<日本書紀1-6>国生み(2)



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出産は、愛し合う男女にとっての一大事であり、新しい命をこの世に生み出す神聖な行いです。
だからこそ、第一子のことでくじけたり、双子であることを苦に思ってはいけないと、そういうこともあるのだから、明るく、勇気を持ちなさいと、日本書紀は書いています。


テイセラの日本島図
(16世紀の西洋で書かれた日本地図)
20180112 テイセラの日本島図
(画像はクリックすると、大きくなります。
また、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
尚、本日の画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)


<バックナンバー>
<日本書紀1-1>創生の神々(1)
<日本書紀1-2>創生の神々(2)
<日本書紀1-3>創生の神々(3)
<日本書紀1-4>創生の神々(4)
<日本書紀1-5>国生み(1)

<日本書紀1-6>国生み(2)

<原文>
及至産時、先以淡路洲為胞、意所不快、故名之曰淡路洲。廼生大日本(日本、此云耶麻騰。下皆效)此豊秋津洲。次生伊予二名洲。次生筑紫洲。次雙生億岐洲与佐度洲。世人或有雙生者象此也。次生越洲。次生大洲。次生吉備子洲。由是、始起大八洲国之号焉。即対馬嶋壹岐嶋及処処小嶋、皆是潮沫凝成者矣。亦曰水沫凝而成也。


<読み下し文>
産(う)む時(とき)に至(いた)りて及(およ)びて、先(ま)ず淡路洲(あはぢしま)を以(も)て胞(ゑ)と為(す)。意(おもふ)所(とこ)ろ、快(よろこ)ば不(ず)、故(ゆゑ)に名(な)づけて淡路洲(あはぢしま)と曰(い)ふ。
廼(すなは)ち大日本(おほやまと)(日本、此(これ)をば耶麻騰(やまと)と云(い)ふ。下皆(しもみな)これに效(なら)ふ)此(これ)豊秋津洲(とよあきつしま)を生(う)む。
次に伊予(いよ)の二名洲(ふたなしま)を生む。
次に筑紫洲(つくしのしま)を生む。
次に億岐洲(おきのしま)与(と)佐度洲(さどのしま)を雙(ふたご)に生(う)む。
世(よ)の人、或(ある)いは雙(ふたご)に生(う)むこと有(あ)る者(は)、此(これ)に象(かたど)る也(なり)。
次に越洲(こしのしま)を生む。
次に大洲(おほしま)を生む。
次に吉備子洲(きびこしま)を生む。
是(これ)に由(よ)りて、始(はじ)めて大八洲国(おほやしまのくに)の号(な)起(おこ)れり。
即(すなは)ち、対馬嶋(つしま)、壹岐嶋(いきのしま)及(およ)び処処(ところどころ)の小嶋(をしま)は、皆(みな)是(こ)れ潮(しほ)の沫(あは)の凝(こ)りて成(な)れる者矣(ものなり)。
亦(また)は、水(みず)の沫(あは)の凝(こ)りて成(な)れると曰(い)ふ也(なり)。


<現代語訳>
子を産むときになって、最初に生まれたのが淡路洲(あはぢしま)です。これは胞(ゑ)であり、意(おもふ)ところよろこんではいけないので、淡路洲(あはぢしま)と名付けたのです。
それから大日本(おほやまと)を生みました。(日本と書いて「やまと」と読みます)。これが豊秋津洲(とよあきつしま)です。
次に伊予(いよ)の二名洲(ふたなしま)を生みました。
次に筑紫洲(つくしのしま)を生みました。
次に億岐洲(おきのしま)と佐度洲(さどのしま)を雙(ふたご)に生(う)みました。
世の人が雙(ふたご)を生むことあるのは、これがもとになっています。
次に越洲(こしのしま)を生みました。
次に大洲(おほしま)を生みました。
次に吉備子洲(きびこしま)を生みました。
これによって、はじめて大八洲国(おほやしまのくに)の名が起こりました。
対馬嶋(つしま)や壹岐嶋(いきのしま)などの小嶋は、海の潮の沫(あは)が凝(こ)って成(な)ったものまたは水の沫(あは)が凝って成ったと言われています。



<解説>
この段では、大八洲国が、淡路洲、伊予(いよ)の二名洲(ふたなしま)、筑紫洲(つくしのしま)、億岐洲(おきのしま)、佐度洲(さどのしま)、越洲(こしのしま)、大洲(おほしま)、吉備子洲(きびこしま)の順で生まれたことが書かれています。

▼淡路洲

伊弉諾(いざなき)と伊弉冉(いざなみ)の二神が結ばれて最初に生まれた子が「淡路洲(あはぢしま)」です。
ところが「これは意所不快(意(おもふ)所(とこ)ろ、快(よろこ)ば不(ず))」だったために、名を、淡路洲(あはぢしま)としたと日本書紀は書いています。
生まれた子をよろこばないとは、現代人の感覚としては、なんとも冷たい感じがしてしまうところですが、日本書紀はその理由を、「第一子が胞(ゑ)であったから」と書いています。
「胞(ゑ)」という字は、肉月+包でできている字で、肉に包まれているところから、母の胎内を意味するようになった漢字です。

この字の読みは、音読みが「ホウ」で、いまでは訓読みがありません。
日本書紀では、これをヤ行の「ゑ(ye)」と読むのですが、「ゑ(ye)」は兄の(ye)と同じ音です。
つまり大和言葉の「ye」に、胞や兄の漢字を当てているわけで、要するに淡路島が長子だということを書いているとわかります。

大和言葉では、「あはぢ」は、「吾恥(あはぢ)」です。
第一子が生まれたからと、それで喜んで子作りを終わりにするのではなく、最初の子は恥ずかしながら生まれた子なので、次からはもうすこし堂々と産もうということになるわけです。

今では考えにくいことですが、昔は子はよく死んだのです。
4人兄弟のうち、二人が生き延びて大人になるというのはむしろ幸運で、中には4人の子を産んで、大人になれたのは、そのうちの1人、3人は病没など、全然珍しいことではなかったし、そのような状況が改善され、産まれてきた子のほとんどがしっかりと生き残れるようになったのは、ほんの4〜50年前からのことでしかありません。
それも医療の発達した先進諸国だけのことでしかありません。
途上国ではいまも相変わらず子供が生き残れる可能性は、ほんとうに低いのです。

しかし親が子を失う悲しみは今も昔もなんら変わるものではありません。
ですからそのために最初の子は「吾恥(あはぢ)」とし、第一子が亡くなってしまうのは、むしろあたりまえのことなのだから「気に病まずにまた次の子を生みなさい」としてきたのです。
そうでもしなければ、最初の子を失ったショックのあまり、悲しみにうちひしがれてしまうからです。
だから「あはぢ(吾恥)」という言葉は、妊娠する女性へのたいせつな励ましであったのです。

このことは、後に出てくる「佐渡は雙(ふたご)に生まれたが、世の人が雙(ふたご)を生むことあるのは、これがもとになっている」(原文=世人或有雙生者象此也)ともリンクします。
15世紀の室町時代から19世紀の江戸後期にかけて、双子は畜生腹と呼ばれて蔑まれるという因習がありました。
これには儒教の影響も少なからずあったと言われていますが、要は双子や三つ子などの一胎多子は、犬がいちどにたくさんの子を産むのと同じで縁起が悪いから、ひとりを残して、残りの子は養子に出してしまうということが、よく行われました。

ところが8世紀に書かれた日本書紀では、佐渡島を例にとって、イザナキ、イザナミという創生神さえも立派に双子を生み育てていると書いているわけです。
出産は、愛し合う男女にとっての一大事であり、新しい命をこの世に生み出す神聖な行いです。
だからこそ、第一子のことでくじけたり、双子であることを苦に思ってはいけないと、そういうこともあるのだから、明るく、勇気を持ちなさいと、日本書紀は書いています。

漢字では、「あはぢ」に「淡路」の字を当てています。
「淡」という字は、流れる水と炎から成り立ち、水面からたちのぼる炎のようなかげろうを意味します。
「路」は人が往来する道のことです。
そしてその「淡路」の「州」と書いています。
「州」は、川の間にできる三角州のようなところで、水の道にかげろうのように立ち上った島だから淡路州です。
実際、地図で見たら、淡路島は本土と四国の間にあって、南北を鳴門海峡と明石海峡に挟まれ、あたかも川の州のような立地です。

▼廼(すなわち)

ここは原文では「廼生大日本(日本、此云耶麻騰。下皆效)此豊秋津洲」と書いてあるところです。
「廼」は、「すなわち」で、えんにょうに西で、西は方角の西ではなくてお酒を入れる袋を意味します。
従って「お酒がすすむ」→「話が前に進む」が字源で、そこから私たちの先輩は大和言葉の「すなわち」を当てました。
つまりここでは「我々日本人は最初の子を吾恥(あはぢ)と考えるということを淡路州でお話したので、話を大日本誕生の話に戻しましょう」と述べていることになります。

このことは逆にいえば、それだけ「淡路=吾恥(あはぢ)」に思いを強くしているということになります。
昔も今も親の心は変わりません。子の可愛さは、最初の子も後の子も同じです。
けれど、あえて最初の子を「吾恥(あはぢ)」と考るのは、それだけ子の命を大切に思うからです。
最初の子が亡くなるショックで気がふれてしまう人もいるくらいなのです。
だからこそ、そのショックを和らげようと、最初の子を「吾恥(あはぢ)」とする。それほどまでに、我が民族は情が厚いのだということを、日本書紀はなんとここで「廼」という一字で述べているのです。

なぜそこまでいえるのかといえば、ひとつには、「すなわち」という大和言葉に当てる漢字は他にも乃、即、則、便などいろいろあり、その中で「廼」を使っているというところに、文字へのこだわりが感じられるからです。

もうひとつは、というよりこちらの意味のほうが強いと思うのですが、この後のところで「佐度洲(さどのしま)を雙(ふたご)に生(う)み、世(よ)の人、或(ある)いは雙(ふたご)に生(う)むこと有(あ)る者(は)、此(これ)に象(かたど)る也(なり)」と書いていることです。
詳しいことは、億岐洲と佐度洲の項目で説明しますが、民間の迷信や外国からの不要な知恵を明確に排除して、いかなる場合も子を大切にしなければならないということを、日本書紀はこうして冒頭で明確に述べています。
ということは、ここでも第一子を「吾恥(あはぢ)」としているのは、どの子も大切だと述べていることの証(あかし)であろうと思います。

また古事記では、ここは「淡道之穂之狭別島(訓別、云和氣。下効此)。次生伊予之二名島。此島者、身一而有面四、毎面有名、故、伊予国謂(愛上比売此三字以音、下効此也)」云々と、単に別名を付しているだけです。
日本書紀は、それだけ文字や言葉にこだわりを持って記述しています。

▼大日本と豊秋津洲

続けて日本書紀は「大日本(おほやまと)此(これ)豊秋津洲(とよあきつしま)を生(う)む」と書いています。
大日本には注釈があって「日本、此云耶麻騰。下皆效」、つまり「日本という熟語は『やまと』と読み、以降、日本と書いてあるところは、すべて『やまと』と読みなさい」としています。
そしてこの日本(やまと)のことを「豊秋津洲(とよあきつしま)」というとも書いています。

「日本」という字は、いまでも私たち日本人は「にほん」と読むのか「にっぽん」と読むのかの区別がありません。
たとえば日本橋は東京と大阪にありますが、東京のお江戸日本橋は「にほんばし」、大阪の日本橋は「にっぽんばし」です。
どちらの読みが正しいのかを2009年に国会で質問した議員もいましたが、政府見解も「両方が広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」というものでした。
では、はたして日本とは、何と読んだら良いのかという疑問に対する答えを、日本書紀は明確に示しているわけです。
その読みは「やまと」です。

何度も申し上げます通り、我が国にはもともと大和言葉があり、その大和言葉の表記のために、あとから漢字を当てています。
従ってこの場合も、先に「やまと」という言葉があって、その言葉に後から「日本」という漢字を当てています。
その「日本」という国号がいつから使われだしたのかについては、持統天皇の時代という説、その前の天武天皇の時代等、様々な説があって議論されていましたが、Chinaの西安で「袮軍墓誌(でいぐんぼし)」という、百済人である祢軍(でいぐん・ねぐん)という人物の墓誌が発見され、その記録から678年、つまり天武天皇の治世において、我が国では明確に日本という国号が使われていたことが証明されています。

それまでの日本は、倭国と呼ばれ、このように書いて「やまとのくに」と読んでいました。けれど「倭」という字が背の低い人、小さい人を意味するあまりよくない漢字だということで、日本と表記するようになったのだということが旧唐書(くとうじょ)に書かれています。
当時の漢字圏の人は、これを「rì-pong(リポング)」と読み、それを13世紀のマルコポーロが、自国語で「Zi-pangu(ジパング)」と書いたことから、それが西洋に伝わって、英語は「Japan(ジャパン)」、スペイン語では「Japon(ハポン)」、ドイツ語では「Japan(ヤーパン)」、イタリア語では「Giappone(ジャポーネ)」、フランス語で「Japon(ジャポン)」、ロシア語で「Yaponiya(ヤポーニヤ)」などと表記されるようになりました。
いずれもその元になっているのが「Zi-pangu(ジパング)」で、これを漢字で書いたら「日本」です。
7世紀に使われていた国の名前が、21世紀になってもなお使われ続けている国は、世界広しといえども日本だけです。

「やまと」の語源は、山の門(と)であるとか、畿内の地名だとか様々な説がありますが、あまりにも旧い大和言葉の名詞であるため、その語源はわかりません。
古代のタミル語は、イネ、ハハなど、古い大和言葉と共通の名詞が多いことで知られますが、そのタミル語では「ヤ」が太陽、「モト」はその下で、太陽の昇る所が「yamoto」になります。
それがなまって「やまと」になったという説、あるいは「八(や)」が「たくさんの」という意味、「もと」を訓読みできる漢字に「元・本・下」などがあるから、あらゆるものの大本という意味で「やもと」だという説、むしろ「やま」は山であるとして「山の”と”」であり、「と」を訓読みに持つ漢字には「杜・門」などがあるから、神々のおわす山の森や、その門の意味という説など、様々なものがありますが、これはいまではまったくわからなくなっていることです。

日本書紀は、その日本(やまと)に「大」を付けて「大日本(おほやまと)」と記述しています。
「大」は、人が大の字になって両手を左右にいっぱいに広げた象形で、めいっぱいとか精一杯の範囲を示します。
つまり「大日本」というのは、日本が精一杯両手を広げた範囲という意味ですから、いまでいうなら日本の領土領海内という意味になります。

その領土領海内を「豊秋津洲(とよあきつしま)」というと日本書紀は書いています。
漢字の意味は、
「豊」=たかつきのうえに食べ物がたくさん盛られている象形
「秋」=旧字は「穐」で、実った稲穂と米を保管するカメ(瓶)の象形
「津」=水際で幣を捧げ持つ象形で、船着き場のあるところ
「州」=川の三角州
ここから、たくさんのお米が稔り、往来する食料の豊富な島といった意味になります。

いっぽう大和言葉ですと、
「とよ」=稲穂がたわわに稔った形容
「あきつ」=トンボ(後戻りしない)
「しま」=縄張り、国土
従って「稲穂が稔り、トンボが飛び交う稔り豊かで、人々が決して後戻りしない島」といった意味になります。

以上のことから、大日本と豊秋津洲の意味を、漢字の意味と大和言葉の意味で並べると次のようになります。
「大日本・豊秋津島」=日本は大国であり、食料が豊富(=人口が多い)で、海運の盛んな、侮り難い島国。
「おほやまと・とよあきつしま」=おおいなる日の本の国・稲穂が稔る豊かで、後戻りすることなく常に進歩し続ける国。
いずれにしても、良い名前だと思います。

▼伊予二名洲

淡路州の次に生れたのが「伊予二名洲(いよのふたなしま)」です。
昔の行政区分では、「伊予」といえば、いまの愛媛県のことを指しますが、ここでは伊予は四国全土のことを示します。
「二名州」が何を意味しているのかについてですが、古事記でも四国は「伊予之二名島」と書いており、続けて「この島は、身一つにて面(おもて)は四つ有り。面毎(めんごと)に名が有りて、伊予国は愛比売(ゑひめ)といい、讚岐国は飯依比古(いいよりひこ)といい、粟国(あはのくに)は大宜都比売(おほげつひめ)といい、土左国(とさのくに)は建依別(たけよりわけ)という」と書いています。
それぞれいまの愛媛県、香川県、徳島県、高知県に対応しますが、これではどうみても四名です。
そうであるにも関わらず、古事記も「二名」と書いているわけです。
そこで古来、おそらく「二名」とは、四国が東西(または南北)に2つの島が繋がったような形をしていることからそのように呼ばれたのではないかという説明が一般的です。

▼筑紫洲

三番目に生まれたのが「筑紫洲(つくしのしま)」で、筑紫は九州の総称です。
ちなみにいまの行政区分では、九州は福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県の7県しかなく、これでは九州ではなく七州です。
それがどうして九州と呼ぶかというと、昔の行政区分では、筑前、肥前、筑後、豊前、豊後、肥後、日向、薩摩、大隅と、まさに九州であったことに由来します。

▼億岐洲・佐度洲

次に億岐洲(おきのしま)と佐度洲(さどのしま)を雙(ふたご)に生(う)みました。
億岐洲(おきのしま)は、島根県の洋上に浮かぶいまの隠岐島のことです。
隠岐の島のさらに先には、日本の領土である竹島があります。

佐度洲(さどのしま)は、新潟県の洋上に浮かぶ、いまの佐渡島のことです。
日本書紀はこれを「雙(ふたご)に生(う)んだ」と書いています。
原文では「雙生」です。

佐渡島は、2つの島が互い違いにくっついたような形をしています。
そのくっついているとこが平野部になっていて(国仲平野)、そこに佐渡市があります。
ここはもともとは海だったところで、もともとは佐渡ヶ島は、大佐渡島、小佐渡島の二つに分かれていました。
その島の間に土砂が堆積し、次第に陸地になったのが、いまの国仲平野にあたるわけです。
つまり佐渡は、まさに双子の島であるといえ、だから日本書紀は「双子に生まれた」と記しているわけです。

おもしろいと思うのは、それに続く文で、「世の人が雙(ふたご)を生むことあるのは、これがもとになっている」(原文=世人或有雙生者象此也)と書いていることです。
日本書紀は、イザナキ、イザナミという創生の神が生んだ島が、いまなお立派に島となっており、世の中に双子があるのは、この神事がもとになっている書いているわけです。
つまり双子などが生まれることは、神聖なことだと日本書紀は述べているのです。
日本に限らず、これは東洋社会全般にあったことですが、双子や三つ子などは「一胎多子(China語で双子の意味)」であり、犬が一度に多くの子を産むのと同じなのだから畜生と同じ畜生腹であり、だから双子の片方を、新生児のうちに間引きしたり、養子に出したりすることがよく行われました。

日本書紀は、そうではなく創世神であるイザナキ、イザナミでさえも、第一子を「吾恥(あはぢ)」としたし、双子の佐渡島を生んだりしていると書いています。
神々がなさったことなのです。
つまりそれは神聖なことであるということです。
それだけ日本書紀は、愛に満ちた記述をしているのです。
これは素晴らしいことです。

▼越洲、大洲、吉備子洲

越洲(こしのしま)は北陸道の総称で、いまの福井県、石川県、富山県、新潟県までの一体を指します。
大洲(おほしま)は、いまでは大島と書く島なのだろうといわれていますが、全国に大島と名付けられた島があり、その中のどの大島を指すのか不明です。
むしろ「大」という字は、上に述べましたように両手両足を精一杯伸ばした範囲、すなわち領土領海の全体を言いますから、ここは本州のことを指しているのではないかと思います。
吉備子洲(きびのこしま)は、いまの岡山県の児島半島のことで、いまは陸続きになっていますが、昔は沖合に浮かぶ島でした。
つまり大八州には、付属する島々も含めるという意味になります。

▼大八洲国

続けて日本書紀は「是(これ)に由(よ)りて、始(はじ)めて大八洲国(おほやしまのくに)の号(な)起(おこ)れり」と書いています。
要するに「以上の次第から、これらの島々を名付けて大八州国という」ということです。
振り返ってみますと、ここまでに記載された島々は、淡路・伊予・筑紫・億岐・佐度・越・大州・吉備子で、これらすべてを総括して大八州国(おほやしまのくに)というと書いているわけです。

そして日本書紀はさらに続けて「即(すなは)ち、対馬嶋(つしま)、壹岐嶋(いきのしま)及(およ)び処処(ところどころ)の小嶋(をしま)は、皆(みな)是(こ)れ潮(しほ)の沫(あは)の凝(こ)りて成(な)れる者矣(ものなり)。亦(また)は、水(みず)の沫(あは)の凝(こ)りて成(な)れると曰(い)ふ也(なり)」と書いています。
裏返しにいえば、本州その他、上に書かれた大八州に隣接し付属する島々は、本州に打ち寄せる波の泡が凝り固まったものだと書いているわけです。


さて、日本書紀は、以上の物語に続けて「一書曰(ある書にいわく)」として10書の記述を、併記しています。
それが何を意味するのか。
続きはまた次回に。

お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント

くすのきのこ

No title
こんにちは。
古事記も日本書紀も、天武天皇のお達しで纏められたもので、その背景
には海外派兵で唐・新羅の連合軍に大和・百済連合軍が負けてしまい、
今まで歴史を共にしていた帰化人を含む諸地方の諸民族連合では、国の
存亡が危ぶまれる状態であったと推測します。特に歴史を共にしてこな
かった新規の百済系難民が多量にやってきたと。彼らは祖国に気安く帰
れない・・祖国は破れてその土地柄も変貌していくわけですから。彼ら
を受け入れた上でより団結した社会集団の国にするためには文章にした
言語による法で律令制を押し進める。そしていくつもあった建国神話を
統一して、口頭の言い伝えではなく書籍に纏め、建国神話を共用できる
ようにしなければならならなかった。そうやって倭と呼ばれていたのを
”日本”という名称にして律令制で使い始めたと。しかし難民、移民の
信仰は先祖崇拝・・つまり土地と結びついている。ところが帰れる土地
は無い。だから言葉、すなわち経典による宗教が必要になってくる。人
間というものは、先祖とその土地と引き離されると心の支えが必要。人
は習慣によって支えられ生きているから。救いとなるのは言葉による宗
教や形による文化。ところがどっこい・・日本は各地の氏神様たちが
た~っぷりいらっしゃるので、経典を持たない事によって共存してる。
こうなると・・仏教の言葉による教えを庶民に広めて救いとしていく事
にしたのが聖武天皇。ただ~しw各寺には八幡宮を守護神としてもれな
くセットに神仏習合とwまずは東大寺大仏の守護神として宇佐八幡宮
(古代豪族連合)が。最後の仕上げの金箔は昔からいた百済系帰化人が・・
庶民に尊敬されていた僧侶を高位に付けたが・・やはり昔からいた百済
系・・という具合wやれやれ・・海外派兵で敗れると・・今もむか~しも、
問題の質はそう変わらない・・前の大戦も大量のディアスポラ(離散者)
がやって来たわけで・・。そして今も昔もテキはトクア地域なのも変わ
りはない。
神武天皇のも~っと前の時代の岩に刻み込まれていたりする神代文字の
時代。約40種あるそうですが、阿比留文字・出雲文字・秀真文字・守恒文
字・神山文字・アイヌ文字・豊国文字・カタカムナ・・などなど。これら
についての研究はもっと進んでいい。大和王朝というのは、これらの文字
を使っていただろう日高見王国・邪馬台国・吉備王国・出雲王国・不弥王
国・投馬王国・伊都王国・熊襲王国などなどが統一してきてできたもので
あろうと。推測するに、何らかの外圧か大災害があったの?ニュージーラ
ンドの古代遺跡などの南太平洋や中南米・・エクアドルで発見された金版
の文字を出雲文字で解読可能とのこと。南方海洋系民族の黒潮利用による
拡散は日本もまた起点にしたかもしれないとw古代のいつかによるけれど、
地形も気候も現代とは若干違っていたでしょうw3500年前には松島付近に
津波が来て縄文人のし者が出ていたそうです。
 種田山頭火 分け入っても分け入っても 青い山
・・・興味はつきませんねw


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ねずさんのプロフィール

小名木善行(おなぎぜんこう)

Author:小名木善行(おなぎぜんこう)
連絡先: info@musubi-ac.com
昭和31年1月生まれ
国司啓蒙家
静岡県浜松市出身。上場信販会社を経て現在は執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」を運営。
ブログ「ねずさんの学ぼう日本」を毎日配信。Youtubeの「むすび大学」では、100万再生の動画他、1年でチャンネル登録者数を25万人越えにしている。
他にCGS「目からウロコシリーズ」、ひらめきTV「明治150年 真の日本の姿シリーズ」など多数の動画あり。

《著書》 日本図書館協会推薦『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』、『ねずさんと語る古事記1~3巻』、『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』、『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』、『ねずさんの知っておきたい日本のすごい秘密』、『日本建国史』、『庶民の日本史』、『金融経済の裏側』、『子供たちに伝えたい 美しき日本人たち』その他執筆多数。

《動画》 「むすび大学シリーズ」、「ゆにわ塾シリーズ」「CGS目からウロコの日本の歴史シリーズ」、「明治150年 真の日本の姿シリーズ」、「優しい子を育てる小名木塾シリーズ」など多数。

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