日本人はネアンデルタール系種族の生き残り?



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なんだか大上段に振りかぶったようなタイトルになってしまいましたが、要するに言いたいのは、「7万年前からが現生人類」というのは「白人種視点での人類史」だということです。
有色人種視点で考えると、特に日本人などは25万年前に生まれた新人類種(ネアンデルタール系)の生き残りからの進化と考えなければ、遺跡の辻褄が合わなくなるのです。


20170830 地球史年表
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)


猿人が出現したのがおよそ600万年前、ネアンデルタール系等の新人類種が出現したのが、およそ25万年前といわれています。
この時代の人類は、火や石器を使うネアンデルタール種を筆頭に、猿人から現在の人類に近いものまで、かなり多様な種族があったようです。

ところがおよそ7万年〜7万5千年前に、インドネシアのスマトラ島にある「トバ火山」が大噴火を起こします。
この噴火は地球史上に残る大噴火で、噴煙は世界に広がって、地球気温は年平均で5℃も低下しました。

年平均気温というのは、1℃違うだけで、鹿児島と仙台の気象が入れ替わります。
それが5℃違うということは、日本がアラスカのような気候になり、赤道直下の気候が北海道から樺太にかけての気候になるということです。
これはものすごい変化です。

当然影響はすさまじくて、このとき地球上の人口は、およそ1,000〜10,000人程度にまで減少したといわれています。
地球はひとつの生命体に例えられますが、その地球が怒ると本当に怖いです。
そしてこの大災害を生き残ったごくわずかな人類が進化して、現代人になったとされています。
これを「ボトルネック効果」といいます。
多様な進化を遂げていた種が、急激な個体数の減少によって遺伝的な多様性を失ない、わずかに生き残った種が、その後繁栄して現代の種になっているわけです。

このことは比較的近いこの千年ほどの時代の中にあって、民族的特徴が極めて似通って細目、エラ、耳などの身体的特徴が極めて似通った民族があることでも理解いただけると思います。
こちらは一国の中における社会体制が原因ですが、トパの噴火のときには、これが地球的な規模で起きたわけです。

おもしろいことに、このときのトパ噴火後、ヒトに寄生するシラミもまた、この時期に変種が生まれています。
毛髪に寄宿する毛ジラミと、衣服に寄宿する衣ジラミで、近年の遺伝子の研究によって、この2種が分化したのも、およそ7万年前とわかりました。
このことは、トバの噴火後、急速に寒冷化した地球を生き残るために、人類が衣服を着用するようになったことを示しています。

トバの大噴火によって起こされた地球の寒冷化は、その後約5万年続きました。
その5万年が、地球上の最終氷河期と呼ばれる期間です。
その終わり頃のおよそ1万8千年前、地球気温は最低のレベルにまで冷え込みました。
その理由が姶良カルデラ(あいらカルデラ)の破局噴火です。
これは日本で起こっています。

鹿児島湾には、入り口付近に桜島があり、その内側は、およそ直径20kmの窪地を構成しているのですが、これが姶良カルデラです。
つまり桜島が活火山なのではなくて、鹿児島湾自体が巨大な噴火口だったわけです。

このときの噴火による火山灰は、南九州では30メートル、高知県宿毛で20メートル、鳥取県大山付近で8メートル、京都にも4メートルも降り積もっています。
そして偏西風に乗って世界各地に甚大な被害をもたらしています。
そしてこれによって、地球気温は急激に寒冷化するわけです。

ちなみに火山の噴火というのは、単に火山灰が太陽を隠して寒冷化をもたらすというだけにとどまりません。
火山灰に含まれるガラス成分が肺に入って突き刺さり、アスベストと同じ肺気腫や心不全などの健康被害をもたらして人を死に至らしめます。

実は近年、南九州で、この火山灰層の下から、縄文時代の大集落跡が次々と発見されています。
そこでは世界最古の船造りのための工具や、燻製施設、金属を加工するための炉、縄文ではなく貝殼紋の土器などの遺物遺構が続々と発掘されています。
この人たちは、遺物の状況からみて、造船のみならず、金属加工まで行っていたわけで、極めて高い文化を持った人々であったことがわかります。
しかも彼らは海洋族です。
海洋族であったということは、海を移動する人々でもあったということです。

さて日本列島には、この姶良カルデラ(あいらカルデラ)の破局噴火よりも1万2千年古い、およそ3万年前の世界最古の磨製石器が関東で発掘されています。
場所は群馬県の岩宿遺跡です。

さらに島根県の出雲にある砂原遺跡からは、およそ12万年前の石器が発掘されています。
これはトパの噴火よりも古い時代の遺物ですが、現生人類の誕生が7万年前とすると、砂原遺跡の石器は、現生人類ではない旧人類(新人)の遺物ということになります。

一方、その人々がそのまま日本列島に生き残ったのであろうことは、近年の研究成果で日本人のDNAに、ネアンデルタール系のゲノムが世界で最も多く残されていることで証明されています。
これは昨年、西ドイツの研究チームが発表したことです。
つまり日本人はネアンデルタール系の旧人類が、現生人類と7万年の歳月をかけてゆるやかに結合していくことで現代日本人につながっている種といえるわけです。

日本列島で石器を遺した人々は、7万年前のトパの噴火で多くの命が失われ、また3万年前の姶良の噴火でも、やはり多くの人命を失ったことでしょう。
ところが姶良カルデラの噴火後、およそ千年の間に、地球気温はいまよりもずっと上昇します。
そしていまから1万6500年前には、青森で最古の土器が発掘されています。
なぜ青森なのかといえば、その頃の地球気温がいまよりもずっと高かったからです。
そして姶良カルデラの噴火以降の遺跡は、九州地区から山陰、畿内、関東、東北へと広がりを持ちます。

この時期の日本列島は、寒冷化と温暖化が数百年単位で変化しています。
このことは、たとえば森の木々にしても、森が針葉樹林になったり、広葉樹林に変化したりしているわけです。
このことは、人々の生活環境を劇的に変えていくことを意味します。
そうした環境変化を生き延びようとすれば、当然、着衣や道具類を進化させていかなければならなくなります。
また、人は移動できる動物です。
寒冷化が進めば南へと移動し、温暖化が進めば北へと移動します。

ここでヒントになるのが、海洋族であったという切り口です。
海の魚には様々な種類がありますが、魚たちはわずかな海温の変化で、その生息地を変化させます。
最近でも、ほんの30年前には御前崎あたりで捕れていたイシモチが、いまは東京湾くらいまで北上しています。
食用には様々な魚が供されたでしょうけれど、比較的漁がしやすく、食用に量も確保しやすい魚が移動すれば、いまのような土地の所有権などなかった時代のことですから、人々は、魚とともに北上したり、南下したりを繰り返したことと思われます。

また、よりたくさんの魚を得るためには、船造りや釣り針などに常に工夫が必要です。
ここにも知恵が必要になります。
海洋族というのは、海を利用して頻繁な往来を行います。
姶良の噴火のような自然災害がいつ起こるかわからないという中にあっては、子孫たちは、地域的に離れて住むことが行われたことでしょう。
このことは古事記の中にあっても、国産み神話の中で、人々(子孫)が全国各地に広がっていった様子として描かれています。

なぜならそうしなければ、変化する環境を生き残れないからです。
ずっと寒冷のまま、ずっと温暖のままであれば、そのような知恵は必要ないかもしれません。
けれど生活環境が劇的に変化する環境のなかにあっては、子孫の生活拠点をどこに置くかは、とても重要なことです。

さて、3年前の2014年のことですが、現生人類とネアンデルタール人は、6万年前くらいから混血してきたのではないかという説が発表されました。
翌年には、米国の研究チームがDNAの研究によって、鬱病や気分障害や依存症などの精神疾患は、ネアンデルタール人由来のものであるという発表を行っています。
そして上にも書きましたが、昨年には西ドイツの研究チームが、世界でもっともネアンデルタール系のDNAを保持しているのが日本人だという研究成果を発表しています。

これらを総合して考えるとき、日本人は大陸から朝鮮半島を経由して日本列島に住み着いたという説は賛成しかねるものとなります。
なぜなら、いまでもそうですが、いわゆる文明というものは、河川と海の交わる平野部で興っているからです。
人類が内陸部でも生活するようになるのは、ずっと後の時代の、農耕が営まれるようになったおよそ1万年前からのことです。

それ以前は、狩猟採集生活なのですが、いまでも都市の多くが海に面していることが示すように、狩猟だけでなく、海洋や河川からの漁労が人々の生活に欠かせないものであったことは、論ずるまでもないことであると思います。
モスクワは地図上では内陸部ですが、そこはいわゆる水郷地帯です。
北京や南京は内陸部ですが、やはり河川に囲まれた平野部にあります。

人は食べなければ生きていけません。
そして人が生活したのは、その食べ物を得やすいところであったであろうということは、容易に想像できることです。
そしてその食べ物は、野山と海や川にあります。

ということは、森があり、海にも川にも近くて、その川がいわゆる暴れ川ではないところが、人々の生活の場所になったであろうことは論をまたないことです。
実際、縄文時代の遺跡である貝塚は、いずれも海に近い所にあります。
そうであるとするならば、人は海の近くに住み着いて進化したはずであって、山や砂漠地帯での生活を何万年もの長い間送ったとは考えられないし、そのような生活であったと証明する遺跡もありません。

そもそもサルとヒトとを分ける最も大きな特徴は、尻尾と体毛の有無にあります。
尻尾は四足歩行をする際に、頭部の重さとのバランスをとるためのものですから、二足歩行するようになると尻尾は必要がなくなります。
また体毛は、哺乳類が森で生活するのにあたって、肌を守るために絶対に必要な条件です。
ところがヒトの体毛は、サルよりもはるかに薄い。
そして海に住む哺乳類では、繁殖を陸上で行うアザラシ、トド、アシカ類には密生した体毛がありますが、それ以外のジュゴン、クジラ、イルカ等には体毛はありません。
つまり、海に近い所で生活するようになったサルが、体毛を退化させてヒトに進化したと考えられるのです。

このことから導き出されることは、ヒトは、海岸付近で生活し、その後、文明を発達させて、草木や虫などから身を守る衣類を用いるようになってから内陸部へと、その生息圏を広げていったということです。
そしてシラミの研究から、ヒトがおよそ7万年前から衣類を用いるようになったということは、人が内陸部に生活拠点を求めるようになったのは、早くても3万年以降のことだし、農耕の始まりが1万年前からだということは、それ以前の人々は主として海洋や大型河川から食を得ていたということができます。
そしてそのことは各地の旧石器、新石器の遺跡の所在地がこれを証明しています。

さらに最終氷河期のピークにあたる1万8千年前といえば、海面がいまよりも140メートルも低かった時代です。
これは、いま大陸棚となっているところは、ほとんど海上に顔を出した陸地であったことを意味します。
黄海から東シナ海、南シナ海、タイランド湾からジャワ海に至る一帯は、実は陸上であったわけです。
そして日本列島は、それら張り出した大陸棚の最東端の海に面した地域でした。

要するにこの時代の人々は、海に面した(つまりいまでいう大陸棚の端)あたりに住んでいたわけで、これがその後の温暖化による海面上昇によって、住んでいた地域が水没し、分断されて行ったと考えられるわけです。
日本列島や琉球諸島から、旧石器が出土するのはこのためで、その時代から海に面していて、水没をまぬがれた地域であるからといえるわけです。

つまり日本列島に住む人々は、大陸や朝鮮半島から「やってきた」のではなくて、日本列島に住んでいた人々はそのままに、海面の上昇に従って住む土地を奪われた人々が、およそ1万年の歳月をかけて次第にChina大陸や朝鮮半島などに「追われていった」のです。

こうした人類史というのは、まだまだわからないことだらけの世界です。
ただひとついえることは、古い人種であるネアンデルタール系の人々は、サル同然の姿形や生活をしていたわけではなく、死者を埋葬するに際して、棺に花をいっぱい入れたり(このことは遺跡によって証明されています)、石器や船つくりや、金属加工まで行う一定の文化水準を持った、まさに知恵のある人(ホモ・サピエンス)であったということです。

そしてトパの大噴火後、現生人類が誕生し、ネアンデルタール系はおよそ2万年前には滅んだとされていますが、どっこいそうではなくて、トパの噴火後も、実はユーラシア大陸の東のはずれにも、大噴火を生き残ったネアンデルタール系の人々がいたわけです。

そして海洋族として人口を増やしていくのですが、地球の温暖化によって島と大陸に分断されていき、大陸側の人々は、好戦的な現生人類種によって次々に殺され、あるいは強姦されて血が混じり、ネアンデルタール系の痕跡がわずかしか残っていないという状況になっていき、一方、海に隔てられた日本や琉球諸島、あるいは南太平洋の島々の人々は、その後7万年の歳月をかけて、現生人類とゆるやかに交配を重ねていって、現在に至っているのではないかと思われるわけです。

実はこのことは、古事記を読むと、どうやらそれらしいことが書かれていることに驚かされます。
国産み神話や神生み神話に述べられている神々のお名前に使われている漢字を紐解いていくと、どうやらそれらしいことが書かれているとしか思えないのです。
たとえば伊耶那岐、伊耶那美の生んだ最初の子である水蛭子(ひるこ)は、海に流したと書かれていますが、これはもしかしたら何万年もの昔に水没して失われた、かつて住んでいた陸地のことであるようにも読めるのです。
火之迦具土神の神語は、その後にあった大きな火山の噴火を意味しているようにも読めてしまいます。
しかし、最近の様々な地球史、人類史は、次第に古事記に書かれた神語の真の意味を解き明かしつつあるような気がしてならないのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

one

No title
そうですね。諸説紛々として、今もって決定しないところではあると思います。

しかしながら、我々の先祖はサルであるというのは、いつから我苦問の定説になっちまったのでしょう。江戸時代のご先祖様が聞いたら、きっと目を白黒させて、ひっくり返られることと思います。戦前の教科書にも、例えば教育勅語の隣に、サルが人間に進化していく、あの図がさもさももっともらしく、ドドーンと掲載されていたのでしょうか?

私、カダフィが偉いと思うのは、”神が男と女を創造された”と言っていることです。彼の場合、おそらく砂漠の神を指すのでしょうが。

石原慎太郎さんは、田母神さんの応援演説の時、人はサルから進化したと本気で話しておりました。石原さんは、いろんな新興旧教の教祖様と会われているのですが、カダフィとは別の結論になりますね。

出発点異なれば、結論異なると申しますが、私、このことはとても大切なことだと思います。もし人がサルから進化したのならば、人は尊いものではないと思います。それなりに安っぽいものだと思います。

陽だまりの樹、架空のジョン万次郎の一途な所は、惹かれるところがありました。外科医の方は・・・私はどうもダメです。緊急医療として、西洋医学が優れている点は認めますが、グロテスクな絵は、私はどうも苦手です。

手塚治虫の”火の鳥”の乱世編、清盛の最期のシーンで、このへっぽこ医者、お祈りのほうが科学的だよ、なんて場面がありましたが、この下り、ある意味では的を得ていると思います。ある意味では、です。あくまでも。

sakur

No title
わくわく感が、半端無いです。目の前の問題に意識を奪われがちですが、
アリューシャン列島を渡っていったクロマニョン人でも、凄いと思いましたが、八咫烏の沿岸海洋民族が、わかめや魚を食べながら、それより、先に、でしたか、チリあたりまで?わらじのようなスリッパを履いて。まるで昨日脱ぎ捨てたかのような洞窟のわらじ。

命をつなぐこと以上に、大事な事などあっただろうかと、改めて思いました。

言葉を、読み分ける聞き解く力が、羨ましいです。
シュリーマンがホメロスやイーリアスを読み、トロイの遺跡の空間を、
感じとったように、言葉を感じ取れる力は、時空を超えていけるのですね。

解読いただき感謝します。縄文時代に、黒米を食べていたように、もしかしたら、その頃は、シバの女王のごとく、漆黒の肌を、私たちの祖先は、していたのかもしれませんね。

ヒント

疑問様へ
ねず先生は、ネアンデルタール人と特定されていません。

「猿人が出現したのがおよそ600万年前、ネアンデルタール系等の新人類種が出現したのが、およそ25万年前といわれています。
この時代の人類は、火や石器を使うネアンデルタール種を筆頭に、猿人から現在の人類に近いものまで、かなり多様な種族があったようです。」

とあります。

目から鱗の新説なので、すんなりと納得されることは難しいかもしれません。

だけど、何度もリニューアルしていただけますので、内容もより進化して、よりわかりやすいねず説に毎回なっています。

私も、今日のお話は素晴らしい!!
と感激しておりましたので
より理解を深めていきたいです。

きっといつか、疑問からヒントを得て行くことでしょう。

芸術性豊かな縄文人と、ネアンデルタール種の関係は、興味深いです!!

お楽しみになさっていてくださいね(^-^)



神無月

誇り
ネアンデルタールの遺伝量は今後の研究が楽しみです。

縄文人は明らかに他の民族とは特異な存在で有ることは、証明されつつ有るようですね。

個人的には、縄文人の特徴が濃い人間です(笑)

私も、静岡県民ですので御前崎とイシモチは身近な存在です。

それぞれの民族は誇りを持っていますので、お互いを尊重し合えば宜しいかと思います。

誇りの無い民族は厄介ですが、これから歴史を積み重ねて誇りを築き上げる努力が必要なのでしょうね。

誇りは、奪えませんから。

-

No title
ネアンデルタールの遺伝子とは

http://globe.asahi.com/feature/110501/side/01_03.html

疑問

誤解だと思います・・・
>一方、その人々がそのまま日本列島に生き残ったのであろうことは、近年の研究成果で日本人のDNAに、ネアンデルタール系のゲノムが世界で最も多く残されていることで証明されています

>古い人種であるネアンデルタール系の人々は、サル同然の姿形や生活をしていたわけではなく、死者を埋葬するに際して、棺に花をいっぱい入れたり(このことは遺跡によって証明されています)、石器や船つくりや、金属加工まで行う一定の文化水準を持った、まさに知恵のある人(ホモ・サピエンス)であったということです。

そうでしたっけ?

ドイツの研究者の研究で分かった事は、日本人を含むユーラシア人のネアンデルタール人との混血度は、ほぼ同程度だったという事です。
最近東北地方の縄文人のゲノム解析も行われましたが、縄文人も特別目立つ値ではなかったそうです。

ネアンデルタール人は、簡単なアクセサリーを製作する事はあったようですが、現生人類に比べると芸術的センスに圧倒的に乏しく、不器用で、最近では飢えによるものなのか「食人」に及ぶ事さえあったとも考えられています。

縄文人は、例えば、縄文時代のかなり早い段階で漆の栽培に成功し、ベンガラや水銀朱を利用した赤漆や黒漆を用いて、輪島の職人の様な見事な「漆塗り」の腕前を披露していた事が分かっています。(ちょうど歴博で特別展「人と漆の12000年史」が行なわれています。)
漆を精巧な髪飾りや、飾り弓や、土器に塗っていたのです。
このただ事ならぬ芸術センスと匠の技は、不器用なネアンデルタール人が進化したぐらいで発揮できるものではありません。

ps
残りわずかな期間となりましたが、9月3日まで、佐倉の国立歴史民俗博物館にて「URUSHIふしぎ物語 人と漆の12000年史」展が行なわれています。
福井県の鳥浜貝塚から出土した、縄文前期の赤い漆塗りのツバキの櫛はつとに有名ですが、縄文土器や木製品に赤漆(ベンガラや水銀朱を使用)や黒漆を用いて装飾をほどこした立派な品々が多数展示されており、見ごたえがありました。
「遅れた狩猟民」といったステレオタイプのイメージを持つ人々の多くが、その「縄文観」を間違いなく一変させる事でしょう。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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