人としての誇りを育む教育



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近隣諸国条項など、無用の長物です。
日本は、日本の正史を、あらためてきちんと検証し、学び直すべきです。


20171213 法隆寺五重塔
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 *****

一般に、時代区分には、「先史時代、古代、中世、近世、近代、現代」という区分が用いられます。
そのなかで「古代」というのは、青銅器や多少の鉄器が用いられた伝説の時代で、碑文などによって、多少の文字が残されている程度の時代のことをいいます。
ですから、古代ローマ帝国は「古代」です。
もうすこし細かくいうと、紀元前8世紀のギリシアの都市国家の発生の時代から5世紀の西ローマ帝国崩壊までが「古代」です。

その前の時代は「先史時代」で、土器や石器が用いられていた神話の時代であり、考古学的な遺跡や遺物でしかわからない時代と定義されます。
「古代」から「中世」に至ると、中央集権国家が形成され、王朝文化が栄え、文献資料も多数残されるわけです。
そのあとの「近世」が、いわゆる封建時代。
「近代」は、産業革命によって市民層が力を得だした時代、第二次世界大戦後の世界が「現代」です。

ところがいまの文科省の指導要領では、平安時代が「古代」は「古代」であり、奈良時代、飛鳥時代といった我が国が十七条憲法を制定したり、冠位十二階を定められた時代は「古代」にもあたらないというのです。
これはどう考えても、おかしなことです。
文科省の担当官が勝手に決めているわけではなくて、学者たちも交えて決めているわけですから、文科省のみならず学者たちまで、「頭がおかしい」としかいいようがありません。






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古事記3の一部


なぜこのようなことになるかというと、近隣諸国条項に従って、近隣諸国、具体的にはChina、南Koreaに配慮した結果なのだそうです。
しかしそんなことをしたら、Chinaはいまなお中央集権の王朝政治であって、分類上は誰がどうみても「古代」のままです。
Koreaも、財閥を封建領主にみたてれば、社会の体質は封建社会です。
それらに配慮するなら、日本は戦後の「現代」にさえ至っていないことになります。

歴史というのは、政治的配慮ではなく、史実を記述するストーリーのことをいいます。
史実を記述するには、様々なストーリーが考えられますが、その中で最も合理的に説明できるものが歴史です。
そして時代区分でいうところの「古代」の定義が、「中央集権国家が形成され、王朝文化が栄え、文献資料も多数残されている時代」というなら、十七条憲法が制定された飛鳥時代から、武家が台頭する平安時代の終わりまでが、どうみても日本の「古代」です。

いまの日本では、鎌倉時代からが「古代」だというのですが、それで納得できる人など、いないのではないかと思います。
ところが悲しいかな、学問の府が、いまでは学問よりも学会内政治が優先しているのだそうです。
事実よりも、学会の上の教授の意向が大事なのであって、学問そのものは二の次です。
これでは大学の名に値しないし、そのような曲学阿世の学者もどきが珍重されるようでは、日本国の良識が疑われます。

ちなみによく言われることに「記紀は歴史のうちにはいらない」というものがあります。
なるほど国家の史書の形式をとって書かれているけれど、記紀に記載されている内容は荒唐無稽で信頼性に乏しいから、むしろ外国の文献によって日本の歴史を考察することが、正しい歴史の見方なのだそうです。

しかし記紀に書かれた歴代天皇の時代のほとんどは、考古学的検証によっても実在があきらかにされています。
にもかかわらず記紀が信頼性に乏しいと言われるのは、ひとつには記紀が、頭が八つある蛇だとか、ウサギと話したとかの、荒唐無稽な子供向け神話としてしか理解されていないこと、もうひとつがたとえば山佐知毘古が580歳統治したとか、ありえないような話が書かれているとされていることが理由です。

ところが、ありえない話にしてしまっているのは、記紀の読み方が、子供向けの理解しか及んでいないためで、記紀をちゃんと大人として読めば、ヤマタノオロチは実は水害に弱い盆地に堤防をこしらえた話だし、ウサギは「菟」であって行商人であり、商業流通中心の世を、モノ作り国家に改造した話だし、580歳の「歳」というのは、いまでいう一ヶ月のことでしかないということが、ちゃんとわかるわけです。

しかもそもそも古事記の前文には、「この書は国家の典教とするために書いた」とちゃんと書かれています。
ということは、そこに描かれた物語を、荒唐無稽な作り話と考えるほうが、勉強不足なのです。

さらに日本書紀に至っては、対外的に漢字をつかって「日本は勇敢で恐ろしい国だ」と思わせる一方で、同じ文を大和言葉で読み下せば、民が和すことで、みんなが豊かに安心して安全に暮らすことのできる社会を築こうとしたという日本の統治の根幹が書かれています。
要するにちゃんと読もうとしないで、ただの思いこみで「記紀は使えない」などと言うのは、およそ学者らしくない暴論でしかない。

そのような暴論に日本がいいようにやられてしまうのは、日本人が日本を見失ってしまっているからだといえます。
まさにアイデンティティが失われてしまっているのです。
アイデンティティというのは、自己同化性(自分を何か偉大なものと同化させることで、それを自己の根本にすること)とされますが、もっというなら、それは「人としての尊厳を確立するもの」のことをいいます。

「人としての尊厳を失ったら人ではない。」
このことはとても大事なことです。
人ではないから、「ひとでなし」といいます。
あるいは古い言葉なら「人非人」。
「人モドキ」と言っても良い。
要するに、人の皮をかぶったケダモノになってしまうのです。
昨今頻発する女性を襲う強姦魔や、金の亡者となって巷を徘徊するオレオレ詐欺師、連続殺人犯など、まさにケダモノとしかいいようのないものです。

室町時代に書かれた「二条河原の落書(にじょうがわらのらくしょ)」には、
「此頃都ニハヤル物
 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨
 召人 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
 生頸 還俗 自由(まま)出家
 俄大名 迷者
 安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)
 本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
 追従(ついしょう) 讒人(ざんにん)
 禅律僧 下克上スル成出者(なりづもの)」
などと書かれています。
まるでいまの日本です。

日本を取り戻すためには、日本人自身が、堂々と日本を語れるようにならなくてはいけないのだと思います。

外国人とコミュニケーションをとるために、英語が話せるようになることが必要だと言われた時代がありました。
たしかに占領統治下の日本において、たとえば国務省には、英語が話せる人が少なかった。
一方、外務省は英語の達人が多かった。
そのため、戦前の国務省は廃止され、占領統治家の日本に外務省など必要ないのに、外務省は生き残りました。
英語を母国語にしている人たちに統治されたのです。
それは当時としては仕方がなかったことだと思います。

ところが昨今では、翻訳ソフトが非常に進歩し、簡単な日常会話くらいなら、日本語で話せば、スマホが代って英語やその他の国の言葉でしゃべってくれます。
まだまだ精度が低いと笑ってはいけません。
10年後には、学術論文から、専門分野に至るまで、相当正確に翻訳してくれるようになるのだそうです。
人類は、言語の違いを、これからの時代、ITで乗り越える、そういう時代が迫ってきているのです。
そしてそのとき(もちろんいまもですが)、大切なことは、日本人が日本を、堂々としっかり語れることです。

ChineseやKoreanがダメだと言っているだけでは、逆にダメなのです。
彼らがびっくりしてかしこまるほど、我々日本人が、日本をしっかりと語れることが常識化していくようにしていかなければならない。
教育はそのためにあるのです。

人としての誇りを育むのが教育です。
誇りを奪うなら、それは教育の名に値しないのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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20160810 目からウロコの日本の歴史


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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。教科書問題はも~っと取り上げていくべきですよw何より学者
による言論統制に気づきますし、統制に逆らうのに有効な武器でもあります。
ただ国名だけがあり実のない地域には・・魅力がない。だから若人たちは外
に目が向くのですねwところが・・諸外国に行って自己満足の追求で終始し
てしまい・・自覚は無くとも人間は集団力だけを武器として生存している動
物ですから集合体がそれなりに機能的な態を成していないと不安なのです・・
自分”だけ”では安心できない・・そういう内心の葛藤が言葉は無くとも次世
代に受け継がれ・・薄れて溶け込むのに5世代は必要かと。例えばアフリカ
系アメリカ人達は未だにレイシズムに過敏反応。公民権を得たのがケネディ・ジョンソン路線で1964年・・まだ53年前・・ケネディ氏はアイルランド系
移民。アイルランド系はかつてイギリスに白人ど・れいとしてアメリカ大陸
やカリブ地域にうられた歴史が・・その修正は南北戦争で始まったが、英内
閣トップのパーマストン(アイルランド貴族)は元々奴隷貿易廃止の努力を
しており、南部との綿利益をこらえて英の中立路線を保持。アイルランド系
の解放に続きアフリカ系の運動の波が。人は前世代の屍の上を前に前にと進
み、やがて自らも踏みしめられる屍となる。御先祖の歩いて来た道を教えら
れなくても感じ取る。そうして世代から世代へと営々と受け継がれるものが
ある・・それは言葉にされようがされまいが事実の積み重ねでしょう。この
場合、言葉による歴史捏造は、反動へのスターターにはなるかもしれないが
やがてブーメラン効果が・・。どの時代にもどんな集合体にも清濁はありま
す。日本という国を集合生命体として捉えると、本音と建て前をうまく使い
分けながらも、日本人の心に響く美・形式美というものを追求してきた面が
あるのでは?wそれは、幸・不幸という感覚を凌駕する追求かもw
この集合生命体には人間の身体のように手足となる人々、目や耳などの感覚
器になる人々、脳や内臓になる人々・・などなどがおり、仲良くやったり諍っ
たり迷ったりしながら、集合体の生存を懸けて前に進む。新しく出会ったも
のを吸収し日本的魔改造をしながらw・・やはり応援したいですねw


-

No title
小名木先生、文科省では教育指導要領を出していますが、「要綱」はありません。また指導要領の社会科では、古墳時代を先史時代とはしていません。せっかくの御説に瑕疵が生じるのは残念ですので、訂正されてはいかがでしょうか。

疑問

中・朝の「古代」は紀元前かららしい・・・
中国や朝鮮の「古代」は紀元前から始まるようですが、日本は、グンと遅れて飛鳥時代からという主張がなされています。

日本の場合「統一王朝の始まり」をもって「古代」が始まるという事らしいですが、あの立派な前方後円墳や倭の五王の活躍が「古代以前」になってしまうのは違和感がありますね。

heguri

No title
おはようございます。今日も拝読させていただきました。
仰る通りだと思います。近年の教育界の頽廃振りは目をそらしたくなります。僕が小・中学生の頃、運動会では軍艦マーチが流れてましたし、先生たちも周囲の大人たちも厳しさがありました。勿論左寄りの宣誓もいましたが、君が代斉唱で起立しない先生などいませんでした。それはそれだったんだろうと思います。まだ日本人でない教師は存在していなかったと思います。巷のパチンコ店でも軒並み軍艦マーチが流れてましたし。大正生まれの先生もまだご顕在で、殆どの先生が戦前、戦中生まれだったと思います。だから、おかしな事は殆どありませんでした。中学の歴史は既に日本史、世界史でしたが、日本史の先生はとてもユニークな先生で、ご実家が代々平城宮跡の管理をされていて、平城宮跡の北の端にお宅がありました。年表教育ではありましたが、黒板に書かない話がとても面白かったのを覚えています。 当時は「赤旗」も「エログロ・ナンセンスを排除!」とか一面に書いてましたし、今と比べると相当まともだったと思います。
戦後教育を受けた若い先生たちの左傾化が顕著になり、数も急増しました。古い体質の教師が排斥され、ほぼ日教組系が支配的になってから極端に変わったと思います。特に感じたのは「差別問題」でした。当時、大半の中高生は差別など意識していませんでした。それをわざわざ意識させる教育をしたわけです。そこから日本は戦争も含めて悪いことをした、悪いことをすると教えていったんですね。そこで止められていたらとつくづく思います。
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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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