漢委奴国王の金印



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ある方から次の質問をいただきました。
「金印についての質問です。
 『漢委奴国王』と刻まれているのは何故でしょうか。
 倭ではなく委となっているのが疑問です。」

これについての私の回答です。
すこし面白いので、すこし書き足してご紹介します。


20171111 金印


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ある方から次の質問をいただきました。
「金印についての質問です。
 『漢委奴国王』と刻まれているのは何故でしょうか。
 倭ではなく委となっているのが疑問です。」

これについての私の回答です。
すこし面白いので、すこし書き足してご紹介します。

 ***
<回答>

現代考古学界では、「古代においては、彫金や石に碑文を刻むとき、「ヘン」や「つくり」を略すという習慣があったから」と説明しています。
実際、「仙」という字が「山」と書かれたりしているケースがあり、それは証明できることとされているようです。

ただ、その同じ古代に、日本ではあの勾玉がつくられたりしているわけです。
勾玉の材料として使われるヒスイやメノウは、鉄より硬い鉱物です。
それをあそこまで丁寧に加工できる技術を持ちながら、「彫金技術がなかった」と決めつけるのは、おかしな解釈といえるかもしれません。
もっとも金印は日本産ではなく、Chinaで造られたものですから、考古学界で言われている通りなのかもしれませんが・・・。

しかし、あるいはもしかするとなのですが、金印はそもそもはじめから「漢が委ねた奴国の王」という意味で「漢委奴国王」の刻印がされたのかもしれません。
「奴国」とうのが、どこにあったのかは「わからない」とされていますが、日本人の「wa」という発音が、Chineseには「na」と聞こえて「奴国」と表記されたという可能性は否定できないのです。





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古事記3の一部


この当時の日本は、縄文以来続く高い文化を持った国です。
それにそもそも日本は金の大産地ですし、その意味からすると、この金印は、たとえ金印であったとしても国辱的です。
そうであれば、たとえ漢では偉大な皇帝とされている人から贈られた印であったとしても、日本では「いらない」ということになります。
けれど、贈ってくれた相手も尊重しなければならない。
そうであれば、金印は、日本の中央から遠く離れていて、Chinaとの交易点となる博多湾には、綿津見三神を祀る志賀海神社がありますから、そこに奉納しておいたということは、日本人的発想ならば普通に考えられることです。

そして嵐で神社の宝物が水に流されたとき、その金印も一緒に海に押し流されたけれど、別段困ることもないから放置しておいた。
そのまま放置しておいたら、江戸時代の天明4年に、たまたま漁師が網でそれを引き上げてくれた、ということなのではないでしょうか。

金印は、Chinaの制度では、印に「金銀銅」のランクがあります。
一番上が象牙印で、これはChina皇帝だけが用いることができる印です。
そのChinaが、対等とみなした国力の強い国には、China皇帝から金印が送られました。
一番下が「銅印」で、これは属国の国王の中でも、もっとも格下の国の王に与えられる印です。
残念ながら朝鮮半島の歴代王朝は、この銅印しか与えられたことがありません。

そういう次第ですから、金印は、本来はたいへんに名誉な印です。
もし日本がChina王朝との国交を重視するなら、金印が海に流されたのなら、それは一大事となります。
China皇帝に詫びを入れ、新たな印を発行してもらわなければなりませんし、そのための贈り物や大規模な使節団の派遣が必要になります。

ところが日本国内では、金印が失われたことについて、何の騒ぎにもなっていないし、公史である記紀にも金印について何も触れられていません。
触れられていないということには、いくつかの理由が考えられます。

ひとつは「奴国が実在していて、国内の他の国に滅ぼされた」というものです。
しかし、もし奴国が、巷間言われるような村落国家程度の小規模な国であるならば、China皇帝が金印を贈ることはありません。
つまりChinaは、奴国を「漢の大帝国に匹敵する大国」と認識していたから金印が贈られたのです。
そしてその国が「失われた大国」であるならば、奴国は、当然記紀のどこかにそれらしい記述で出てくるはずです。
けれど、そのような記述はどこにありませんし、それどころか、金印を受け取ったという記述さえもないのです。
つまり、大和朝廷に代わる「奴国」など、なかったということです。

二つ目は「ありがためいわくだった」というものです。
China側からしてみれば、立派な金印であったとしても、日本には、漢より古くて長い歴史を持つ大和朝廷があります。
天皇の御印のことを「御璽(ぎょじ)」といいますが、明治7年に金でできた御璽が造られ、これがいまでも用いられていますが、701年(大宝元年)に成立した大宝律令で規定された御璽は、大きさが方三寸(約8.9cm)と規定されているだけで、長く銅または青銅が使用されてきました。
ちなみに江戸時代は銅印です。

なるほど金は、高価で立派そうに見えますが、金は変形しやすいため、実際のところあまり実用的ではありません。
我が国では、富は「おほみたからのもの」とされ、「おほみたから」が豊かに安全に安心して暮らせることを国是としてきましたから、上に立つ者は、たとえ天皇といえども贅沢は厳に慎むべきものとされてきた伝統があります。
そもそも金は、我が国ではいくらでも産しましたし、お寺のお堂も、いまでこそ黄金色をしているだけの真鍮(しんちゅう)になりましたが、江戸の昔までは、すべて金。
女性の着物の柄にも、祝着には金糸銀糸がふんだんに用いられましたし、そもそも貨幣が金貨の小判です。
これは、いまで言ったら1万円札が金でできているようなもので、日本がどれだけ金が豊富な国だったのかということです。
つまり、印が金製だからといってありがたがるような文化は、そもそも日本にはなかったわけです。

もんだいは、それがChina皇帝から贈られたということですが、みればその印には「漢が委ねた奴国(倭国)の王」と書いてある。
日本からしてみれば、新興国の漢あたりが、失礼千万という気分があります。
さりとて漢は、当時の東洋社会にあっては大国です。
だから博多の神社に「たいせつに」奉納しておいた、と考えた方が、合理的ですし、説得力があるように思います。
そしてそうであるならば、そのようにもし史書に書けば、とりわけ日本書紀は対外的国際外交のために書かれた史書ですから、逆に素直にその通りに書けば、それこそ国際問題になる。
だから、意図して何も触れなかったということなのであろうと思います。

仮にもしバレて、China側が金印の有無を問うてきたとしても、
「はい。それなら神様に奉納して大切にしています。」と答えれば、相手は自分たちが神と讃えられたと満足するであろうし、嵐のために失われたことを咎められても、
「志賀海神社は海の神様をお祀りする神社ですから、きっと海神様がお持ちになられたのでしょう」と言えば、これまた相手にとっては満足な回答となります。
しかもこの場合、倭人たちが神様に捧げた金印ということになるのですから、China側は印の再発行の必要がないわけです。
つまり、日本は二度と同じ非礼を受ける必要がなくなります。

要するに金印は、受け取った1世紀の大和朝廷にとって、まことにもって「ありがためいわく」なものでしかなかったということです。

 ***

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コメント

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No title
最新のコメントしてる方、その質問はちょい情報が古いですなw
記紀編纂の時代は、既に漢字利権を持ってた蘇我氏により各地で開発してた古代文字が駆逐された後なんです。だから当時は漢字しか公式で使えなかった。また日本書紀にあるように蘇我氏が滅ぼされる前に古書を家ごと焼いてしまったんです。
神代文字については、担当役人が蘇我の野郎にバレんように実家に隠して代々口伝伝承で残していったのです。それが竹内文書でありホツマツタエであるわけですな。ただ、紙は劣化するので何代目かごとに写本するわけですが、写し間違えや虫食いで読み取れずに勝手に書き換えたりで不正確になってしまうわけです。古史古伝と言われ偽書だとされてしまっておりますが。その論理でいくと記紀すらも偽書となり、日本を否定したいだけの、ザ・戦後自虐史観以外の何者でもありませんw

ちなみに正統竹内文書では、この金印の授与は神武天皇の時代だそうで。神武天皇即位は約2000年前とのこと。またホツマツタエでは、神語に出てくる神様は歴代の古代天皇だそうで、初代はクニトコタチノカミで5000年以上前。アマテラスはアマテルカミと呼び、実在した男性だそうで、縄文時代の時点で既に全国をくまなく平定していたようです。その後に一旦国が荒れ=弥生時代、それを神武天皇が改めて鎮めた。その後また荒れて=日巫女(卑弥呼)の時代の倭国大乱、崇神天皇が桃太郎さんこと吉備津彦命を派遣して改めて鎮めたと。桃太郎さんとヒミコは姉弟です。

-

No title
大和朝廷のが漢より時代が古いというなら、
なんで記紀が漢字だけで表記してるのやら……?

常識で考えたら、漢字が入ってくる以前の時代の
記録法すら無かっただろうに。
ましてや、日本の古代には暦すらなかったはず。
(古事記の暦すら不完全)

神代文字での記録があった?
じゃあ、なんでそれが記紀に書いてないの?って話。

宗教に突っ込んでもしょうがないんだろうけどさ。
もうちょい常識が必要じゃないかと。

かず

No title
初めまして、
いつも楽しく拝見しています。
ねず様の、ありがた迷惑説は最高ですね、
今も昔も、特アはKYなんだなあと思って
笑ってしまいました。

くすのきのこ

No title
こんにちは。文字が音を示すならば・・委奴は いと ゐど だという説が。
ですが金印授与は後漢の時代で呉音の読みのはずですから、いぬ かな?
だから伊都国を指すのではないかという説があるけれども、呉音読みにして
みると、いつこく となってしまうのでど~もうまくない。
金印は魏志倭人伝と後漢書に書かれている奴国に関連するというのが定説で
すが・・・?奴国は倭国の一地域であり、倭国は日本列島全域でもない。
魏志倭人伝。280年~297年に成立した三国志・・の中の魏書代30巻
烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称だそうで。魏は220~265年の国。滅んで
から15年くらい経ってまとめ始められたと。・・まずここに不信感wチャ
イナ地域と言えば滅びた王朝を否定し歴史改ざんを繰り返す所・・滅びて間
もなければなおの事で虚実混交は当たり前・・けれども異国のおおよその場
所と役職名は事実を書いたかも?だが・・奴国は2か所に出てくるが同じ所
かどうか不明w数字が不正確なのはいつもの国技・・。だから邪馬台国論争
に決着が付く日は・・日本の国土を隈なく掘り起こすかw新型センサーを開
発して緻密に研究してみないとわからないw
後漢書。432年以降書き起こされたと。後漢は25年~220年の国。つ
まり後漢が滅んで200年以上経って古い資料を元に書いたと。その資料は
紛失・・書いたのは左遷された役人・・え?・・で、その後漢書は別の人物
が書いた続漢書の一部とくっつけられ・・あれやこれやで結局残っているの
は北宋時代(960~1127年)の版だと。あやしいフラグが・・w
左遷された役人の書いた朝貢の記述・・ザックリ版w・・57年~倭奴国~
朝賀す。~自分は大夫(地方官)と称す。~(奴国は)倭国の極南界なり。
~印綬~。・・この”(奴国は)倭国の南の果て”という記述は魏志倭人伝に
あるのでソレを挿入したのかな~?w朝貢については何の史料を基にしたの
か不明とされているというw奴国は2つあった地方都市国家?
この頃倭国は統一されていたわけでは無く、倭国領域の中でいくつもの勢力
が交流しつつもクニを張っていたわけで。2世紀の後半に倭国大乱があり、
卑弥呼を女王にして治まったと。この倭国の範囲が不明確w文献の信頼性が
あやしいw言葉によるイメージ操作に御注意w倭国に来た事もない官が伝承
を基に書き付けたわけでwだから楽しいかもw旧唐書には、日本は旧小国の
倭国の地を併わせたとも。であれば倭国とは、奴国などの地方都市国家?を
含むタイリクからの渡来人達の連合勢力範囲ではなかったか?滅ぼされた王
朝からの避難民達では?DNA解析では越に滅ぼされた呉の国人が漂着したの
金印の発見された志賀島辺りだと。後漢の金印はチャイナ本土でも2つ発
見されたものと共通する特徴があり贋作ではないと。志賀島の金印は、日本
の統一が本格的に進んでいく前にも交易があり・・鉄かな?・・これに関係
していたのかも?交易に関する印であれば、委は委託の意味で・・奴国王に
委託する・・とも。秦氏が渡来する前の呉の渡来人達。紀元前から日本列島
は何度も海洋から大陸から人々を入れて、騒ぎをおこしつつも共存共栄を図っ
てきた。だから様々な古い文化が僅かずつでも残っている。漢字の呉音読み
など、紀元前の文化だしw現代チャイナの人々は知る事も無い。現代でも北
京語の発音を知らねばネット利用ができないようにしているそうだ。自らの
祖先から受け継いできた文化を廃れさせるように仕向けられる歴史を繰り返
してますね。チャイナ地域とはそういう所。だからチャイナの王朝を滅する
のはチャイナ人の法則・・なんです。

疑問

福岡の金隈遺跡
先ほどの投稿に関して、ソースを忘れました。

弥生時代を代表する福岡県福岡市の金隈遺跡からは、多数の人骨が出土していますが、縄文風や南方風の顔、長くて平らで歯の大きな顔、平らだが歯の小さな顔等々、多種多様な顔面形態の人骨が出土しています。

実際に古人骨の調査をしている研究者が、それを見て驚いた、という話が『コメを食べていなかった?弥生人』(谷畑美帆 同成社)という本に書かれていますので、興味があればご一読ください。

ちなみに、同じ渡来系でも土井ヶ浜と吉野ヶ里では顔つきが異なるようです。
弥生人は様々なルーツを持っており、「これだ」といって出されるものは、‶弥生人”のごくごく一部を代表するものでしかないと。

また、西日本の縄文遺跡からは、縄文らしからぬ若干薄顔の骨も出ているようです。
近年、縄文時代から既に弥生系との混血が始まっていたのではないかとの説もあり、「弥生人はシベリアから来た」とか「縄文人は南方系」とか、乱暴な括り方はできない、すべきではないという話をよく聞きます。

シミズ

大和朝廷とはそれほど長い歴史を持つものなのですか。また、神武天皇とはどこに出自をもつ方なのでしょうか。
神武東征が縄文文化を色濃く残す日本を正していく旅ならば、縄文文化以外、すなわち外国人にルーツを置く一族という事にならないでしょうか。
巷によく聞く朝鮮半島から日本海を超えて来たなどという説は信じてませんが、それでも列島外のどこかに高天原一族のルーツがあるのではないでしょうか。
ねず先生はいかがお考えでしょうか。

愛信

トランプ:インド太平洋の自由の解放で、自国の命運を確保しよう。
トランプ:インド太平洋の自由の解放で、自国の命運を確保しよう。
http://www.ntdtv.com.tw/b5/20171114/video/209422.html?%E5%B7%9D%E6%99%AE%EF%BC%9A%E8%87%AA%E7%94%B1%E9%96%8B%E6%94%BE%E7%9A%84%E5%8D%B0%E5%A4%AA%20%E6%8E%8C%E6%8F%A1%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%91%BD%E9%81%8B

トランプ大統領のアジアツアーの最後はフリピンでの東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議に
臨む事でした。 トランプが挨拶で強調した事が、この地域のパートナーが自分の運命を握り如何
なる国にも頼らない事を望む。

今、アジアで話題になる事柄を反日売国テレビ局・マスコミは報道しない自由を行使して日本
国民に真相を伝えない。  反日売国テレビ局・マスコミの日本国民視聴者を愚弄している姿勢を
暴露して行こう。 トランプ大統領が帰国後に発表予定の重大な声明に注目しましょう。

詳細は(全文翻訳)
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi

山茶花

参考史料
『後漢書』に「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬」という記述があり、一般にはこれが本エントリーで取り上げられた金印に比定されています。

この文章は(1)「委奴」ではなくて「倭奴」である (2)「倭奴國」と並んで「倭國」という表記が出てくる――という特徴があります。解釈はいろいろあって何とも言えません。

なお、『後漢書』の成立は5世紀前半の南北朝時代で、文中の建武中元二年(57年)よりも400年程度後です。

疑問

弥生とは何ぞや
過去幾度となく「金印偽物説」が浮上しては消え、消えては浮上し、また浮上しているようです。

王朝交代の際に返却すべき金印が返却されず、なぜ、変な場所に埋められていたのかも謎です。

ところで、卑弥呼の時代の九州や近畿の人々ってどんな顔つきだったのでしょう。

福岡等九州北部の弥生時代の遺跡からは、顔が長くて平らで巨大な前歯を持った出っ歯気味の人骨、顔が細長くて平らではあるものの歯が小さく歯並びの良い人骨、幅広の丸顔で縄文混血風の顔等々、多種多様な顔面形態の人骨が出土しています。
チビで丸顔の縄文系住民が弥生の村々を闊歩して、存在感を発揮していた様子が想像できます。

最近聞いた話

再度印鑑を
おぼろげな記憶ですが、中国が、日本に、また印を送ろうとして、官邸だか外交官が、必死で受け取り拒否したというような話ありませんでしたっけ?
まあひと昔前の政権時代なら、喜んで受領したのかもしれませんねぇ。

-

No title
卑弥呼に下されたという金印についても、ぜひねず流で解釈をお願いします!謎を解いてください。

-

No title
私はそのままの読みでイヌ国があったと思う。中国は音を大切にする国だからね。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

講演のご依頼について

最低3週間程度の余裕をもって、以下のアドレスからメールでお申し込みください。
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E-mail info@musubi-ac.com
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