやおじさんたちです。
南京に進出した日本軍の中に、会津若松六十五聯隊がありました。
この聯隊は、全員、三〇歳過ぎの家族持ちの寄せ集め部隊でした。みんな妻子がいたのです。
日本を出た時、この部隊には3,695人がいました。
けれど上海の激戦のあと、南京に向かったときには、この部隊の要員は1,400名に減っていました。
半数以下です。
ろくな食料もなく、それだけの被害を受けていながら、なおも戦い続けました。
その会津若松六十五聯隊の隊員たちは、南京で投降してきたチャイナ兵たちに食事を与えるため、自分たちの残り僅かな食料を切り詰めてチャイニーズの投降兵たちに食事を与えています。
そういう行動がなぜできたのかといえば、私達の若き日の父祖たちは、自分の肉体がどんなに過酷な状態に置かれていたとしても、それぞれが自分の魂に恥じない生き方をしようとしてきたからです。
この、肉体には魂が宿る、魂こそが人の本体である、という日本人の考え方を「大和魂」といいます。
「大和魂」という言葉は、荒ぶる魂のことを言うのではなく、大和人にとって、もっとも大切な魂に恥じないこと、そのことを「大和魂」と言ったのです。
残念ながら昨今では、日本に住んで日本語を話しながら日本人ではない人たちは、大和魂という言葉を、格闘技や喧嘩に勝つことを差して使う傾向があるようです。
やはり大陸や半島系の方には、日本的な「大和魂」は、理解し得ないのかもしれません。
蜂でさえ、どうやら魂を持っているのです。
私達日本人は、いまこそ、魂という観念を取り戻すべきだと思います。
※この記事は2015年7月の記事のリニューアルです。
※本件記事と、冒頭の絵文字は何の関係もありません。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
紫陽花
2017/07/28 URL 編集
楠山秀樹
和魂に対極するものは憎魂であります。どこかの国の1000年の恨(ハン)であります。
その和魂が国という大きな塊となった魂が大和魂であります。国難を一致団結して乗り越えようとするとき大和魂が発動されるのであります。
2017/07/26 URL 編集
岡 義雄
2017/07/26 URL 編集
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彼らにしてみれば基本給だけでは生活できないからという言い分があるようですしその国の文化成り立ち歴史による事情もあるとは思うのですが、、、、、水族館のアシカなどが一芸を披露するたびに飼育員がサッとエサをやっているのと似てるなあと、、、、、。
犬くらいの知能があればお手やお座り程度でエサは求めませんよね。そんなことしてたら牧羊犬や盲導犬は務めができませんし。
つまりはそういう知能や民度の違いなのかなと思ってしまいます。
それともキチンと充分な給料を保証されたらチップ無しでも自分のサービスに手を抜かずできる人々なのかなあ、、、、、。
2017/07/25 URL 編集
家庭内ぷりーすと
いつも記事を楽しく拝見させて頂いております。
大和魂、私もちゃんと持てているか不安になりますが、最近の偏向報道を見るにつけ、日本を亡くしたくない想いにかられております。
日本を必死に護ろうとされている首相や大臣への攻撃が、あまりにも酷すぎます。
そこで最近、とあるブログで首相官邸から直に国民へ正しい情報を伝える番組をやったら良いのにというアイデアがありまして、首相官邸に設立希望のメールを出す活動を始めました。私は一人ひとりができる活動を始めなければ、日本が本当に終わってしまうのではないかと危惧しております。
このブログ主の【まるぞう】という方のご意見は、なかなか的を射ていると感じられますので、もし宜しければねずさんや縁ある方々にもご覧頂きたいと思いました。
【まるぞう備忘録】官邸ちゃんねる
http://blog.goo.ne.jp/ohisama_maruzo/d/20170711
いつもありがとうございます。これからも記事を楽しみにしております。
2017/07/25 URL 編集
神無月
シラスとウシハクです。
共生は損ですね。
獲られる一方です。
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2017/07/25 URL 編集
神無月
体調1cm足らずなのに、巣箱の中の社会性は見事です。
女王バチの為に、巣を造るハチ、子を養育するハチ、蜜と花粉を集めに出るハチ、掃除をするハチ、それぞれが成虫になってからの成熟度合いに合わせて役割が変わります。
女王バチは毎日千個程の卵を産み続けます。
働きバチの寿命は繁忙期では一ヶ月程、女王バチは3年程。
働きバチも女王バチも元は同じで、食べ物が違うだけです。
女王バチの為に一生懸命働くハチと、滅びないために卵を産み続ける女王バチ。
昆虫の世界にもシラスが有るようです。
因みに、雄は全体の1割程で種付け以外は遊んでいます。
食料が乏しい時期は、追い出されるようです。(笑)
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2017/07/25 URL 編集
にっぽんじん
「言った」「言わない」の発言をめぐり、お互い証拠がなければ「勝負のつかない禁じ手」となります。民進党はこの「禁じ手」を使って印象操作を繰り返しています。
これを封じ込めるためには「民進党が国会審議をやりたくない重大な事実」を持ち出す必要があります。過去の民進党の背信行為を審議の場で持ち出すのです。
国会審議は与党にも質問する機会があります。過去に民進党がウヤムヤにしてきた重大な問題を取り上げていけば、さすがの「禁じ手」も出しにくくなるのではないでしょうか。
2017/07/25 URL 編集
ラベンダー
大いなる和魂となりますね。
素晴らしいコメントをありがとうございました♪
先日、大和魂とは一霊四魂のことを言う、と書いてある書物を目にしました。
とても気になりましてネット検索しますと
天照大御神様は、天之御中主神様の和魂を受け継いだので、日本人は和を尊ぶ民族なのである、と。
また須佐之男命様は、天之御中主神様の荒魂を受け継いでおり、大國主様もその流れである、とです。
また出口光先生のCGSでは
https://youtu.be/fRDney7ODBo
とわかりやすい説明がありました。
また、これからも
ねず先生に大和魂についての解説を何度もしていただきたいです(^-^)
2017/07/25 URL 編集
むーちゃん
彼らは人でなしです。日本人同士の考え方は通じません。日本人は優しいので彼らが困っていれば、助けようとしますがその情け心に奴らはつけ入ってきます。
チャイナ、コリア人に日本人的考えに理解を求めても無理です。
日本の外交はしっぺ返し理論で行うべきです。
2017/07/25 URL 編集
junn
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/isin.htm
2017/07/25 URL 編集
k
2017/07/25 URL 編集
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日本は縄文時代から霊魂を敬っていました。 肉体を離れたら誰でも霊魂なんです。 世のため人のため尽くした
魂や、名が無くても愛念を持って神仏を敬い生ききった魂は、あの世でも自由自在だし、この世の事だけに執心して生きていた人達は、不自由な世界に魂が置かれて苦しむ訳です。たかが、
80数年の人生で魂を汚してあの世に
逝くならば、垂れ死にしても
心清く安らかに逝きたいものです。
2017/07/25 URL 編集