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明日、昭和16(1941)年12月8日は、大東亜戦争の開戦の日です。
この日の未明には、ハワイオアフ島の真珠湾にあった米海軍太平洋艦隊基地攻撃、およびマレー半島への上陸作戦が開始されています。
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第48回 倭塾公開講座※2月の倭塾・百人一首塾の開催日が変更になっています。 *****
冒頭に「大東亜戦争」と書かせていただきました。
昨今では、メディアはこの戦争を「太平洋戦争(The Pacific War)」と呼びます。
これは、GHQによる印象操作によるもので、なるほど米国にしてみれば、この戦争はまさに「The Pacific War」です。
けれど昭和14年に始まった第二次世界大戦で、日本は昭和16年の12月になってやっと開戦に踏み切るのですけれど、その対日戦争には、英国やオランダ、フランスなども参戦していますし、彼らにとっての戦域は、東南アジア地域であって、太平洋ではありません。
また、ユーロ圏において「太平洋戦争(Guerra del Pacífico、スペイン語)」といえば、明治12(1879)年から明治17(1884)年にかけて行われた、南米のボリビアとペルーが、チリとの間で行った戦争のことを指します。
つまり、この戦争は米国にとっては「太平洋戦争」ですけれど、他の西洋諸国や、当事者である日本にとっては、「太平洋戦争」とばかりはいえない戦争にほかなりません。
ですから、英国はこの戦争を「対日戦争(War with Japan)」と呼んでいるし、英国の歴史学者クリストファー・ソーンは、この戦争の戦域に東アジア、東南アジアだけでなく、西太平洋、オーストラリア、インドなども含まれることから「極東戦争」と呼ぶべきと提唱しています。
また、蒋介石の中華民国や、毛沢東の中華人民共和国は、この戦争を「中日戦争」と呼び、開戦始期も日華事変が始まった昭和12年としています。
つまりこの戦争は、全然、「太平洋戦争」ではないのです。
なぜ戦争の名前にこだわるかというと、それには理由があります。
戦争は国家と国家の、血みどろの戦いです。
当然、戦病傷死者が出ます。
そして国家のために犠牲になったそれら戦病傷死者に対して、国は保障を行わなければなりません。
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ですから帝国政府は、開戦4日後の昭和16年12月12日には閣議決定によって、12月8日に開戦となった本件戦争について、これを「大東亜戦争」とすること、および、昭和12年に始まる日華事変を、その呼称に含めることを決定しています。
つまりこれによって、昭和12年の日華事変勃発以降の戦病傷死者は、すべて戦時保障の対象となったわけです。
また、我々日本人にとっての戦争は、日華事変を含めて大東亜戦争と呼ばれることになりました。
ところがそうなると、昭和20年に日本を占領した米国GHQにとっては、昭和12年以降の戦病傷死者について、日本の新たな占領統治者として、全部、丸抱えで面倒をみなければならなくなります。
そこで、帝国政府が保障すべきは「大東亜戦争の戦病傷死者」であって、我々GHQは太平洋戦争(The Pacific War)における占領者なのだから、帝国政府の負担すべき戦病傷死者についてGHQは責任を負わないこととしたのです。
まるで詭弁(きべん)そのものですが、実際、先の大戦における戦病傷死者は、昭和27年に日本が主権を回復するまで、何の保障も得ることができませんでした。
ですから昭和20年から昭和27年まで、まだ戦死者は良かったのです。
死んでしまっているから、生活の心配がない。
気の毒だったのが、戦病傷者でした。
戦争で、両腕を飛ばされた、足がなくなった、全盲になった、聴力を失ったといった戦傷者も、医療機関に収容されている間は、赤十字の力でなんとか衣食住を得ることができましたが、病院から出されたら、もうその日から住むところもなく、職を得て、食べていくことさえ困難になってしまったのです。
昔はまだ農村部は大家族でしたから、農家出身の元の兵隊さんは、まだましだったのですが、都会に住んでいた元職人さんや、工員さんたちで、兵役にとられ、大きな傷を負った人たちは、退院したその日から、住むところも、食べていくための職も失ってしまったのです。
そしてその状態は、GHQが撤退し、日本が主権を回復する昭和27年4月まで、まる6年8ヶ月も続きました。
ですから、ときの日本政府が主権回復後に最初に取り組んだのが、こうした戦病傷者への恩給の支給の開始であったのです。
私の世代や、私の先輩の世代の人たちは、昔、駅前などで戦傷者がハーモニカなどを吹きながら、ものもらいの乞食をしている姿を見た記憶のある方も多いかと思います。
昭和27年4月の主権回復の日まで、彼らはそうする以外に、お金を得て食べていくことができなかったのです。
逆に、同日以降は、ちゃんと恩給が支給になりましたから、その日以降にまだ乞食をしていたのは、健常者がインチキ戦傷者をしている姿でした。
恩給の支給がなかった6年8ヶ月、戦傷による障害者は、まるで地獄のような日々となったのです。
GHQが悪いことばかりしたとは言いません。
GHQのおかげで、多くの日本人の食料が確保され、飢餓から救われたおかげで、いまの私たちの生命があります。
しかし、こと戦傷者、戦病者に関していえば、GHQの対応は必ずしも人道的とはいえないところがあったのは事実ですし、そのGHQのWGIPという日本人洗脳工作が、いまだに日本の尾を引っ張っていること、初期の段階でGHQが在日Koreanを、日本人支配のための道具として、彼らを特権階級化したことなどは、褒めた話ではありません。
いまだにGHQを礼賛し、占領統治家の日本の国旗が三色旗だったことから、日の丸反対、三色旗賛成を唱えている馬鹿者がいることもまた事実です。
日本人の精神の支柱は、いまもなお神話にあります。
イザナキは、イザナミが「お前の国の住民を一日千人縊(くび)り殺す」と言ったのに対し、
「お前がそういうのなら、私は一日1500の産屋を建てよう」
と述べました。
どんなにつらくても、悲しくても、日本男児は建設を絶やさない。
明日を信じて、前向きに生き続ける。
それが日本人の生き方なのだろうと思います。
そして、霊体ならなんでも思い通りに出来てしまう。
だから霊体が神になる訓練のために、肉体という重荷を背負ってこの世に生まれてくる。
だから障害を持つ人は、神になる一歩手前の、ものすごく格の高い御霊を持っている、と考えてきたのが日本人です。
ですから日本では、昔から障害者をとても大切にしてきました。
それは、障害者をただ保護して甘やかすというのではなく、障害者に厳しい訓練を与えて、自活できるようにする。
全盲なら、あんま、鍼灸医、三味線弾きなど、足がなければ手を使った銀細工師、手がなければ足で絵を描く絵師など、健常者以上の実力を幼いころから厳しく訓練し、自活できるように育ててきたのが日本の社会です。
ただ、そうはいっても、祖国を護るために勇敢に戦い、生還はしたけれど障害を負った人は、技術があるわけではありません。
何らかの保護がなければ自立の道も難しい。
ところが、保護がなかったその6年8ヶ月の間に、彼らは手に職を付け、立派に自活できるようになっていくのです。
しかも、それだけではなく、片足がない、腕がないなどの障害を乗り越えるために、障害を持つ仲間同士で訓練を続け、GHQがスポーツ振興をすると、彼らもまたスポーツにまで取り組んでいます。
そして昭和39年、東京オリンピックが開催されると、実はこの東京オリンピックが、アジアで行われたパラリンピックの最初になります。
このときの競技大会は二部構成で、第一部が国際大会、第二部が日本人選手だけの国内大会として開催されました。
なぜ、日本人選手だけが、別扱いの二部の大会になったと思われますか?
GHQによって、補助金さえも打ち切られていた元日本兵の障害者の日本人選手が、世界中の選手たちと比べて、あまりにも圧倒的に強かったからです。
試合にさえならないのです。日本人があまりにも強くて。
だから大会は二部構成になりました。
けれど、そこまで強くなった背景に、日本人選手たちのどれだけの苦労があったことか。
戦後のわたしたちは、ながく豊かで平和な生活を維持することができました。
世界の先進諸国のなかで、戦後72年間、まったく戦争を経験しないで来れた国は、先進国のなかで日本だけです。
それがなぜ可能だったのかといえば、その理由は、昭和16(1941)年9月6日の御前会議の際の永野修身海軍軍令部総長の言葉にあります。
「政府側陳述によれば、
アメリカの主張に屈服すれば
亡国必至であるとのことであったが、
戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは
身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としては
もとより先刻申したとおり、
あくまで外交交渉によって
目的貫遂を望むものであるが、
もし不幸にして開戦と決し
大命が発せられるようなことになるならば、
勇躍戦いに赴き
最後の一兵まで戦う覚悟である。」
私たちの先輩は、最後の一兵まで戦ってくれました。
戦争だけではありません。
戦後もまた、祖国の復活と繁栄のために、「祖国護持の精神」を発揮して戦ってくださったのです。
そのおかげで、現在の日本の繁栄があります。
私は、学校で教えるべきは、こういことなのではないかと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
Kaminari
NHKも公共放送ならば、日本の誇りをもっと高らかに謳いあげるべきです。
いまの捏造放送は、私たち受信料を払っている国民に耐えられるものではありません。
なお、今回のNHK勝訴という報道は捏造だと言われる方もおられます。
判決文を読んだわけではありませんので、断定はできませんが、
おそらく、常日頃の行いから、さもありなんと思います。
自分にとって都合の良い放送に騙されてはいけないと思います。
2017/12/07 URL 編集
にっぽんじん
この裁判はNHKの偏向報道に対する怒りの裁判であり、単に受信料を払いたくないからではない。
国民の怒りは偏向報道に対する怒りです。
放送法によって受信料の支払い義務があるというなら、放送法を遵守して偏向報道を止めるべきではないでしょうか。
2017/12/07 URL 編集