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学問は、常に過去に学びながらも、同時に過去に対して自由であらねばならないと思います。
それが、古くからの日本の学問に対する態度ではないかと思うのです。
いたずらに自説や、過去の誰かの説に固執するのではなく、刑事事件ではないですけれど、常に現場百回、原点に還って真実を見極めようとする。
それは、もしかしたら一生かかっても追いつかないことかもしれないけれど、行う値打ちのあることだと思います。
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ねずブロでも、古事記の解説を何度もさせていただいているし、本も出させていただいているのですが、その際に、「間違えてはいけない」と強く言い聞かせたことがあります。
それは、
「古事記の原文を一字一句、逸脱してはならない」
「自説に固執しない」の2点です。
古事記は、古来「神の書」とされてきた文です。
従って、原文にある文字を、勝手に改ざんしたり、読み替えたりすることは、厳に慎むべきことです。
また「これだ!」と思う解釈に行き当たったとしても、それは所詮は人の浅知恵でしかありません。
自分は神ではないのだから、どこまでも謙虚に、教えを乞うという姿勢を崩してはならないし、もっと深い意味がその奥底に隠されているかもしれない。
古事記は、万年にわたる日本古来の知恵をまとめた書なのだから、二度三度どころか七度八度生まれ変わってなおも繰り返し研究して、はじめて、その本当の姿を知ることができるくらいの深さをもった書であるのだと思います。
したがって、なるほどと思うことがあっても、そこで立ち止まってはいけないものだと思います。
逆にいえば、読み手が未熟なうちに、未熟な解釈で間違いを犯すくらいなら、神話を子供向けの童話や寓話として理解するほうが、まだマシだということです。
なぜならその解釈は、あくまで子供向けであって、古事記の神髄を学ぶものではないからです。
逆に古事記の神髄を学ぼうとするなら、ご神意を歪めないように、細心の注意が必要だし、「そうか、これだ!」と思う解釈に行き当たっても、それはただの人間の浅知恵でしかないという自省を、常に保ち続けなければならないのだと思います。
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古事記の原文にあたって、まず驚いたのは「以音(こえをもちゐる)」と、文章のそこここに注釈が振られていることでした。
古事記は全文漢字で書かれていますが、この◯字は、漢字はただの当て字であって、それは大和言葉で読むのだと、注釈がしてある。
つまり古事記は、大和言葉と漢字の意味が一致するものは漢字で、一致する意味を持つ漢字がないときは、漢字の音(よみ)だけを用いて大和言葉でそこを記述したということです。
また、原文を読んで驚いたのが、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)です。
なんと古事記は、「兎(うさぎ)」ではなく、「菟」という文字を使っています。
しかもこれは「以音」ではない。
ウサギは、耳の長い動物だから、上に「ノ」がつく「兎」という漢字です。
ところが古事記が用いている文字は「菟」です。
クサカンムリです。
クサカンムリであるということは、「菟」は、植物であるということです。
そこで調べてみたら、「菟」は、音読みの漢音が「ト」、呉音が「ツ」であって、これは蔓(つる)性の寄生植物のネナシカズラのことです。(冒頭の写真)
もちろん、子供向け日本神話として、大国主(おほくにぬし)がウサギを助けた。
あるいは、ウサギは、ワニを騙したから皮をむかれた。
だから人を騙すことはいけないことなのですよ、という寓話としてこれを語ることは良いことであると思います。
しかしそれは、あくまで子供向けの日本神話物語です。
古事記が「菟」という漢字を使っている以上、それでは古事記の解釈にならない。
また、近年の子供向け日本神話では、ウサギが騙した相手は、ワニではなくて、サメだということになっています。
理由は、「日本にワニは生息しない」からだというのですが、昭和36年に大阪の待兼山で、30万年前のワニの化石が出土してしまいました。
なんと日本にワニはいたのです。
ワニが居た理由は、その頃の日本が熱帯だったからなのですが、同様にいまから6千年ほど前にも、およそ千年の間、日本列島の西日本一帯が熱帯だったことが、長期気温変化調査でわかっています。
ワニは熱帯性の生き物ですが、千年の間、日本列島が熱帯であったなら、その頃の出雲にワニがいても、何の不思議もないのです。
古事記を解読するなら、どこまでも原文に忠実でなければなりません。
そうであれば、古事記を解釈するに際して、「菟」を勝手に「ウサギ」と読み替えたり、「ワニ」を勝手に「サメ」と読み替えたりすることは、これは「してはならないこと」です。
(※)繰り返しになりますが、あくまで子供向け日本神話として、また子供たちの情操教育の一環として、ウサギと読み替えたり、サメと読み替えたりすることは、それはそれで正しいことであると思います。
しかし、古事記を解読するということであるならば、そういうことではいけないということです。
また、神々のお名前も同じです。
我々は死んだら仏様として、戒名をもらいますが、昔の人は、生まれたときから、戒名が付けられました。
そういうと、なんだかおかしな表現になってしまうのですが、たとえば「源義経(みなもとのよしつね)」という名前は、諱(いみな)であって、本人の生存中に、本人は決してその名は名乗らないし、周囲の者も、その名を口にしてはいけないことになっていました。
ですから、通称はあくまでも「源九郎(みなもとのくろう)」ですし、幼名なら牛若丸です。
なぜそうなるかというと、義経という名は、義経の肉体の名ではなく、義経の本体である御霊に付けられた名前です。
いわばご神体の名であって、そのご神体が、九郎という名の肉体に宿っているわけです。
ですから平素の行動は、それは肉体が行う行動ですから、名を名乗るに際しても、九郎と名乗れば良いのであって、何も霊体としての名を明かす必要はない。
加えて、身分の高い者は、身分の低い者に対して名を名乗らないということも、ルールでした。
我が国は「皇臣民」で成り立ちます。
「皇」は天皇、「臣」はいわば公務員、「民」は、普通の民です。
その公務員である「臣」が、民の前で名を名乗るということは、その民が抱える問題や悩みの一切について責任を持つという意味になりました。
なぜなら「臣」という存在は、そのために「民」の中から選ばれて権力を持つ存在だからです。
権力は責任と一体です。
従って、名乗った者が責任を果たせなかったら、当然、その責任を負わなければならない。
それが人の命に関わる問題であれば、腹を斬ってお詫びしなければならない。
名を名乗るということは、まさに命がけの行動なのです。
九郎と名乗ることだけでも、それだけの責任を負うのです。
まして御霊の名である義経を名乗れば、それこそ未来永劫責任を負い続けなければならない。
ですから、義経という名は、簡単に名乗れるようなものではないとご理解いただけるものと思います。
その義経という名前は、「義」が我を羊の生贄として神に捧げるという意味、「経」が機織りのたて糸で、ものごとに筋道を通すという意味です。
つまり「物事の筋を通すために身命を顧みず我が身を捧げ尽くす」という意味が、義経という名前の意味となります。
まさに義経は、その名にふさわしい人生を生きたわけです。
まして神々のお名前ともなれば、それは御神霊としてのお名前です。
そのお名前に意味がないはずがありません。
そうであれば、たとえば「天之御中主神」を「アメノミナカヌシノカミ」とカタカナで書いてしまっては、そのお名前の意味がまったくわからなくなってしまいます。
一方、字を見れば、天空のど真ん中にあってすべての中心となる創生の神であるということが、一目瞭然です。
従って古事記を正しく読むなら、神々のお名前も、一字ごとにおろそかにせずに、しっかりとその意味を読み解いていく必要があります。
そういうことが、古典を学ぶということなのです。
まして古事記は「神の書」なのです。
ところが残念なことに、古事記を読むに際して、過去に学者の誰かが「菟」を「ウサギ」と読んだから、そこから一歩も出てはならない、といった考え方が普及しています。
しかしそれは、過去の誰かが読み解いた論を信奉しているだけであって、なるほど先輩学者の論には忠実かもしれませんが、必ずしも古事記に忠実であるとは言い難い。
そういう意味では、学問は、常に過去に学びながらも、同時に過去に対して自由であらねばならないと思います。
それが、古くからの日本の学問に対する態度ではないかと思うのです。
いたずらに自説や、過去の誰かの説に固執するのではなく、刑事事件ではないですけれど、常に現場百回、原点に還って真実を見極めようとする。
それは、もしかしたら一生かかっても追いつかないことかもしれないけれど、行う値打ちのあることだと思います。
過去の自説や、誰かの説だけを受け入れるということは、ある意味、楽なことです。
しかしそこで凝り固まってしまっては、いけないと思うのです。
自分なりに咀嚼する。
学んだことを出発点にして、そこから自分なりに考えてみる。
なぜなら、何のために学ぶのかといえば、それは自分のためであり、世のため人のために役立てようとするからです。
会社に入社したばかりの新人は、いまでははじめに研修で、仕事の内容ややり方、進め方を教わります。
昔は、そんな研修などなく、ひたすら先輩の仕事の仕方を模倣して、一人前の仕事ができるように努力しました。
しかし、そのいずれであっても、それはいわば導入段階であり、学校の勉強でいえば、基礎にあたるものです。
誰もが、その基礎レベルをまずはマスターする。
競争も、実力も、その基礎をマスターしたうえで、そこからが出発点です。
基礎を学んだだけで、仕事で成果をあげたと思うのは勘違いです。
基礎を得た上で、成果をあげてこそ、一人前だからです。
学問も同じだと思います。
自説も誰かに学んだ説も、それはいわば基礎です。
それを世のため人のために、どう役立てるか。
大人の学問というのは、そういうものだと思います。
古事記でいえば、ウサギやオロチなどの通説を学ぶことは、いわば基礎にあたります。
まずは、そういうやさしいところから、全体の構図を学ぶ。
けれど、それはあくまでも基礎段階なのだと思います。
なぜなら、全体の構図を得たら、今度はそこから原書に戻って深掘りしてみる。
そして深掘りしたものを、自分にできる範囲で、世のため人のために役立てる。
ところが現実の学問の世界では、基礎だけでわかったような気になってしまい、そこから一歩も出ないということがよくあります。
もったいないことだと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
くすのきのこ
わたしと小鳥と鈴と 金子みすゞ
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように 地面を速くは走れない
わたしが体を揺すっても きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は わたしのようにたくさんな唄は知らないよ
鈴と 小鳥と それから私 みんな違ってみんないい
・・・同じものを見ても人は皆が同じようには見えていない。また同じ個人
であっても若い時と年を経た時では同じようには見えなくなったりする。時
間は必ず進み続け、同じ場所に固執して動きたくなくても実は同じ場所には
いられずぐるぐる回り続けていたりする。こういう流転は地球の姿でもある。
みんな違っているから面白い・・全く同じ人は存在しないからいいですねw
漢文には遊びがありまして・・どこで区切るかにより意味合いがずれてくる
のは役人が生き延びるために捻ったのでしょうが、それ以外にも戯書があり
万葉集にも引用されていたりするとw引用だけで終わってないようでw
有名なのが笠金村1787長歌
・・(省略)毎見恋者雖益 色二 山上復有山者 一可知美 (省略)・・
・・見るごとに恋はまされど 色に 出でば 人知りぬべみ・・
山の上にまた山有り~出・・だそうで、南斉の王融・藁砧の詩から引用し
たものだと。・・けれども笠金村さんは、色に・・と付けてるわけでしてw
色恋には山また山があるものさ~みな知ってるよね~(ため息?)と重ねて
ますよねwやはり日本流に遊んでいるようですw笠金村さんは吉備氏の流れ
のようですが、この歌を詠んだのは石上(いそのかみ)神宮のある奈良の
布留のようで~和邇(わに)氏の流れの布留氏が石上神宮の社家でした。現
在の奈良県天理市布留町。和邇氏とは海人族の一つであったかも~説もあり、
息長氏と共に皇室を影で支えたという・・記紀の編集には彦坐王の影が~と
いう説もw笠金村さんは大王の命で布留に派遣されたようですが、何の御用
だったのかな?和邇氏の流れには柿本氏、小野氏、山上氏、栗田氏もあり、
万葉集とも関わりがw
2017/12/16 URL 編集
なーめ
2017/12/14 URL 編集