鎌倉幕府の成立とおほみたから



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最近の歴史教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年、つまり源平合戦で壇ノ浦の戦いが行われた年が鎌倉幕府の成立だと教えているのだそうです。
どこぞの在日系の学者が、彼ら特有のファンタジー史観で「歴史を書き換えた」ものの一環ですが、まったく日本の歴史をわかっていない馬鹿者の行いと断じさせていただきます。


20151001 源頼朝
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 *****

「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」
子供の頃、年号の暗記で、このように記憶した方は多いかと思います。
鎌倉幕府の成立といえば、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年がそのはじまり、と私たちは学校で教わりました。

ところが最近の歴史教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年、つまり源平合戦で壇ノ浦の戦いが行われた年が鎌倉幕府の成立だと教えているのだそうです。
どこぞの在日系の学者が、彼ら特有のファンタジー史観で「歴史を書き換えた」ものの一環ですが、まったく日本の歴史をわかっていない馬鹿者の行いと断じさせていただきます。

なるほど源頼朝は、平氏のように朝廷に拠らず、鎌倉幕府という新しい武家政権を樹立しまし、この時代における国内最強の武士団を保持していましたが、朝廷そのものの打倒などは露ほども思わず、天皇から、天皇の部下である征夷大将軍に任命していただき、またそうすることで天皇によって政権の正統性を承認してもらっています。

このことは頼朝が、天皇を国の中心とした聖徳太子の国作りの大方針を継承したということです。
そしてこの後、700年ほど続く武士の政治が、すべてこの方針を継承したことによって、日本は世界に類例のない国家の姿を今日まで伝えています。

そしてこのことは、我が国が武力による革命で、新しい王朝や国家を樹立したChinaや西洋のやり方を完全否定したことを意味します。
つまり頼朝の行動は、武家政権の樹立を、よその国々のような新国家樹立のうような形をとらず、あくまで政権交代の枠組みを保持したというところに、大きな意味があるのです。
つまり、鎌倉幕府の誕生は、実は、日本の国のカタチを学ぶ上で、とても重要な意味を持つものです。






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古事記3の一部


武士は、もともとは平安時代の新田の開墾百姓が始まりです。
しかし新田を一生懸命に開墾しても、その土地を誰かに取られてしまうのは、さみしいことです。
そこで新田の開梱百姓たちは、公家出身者を棟梁にあおぐことで、自分たちの耕した土地の私有を守ろうとしたのです。

ただし、その私有も、現代日本における所有権の絶対性とは実は意味が違います。
なるほど新田は私有地ですが、その私有地にある土地も作物もすべては神々から与えられたものと考えてきたのが日本人です。
だから感謝する。
だから、食べるときには「いただきます」と両手を合わせるのです。

その神々と直接つながるお役目が、神官の中の大神官である天皇のお役目です。
だから天皇のことを「天子様」と言いました。
そしてこの世のすべてのものは、草木一本にいたるまで、神様のものです。
人は、それを生きるために使わせていただいている。

ということは、家も土地も、そもそもの所有者は神々であり、神々の直系の子である天皇が現世における所有者です。
つまり国土国民のすべては、天皇のものです。
そしてその天皇が、民百姓を「おほみたから」とされている。

だから民百姓は、権力者の隷民ではないのです。
もちろん権力者の私有物でもない。
大名や豪族たちの私物でもない。
だから百姓なのです。

昨今、この百姓という言葉を「差別用語だから農民と読み替えなさい」などと、これまたわかったような馬鹿を言っている先生がたがおいでになります。
こういうのを屁理屈といいます。

そもそも日本人というのは、差別をして悦に入るようなどこぞの姑息な民族とはわけが違うのです。
百姓というのは、「百の姓」です。
百というのは文武百官の「百」と同じで、「たくさんの、数多くの」を意味します。
そして民衆が持つ姓は、天皇から与えられた栄えある姓なのです。
鈴木さんにせよ、佐藤さんにせよ、天皇から与えられた姓が、その大元になっています。
胸に大きな誇りがあるのです。

「そんじょそこらのポッと出の
 わけのわからん連中とは違うんだ。
 俺っちは大昔に天皇様から姓をいただいた
 由緒ある家柄だ。
 奉行だの国司だの地頭だの、何するものぞ!」
というわけで、みんなで力を合わせてひとつになることを「一揆」といいますが、みんながひとつになって代官所の押しかけデモをした。それが百姓一揆です。

いまでも街宣デモに参加される方がおいでになると思いますが、その中の誰一人として、自分が奴隷のような目に遭っているからデモに参加しているという人はいないと思います。
そこが諸外国と日本の事情の違うところです。

冒頭に、壇ノ浦の戦いによって鎌倉政権が誕生したと記している教科書を、「歴史をわかっていない馬鹿者」と呼ばせていただきました。
馬鹿だと呼ばれても仕方がないことだと言わせていただきます。
そもそも我が国に、鎌倉政権なる歴史用語はありません。
あるのは「鎌倉幕府」です。

そして「幕府」というのは、そもそも「出征中の将軍の府署」のことです。
将軍は、王ではないし、まして皇帝でもありません。
将軍は、王や皇帝の部下です。
王や皇帝の御在所が別にあるから、出先が幕府となるのです。

なるほど壇ノ浦の戦いで源氏は平氏に勝ちましたが、これはただ勝ったというだけです。
いまで言ったら、選挙で源氏党が勝って、政権与党の座を奪い取ったようなものです。
その与党第一党の党首は、天皇に親任されて、はじめて内閣総理大臣となります。
いまの憲法の是非はともかくとして、GHQによって与えられた憲法ですら、天皇によって親任を受けて、はじめて総理も他の大臣も、その権限を行使することができます。

このことは、会社の人事発令と同じです。
いくら部長や課長の内示を受けたとしても、正式に人事から「◯月◯日を以て◯◯部長に任ず」という辞令を発表しない限り、その人は、当該部長、あるいは課長等としての権限の行使はできません。
与党第一党の党首は首班使命を受けますが、総理大臣として、その権限を行使できるのは、天皇の親任が行われてからのことです。

つまり、総理と天皇とどちらの権威が上かというのなら、明らかに天皇が上なのです。

鎌倉幕府もこれと同じです。
源頼朝は、天皇から征夷大将軍に任じられて、そこではじめて全国の武士に号令する権限を得たのです。
全国には、様々な豪族集団があり、それぞれに武士団を形成していました。
けれどその武士団は、日本の武士団である限り、そのひとりひとりは天皇の「おほみたから」です。
従って、全国の「おほみたから」に号令する権限は、天皇から武家の頂点としての征夷大将軍に任じられて、はじめて、それが可能になるのです。

日本に住みながら、日本人でない人たちには、この理屈がわかりません。
わからないというより、自身が権力者となりたい欲望が強すぎて、見えなくなっているのかもしれません。
いずれにしても、日本の歴史を理解しない、それは曲学阿世の徒というべきであろうと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント

AKEMITSU MASUI

No title
鎌倉幕府の誕生。。そんなのない!!1192とは征夷大将軍の辞令が出た年で、それが江戸幕府のような国家統制組織になってはいなかった。1185とは奥州藤原征伐の年で、このときの聯合軍が全国レベルであったことから国内に実質的に支配が及んでいたと歴史学者は考へている、しかし、それは、イスラム国、ファタハ・イズボラ・アルカイダとさほど変わらない!日本の公家社会から武家社会への轉換と言えるものではなかった、それが江戸時代になって政権擁護のために利用されたとするのが現在の一般論です。兎に角、日本の歴史を小説家や物語で作るのはヤメテください。炭素年代法とDNA分析と古文書から解読しませふ!!

takechiyo1949

海賊もおほみたから
高校生の頃だったかな~?
本家に帰省した時に、蔵の中で家系図を見付けました。
頂点には「◯◯次郎左衛門」と書かれています。
どんなご仁だったのか?
本家の頭領に聞きました。
『海賊だよ』
海賊?ビックリです。

生前のオフクロと、生の松原に行きました。
元寇防塁がありました。
オフクロは言いました。
『御先祖様は海賊かも知らんが、こういう戦(いくさ)をやってたんだ!』

この話を小名木先生にしました。
おそらく武功で侍に取立てられたのだろう…とのご見解で、本家の頭領に告げたところ、正にその通り!と言われました。

フライング・ダッチマン

オランダ
> これも前例のないことであり、頼朝が実質上の権力を握ってからショウゴウがついてはきたと考えるのが妥当でしょうね。

「征夷大将軍」が政権の担い手と考えられるようになったのは頼朝に始まるというのはそのとおりでしょうが、本スレのポイントは「朝廷が認めた」という点であって、ショウゴウ自体はなんでもよかったのです。そして朝廷から称号を授かったのが1192年だということです。

何らかの政体ができて、その政体自身が独自(勝手)に独立宣言する時期と、国際承認が得られた時期がズレることはよくあります。例えば、今のオランダの元になる政体は1568年にネーデルラント諸州によるスペインに対する反乱で、このうち北部7州は1581年にスペイン国王の統治権を否認しますが、当のスペインがオランダ(当時はネーデルランド連邦共和国)の独立を認めたのは1648年です。

この間、スペインとオランダの対立を「80年戦争」などと呼びますが(ずっとドンパチをやっていたわけではない)、じゃあどこがオランダの独立年なのかというと緒論があります。

よく言われるのが1581年の宣言ですが、実際の当事者は独立国家の樹立を目指していません。なので少なくとも一番確実なのが宗主国スペインがオランダ独立を承認した(させられた)ミュンスター条約の1648年ということになります。

1185年の武家権力確立は、オランダの1581年宣言に近いイメージがします(よく考えたら頼朝の方が古いんだな)。

高校生

No title
ちょうどいま、ここの単元を習っています。この鎌倉時代の初めに、承久の乱がおこったことを習ったんですが、上皇が流され、天皇もやめさせられて、別の天皇になったというのは、とんでもないことだと思いました。これは鎌倉の武士の天皇に対する反乱だったんでしょうか?それとも違う意味や解釈があるのでしょうか?ぜひ取り上げて欲しいと思いました。

-

頼朝は歴史上はじめて政権を担う幕府を任された人物だと言うことを理解しなければなりません。
頼朝以前の征夷大将軍といえば、坂上田村麻呂です。しかし田村麻呂は純粋な軍人でした。政権を担った訳ではありません。
さらに、幕府という言葉が現代の政府のような意味を持つようになったのは江戸時代であり、それまでは文字通り幕を張り渡したところの意味でした。戦場の陣地のようなものです。鎌倉幕府という言葉自体、江戸時代以降に作られたものです。

東夷を平定する地位であった征夷大将軍という称号を国を治める権力と連動させたのが頼朝であったことは確かですが、これも前例のないことであり、頼朝が実質上の権力を握ってからショウゴウがついてはきたと考えるのが妥当でしょうね。
そういう経緯から、頼朝が全国の守護地頭を決める権限を得、競争相手であった平家が没落した1185年を頼朝の実効支配が確立した年とみなすことは適切でしょう。
1192年の征夷大将軍への任命は頼朝の要求によるものでしたが、頼朝は数年後にこの称号を返納しています。

むら

No title
いつも為になるお話しをありがとうございます。
鎌倉幕府の成立ですが、幕府というのは、朝廷から任命された征夷大将軍が開くものですから当然、源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年が正しいと思いますよ。

ポッポ

No title
改めて、鎌倉幕府の成立は1192年だと思います。
その理由は、源頼朝が征夷大将軍に任じられたのが1192年だからです。

仕事をしていたときにも、辞令に記されている日からその職務に就いたのであって、次の任地に着いた日ではなかったのですが、事の大小は別として、任じられた日を以て幕府の成立になると思います。

ただし、注意しなければならないのは、1185年説は日本が掛かる大東亜戦争の終戦について、ポツダム宣言受諾の日である1945年8月15日は、1185年説と同じ意味だと思います。

この場合、大東亜戦争の降伏日は、1945年9月2日であることに日本が関心を持たないから、このような1185年説が出てくるのだと思います。

なお、日本と米国を初めとする連合国との間の戦争状態を終結させたのは(1951年9月8日署名)1952年4月28日効力発生のサンフランシスコ平和条約です。

クマのプータロー

私はこう説明しました
私は46歳です。同級生も年頃の子供を持つ連中が多く、「教科書変わってる…」という困惑を持ち込まれたのが最初でした。
幕府は、征夷大将軍が開くもので、鎌倉軍団が平家を滅ぼした、即成立、というもんじゃないよと筋論を通しました。
頼朝が征夷大将軍になったのは紛れもなく1192年、ちゃんとした証拠もあり、後白河法皇死後の関白九条兼実によって任命されています。
見方によっては、後白河法皇の権勢が消滅するまで、鎌倉による治世は大きなローカルルールに過ぎず、天皇家にとって平家は外戚なので、天皇家を滅ぼすが、天皇家から開幕の許可をもらうかしなければ「歴史を変えた」ということにはならないわけです。
で、「法的には1192年で日付も確定できて正しい。実質を認めるのならば成立時期について争いが今後新たな資料が発掘されるまで収まらないはず。教科書に載せるにはふさわしくない、っていうか教科書会社が歴史を変えたがっているとしか思えないね。」
学者がおかしいまで言うと引かれてしまうので、というか、歴史学会がどういうとこかは倉山満先生の著書を読んでいないと理解が及ばないところなので、この辺にとどめておきましたが、「実質的」という解釈を使うと歴史を全く別のものに変えてしまうことが可能なマジックワードであることがなかなか理解されず困ってしまいます。
テレビでは河合某とかいうどこぞの私立高校教師風情が「今、教科書はこうなっています」ではなく「今、歴史はこうなっています」というかたちでチョイチョイクイズ番組に出てきては悪質なプロパガンダをまき散らしていた時期がありました。私のイメージする高校教師、というか担任・副担任の先生は生徒のために日がな一日親身になってくれたので、主要教科の教員がテレビに出てくるなんてとても信じられません。件の教師はアウトサイダー的なにおいが消えない怪しい人物にしか見えませんでした。
子供を人質にした情報による間接侵略は情報植民地完成の最後の仕上げ段階かもしれませんね。

-

No title
ありがとうございます。
受験勉強のための年号暗記と、歴史の流れの勉強はイコールではないことを、日本人ならば肝に銘じるべきであることを示す指摘と思います。
1185年は、守護と地頭を設置して政治と警察の権利を勅許された年です。1180年以降には領地支配機構、司法機構などが徐々に構築されていくので、勅許が明らかであり政治体制が決定した1185年を事実上の幕府の成立としたのでしょう。形式的には1192年の征夷大将軍に任ぜられた時点となりますが、そのような年号の推移は後付の定義に過ぎません。

-

源頼朝公
いつもありがとうございます。
判官贔屓で義経好きな日本人が多いですが、私は源頼朝公を尊敬する気持ちが強くあります。一つは天皇に対する尊崇の念の篤い事。一つは京都の公家に飲み込まれずに、武家政権を確立した事。 一つは神仏を敬い、平家のように敵方の信仰する神社仏閣を焼いたり破壊する事を厳しく戒めた事です。 天皇を神聖な権威者におき、権力武力(ウシハク)は、その天皇の承認の元、行使できるのだとの形を明確に打ち出したのは、ねず先生の仰るように鎌倉幕府が始めだと想います。
源頼朝公は源氏の正統な棟梁との自負心だけでなく、熱田大宮司の娘を母に持つ事に誇りを持っておられました。それ故に、大神官の天皇から親任を頂いて初めて征夷大将軍が武力(権力) ウシハクを行使する事ができる形を明確に打ち出されたのだと想います。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

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