日本書紀に書かれた創生の神々(4) <日本書紀1-4>から、国生み(1) <日本書紀1-5>



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20180102 沼島
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<この記事は、
 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3586.html
 の続きです>

前回のところで、日本書紀が描く創生の神々の文は、大和言葉で読み解くと
 平地の泥土に苗を丁寧に並べて植え、
 泥土の州に苗を植え、
 草葺屋根の大きな屋敷の戸(門)に至る道の先には
 大きな門(戸)のある屋敷で麻製品を作っている男女がいて
 そこでは人々が豊かに暮らし
 誰もが大地に根ざた生活をして
 みんなの顔は笑顔に輝き
 堅い樫の木でできた我が家は大地に根ざして美しく耀き
 堅い樫の木でできた青い我が家は大地に根ざし
 そこで神々の意を受けた堂々とした男性神である伊弉諾尊(いさなきのみこと)と、
 神々の意を受けたしなやかな女性神である伊弉冉尊(いさなみのみこと)がお生まれになりました。
と読み解けるというお話をしました。

今回はその続きで、男女八柱のお名前の記述のあとにある注釈にあたる、
日本書紀に書かれた創生の神々(4) <日本書紀1-4>と、
いよいよ
「伊弉諾と伊弉冊(1) <日本書紀1-5>」です。





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古事記3の一部


<原文>
一書曰、此二神、青橿城根尊之子也。
一書曰、国常立尊生天鏡尊、天鏡尊生天萬尊。天萬尊、生沫蕩尊。沫蕩尊、生伊弉諾尊。沫蕩、此云阿和那伎。
凡八神矣、乾坤之道相参而化、所以、成此男女。自国常立尊迄伊弉諾尊・伊弉冉尊、是謂神世七代者矣。
一書曰、男女偶生之神、先有埿土煑尊・沙土煑尊。次有角樴尊・活樴尊。次有面足尊・惶根尊。次有伊弉諾尊・伊弉冉尊。樴、橛也。


<読み下し文>
一書に曰(いわ)く、この二柱の神は、青橿城根尊(あをかしきねのみこと)の子(みこ)なり。
一書に曰(いわ)く、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、天鏡尊(あまのかがみのみこと)を生む。天鏡尊(あまのかがみのみこと)、天萬尊(あまよろすのみこと)を生む。天萬尊(あまよろすのみこと)、沫蕩尊(あわなきのみこと)を生む。沫蕩尊(あわなきのみこと)、伊弉諾尊(いさなきのみこと)を生む。沫蕩(あわなき)これをば阿和那伎(あわなき)と云ふ。
凡八神矣、乾坤之道相参而化、所以、成此男女。自国常立尊迄伊弉諾尊・伊弉冉尊、是謂神世七代者矣。
一書に曰(いわ)く、男女(をとこをみな)偶(たぐ)い生(な)る神、先(ま)づ埿土煑尊(うひちにのみこと)、沙土煑尊(すひちにのみこと)有(ま)す。次に角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)有(ま)す。次に面足尊(おもたるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)有(ま)す。次に伊弉諾尊(いさなきのみこと)、伊弉冉尊(いさなみのみこと)有(ま)す。「樴」は橛(くひ)也(な)り。


<現代語訳>
ある書には、伊弉諾尊(いさなきのみこと)、伊弉冉尊(いさなみのみこと)の二柱の神は、青橿城根尊(あをかしきねのみこと)の子(みこ)と書かれています。
またある書には、
 国常立尊(くにのとこたちのみこと)が天鏡尊(あまのかがみのみこと)を生み、
 その天鏡尊(あまのかがみのみこと)が天萬尊(あまよろすのみこと)を生み、
 その天萬尊(あまよろすのみこと)が沫蕩尊(あわなきのみこと)を生み、
 その沫蕩尊(あわなきのみこと)が伊弉諾尊(いさなきのみこと)を生んだと書かれています。
 「沫蕩(あわなき)」と書いて、これを「あわなき(阿和那伎)と読みます。
またある書には、男女のたぐいまれなるこれらの神は、
まず、埿土煑尊(うひちにのみこと)
   沙土煑尊(すひちにのみこと)が有り、
次に角樴尊(つのくひのみこと)
  活樴尊(いくくひのみこと)が有り、
次に面足尊(おもたるのみこと)
  惶根尊(かしこねのみこと)が有り、
次に伊弉諾尊(いさなきのみこと)
  伊弉冉尊(いさなみのみこと)が有りました。
「樴」という字は橛(くひ)のことです。


<解説>
▼神々の系譜の別説


前段の八神を受けての注釈です。
八神というのは、最初の三神である国常立尊(くにのことたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)に続く、以下の神々です。

 埿土煑尊(うひぢにのみこと)・沙土煑尊(すひぢにのみこと)
 大戸之道尊(おほとのぢのみこと)・大苫辺尊(おほとまへのみこと)
 面足尊(おもたるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
 伊弉諾尊(いさなきのみこと)、伊弉冉尊(いさなみのみこと)

その伊弉諾尊(いさなきのみこと)、伊弉冉尊(いさなみのみこと)について、ある書では、この二神は青橿城根尊(あをかしきねのみこと)の子と書かれてあり、またある書では、国常立尊(くにのとこたちのみこと)からの直系の子として、その系譜が書かれているとあります。
順に書きますと、次のようになります。

 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
  ↓
 天鏡尊(あまのかがみのみこと)
  ↓
 天萬尊(あまよろすのみこと)
  ↓
 沫蕩尊(あわなきのみこと)
  ↓
 伊弉諾尊(いさなきのみこと)

そこでまず、青橿城根尊(あをかしきねのみこと)を振り返ってみると、その前の段に、青橿城根尊というのは、惶根尊(かしこねのみこと)の別名だと書かれています。
惶根尊(かしこねのみこと)には別名があり、それが吾屋惶根尊(あやかしかねのみこと)、忌橿城尊(いむかしきのみこと)、青橿城根尊(あをかしきねのみこと)、吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)です。
これを漢字の意味から読み解くと、「堅い樫の木でできた青い我が家は大地に根ざし」、吾屋橿城で「我が屋敷は堅い樫の木の城」といった意味になるということは、前回に述べさせていただきました。

またある書には、男女のたぐいまれなるこれらの神として、
 埿土煑尊(うひちにのみこと)・沙土煑尊(すひちにのみこと)
 角樴尊(つのくひのみこと)・活樴尊(いくくひのみこと)
 面足尊(おもたるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)
 伊弉諾尊(いさなきのみこと)・伊弉冉尊(いさなみのみこと)
を上げています。ここでいう「ある書」は、古事記のことを指しているように見えます。

▼伊弉諾と伊弉冉

古事記との違いで目を引くのは、イサナキ・イサナミが、それぞれ
古事記 →伊耶那岐・伊耶那美
日本書紀→伊弉諾尊・伊弉冉尊
と書かれていることです。

漢字の意味を探ると、
「伊」=人+尹で、「横から見た人」の象形と「神聖な物を手にした」象形の組み合わせで、氏族などを治める人を意味する会意文字。
「耶」=耳は牙が上下に交わる象形で、阝は邑、つまり人々が集まる村邑を意味します。時折、イザナキを「伊邪那伎」と書くものを見かけますが、「邪」は「耶」の元の字形です。和語では「邪」を「よこしま」と、あまりよくない意味の単語に当てていますが、村の人々は自分たちの利益のためにお上をあざむくということで、ずっと後世になってから「よこしま」という意味に用いられるようになりました。ですので『ねずさんと語る古事記』では、間違いのないように伊耶那岐と表記しています。
「那」=偏の部分がヒゲの伸びた人で、つくりは村邑を表す象形です。これが合わさって(会意)、ヒゲを伸ばした人がくつろいでいる安心できる村を意味します。
「岐」=つくりの「支」は、木の枝を手にしている象形です。それに山が付いていますから、枝分かれした山道を意味します。
「美」=羊が大きいと書いて、そこから大きくて立派な羊となり、美味しいとか、美しくて、誰もが満足するといった意味になりました。

以上から、古事記における伊耶那岐、伊耶那美はそれぞれ次の意味の神様とされていることがわかります。
「伊耶那岐」=神聖なものを手にしたヒゲを伸ばし、族長として正しい道を示す尊い神
「伊耶那美」=神聖なものを手にしてヒゲを伸ばした族長(伊耶那岐)とともにあって、美しさと皆の満足を象徴する尊い神

では日本書紀における伊弉諾尊・伊弉冉尊という記述はどのような意味になるのでしょうか。
「弉」=壮+衣で、壮は、盾と斧、衣は軍衣ですので、完全武装して盾を立ててマサカリを手にし、軍服をまとった壮年男子。音読みは「ソウ」で、倉と同じ音ですので、そこから倉の財を護るために武装した男子という意味にもなります。
「諾」=言+若で、若は髪をふりみだして神意を伺う巫女、言うはその言葉ですから、御神意を聞き取るという意味になります。
「冉」=もちあげて支えることを意味する漢字です。

以上から日本書紀における漢字の伊弉諾・伊弉冉の意味は、次のようになるとわかります。
「伊弉諾」=神々の意によって武装して倉を護る氏族の最高神
「伊弉冉」=その族長を支える最高神の妻

大和言葉では、「いざなき・いざなみ」です。
おきな(翁)・おみな(嫗)という言葉にあるように、「き」は男、「み」は女を表しますので、それぞれ、
「いざなう男、いざなう女」
という意味になります。
「いざなう」は「誘う」とも書きますが、「夢の国へいざなう」というように、さそうことです。
つまり、最初の男女神である「いざなき・いざなみ」は、互いに誘い合い、助け合い、支え合う対等な存在であることが大和言葉では見て取れます。
ところが漢字にすると、まるで男尊女卑のような表現になります。

理由は、日本書紀が書かれた時代は、唐の脅威にいかに互するかが大きなテーマとなっていた時代であり、創生の神々の漢字名と同じで、どこまでも対外的には「日本は侮りがたい武の国」という姿勢を貫いたのであろうと思われます。
ちなみに伊弉諾・伊弉冉は、音読みすれば「イソウダク・イソウサイ」です。

そもそも日本書紀は、なるほど漢文で書いてありますが、読み方はあくまで大和言葉にこだわって読むというのが古代からの慣習です。日本書紀が読みを指定しているのは「尊」を「みこと」と読むということだけで、伊弉諾を「いざなき」と読みなさいという指定はないのです。
にもかかわらず、古代から「いざなみ」と大和言葉で読み下すのは、日本人向けには、あくまで大和言葉での意味を求めたからであろうということができると思います。


伊弉諾と伊弉冊(1) <日本書紀1-5>

<原文>
伊弉諾尊・伊弉冉尊、立於天浮橋之上、共計曰「底下、豈無国歟」廼以天之瓊(瓊玉也。此云努)矛、指下而探之、是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋、名之曰磤馭慮嶋。二神、於是、降居彼嶋、因欲共為夫婦産生洲国。便以磤馭慮嶋為国中之柱(柱、此云美簸旨邏)而陽神左旋、陰神右旋。分巡国柱、同会一面。時陰神先唱曰「憙哉、遇可美少男焉」(少男、此云烏等孤)。陽神不悦曰「吾是男子。理当先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥。宜以改旋。」於是、二神却更相遇。是行也陽神先唱曰「憙哉、遇可美少女焉。」(少女、此云烏等咩)。因問陰神曰「汝身、有何成耶。」対曰「吾身有一雌元之処。」陽神曰「吾身亦有雄元之処。思欲以吾身元処合汝身之元処。」於是、陰陽始遘合為夫婦。


<読み下し文>
伊弉諾尊・伊弉冉尊(いさなきのみこと。いさなみのみこと)は、天浮橋(あめのうきはし)の上に立たして、共(とも)に計(はからひ)て曰(のたま)はく、
「底下(そこした)に豈(あ)に国(くに)無(な)けむ歟(や)」
廼(すなは)ち天(あめ)の瓊(ぬ)(瓊は玉なり。此(これ)をば努(ぬ)と云ふ)矛(ほこ)を以(も)ちて、指(さ)し下(おろ)して探(かきさぐ)ると、是(ここ)に滄溟(あをうなはら)を獲(え)き。
其(そ)の矛(ほこ)の鋒(さき)より滴瀝(しただ)る潮(しほ)凝(こ)りて一(ひとつ)の嶋(しま)に成(な)る。
名(な)づけて磤馭慮嶋(おのごろしま)と曰(い)ふ。
二神(ふたはしらのかみ)、於是(ここに)、彼(その)嶋(しま)に降(あまくだ)り居(ま)して、因(よ)りて共為夫婦(みとのまぐはひ)して洲国(くにつち)を産生(う)まむと欲(ほっ)す。便(すなは)ち磤馭慮嶋(おのごろしま)を以(もっ)て国中(くになか)の柱(みはしら)(柱、此(これ)をば美簸旨邏(みはしら)と云(い)ふ)として、陽神(をかみ)は左(ひだり)より旋(めぐ)り、陰神(めかみ)は右(みぎ)より旋(めぐ)る。国(くに)の柱(みはしら)を分巡(めぐ)りて、同(ひと)しく一面(ひとつおもて)に会(あ)ふ。時(とき)に陰神(めかみ)先(ま)ず唱(とな)へて曰(のたまは)く、「憙(うれし)哉(や)、可美少男(うましをとこ)に遇(あ)ひぬ」(少男、此(これ)をば烏等孤(をとこ)と云(い)ふ)。陽神(をかみ)悦(よろこ)び不(ず)して曰(のたま)はく、「吾(われ)は是(こ)れ男子(ますらを)なり。理(ことわり)当(まさ)に先(ま)づ唱(とな)ふべし。如何(いかに)ぞ婦人(たわやめ)にして反(かへ)りて言(こと)先(さきた)つや。事既(ことすで)に不祥(さがな)し。以(もっ)て改(あらた)め旋(めぐ)るが宜(よろ)し。」於是(ここにおひ)て、二神(ふたはしらのかみ)却(かへ)りて更(さら)に相遇(あ)ひたまひぬ。是(これ)により行(い)きて陽神(をかみ)先(ま)ず唱(とな)へて曰(いは)く、「憙(うれし)哉(や)、可美少女(うましをとめ)に遇(あ)ひぬ。」(少女、此(こ)れをば烏等咩(をとめ)と云ふ)。因(よ)りて陰神(めかみ)に問(と)ひて曰(いは)く「汝(いまし)の身(み)に、何(なに)成(な)れるは有(あり)や。」対(こた)へて曰(のたま)はく「吾身(わがみ)に一(ひとつ)の雌元(めのはじめ)の処(ところ)有(あ)り。」陽神(をかみ)曰(のたま)はく「吾身(わがみ)に亦(また)、雄元(をのはじめ)の処(ところ)有(あ)り。吾身(わがみ)の元処(はじめのところ)を以(もち)て、汝身(いましのみ)の元処(はじめのところ)に合(あは)せむと思欲(おも)ふ。」於是(ここにおい)て、陰陽(めを)始(はじ)めて遘合(みとのまぐはひ)して夫婦(をうとめ)と為(な)る。


<現代語訳>
伊弉諾尊・伊弉冉尊(いさなきのみこと。いさなみのみこと)は、天の浮橋(あめのうきはし)の上に立つと、ごいっしょに、
「底となる下の方に、明るく楽しくすごせる(豈)国(くに)は無(な)いだろうか」と計(はか)られました。
そして天の瓊(ぬ)の矛(ほこ)を、その底となる下の方に指(さ)し下(おろ)して、探(かきさぐ)られました。この「瓊」というのは玉のことで、「ぬ(努)」と読みます。
その底となる下には、滄溟(あをうなはら)がありました。
そして(矛を引き上げると)その矛の鋒(さき)から滴(したた)り落ちた潮(しほ)が凝(こ)固まって、ひとつの嶋(しま)になりました。この嶋を名付けて「磤馭慮嶋(おのごろしま)」といいます。

二柱(ふたはしら)の神は、その嶋(しま)に天降(あまくだ)ると、共為夫婦(みとのまぐはひ)をして洲国(くにつち)を生(う)もうとしました。
そこで磤馭慮嶋(おのごろしま)を国のまん中の柱(みはしら)にして、陽神(をかみ)は左(ひだり)から、陰神(めかみ)は右から嶋を旋(めぐ)り、互いに顔を見合わせました。

このとき陰神(めかみ)が先に、
「憙(うれし)いことです。
 可美少男(うましをとこ)(良い男)に遇(あ)いました
 (少男と書いて烏等孤(をとこ)と読みます)」
と述べました。
陽神(をかみ)は、これを悦(よろこ)ばず、
「私は男子(ますらを)です。
 男子が先に声をかけるのが理(ことわり)です。
 どうして婦人(たわやめ)が先に声をかけるのですか。
 これは良くないことです。
 もう一度、あらためて旋(めぐ)るのが良いでしょう」と述べました。

そこで二柱の神は、もう一度、嶋をまわり、今度は陽神(をかみ)が先に
「可美少女(うましをとめ)に遇(あ)って憙(うれし)い」と言われました。少女と書いて烏等咩(をとめ)と読みます。続けて陰神(めかみ)に、
「汝(いまし)の身(み)に、何(なに)か成(な)れるところはありますか?」と問いました。
陰神は、
「吾身(わがみ)にはひとつの雌元(めのはじめ)の処(ところ)があります。」と答えました。
陽神(をかみ)は、
「吾身(わがみ)には、雄元(をのはじめ)の処(ところ)があります。吾身(わがみ)の元処(はじめのところ)をもって、汝(いまし)の身の元処(はじめのところ)に合(あわ)せましょう。」と申されました。

こうして陰陽(めを)は、遘合(みとのまぐはひ)をして夫婦となりました。


<解説>
▼天の浮橋


伊弉諾、伊弉冊の二神が天の浮橋に立たれるのですが、日本書紀には天の浮橋の「天」を、「あめ」と読むのか、「あま」と読むのかの指定はありません。
中国漢字の「天」は、上にある二本の横線が人間の頭を示し、それに重ねるように「人」と書かれています。
つまりもともとは人の頭部を意味する漢字です。
大和言葉では「頭」と書いて「かしら」と読み、「かしら」は大将のことを意味しますが、これと同じで「天」は、人の上にある、人や神、天空などを意味する漢字となっているわけです。

つまり漢字で「天浮橋」と書かれていれば、それは「人の頭の上にかかる浮いている橋」といった意味になります。
日本書紀は、外国人向けには単に天空の浮橋といった意味に受け取れるように書いているわけです。

ところが訓読みでは「天」は「あめ」とも「あま」とも読みます。
単独の「あ」という訓読みを持つ漢字には、吾・上・和・亜などがありますが、自己認識可能な形而上学的存在のことを示します。
訓読みで「め」という音を持つ漢字は、目・眼・女・芽などで、命を生み出したり育んだり、見える範囲のすべてを表わします。
ですから「あめ」なら、認識可能なすべての見える範囲で、命の源にあたるところ、といった意味になります。
「あま」になると、「ま」は真・間などで、特定の真実や場所を意味しますから、この場合は「認識可能な場所」といった意味になります。
ですからこの場合の「天」は、我々からも認識可能な天空のすべてといった意味で「あめ」と読むのが正しいといえます。

言い換えれば「天浮橋」は、見上げた空に浮かぶ大きな橋というわけですから、イメージ的には天空に浮かぶ天の川がそれに一番近いものになろうかと思われます。
その天浮橋に二神が立ち、「底下(そこした)に豈(あ)に国(くに)無(な)けむ歟(や)」と話し合うわけです。

▼底下豈無国歟

「底下(そこした)に豈(あ)に国(くに)無(な)けむ歟(や)」は、原文では「底下、豈無国歟」と書かれています。
「豈」という漢字は、上部に飾りの付いた太鼓を意味する象形文字で、太鼓は戦いに勝利した際に打ち鳴らしたり、祭りのときに打ち鳴らしたりするところから、祭り喜ぶ、すなわち「楽しいこと、うれしいこと」を意味する漢字です。
そこで現代語訳では「底となる下の方に、明るく楽しくすごせる(豈)国(くに)は無(な)いだろうか」と訳させていただいたのですが、いざない(誘い)あった創世記の男女が相談しあって築こうとした国が、「楽しくて喜びあふれる国」であったということが、この短い言葉に表されています。
そうして生まれたのが日本なのだと日本書紀は書いているのです。
つまり日本の理想、もっというなら人類の理想社会というのは、「楽しくて、うれしくて、喜びのあふれる社会の構築にある」ということを、日本書紀は、この最初の一文のたった六字で示しているのです。素晴らしいことだと思います。

▼天の瓊矛

天浮橋に立たれた二神は、天瓊矛(あめのぬぼこ)をその底となる下の方に指し降ろします。
この「天瓊矛(あめのぬぼこ)」ですが、一般に「ぬぼこ」と熟語の一般名詞ように扱われていますが、日本書紀の原文を見ると、「以天之瓊(瓊玉也。此云努)矛」と、「瓊」と「矛」の間に注釈が入っています。
注釈は「瓊は玉なり。此(これ)をば努(ぬ)と云ふ」と読み下します。
つまり「瓊=玉」は「ぬ」と読んで、「矛」の形容詞であるわけです。

大和言葉では「ぬ」ですが、「ぬ」を訓読みする漢字には、抜・脱などがあります。要するに一段高みにあるものや、まとったものを意味します。つまり価値あるものです。
矛は、刀のような刃の付いた槍のことですから、「ぬーほこ」で、価値ある矛ということになります。
漢字の「瓊」は、「王の宝石」という意味を持ちます。
やはり高貴なものですので、「玉」だと日本書紀は注釈しているわけです。

つまり「天瓊矛(あめのぬぼこ)」は、天の神が持つ「高貴な玉の付いた矛」、あるいは「玉のように高貴な矛」という意味になります。
この矛で二神は、底となる下の方に指(さ)し下(おろ)して探(かきさぐ)られたわけです。

要するにここまでをまとめると、いざなう男女は明るく楽しくすごせる国を求めて、高貴な玉の付いた矛を、底の下の方に差し入れて探られたということになります。

▼滄溟

その底は「滄溟(あおうなはら)」であったと書かれています。
「滄」という字は、「倉」が穀物をしまう蔵の象形で、これにサンズイが付いていますので、海の恵みがしまわれた場所ということで、青い海原を表す漢字です。
「溟」は、「冥」という字が、両手で捧げ持っている大切なものさえも覆われていて見えない様子の象形で、これにサンズイが付いていますから、海の奥深くの真っ暗で何もみえないところです。
つまり「滄溟」は、南の島のサンゴのビーチから見える青い海原ではなくて、深い海溝を持つ海を獲たことを述べています。
このことはもしかすると、まったく逆に、いまはもう海の底となってしまった国を意味しているのかもしれません。

▼磤馭慮嶋(おのごろしま)

高貴な玉の付いた矛をその深海に差し入れて引き上げると、矛の先端から海水が凝り固まって、ひとつの島になります。これが「磤馭慮嶋(おのごろしま)」です。
たいへんむつかしい字が書かれていますので、一字ごとに見ていくと、
「磤」は音読みがインまたはオンで、雷がとどろき響く音を意味する漢字です。
「馭」は音読みが「ギョ」で、訓読みが「の」、意味は馬を乗りこなすことです。
「慮」は音読みが「リョ」で、訓読みは「おもんばかる」です。
ですから「磤馭慮嶋」を音読みすれば「オンギョリョトウ」で、訓読みはできません。
そこでどう読んだら良いのかわからないので、古事記の記述の「淤能碁呂島(をのごろじま)」から、「磤馭慮嶋」を「おのごろじま」と読む習わしになっています。
おそらく「磤馭慮嶋(yǐn-yù-lioh-dǎo)」を、音が似ているということで「磤馭慮嶋(o-no-koro-shima)」としたのでしょうが、要するに漢字から出来た言葉ではなくて、もともとが大和言葉の「オノコロ島」であったということであろうと思われます。
大和言葉なら、「オノコロ島」は、「おのずからゴロゴロと転がる島」ということになります。
矛の先から滴(したた)ったということですから、球体ですし、「潮(しほ)が凝(こ)り固まって」できた島ですから、海を持つ球体ということになります。要するにこれは地球のことではないかと思います。
このように申し上げると、日本書紀が書かれた8世紀のはじめに「地球が丸かったなどと知っているはずがない」などと言われそうですが、「知っているはずがない」といえる証拠もないわけです。海を見れば、水平線は丸いのです。知っていた可能性も十分にあるということです。

▼島をまわる

「二柱(ふたはしら)の神様は、その嶋(しま)に天降(あまくだ)ると、共為夫婦(みとのまぐはひ)をして洲国(くにつち)を生(う)もうとした」とあります。
このとき「陽神(をかみ)は左(ひだり)から、陰神(めかみ)は右から」島を回るのですが、地球を北半球を上にして遠くから眺めると、遠くから見ている人は地球を左から回り見ることになります。
つまり、これは物事の道理を示しているわけです。
ところが反対から巡った陰神(めかみ)が先に「良い男に会いました」と声をかけるわけです。
実際には、自転する地球を遠くから眺めたときに、右から地球をめぐるのは、かなり困難で苦心惨憺してしまうわけです。
もともと二神は、「楽しくて喜びあふれる国」を築こうとしてオノコロ島をつくっているわけですから、無用な苦心などする必要がないわけです。
だから陽神は「男子が先に声をかけるのが理(ことわり)です」と述べて、巡回のやり直しを行っています。
これは、物事の合理性を尊び、無用な苦労はすべきでないという道理であると読むことができます。

▼陽神・陰神

ここで日本書紀は、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冊尊を陰神(めかみ)と書いています。
そのように書いてあるから、日本書紀は中国の陰陽思想に基づくと、簡単に結論づけているものがありますが、それは違うと思います。
陰陽思想というのは、紀元前8世紀から紀元前3世紀頃までの中国の春秋戦国時代に生まれた思想で、この世のすべての属性は陰と陽に当てられると説いた思想です。
日本書紀は、男女を記すにあたって、陽と陰を用いているだけで、読みは「をかみ、めかみ」です。
男性を「を」と呼んでいるわけですが、訓読みで「を」が当てられている漢字は「乎」一文字です。
この「乎」は、上にあるのが舌の象形で、下に伸びた縦棒が棒状の笛を意味する象形です。
「め」を訓読みにしている漢字は上に述べたように「命を生み出したり育んだりする力を持つ者」です。
つまり大和言葉では、棒があるのが「を」であり、子を生む能力を持つのが「め」と呼ばれていたわけで、単にこれを漢字の「陽」と「陰」に当てただけというのが正解であろうと思います。

▼可美少男・可美少女

「可」は、肯定を表す字ですから「可美」で、美しいとか良いという意味、「少」は、4本の線がいわば米で、米が4粒しかないから、少ないという意味になります。
「少男、少女」は、数少ない、言い換えるとたぐいまれな良い男、良い女という意味になります。
日本書紀は「少男」と書いて「をとこ」、「少女」と書いて大和言葉で「おとめ」と読むようにと注釈しています。
「を」は上に述べましたように棒、「とこ」は訓読みする漢字が床・常ですから、高くせり上がった棒、「とめ」は止・泊・留などがありますので、これを受け入れ、引き留める存在といった意味から生まれた言葉なのかもしれません。
そしてはじめに陽神が、
「可美少女(うましをとめ)に遇(あ)って憙(うれし)い。汝(いまし)の身(み)に、何(なに)か成(な)れるところはありますか?」と問います。陰神がこれに答えて、
「吾身(わがみ)にはひとつの雌元(めのはじめ)の処(ところ)があります。」
そこで陽神が、
「吾身(わがみ)には、雄元(をのはじめ)の処(ところ)があります。吾身(わがみ)の元処(はじめのところ)をもって、汝(いまし)の身の元処(はじめのところ)に合(あわ)せましょう。」
ということで、二神は遘合(みとのまぐはひ)をして夫婦となったと書かれています。
「遘」という字は、会うことを意味する漢字です。ですから「遘合」は、対面して合体したことを意味します。
大和言葉で、これを「みとのまぐあい」と読み下します。

▼古事記との比較

古事記との比較において、違いではなく、その共通するところを見ますと、まず第一に、イザナキ、イザナミのお名前が共通していることです。
大和言葉では、いずれも「いざなう(誘う)」ですが、このイザナが旧約聖書に出てくる預言者イザヤと音が似ていることから、古代ユダヤの民との関係を指摘される方もおいでになります。

なるほど7世紀後半から8世紀にかけて、我が国にキリスト教の一派であるネストリウス派が、遣唐使とともにChinaから我が国に伝えられ、その影響が我が国の神話に影響を及ぼしているわけで、その可能性は必ずしも全否定できるものではありません。またあるいは古代ユダヤの人自体が我が国にやってきたという説を唱える方もおいでになりますが、そのあたりの事実関係を示す記録はなく、実際に当時何があったのかはわかりません。

ただはっきりいえることは、これは古事記よりも日本書紀の記述がわかりやすいのですが、イザナキ、イザナミという創生の二神が「豈無国歟」と、「楽しくて喜びあふれる国」を築こうとして、オノコロ島を開いたということ、ここは大切なポイントであると思います。
いざないあう男女が、楽しく、あふれる喜びの中で生きる。
そういう国こそ、我が国の理想であるのだということを、日本書紀は、この冒頭の段階で見事に述べているのです。
我が国が知らす国(知らすの意味は別途該当箇所で述べます)であることの理由が、二神による、まさに天地創造のときに示され、そのためにこそ、地球があるのだと書いているのです。
素晴らしいことだと思います。

また、古事記と共通する事項として、
「天瓊矛(あめのぬぼこ)」が、天地創造に登場していることには注意が必要です。
なぜなら、記紀は両方とも、
「混沌とした状態を整えるのは矛」と書いているからです。
これを「兵法」といいます。
兵法は、国や民族によってまったく異なります。
国や民族の成り立ちやアイデンティティが異なるからです。

たとえばChinaは「武」です。
「武」という漢字は、戈(ほこ)を止めると書きます。
だから「戈を止める」と言いさえすれば、いかなる暴力も容認されます。チベットやウイグル侵攻がそうであるようにです。

我が国は、その「武」に「たける」という訓読みを与えています。
ですから「日本武尊」と書いて、「やまとたけるのみこと」です。
「たける」は、竹のように真っ直ぐにするという意味です。

つまり「武」を意味する「矛(ほこ)」は「たける」ものであり、「たける」は斜めになったものや歪んだものを真っ直ぐにしたり、新たな境地を拓くためにあると考えてきたのです。
これが古代からの日本人の思考です。

イザナキ、イザナミが、左右に分かれて回ることも記紀の共通事項です。
ということは、このこともたいせつな何かを意味しているということになります。
右から左に回転する物体を、左に回りに回ることは、きわめて簡単にできることです。定点が勝手に向こうから戻ってきてくれるからです。
しかし、右から回ろうとしたら、回転する物体よりも早く移動しなければいつまでたっても定点に追いつけません。
このことは、物事には合理性が大事だということを述べていると読むことができます。
その合理性のことを「道理」といいます。
そのことを記紀はどちらも、左からめぐったイザナキが先に声をかけることが道理という記述で述べているのであろうと思います。
男が先に声をかけるべきと述べたということにどうしても注意が行きがちですが、男女は上下関係ではなく、もともと対等な関係です。
従ってここで重要なことは、男が先に声をかけたということではなく、左から回った、その合理性を尊ぶことの重要性を述べているのです。

(続く)

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小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
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昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

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