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チャンネルAJERの新しい取り組みです。『佐波優子と日本を学ぼう「百人一首」第一回二十一番歌 素性法師①』佐波優子
10月に『ねずさんと語る古事記』の第三巻が出ます。
そこで今日は、古事記についての私の思いを書いてみたいと思います。
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【お知らせ】◆
7月15日(土)18:30
第42回 倭塾 公開講座 7月17日(祝・月)18:30
CGS公開講座(幕末史) 7月23日(日)14:00
第1回 名古屋倭塾 公開講座(古事記) 7月27日(木)18:30
第17回 百人一首塾 公開講座(百人一首) 8月 9日(水)18:00
新潟県新発田市講演(古事記) 8月13日(日)14:30
東京・世田谷講演(古事記) 8月15日(火)14:30
ねずさんと靖国神社昇殿参拝 9月 2日(土)18:30 第18回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
9月17日(日)13:30 第43回 倭塾 公開講座(古事記)
10月 1日(日)11:00
日心会『ねずさんと古事記』出版を祝う会(古事記)10月26日(木)18:30 第19回 百人一首塾 公開講座(百人一首)
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日本文化の特徴として、これは和歌でも茶道や華道、あるいはお能や歌舞伎でも、すべてに共通することですが、小学生でも感動を得ることができます。
お能はむつかしそうですが、能面を見たら、小学校の低学年でも感じるところがあるものです。
華道の美しさを体感するのは、大人も子供もありません。
武道も同じです。
たとえば柔道にしても、いまでこそ体重別のスポーツ化して、体が大きくて腕力のある者が強い時代となりましたが、一昔前までの日本文化としての柔道は三船久蔵十段に代表されるように、まるで枯れ木のようになった70〜80代のか細い老人に、大柄な現役4段、5段の選手が手もなくコロコロと投げ飛ばされたものです。
剣道なら、棒振りだけなら、幼児にもできますが、剣聖の域に到達するには、それこそ何十年もの修行をして、それでも奥義に至るか至らないかです。
つまり日本文化は、入り口は広いけれど、出口はとんでもなく深いのです。
それがあらゆる日本文化に共通する特徴です。
古事記も同じです。
入り口は、絵本にもなるわかりやすい神話です。
ですから幼児でもわかります。
そして幼いうちに古事記の世界を絵本的な知識として知っておくことで、様々な経験をして大人になったとき、なるほど!とその深みに納得する日が必ずやってくるのです。
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『ねずさんと語る古事記・弐』
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とりわけ大昔は、それを絵本ではなく、漢文で覚えたわけです。
漢字には一文字ごとに意味があります。
知識の深さは違って当たり前です。
このように考えますと、大人が読む古事記が、小学生の読む絵本と同じレベルであっては、はっきりいってもったいなさすぎなのです。
まして古事記は、天武天皇の詔(みことのり)によって編纂が開始され、当時の学者が束になって国家建設のための史書として、古(いにしえ)を省みて風習や道徳が廃れることを正し、世を照らすべき典教が絶えようとしていることを補強することを目的として30年の歳月をかけて、元明天皇に献上された書です。
天皇献上の書が、ただの荒唐無稽な童話であるはずがありません。
まして、古事記に書かれていることは、我々の共通のご祖先の物語としての神語(かむかたり)です。
それは1万年以上続いた縄文時代から綿々と続いたご祖先からの言い伝えであり、伝言であり、教えなのです。
つまり、古事記には大人としての読み方があります。
『ねずさんと語る古事記』は、今年3月に第一巻、6月に第二巻を刊行させていただきました。
そして10月には第三巻が出る予定です。
それぞれの構成は以下のようになっています。
『ねずさんと語る古事記』
第一巻 神々の成り立ち
第二巻 シラス国のカタチ
第三巻 組織と国際関係
古事記を書いてみて思うことは、「もし自分がこれを学生時代、もしくは社会人となったばかりの若い頃に学んでいたら、きっと自分の人生は別なものになったであろう」ということです。
人生観や、仕事をするうえでの価値観が、まったく違ったものになったであろうと思うのです。
そして間違いなく言えることは、もし若い頃に学んでいたら、自分の人生がはるかに愛と喜びと幸せと美しさに彩られたことであろうと思います。
それだけの深い内容が、古事記にはあります。
先日、新潟県長岡市の新潟県立歴史博物館に行ってきました。
ここの特徴は、来館者がまるで縄文時代にタイムスリップすることができるというもので、あたかもタイムマシンに乗って、縄文時代の村を訪れ、そこでの生活を直接見聞きできるような施設になっています。
その展示を見て、「なるほど」と思いました。
どういうことかというと、人は食べなければ生きていけないわけです。
食べるために、男たちは山に狩りに、海に魚を求めて集落の外に出ていきます。
また女たちは、木の実や野菜を採取したり、食事つくりをしたりと、これまた忙しく働きます。
乳児を抱く母は別ですが、集落内には、足腰の立たなくなった年寄りと子供が残るわけです。
そのお年寄りたちは、糸をつむいだり、生地を作ったり、村人たちの生活の支えになる軽作業を行います。
そしていまでいう小学生くらいになった子供たちは、そんなお年寄りたちと一緒に、その作業を手伝います。
このとき子供たちは、お年寄りたちから、ご先祖の話や、かつてあった災害や、それへの対処などの話を聞いて、様々な知識を得たことでしょう。
そしてこうしたことが口伝として、何百年も何千年も、伝承され続けていくわけです。
ずっと後の時代のことですが、江戸時代の朝鮮通信使は、およそ600人位の集団で街道を歩いて江戸にやってきました。
ところが、彼らには狭いところでトイレを使うという習慣がありません。
ですから朝になると、自然現象を旅籠の前の路上で行いました。
その数、600人です。
当時の宿場町の道路は、ほとんどが1間(1.8メートル)です。
どんなことになったかは、想像に難くない事でしょう。
土地の人々にとって、これはさぞかし迷惑なことであったろうと思います。
加えて、彼らは「下々の財産は自分の財産」という文化を持ちます。
ですから畑の作物を勝手に持っていったり、土地の人たちが可愛がっている犬や鶏を勝手に食べてしまいました。
そのことで数々のトラブルが現実に起きているわけです。
ところが街道筋の、その土地の人々が子孫に伝えたことは、
「とても立派な外国の施設が我が村にやってきたので、これを歓迎するために、みんなで一生懸命練習して、舞を演じたんだよ」・・・・です。
子供たちに、あまりえげつないことは教えずになかったことにし、むしろそうした機会に、みんなでがんばったことこそが、子供たちに伝えられるべき話として、伝承になっています。
縄文時代というのは、いまからおよそ1万7千年前から、3千年前まで続く、なんと1万4千年です。
これは途方もなく、長い期間です。
日本人が、チョンマゲをやめて、洋服を着だして、ビルを建てるようになってから、まだ、たったの150年です。
今年は西暦2017年ですが、紀元1年から、まだ、たったの2017年です。
縄文時代は、1万4千年です。
1万年という途方もなく長い期間は、先日お話しましたように、モヘンジョダロやポンペイの遺跡が示すような、核を用いるような時代がもしかするとあったかもしれませんし、また「天の鳥船」は、もしかしたら、本当に空飛ぶ船だったのかもしれません。
もしかしたら、いまよりも、もっと高度に発達した文明を持った時代が、その1万4千年の間にはあったかもしれないとは思います。
しかしそれは、いまの時点では、想像にすぎません。
確実にいえることは、上に述べたような集落生活が長い期間続いたであろうということ、そして、そうした集落生活のなかで、様々な伝承が、深い愛情をもって、お年寄りたちから子たちへと伝えられ、継承されていったであろうとういうことです。
古事記はおもしろくて、我々の感覚でいう、幕末頃までの歴史が下つ巻、戦国時代くらいまでの歴史が中つ巻、それ以前の歴史が上つ巻という三巻構成になっています。
それは、各家ごとに、直接祖父や曾祖父、あるいは高祖父の時代の物語として伝わっている時代が下つ巻、各家の祖先の物語として伝承されているものが中つ巻、それ以前のご祖先の物語が、上つ巻となっています。
ご先祖をたどれば、中つ巻くらいまでは、各家ごとの歴史です。
けれど、上つ巻の時代になると、すべての家は、血がつながります。
つまり、上つ巻に書かれた神語というのは、実は、我々の共通のご祖先の物語です。
その共通のご祖先の物語をまとめたものが、古事記の上つ巻の神語です。
その神語は、長い年月の間に、それこそ何千年という長い歳月の中でつちかわれた、我々日本人の共通のご祖先からの、たいせつなメッセージであり、教えです。
そこにあるのは、1万年以上続く我々日本列島に住む人々が、その営みのなかで熟成してきた知恵そのものであるわけです。
これを7世紀に、あらためて天武天皇の詔によって、まる30年かけて研究し、編纂し、まとめあげて、元明天皇の命によって、天皇に献上された書が古事記です。
しかも古事記が書かれた目的は、当時の時代にあって、我が国の根幹を明らかにし、我が国を共通の祖先を持つ共同体、つまり民族国家、もっというなら国民国家として形成することを目的として書かれたと、古事記は序文で明らかにしています。
こうして生まれたのが、世界最古の国民国家としての日本です。
それを、幼児向けのレベルでしか読もうとしないのでは、あまりにもったいなさすぎです。
ですから古事記を学ぶということは、ウサギさんとお話したり、頭が八つある蛇を退治したりという荒唐無稽な「日本昔ばなし」を学ぶことではありません。
実は、もっと生活に密着した、生きる知恵や、組織や国家、そして日本人という生き方を学ぶことです。
そしてそのことを、「本当はこうだったのではないか」という推測で語るものは、これまでにも数多く出版されています。しかし、古事記が書かれた漢字そのものから、こうした学びを得ようという取り組みをした本は、おそらく『ねずさんと語る古事記』が、本邦初になります。
ひとつ申し上げたいことは、本当のことというのは、数学の解と同じで、実にシンプルなものです。
むつかしくこねくりまわしたようなものは、どこか間違っているのだろうと思います。
ですから、『ねずさんと語る古事記』は、とても読みやすく、あっという間に完読できてしまいます。
是非、みなさまにもご一読いただければと思います。
また、すでにお読みいただいた方は、Amazon等でレビューなどを書いていただけると嬉しく思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
Kaminari Itaru
また趣が変わって良いですね。
多くの皆様がフォロー解説をされると新たな広がりも出てきて
素晴らしいと思います。
2017/08/16 URL 編集