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今回は古事記の持つ奥行きの深さを、軍事という面から考えてみたいと思います。
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第20回 百人一首塾 *****
古事記の神語の冒頭にある重要な言葉のひとつに、
「修理固成(つくりかためなせ)」という語があります。
諸々の天の神々が、イザナキ、イザナミの二神に、
「この漂っている国を修理固成(つくりかためなせ)」と命ぜられて、天の沼矛(あめのぬぼこ)をお授けになり、二神は天の浮橋(あめのうきはし)に立って、その天の沼矛を差し下ろし、塩をコオロコオロと画(か)きなして引き上げると、矛の先端からしたたり落ちた塩が積もって淤能碁呂島(おのころじま)になったと書かれています。
ここで「修理固成」について、新たに築くのにどうして「修理」という語を用いているのかについては、以前にもこのブログでご案内させていただきましたし、また拙著『ねずさんと語る古事記 壱』にもその旨は書いていますので、今回はその部分は割愛します。
今回お話しますのは「固めなせ」、つまり「かためなさい」と命じられた神様が、そのために「天の沼矛」を渡したという点に注目したお話です。
神様は、どうして「沼矛(ぬぼこ)」を渡したのでしょうか。
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「沼」という字は、「氵(さんずい)」と「刀」と「口」でできた漢字です。
この「刀」は、もともとは「人」という字の変形ですから、口で人を呼ぶ→人をまねく、と変化したものです。
「氵(さんずい)」は河川を示しますが、もともと沼というのは神秘的なところ、霊的なものを感じさせる混沌とした場所を意味します。
「矛」は、文字通り長い柄の先に鋭利な刃物を取り付けた武器の象形で、ただ突くだけでなく、切り払う機能をもった槍、または薙刀のような武器のことです。
つまり「沼矛」というのは、霊的かつ神秘的な混沌とした場所に用いるための武器ということになりますから、「この漂っている国をつくりかためなさい」という神様のご指示と、沼矛(ぬぼこ)は、見事に対になっている言葉とわかります。
天の沼矛を用いて固めるべき場所は「漂っている国」です。それはまだ固まっていない、流動的な状態にあるということです。
別な見方をすれば、国が「国家の体をなしていない」状態です。
その「国家の体をなしていない国」を固めるのは「矛」だと、古事記は書いています。
このことは、価値観がバラバラで、人々が共通の国家観やアイデンディディを持たず、それぞれの個人が手前勝手な幻想でおのれの欲望ばかりをぶつけているような社会、つまり統一的国家としての、あるいは国家家族としての団結も結束も国家国民としての使命感さえも失われたような、混沌とした状況をまとめ上げるのは、「霊的な力で人々を呼び招く、矛の力しかない」ということを古事記は述べているということになります。
もっというなら、国民の意識がバラバラな混沌にあり、それを修理し、固めるためには、その混沌の中に矛、つまり武器を差し入れて、ぐるぐるとかきならすしかない、ということを古事記は説いている、もっというなら、日本の神代からの知恵、もしくはそれが縄文以来の日本人の知恵である、ということになります。
要するに「固成(かためなす)」ためには、「矛(ほこ)」の力が必要であるということを古事記は説いているわけです。
「武」が必要なのではないのです。
「矛」が必要なのです。
そう古事記は書いています。
「武」というのは、「矛を止める」と書いた字です。
つまり、矛を止めるのが「武」、
止めずに用いるのが「矛」です。
要するに古事記は、我が国の神代の昔からの知恵として、固めるためには「むしろ積極的に矛を用いよ」と述べているのです。
これがChinaの文化と日本の文化の違いです。
Chinaの文化では、武は、どこまでも「矛」を止めるためのものです。
つまり守るために戦うことが正義とされるわけです。
逆にいえば、「守るためなのだ」と言いさえすれば、いくらでも武を用いることができることになります。
このことが結果として、争いを招き、度重なる戦乱を招いてきたことは、Chinaの歴史が証明しています。
これに対し我が国の神代からの知恵は、混沌としているものをまとめあげるのは「矛」の力である、と説いているわけです。
強力な武装、圧倒的な武力こそが、余の混沌を鎮め、修理し、固め成していくのだと説いているわけです。
これは武力を行使するとか、戦いをして殺戮するとかということではなく、むしろそれを未然に防ぐ、戦いそのものを実質的に抑止することです。
武を止めるとか、守るとかいうのではなくて、むしろご神意にもとづく圧倒的な攻撃力を初めから保持することで、無用な争いを未然に防ぎ、非道を退けて正道を貫くという姿勢が、実は、古事記のこの修理固成と天の沼矛の記述の中に明確に示されているわけです。
さらに古事記は、その矛を用いるに際して、常に「日を背負いて」と、これは神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれひこ)の抄に出てきます。
「日を背負う」というのは、「日」は、天照大御神ですから、天照大御神を背負うこと。
そしてその天照大御神の姿勢は、どこまでも「シラス」・・・つまり民をこそ「おほみたから」とするものですから、民衆が豊かに安心して安全に暮らすことができるためにこそ、矛は用いるべし、というのが、古事記に一貫した姿勢となっているわけです。
本当に古事記は、奥が深いです。
その古事記を、ただの子供向けの童話や、荒唐無稽な根拠のないつくり話としての「神話」としてしか学ばない、読まなことは、本当にもったいないことであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
◆参考図書

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コメント
くすのきのこ
差がある外国勢力が相手であれば・・?矛を止めるタイミングを逸すると、
敗戦国に成り下がるわけです。シ~ナは人民に対し矛を使い続け、とうとう
国連から人権問題について突かれ始めていると。
武力は使い始めと使い終わりのタイミングが大事なのです。武力行使とは
本来は交渉の延長ですから。
日本は多民族多文化多神教を縄文時代から続けているわけでw協議し共存
を目指す中で、言葉に規制されない暗黙の譲り合いと闘争を続けて融和し
てきた国では?これが神の矛の技かもしれませんねw
2017/09/15 URL 編集
紫陽花
全然関係ない話しで申し訳ないのですが、昨日、夕飯の買い物に近所のスーパーへ行ったのですが、スーパーの前にマンションがあり、その敷地内で遊ぶ子供達の会話がとても面白かったです。A:「昨日、外国で地震あったやろ?」B:「あったなー、日本もあったで、」A:「ほんまに?怖いな!うちのお母さん、北朝鮮がミサイル実験するから地球が怒ってるって言ってはったわ!」B:「えー、ウソー」C:「Aちゃんとこのお母さんと同じような事、うちのお母さんも言ってたで~」A:「ほんまに?自分が地球やったら、あたしも怒るなー」B:「うん!怒る!」C:「めっちゃ痛いしな、あたしも怒るわ!」
…あー、日本を、地球を護りたい~、ってこの子達の会話で思いました(笑)そしてAちゃん、Cちゃんのお母さん、きっと私よりお若いと思いますが、素敵な子育てしていらっしゃると思いました。まぁ北朝鮮だけの問題でもないですが、大自然を敬う心や畏怖は、受け継がれていますね。
2017/09/12 URL 編集
神無月
疑心暗鬼を無くすために、条約や協定が結ばれますが、「約束は破るために有る」などとほざく民族がいる限り、疑心暗鬼は続きます。
最強の軍隊を持つアメリカですが、日本に疑似勝利した以外は、誠の勝利戦は有りません。
アメリカが大戦後、勝てないのは、戦争による軍需産業の利益確保が根底にあるからと思っています。(大戦も同じですが)
9.11テロに続く、アフガン、イラクも利益の為でした。
しかし、日本が最強の軍隊を持った場合は、ねずさんが言われるように、国防の為の軍事行動ですから、侵略行為は起こりません。
所詮、インディアンを滅ぼして得た移民の子孫に、正義とか人権などを言う権利は有りません。
つくづく、民度の違いを感じます。
日本人に、他国のような宗教が必要のない理由について、宗教に頼らなくても、神様や仏様が説き求める道徳心を、既に備えているからだそうです。
「昔も今もすごいぞ 日本人!」ですね。
.
2017/09/12 URL 編集
にっぽんじん
ICBMの脅威が盛んに言われるが、ICBMが怖いのはアメリカであって日本ではない。
北コリアンはすでに日本に届く中距離弾道弾ノドン、テポドンを保有し、実戦配備している。その気になればいつでも日本を攻撃できる体制になっている。
ミサイルに搭載できる核弾頭が完成すれば、日本向けのミサイルに実戦配備されるのは目に見えている。
現実に日本の脅威は高まってることを国民は知るべきだ。
そして、現在の防衛体制だけでは全てのミサイルを迎撃できないことは専門家が指摘している。
国会の場でこの事実を取り上げ、日本の国民の命を守るためにはいかにあるべきかを与野党が真剣に議論し、現状のままで良いと言うのなら、一部の国民の生命は守れないことを明らかにし、国民の納得を得ておく必要があるのではないか。
有事の際には国民の一部は犠牲になることを国民が理解し、覚悟しておけば政府の責任も多少は楽になるかも知れない。
国会で何も議論しないから、原発を止めれば北コリアンのミサイル開発を止められるような可笑しな議論が出るのではないか。
早急に国民の覚悟を問うべきではないか。
2017/09/11 URL 編集
kaminari
日本の神語りをかみしめる材料を頂きありがとうございます。
2017/09/11 URL 編集