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ねずさんと語る古事記・参
〜葦原中国の平定、天孫降臨、海佐知山佐知、神倭伊波礼毘古命『ねずさんと語る古事記』第三巻!
いよいよ本日から先行予約開始です。
これが「ねずさん古事記」の完結編になります。
発売日は10月7日となりました。
早めの予約の方は、ほぼ発売日に第三巻が届けられることになると思います。
この古事記では、従来の通説にとらわれずに、古事記原文に使われている漢字や、古事記本文にある注釈を用いて、極力当時の編纂者たちの思いに近づけるよう、古事記の読み解きを行いました。
『ねずさんと語る古事記』のシリーズでは、古事記の上つ巻の序文から、中つ巻の神倭伊波礼毘古命までを扱っています。第一巻から第三巻までの構成は、簡単にいうと次のようになっています。
第一巻 神々の成り立ち
第二巻 シラス国のカタチ
第三巻 組織と国際関係
第三巻となる本書で扱う範囲は、「葦原の中つ国の平定・天孫降臨・海佐知山佐知・神倭伊波礼毘古命」です。
主な主題としては、
「葦原の中つ国の平定」が、組織人においてたいせつな心得、
「天孫降臨」が、我が国の基本となるカタチ
「海佐知山佐知」が、無視できない相手からの無理難題への対応
「神倭伊波礼毘古命」が、戦いに際して必要なこと
が、それぞれのテーマです。
ですから、特にこの第三巻は、現職として組織内で仕事を持って働いている皆様や、日本人とは何かを学ぼうと思っておいでの方、国際関係や重要な取引先からの無理難題などにお困りの方、あるいは、国家や組織が戦うということは、どういうことなのか、何が必要なのかといった、かなり具体的に踏み込んだ内容が書かれた章であるということができます。
そしてこのように深い内容のお話が、千三百年前に書として表され、それが日本人の精神となっていったということにあらためて驚きを隠せません。
古事記を書いてみていま本当に思うことは、正直な話「これを学生時代、もしくは社会人となったばかりの頃に学んでいたら」という思いです。そうすれば、きっと自分の人生もまた違ったものになったであろうと思います。
また今回の第三巻では、國學院大學名誉教授で、日本考古学会の大家である小林達夫先生が推薦文を寄せてくださいました。
この推薦文は、第三巻の冒頭にありますが、先生は、1巻から3巻までの全文をお読みになった上で、この書評を書いてくださったのだそうです。
本当にありがたいことと感謝しています。
文章というのは、人を表すと言われています。
小林先生の鍛え抜かれた芯の通った文章は、きっと皆様の心に染み込むものと思います。
これまで、一巻二巻をお読みになられた方には、三巻はきっと刺激的だと思います。
これから1〜3巻を読もうという方は、先に三巻をお読みになることをお薦めします。
三巻は、おそらくこれまでの拙著の中の最高傑作と自負しています。
表紙のデザインは、天からの天孫降臨と、海彦・山彦のイメージから、グリーンと青で「山と海」を表しています。
また横に入った波線は、神倭伊波礼毘古命が海を渡って東征したことがモチーフ、そして真ん中あたりにある絵柄は、「七宝に花菱」の家紋をあしらっています。
七宝は、金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)の七種の宝のことで、豊玉毘売の物語が、まさにこうした宝玉に関係した話になっていることから、絵柄として採用されています。
是非、お手元に一冊、これはお薦めです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
くすのきのこ
唐代、臨済禅。仏に逢うては仏をころせ祖に逢うては祖をころせ。
さて、シ~ナ地域では真っ直ぐに易姓革命へと突き進んで現在も進行中。
だから前の権力者の日帝に反抗してみたりするわけだw
しかし、日本流では異なってくる。様々な解説があるようだが、ココは自由
に解いてみる。まず、仏や祖を認識できる見識がなければならない。仏を仏
たらしめるもの、祖には何の意味があるのかを考察する力量が必要である。
その上で、それらをころす胆力が必要。そうしてこそ、仏を祖を凌駕する事
ができる。これを現世に応用すると、仏や祖が築いたものを更に魔改造して
発展させる・・つまりは古くからあるものを更に発展させろと。あるいは、
新しい試みを加えろ・・そのためには新しい知識を吸収する必要もあると。
子は親よりも半歩でも一歩でも先へ進めと。
古事記は様々な人達に親しまれ、いろいろな解説がある。新しいアプローチ
がいくつあってもいい。そうやって楽しむものであればいい。けれども、
ドグマとしてしまっては拙い・・。言語に捕らわれてしまうと発想の自由度
を失ってしまう。これはホツマツタエも同様であろう。ブッタは仏典を残し
ていない。キリストが聖書を書いたわけではない。しかし、これらの書物に
書かれている言語に捕らわれ人的被害がもたらされ続け、紛争が続いている。
言語は便利だが、あくまでも道具。互いに言葉で傷つけ合うのは・・。
日本流の一つは、言わず聞かず実現を見せるでは?勿論あれやこれやの議論
や活動の中で形が出てくるのだが、その活動の肝心な一面はしばら~くしな
いと解らないし、語られる事もなく、よって聞く事もなく、ただ実現を見る
事になる。例えば、いつのまにか靖国神社の御霊祭りが若い世代で賑わって
いる・・・ミタマで会おうと。例えば南洲神社。例えば潮嶽神社。時の権力
者が推さずとも、ちゃ~んと見守っておいでになるw
2017/10/02 URL 編集
くまもんもん
ところで、衆議院の解散に伴う、「日本のこころ」の件、先生のお考えを教えて下さい。新党に入ってしまうのでしょうか?タイミングもあると思いますが、先生のお考えを参考にしたいと思います。宜しくお願いします。
2017/09/25 URL 編集