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「〜主義」は、敵対や対立を招きます。
そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。
やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、
世界の中心となるべきものです。
ただし、凛とした姿勢は必要です。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。尚、本日の画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)櫻井よしこ先生が、『週刊現代』2018年1月20日号の、
「日本人とは何か」「歴史の真実とは何か」を知るために私が読んだ本
櫻井よしこさんが選ぶ「最高の10冊」
の中で、第二位に拙著の『ねずさんと語る古事記』全3巻を選んでくださいました。
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54036「〜主義」という言葉は、組織や団体の行動原則や、個人であれば思想上の立場のことを言う用語として広く用いられていいます。
自由主義、愛国主義、共産主義、アジア主義、帝国主義、イスラム原理主義、利己主義、一点豪華主義など、様々な用語として使われています。
現実主義とか、家族主義、現金主義なんてのもあるようです。
順にお話します。
まず、「主義」という熟語は、Chinaで生まれ、日本で熟語化したものです。
China語は、もともと一音一句で、熟語という概念がありません。
そのChinaの司馬遷の『史記』の巻1ー130太史公自序 第70に登場したのが、「主義」という言葉です。
そこには次のように書かれています。
「其信従者、
下自士大夫、
上亦至将相而止、
主義為逐満。」
(それ信じ従うは、下は士大夫より上は将相に止(とど)むまで、主への義を満ち遂げる為なり)
ここでいう「義」というのは「羊+我」が組み合わさった字です。
羊は神に捧げる生贄で、その羊のように我と我が身を捧げるのが「義」であるわけです。
士大夫は下級役人、将相は、将軍や宰相などのお偉方です。
つまりこの文は、
「およそ役人たるものは、
我が身を神へ捧げる羊のように、
主君のためにすべてを捧げよ」
と述べています。
ですからここでいう主義は、
主=主君
義=我が身を捧げる
です。
我が国では、その主君というのは、天皇の部下として、天皇の「おほみたから」である領土領民を責任を持って預かる役割(立場)の人ですから、お役人(臣)が主君に身を捧げるということは、主君がお預かりしている領土領民たちを護り育むために、自分にできるすべてを捧げるのが「義」となります。
Chinaの場合、主は天帝である神の代理人ですから、主君は絶対者であり、その絶対者のために身命を捧げることが「義」ですから、日本とChinaでは、使っている漢字は同じ「義」でも、その意味するもは随分と違います。
ところが幕末に英語の「principle(プリンシパル)」を翻訳することになった翻訳家たちが困ってしまったのです。
「principle(プリンシパル)」の意味は「行動の原理原則」といったことなのですが、幕末の翻訳家たちは、「おそらくそれは、我が国でいうところの主君への義と同じ意味なのだろう」ということで、その訳語に「主義」という語句を当てたのです。
ここまでは、すくなくとも幕末の武士たちにとっての行動原則(プリンシパル)は、まさに「主君への義」であったわけですから、あながち間違いではなかったと思います。
問題はここからです。
明治に入って、これをどこでどう間違えたのか、英語「〜ism」の翻訳語として、新聞が「主義」を使ってしまったのです。
たとえば「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」が、「帝国主義」と約されるようになりました。
英語圏における「〜ism」は、もともとは、単に一定の傾向を持った学説や体制、文化性などを示します。
従って「Imperial-ism(インペリアル・イズム)」も、意味合いとしては「王族や皇族を中心とした文化」といった「ゆるい」言葉でしかないのです。
ところが、我が国でこれが「主義」と訳された結果、「〜ism」は、身命を捧げる価値観(「主義」)という意味になってしまったのです。
つまり、コチコチになってしまった。
それでも戦前までは、「◯◯主義」は、単にカテゴリー分けして分類する際の、いわば小見出しのような役割の語としてしか使用されていなかったのです。
ですから、尊皇派、攘夷派、佐幕派、勤王などの言葉はあったけれど、尊皇主義、攘夷主義、佐幕主義、勤王主義などという言葉はありません。
そのように考える人さえもいませんでした。
ところが戦後、そこに日本的なものを破壊することが正義と思い込む人たちが、GHQの公職追放によって、世間の中核をなすようになりました。
要するに日本人のような顔をして日本語を話す日本人でない人たちなのですが、彼らは旧い日本を、帝国主義、民族主義、右翼主義などとレッテルを張って敵視し、対立し、攻撃し、破壊するための用語として「主義」を積極的に用いました。
これによって戦後の日本では、「主義」という言葉が英語の「-ism」とも違う、我が国で古来使われた「主義」とも違う、明治から昭和初期の「主義」とも違う、まったく新たな意味を持つ「主義」という言葉になりました。
まとめると次のようになります。
もともとのChinaでの「主義」=主君に身命を捧げること
江戸時代までの日本的「主義」=主君が預かる領土領民を護るために身命を捧げること
幕末の「主義」=プリンシパル(principle)の訳語で行動原理のこと
明治以降の「主義」=中心となるゆるやかな文化性(=-ism)
戦後の「主義」=敵対するためのカテゴリー区分
「〜主義」は、敵対や対立を招きます。
そのような対立概念では、日本を見失い、世界は対立し崩壊します。
やさしさや愛は、敵対し対立するものまで包み込む力です。
愛と喜びと幸せと美しさこそ、日本文化の根幹であり、
世界の中心となるべきものです。
ただし、凛とした姿勢は必要です。
我が国の神語に登場する最初の男女神は、イザナキとイザナミです。
この二神は、天の浮橋に立たれて、混沌をかきなして、オノコロ島を創りました。
そのときに用いたのが天の沼矛(日本書紀では天の瓊矛)です。
混沌としたものを、正常に戻す、あるいは築くためには「矛(戈・鉾・ほこ)」の力が必要だと我が国の神語は書いています。
不条理には、武器を持て、と神語は書いています。
要するに凛とした姿勢を貫きなさいということです。
最後に、宮沢賢治の詩を転載します。
****
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(おご)ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭(かげ)ノ小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ ****
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
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インカ帝国を建設したのは日本人ということで、太古の日本で自然災害で避難し、漁で培った木造造船技術で、日本島を脱出して「黒潮」海流に乗って、今のペルー辺りの海岸までたどり着いたのではないか?!
インカ帝国の石壁の細かい仕事が日本人気質であるし、どこかの民族には真似すらできない。
DNAも東アジアの人からしか出ない(男性Y染色体)が南米ではインカ付近にしかいないからとも言われている。
はたしていつ公に実証されて政府が発表するのか?
2018/01/15 URL 編集
syn-i
小名木先生の古事記・神話の講義を通して思ったことは、日本人女性は地上の闇を照らす太陽であり、月であって、地上に和を平らげる仕事(行動)は日本男児であった。
そのことを日本の先人たちは実践し、体現してきたと云えるのではないでしょうか。
小名木先生が言っておられた、魂の連続性といったものが、実は日本人の両親からしか受け継がれないと思うようになりました。
今現在、日本社会の中枢に日本人のなりすましが多く存在していることも事実のようです。
この閉塞しつつある日本社会にあって、130年前に書かれた福沢諭吉先生の脱亜論にその答えがあるように思えてなりません。
小名木先生の塾生から日本の未来を担う多くの若者が陸続と輩出されることを願いつつ。
小名木先生、どうかご自愛ください。
2018/01/11 URL 編集