
←いつも
応援クリックをありがとうございます。
今日のねずブロは、戦前戦中までの「系統学習」と、GHQによって実施された「問題解決学習」の違いについて述べています。
これを知ると、戦後教育の何が問題なのかが、くっきりと見えてきます。
ちなみに今日の話は、GHQが行った「問題解決型学習こそが正しい」とする戦後の教育界が築き上げた様々な理屈を真っ向から否定する内容です。
ですから必ず戦後の教育論に染まったおかしな人から否定的コメントが入ることと思います。
おもしろいので、今日はブログのコメントを揶揄を除いて全部承認するつもりです。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)◆
【お知らせ】◆
7月15日(土)18:30
第42回 倭塾 公開講座 7月17日(祝・月)18:30
CGS公開講座(幕末史) 7月23日(日)14:00
第1回 名古屋倭塾 公開講座(古事記) 7月27日(木)18:30
第17回 百人一首塾 公開講座(百人一首) 8月 9日(水)18:00
新潟県新発田市講演(古事記) 8月13日(日)14:30
東京・世田谷講演(古事記) 8月15日(火)14:30
ねずさんと靖国神社昇殿参拝 9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座(古事記)
10月 1日(日)11:00
日心会『ねずさんと古事記』出版を祝う会(古事記)10月26日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
*****
戦前戦中までの教育と戦後教育の違いとして、よく挙げられることは、学制の問題です。
けれど、これよりもずっと大事なことが大きく変わっていて、それは古代〜江戸時代〜戦前〜戦中と続いた我が国の伝統的教育学習と、根本的に異なるものになっているというお話です。
よく言われることは、なるほど上に述べましたような学制です。
戦前戦中までの学制は複線型といって、上の図にあるように、尋常小学校卒業以降は、それぞれの目標や志向によって、様々な形の教育を受けることができるようになっていました。
実はこうした学制は、欧米や、いまのASEAN諸国などにおいてもあたりまえに行われているもので、世界の潮流は、複線型学制になっています。
ところが我が国の戦後の学制は、GHQの指導によって、小学校→中学校→高等学校→大学という、単線型になっています。
これは生徒たちに選択の自由がないということだけが問題ではなくて、実は、もっと深い問題を内蔵していることです。
どういうことかというと、それがGHQによって行なわれた日本の「教育内容改革」です。
どのように変わったのかというと、もともと我が国の教育は「系統学習」といって、ものごとの成り立ちや起こったことについて、
「なぜそのようになるのか、
それによってどのような結果が起きたのか、
それは将来に渡ってどのような影響をもたらすのか」
といった、事物の系統が教育の柱となっていました。
それがGHQによって、小学校から大学まで、すべての教育内容は「問題解決学習」に変わってしまったのです。
◆youtubeの動画サイトをはじめました。↓下のバナーをクリックするとチャンネルに飛びます↓

↑よろしかったらチャンネル登録をお願いします。登録無料です↑
新しい動画がアップされました!◆
『ねずさんと語る古事記・弐』
まだお求めでない方は、お早めにどうぞ。↓画像をクリックすると購入ページに飛びます↓
「系統学習」と「問題解決学習」の二つがどのように違うのかというと、たとえば「1192年に鎌倉幕府が開かれた」という史実に関する学習の場合、
<問題解決型学習の場合>
(問)鎌倉幕府は何年に開かれましたか?
(答)1192年(○)
<系統学習の場合>
(問)鎌倉幕府は1192年に開かれました。なぜ頼朝は幕府を鎌倉に開いたのですか?
(答)・・・・。
といった違いになります。
系統学習は、事物の現象について、それがなぜ起こったのかを系統立てて学習する教育方法です。
問題解決型学習は、クイズと同じで、あらかじめ定められた答えを覚える学習です。
いわゆる綺麗事として、系統学習は「系統的に配列された学習内容を、順番に学習していくもの」であり、問題解決型学習は「生徒自らが学習問題や仮設を設定して自分の手足や頭を使ってその仮説が正しいかどうかを検証していく学習方法」などと説明されることがありますが、設問の系統の理解がないわけですから、生徒は仮説を構築することさえ実はできません。
ですからいくら綺麗事を言っても、結果は試問の答えが○か☓かという二者択一型の教育に生らざるを得ず、このことは、テストを採点する側からしてみれば、きわめて採点が容易というメリットがある反面、生徒の側からすれば、すべての教科が、ただの暗記科目になってしまうわけです。
そしてこれを学制にする場合、あらかじめ与えられた答えを述べるだけの学習であれば、小学校から高校大学まで、結果として同じことを反復学習するだけとなり、教育は、ただの記憶力を測るためだけのものとなります。
これに対し、系統学習では、基礎教育としての尋常小学校までは、まずはルールを系統的に学ぶわけですけれど、そこから生まれる設問に対して、どのような解決のアプローチを見つけ出すかは、それぞれまったく異なったものになっていくことになります。
たとえば、鎌倉幕府なら、その幕府という新体制が生まれることによって、どのような鎌倉の街づくりをしていくかという分野なら、それは建築科の学習になっていきますし、どのような幕府組織を構築していくかという設問なら、それは経営学の分野になっていきます。
また、どのような財政を行うかということに興味を持つ生徒なら、経済学の学習へと発展しますし、その中で、どのように民衆のリーダーを育むかという設問に興味を抱くなら、民衆の模範となるべき人を育てる師範学校への進級となっていきます。
つまり、学制は複線型にならざるをえないのです。
戦前戦中の子供たちが、尋常小学校においてさえ、片道6キロも7キロもある自宅から学校への道のりを毎日歩いて通い、農繁期等で親から学校を休まされると、学校に行けないこと、その分勉強が遅れてしまうことに泣いて悔しがったという話をお聞きになられたことがある方も多いかと思います。
いまなら、そんなことは考えられないことですけれど、なぜそれほどまでに子供たちが学校に親しんだか、また教師を尊敬したかといえば、それは教育内容が系統学習であったからです。
どうしてそうなるのか。
なぜそうなったのか。
その結果、何が起きたのか。
自分がその当事者なら、どのように決断をしたのか。
その場合、結果はどのようになっていったのか。
そうしたことを系統として学ぶことは、単なる記憶力を試す詰め込み教育、問題解決型教育とくらべて、夢中になるほど楽しいものです。
人は、知ることを楽しむ生き物です。
知ることの楽しさは、何にも代えがたい。
だから、昔の子供たちは片道6キロも7キロもある道のりを苦ともしなかったし、師匠である教師を心から尊敬したのです。
戦前の学制は、明治に入ってから欧米の学制に倣って作られたものですが、教育内容としての系統学習は、それ以前の江戸時代、あるいはもっとはるかに古い時代から我が国において継続し、確立してきたものです。
けれど、そのことによって日本人があまりに優秀な民族になっていることを、拒否しようとしたGHQは、日本の教育改革を、教育内容改革と、そのための教育制度改革によって、日本人の劣化を促進しようとしたわけです。
なぜなら問題解決型教育で育った子供たちは、あらかじめ定まった答えを解答するだけで足り、自らものを考える、未来を担い創造するという思考をまったく持たない、ただ、いまさえ良ければという次元の低い大人となっていくからです。
もちろん、入試問題においては、かつての師範学校や陸海軍の予科でさえも、まずは記憶力を試す紙のテストが行われました。
このことはいまも昔もまったく同じです。
けれど、それは単なる「ふるい」にすぎず、実際の入学許可は、その後に行われる面接試験が昔は重視されていました。
その面接試験は、設問に対して、どのように考えるのか、自分ならどうするのか、どのように解決すべきと考えるのかといった、その生徒の物事の捉え方や意欲を発見することに注力されたのです。
ところが戦後は問題解決型教育ですから、面接よりも試験結果そのものに重点が置かれるようになりました。
このため、学校よりも進学塾の需要の方が増し、また系統を必要としない、ただの詰め込み教育は教師側の負担を軽減しましたから、その分、詰め込まれる事柄だけが、やたらと増えるという結果を招きました。
そのため、ゆとり教育と称して、詰め込みの内容を軽減するという措置が採られましたが、ところがそうなると生徒たちの学力は明らかな低下を招きます。
そこで中山成彬文部科学大臣のときに、教育内容を抜本的に見直し、あらためて系統教育を復活させようという動きが始まったと私は理解しています。
驚いたことに教育界等は、それは単に詰め込み量を増やすだけのものと露骨な反対運動をし、いまなお「ゆとり教育の見直しによって、教科書のページ数が増え、重量が重くなった」と、まったく意味不明の反対運動が展開され続けています。
振り返ってみればわかりますが、戦前戦中までの系統教育の時代、教科書は決して分厚いものではありません。
過去の日本の教育が、覚えることは最小限にし、そこから何を得るか、どう捉えるかが重視された教育であったことは、日本の教育が世界の先端を走っていた時代の教科書が、驚くほど小さくて薄かったことを考えれば、あまりにも明らかです。
ところが、それがGHQによる日本破壊工作であるという現実を直視せず、逆に洗脳こそが正しいと信じる、あるいは、それしか知らないということは、とても残念なことです。
そもそも土台に歪みがあれば、どのような改築改造を行ったとしても、歪みは矯正されず、無駄な時間を浪費するばかりです。
昔から、迷ったときには原点に帰れといいますが、日本人の民度が極端に高かったとされる江戸時代や明治初期の日本をいまいちど見返して、そこからスクラップ・アンド・ビルドで抜本的な改正を行うくらいでなければ、本来あるべき教育は戻ってきません。
不思議なことに、今の時代では、高い教育を受けたはずの若者が実社会で通用せず、むしろ学生時代に成績の悪かったという人が、実社会でおおいに活躍しているという現実があるといわれています。
日本を取り戻すためには、右翼も左翼もありません。
日本人として、日本の原点にみんなで帰ること。
そこに新たな、まったく違った解決法があるように思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

【メルマガのお申し込みは↓コチラ↓】
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

コメント
-
課目を習い文法や綱要を暗記しむやみに反覆しむやみに模倣する。
これは滑稽な教育法であってそこでは一切の努力が教師には絶対の誤りがないと盲信することであり、結局、その努力が、我々の知性をかえって減退させ無力ならしめるに過ぎないのである。
一国の青年に授けられる教育をみれば、その国の運命を幾分でも予想することができる。学校は今日、不平家や無政府主義者たちを養成して民族の衰退期を用意しつつあるのである。(- ギュスターヴ・ル・ボン、群集心理より)」
2018/11/23 URL 編集
ふ
明治以降、どの時代でも、
そして、【戦前・戦後ともに】
「先生に対する落胆の思い」が強く、
学校法人を立ち上げた者たちがいる。
ただ、その学校法人の一部は
つまらなく、面白くなく、
「残念過ぎ」「絶望に」満ちている。
なぜなら、「落胆を浴びる」先生たちは、
【本物の】日本と日本人と日本語を
教わることがなかった
【残念過ぎる・絶望的な】人たちだからだ。
【非】日本人か、非日本人「化」
なのです。
どちらも恐ろしい話です。
2018/10/03 URL 編集
ふ
「戦前と戦後の日本人男児の違いとは何か?」
を気になって調べたところ、たどり着きました。
着眼点、
戦前は、「系統学習」
戦後は、「問題解決型学習」
面白い発想です。
戦前と戦後の違いとして、
・日本語の文字を改ざん・改悪化し、意味をすり替えた。
・戦前までの教えが読めない・理解できない・誤解するようにすり替えた。
・嘘書と言われる?戦後の偽!出版物を増やした。
・国と人を守る出版物を出した会社の経営陣をクビにし、
エログロ物=性犯罪・犯罪を戦略的に広めた。
・「戦前までの」日本の情報の一部を、
他の国と宗教の歴史書などで取り込んだ。
などがあります。
そのため、日本語がデタラメになってしまったので、
「英語で学ぶか、戦前までの出版物などで学ぶしかない」
ということになります。
私が名前をつけるなら、
戦前は、「【なぜなぜ】学習」
戦後は、「【ゴミ知識】『記憶』学習」
となります。
実用知識以外の【ゴミ知識】を
【なぜなぜ】せずに、『記憶』するのです。
今後、日本の教育の在り方を考えるなら、
次で事足ります。
F(Fact).
どこかの国の「国家予算の使い込みの帳尻合わせ」から、
【本来戦争を終えるためには全く必要がなかったのに】
「広島と長崎に原子爆弾を落とした」民族がいて、
その民族は、
12~13歳までに、民族の智慧と歴史全てを叩き込み、
成人後、兵役を経験させ、
軍事能力も持たせる。
「生存戦略」「防衛戦略」の2つを教える。
Q(Question).
日本と日本人は、上記の話に対し、
何を教えることが正であるか?
F(Fact).
現在、日本以外の第三国の製品だけが世界中に溢れている。
自国の製品は探すのが難しいし、
見つけても高価か、一般的ではないか、質が低かったりする。
世界の工場を離れた日本では、
同様の製品を作る職人・技術者・工場があるか
すら怪しい。
Q(Question).
日本と日本人は、上記の話に対し、
何を教えることが有益であるか?
F(Fact).
終戦後の【日本人に対する】重大犯罪のほとんどは
歴史上、報道が伏せられ、
また民族・人種などが虚偽や非公表となっている
場合が多い。
Q(Question).
日本と日本人は、上記の話に対し、
何を教えることが真(まこと)であるか?
こんな感じでしょうか?
2018/10/03 URL 編集
夢のメトロ
名無しさんが 2017/08/08(火) 21:48 で紹介された論文『問題解決学習を中心とした道徳教育の実践 -千葉命吉の「なぜを重んずる修身教育」を手掛かりに(鈴木和正 2016)』を読みました。
1920年(大正9年)修身に対して批判的な千葉氏が「問題解決型学習」を広島で2年弱ほど実践したが失敗。その後、その理論は注目を集めたが、危険思想として批判も浴びたとあります。
また海軍兵学校の例は、1929年(昭和4年)4月から1年ほどで消滅。・・・『海軍兵学校教程へのドルトン・プランの導入と放棄について ―永野修身による「新学習法」の評価と影響の考察―(髙田 治彦)』を見つけました。
「大笑いさん」の例はいずれも、導入というには程遠い「実験レベル」かと。
もう一つ、AN00248863_60_04%20(1).pdfは、『小学校における社会科教育の 指導方法に関する一考察(伊藤実歩子 著 - 2017)』でしょう。書かれている内容は「底が深い」と言うよりは、戦後教育が「問題解決学習」vs「系統学習」の試行錯誤の連続で、戦後教育が「問題解決学習」一辺倒ではないこと。教育者らのご努力は認める必要がありますね。
また「問題解決学習」の元をたどるとデューイとありました。デューイの哲学はプラグマティズム「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」です。デューイの教育理論はソ連に受け入れられています。「問題解決学習」は無神論に近いようですね。対照的な「系統学習」に批判的な勢力がある理由も分かりました。
戦後教育を受けた世代が生産者から指導者に変わった1980年代後半以降、日本の経済が停滞しています。戦後の「問題解決学習」は、労働者教育には適していたが、指導者を育成するには不適だったということか?。日本の停滞は、戦前教育の優位性が失われたためと考えても良いのではと思いました。
2017/08/11 URL 編集
名無しマックス
崇めてるのは貴方でしょうね。
そんな単語を出しちゃう時点で。
2017/08/09 URL 編集
-
2017/08/09 URL 編集
あ
ゴミを大層崇めているようだが、まともな常識を持った人間に笑われますよ
2017/08/09 URL 編集
シミズ
戦後どれだけ大切なものが失われたかと今日もまた気づかされました。無念です。
左翼も右翼も無いと仰いますが、
戦前戦中をどこまでも否定、増悪するのが左翼という現状です。
愛国の左翼という者が果しているのか疑問です。
2017/08/09 URL 編集
-
2017/08/09 URL 編集
くすのきのこ
どんな教育方法であっても、行き着く者は行き着くと思いますよ。学習で違
う道を辿ってもどこかで出会い、孤軍奮闘から同行する事もあるし、再び別々
の道を辿る事もある。教育方法が~~と問題視するのは??どんなものにも
長短があるわけですからwどんな時代にも幸と不幸は混在するように、どん
な教育方法にも適否がある。ですから戦前の教育は~・・という傾向もどう
も偏向していると思います。教育のせいにすれば、つらかった時代を諦める
気になるのかもしれませんが・・。ただし、終戦間際の2年間位は教科書の
中の体制に合わない部分を黒く塗りつぶしていたのは事実だと。黒塗り教科
書・・それでも勝てなかったわけで・・それで尚の事腹が立つというわけか
もしれません。時代には人々の気持ちの波があり、その波に乗って見て捉え
る世界観というものがあります。冷静になってみれば、アレは何だったのだ
・・という熱波。そんな熱波を幾度も乗り越えなくては解らない事もありま
すね。学習とは学校だけでするものではないよ~wと思いませんか?
ただし、〇✖方式の、アレかコレかという二元論に基づいた教え方は思考停止
をきたすので、賛成できません。アレもコレもでなくてはw
ここでゴルゴ松本氏のネタを一つ・・困難が無いのが無難・・でもその困難
が有るのが有難いwもう一つ・・幸という字を逆さまにしても幸なんだよ。
もう一つ・・左手は”か”(火)右手は”み”(水)両手を合わせて”かみ”を
拝むんだよ・・日本語はよくできてるんだ。・・自学自習で学んで作ったネ
タだそうですww個人的には”か”は(日)でもいいかもと思いますがw古代
より治水と火・日光の利用があってこその生活なのは変わりませんよね。
ついでに・・以前からアメリカで言われていますが。学習習得には個人的な
違いがあり、口で見てできる人・耳で聞いてできる人・口で唱してできる人
・手で書いてできる人・実践してできる人の最低5つに色分けでき、中には
この中のいくつかを併用して学習できる人もいると。学習する方の資質も、
個々人でちょっとずつ違うわけですね。蓼食う虫も好き好き?え、違う?w
更についで・・何故、1-(-1)=2なのか?中学生の時に教師に質問し
たのですが・・結果はそういうルールであると。そのルールに則った学問で
あると・・はあ?そういうゲームルールであるのかと納得しました。ルール
であれば呑み込まなくてはゲームで高得点はあげれませんし。このルールを
正しいと仮定する事で高次のゲームに進めるわけでしたw
2017/08/09 URL 編集
神無月
また、受験競争が始まり、全国統一の指標を設けるには、答えはシンプルが宜しいのでしょう。
「いつやるの? 今でしょ~」のように、教育もビジネスになりました。先生も教幾になりました。
私が想う近未来の学校です。
生徒一人一人がタブレットまたはVRゴーグル 3D メガネ持ち、AI(人工知能システム)の先生が、画面の中から、その生徒の実力に合わせた授業を理解できるまで教えてくれます。
暗記では無く、疑似体験型の教育です。すでに実験レベルでは進んでいると思います。
人間の先生は、集団活動のお手本として学習のサポートをします。
また、AI先生はその子に適した職業を見つけてくれるのかもしれません。
時代はAIとの新しいお付き合いが始まり、「人間とは何か?」を見つめるようになるのでしょうね。
大人にも学習の大切さを感じます。
.
2017/08/08 URL 編集
-
2017/08/08 URL 編集
夢のメトロ
2017/08/08 URL 編集
楠山秀樹
どう行動すればどう云う結果となるか、ある程度予測(震災、突発的な国際紛争など偶然の事柄もあるので;そう云う事柄も察して備えることも必要ですが)できる能力がなければ海千山千のいる国際社会で行動するのは余りにも危険です(東芝みたいに)。GHQ教育の狙いは當にここにあります。日本人から判断力を失わせ、マスコミやアメリカの言いなりになる民族成り下がらせる目的があったと感じられます。
また、記憶重点の勉強は確かにつまらないものです。知的好奇心への配慮がなければ勉強嫌いの子供を作るだけです。「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」なのです。推理小説が面白いのは類推する楽しさがあるからです。知識は類推を解く鍵です。鍵穴がある事を教えずに鍵だけを増やしても、何に使うものなのか分からなければ宝の持ち腐れです。
「物に本末あり、事に終始あり。先後(せんご)する所を知れば、則ち道に近し」です。学問の本質を知り、何から始めると良いのかを体系立てて学ぶのが一番理に即しているのです。また、専門学校で教えられる実学は役に立ち、仕事に直結してますが、方向を誤れば悪事に利用(権力者に結構多いかも)することもあります。君子に至るの道を教えていないからです。修身斉家治国平天下の修身を教える事をGHQに禁じられていたので平天下に至るはずがありません。
今一度、何のために教育が必要なのか(読み書き以外に;君子に至る道)を考える必要があります。本当に何をしてるんだ日本人!凛として高潔だった日本人は何処に行ったんだ!恥を知れと言いたいです。
2017/08/08 URL 編集
-
戦前すでに、修身に問題解決学習のような実践がありました。下の論文に詳しく書いてあります。
https://tokoha-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1286&item_no=1&page_id=13&block_id=39
さらに細かく言えば現代の社会科教育における指導は、この記事に書いてあるような底の浅いものではありません。
例えば下の論文をご覧になればその一端がわかるでしょう。
file:///C:/Users/user/Downloads/AN00248863_60_04%20(1).pdf
また、ウェブで小中学校の指導案を検索して、その緻密さと周到さをごらんになるとよろしい。
きっと小名木さんや、この記事に賛同される方々は、良い指導者に恵まれなかったか、真面目に授業に取り組まなかったか、どちらかなのですか?
2017/08/08 URL 編集
紫陽花
2017/08/08 URL 編集
太郎
書いてあるのだから文部科学省は、
法にそって仕事をしてくださいよ。
文部科学省さんもうそんなにいっぱい
クイズ王はいらないですよ。
2017/08/08 URL 編集
アシオ
なにか量子的な関連性を感じました。
そろそろ戦後体制を一新する時なのかもしれませんね。
2017/08/08 URL 編集
ポッポ
どこの民族でもと言いますと誤解があるかも知れませんが、自国の歴史を知ることで己の民族に誇りを持ち、後継者である子孫にこれを継承させることは、今を生きる者の本能の一つであると思います。
神話に始まって、これを古代から現代につなぎ、そして、未来の人が恥じない国にすることが望まれるし、日本にはその象徴としての権威である天皇陛下がおられる。
幸いにして現在の世界においての日本は、世界最古の国ですから、日本史(国史)を学ぶことは、日本人の誇りだと思っています。
それが、70年前の敗戦によって他国に占領され、日本のすべてを否定されたのです。勝てば官軍で、日本の国の歴史も隅に追いやって、日本人の誇りもなくす教育をされたのです。
70年も経ったのですから、もうそろそろ、日本人も目を覚ました方が良いでしょう。
「系統学習」については、現在の米国でも行われている勉強方法だと理解しました。
確かに、この方面の勉強方法は、日本人に不足していると思います。
「問題解決方学習」については、己が受けてきた教育方法です。
程度の問題ですけれど、これも必要だと思います。
ただ、学校の教育時間には制限がありますから、どの程度の割り当てをすることかが、文部科学省の方針が問われるところだと思います。
詰め込み勉強が過度だとして、ゆとり教育が取り入れられました。
しかし、このゆとり教育では、小学校で電卓を使ったり、円周率も省略しすぎました。
これでは、子供の基礎学力も養えなかったのです。結果として、大学に入学してから、これの補充教育をしなければならない学生を作り出しました。
それから、物事を考えさせる教育の効果ですが、これに対応する学校教員には、これをするだけの能力が求められたはずですが、それの準備は十分ではなかったと思います。これは、ゆとり教育の終わる頃に学校教員に研修・評価を行ったことで分かると考えますが、最低限に必要な研修も受けなかった者がいたことで明らかです。
この授業を受けた子供達は、「ゆとり」を受けた者として馬鹿にされたりもしました。これは、子供達の責任では無く、教育を担当する文部科学省の責任です。文部科学省は仕事をしませんでした。
そして、ゆとり教育を終わった今ですが、また、問題が起きているだろうと想像しています。それは、この10年間程の間に採用された教員です。元の教育レベルに持って行く、教育方法を知らないのです。教室では、大変だろうと思います。
団塊の世代で詰め込み教育でしたけれど、優秀な教員は生徒に考えさせながら進める様に工夫していました。ときには、度が過ぎて暴力教師もいました(ただし、どの程度までが危険で無いかは知っていました。)。
それから、親がモンスターになれば、教員はそれへの対応に追われて教育に集中できないし、悪さをする暇をなくすために、運動クラブで休まずに活動しますと、教員の休日が無くなりますから疲れを取ることができません。ボランティアは学校の生徒に、責任をとれないから不必要だと思います。悪ガキは警察に任せた方が確実です。
結局、学校教員をすることで、子供に知識と思考力を付けたいという教職員が必要ですから、それを目的とする人を採用することだと思います。それが嫌なら、また、日本が嫌いな子供を作ろうとしたり、国歌や国旗を愛することができないのなら、日本には職業選択の自由がありますから、教員を止めて自分がそれに対応できる職業を選べば良いと思います。
それから、最近、各テレビ局は加計学園問題で前川氏を擁護するために、元文部科学省の寺脇研氏が出演していますけれど、寺脇氏はゆとり教育を提案し、進めた人です。そして、日本の公立小中学は明らかに学力を低下させました。
ところが、寺脇氏は文部科学省を退官後、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し、開校後は理事を務めてました。
この学校は、詰め込み教育だけで無く、進学にも力を入れているとのことですが、これについて、日本人の子供を貶めたのか、在日コリアンを引き揚げることが目的だったのかと考えています。
2017/08/08 URL 編集
まえだ
でも「米、西欧の文化は素晴らしく日本の文化は駄目だ、戦前戦中の日本軍は
悪い事をしていた、米軍は日本国民を日本軍から助けてくれた」等々は学校の先生から何時も聞かされていました。
今では そのような教育方針を政府(GHQの指導の下)から受けていたのだろうと想像できます。日教組(日本教職員組合)もGHQの要望道理の教育を熱心に子供達に行っていたと、、、)
「ねずさん」が仰っている「統計学習」をメインした学習方法を戦後GHQが「問題解決学習」だけにした事が問題である事は理解できます。
今直ぐ「統計学習」をメインした学習方法に戻す事は教育界、生徒の間に混乱を招きかねませんが、 少数の学校をエリート育成学校等として選ぶ又は新設し そこで「統計学習」を主とした教育を行う事は実現可能と思えます。或は両者の割合を少しずつ変化させていく事で将来的には「統計学習」をメインした学習方法を実現できるのではないかと思います。
民主党が行った「ゆとり教育」が教育の劣化を招き日本の為にもならない事が分かり元に戻せたのですから出来ないはずはありません。
まずは現実の教育方法の問題点を政治の主導者に知ってもらう事からです。
戦後の日本、どんどん変な国に変わってきている事を実感しています。(最近は
それに加速度が付いたかのようです。)このような国や国民の民度、程度が劣化して来たと感じる程の変化は教育が主因だったのだと「ねずさん」のブログを読み納得できました。(テレビ番組の劣化も酷いが)
2017/08/08 URL 編集
k
縄文時代から始まりいきなり卑弥呼が出てくる。
これでは建国から現代までの継続性の説明が出来ない。
大人でも日本の建国を説明出来ない人は多いです。
系統学習で学んでいれば、自ずと疑問が出る所なのですが
疑問すらも出てこない教育になってるんですね。
最近,学校は期待出来ないので知ってる人が教えていくしかないのかとも思っています。
自分の子供には学校で教えない古事記を神社参拝や所縁のある旅行先で教えています。
ねずさんから教えてもらった内容もよく話しています。
改めてありがとうございます。
2017/08/08 URL 編集
-
2017/08/08 URL 編集