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真面目な話です。
周囲と違うことを言いだしたら、必ず批判し迫害され、バカにされます(笑)。
これは当然のことです。
なぜなら、周りの人々は、その時点では、全員が旧来の意見(違う意見)だからです。
周囲と違うことを唱えるということは、広義の意味における新説を提唱することです。
周囲の説を仮に旧説とするなら、旧説には実績があり、歴史があり、これによって形成されたヒエラルキー(階層)があり、富や利権があります。
新説は、周囲のすべてを「敵に回す」ことになります。
当然叩かれます。あたりまえのことです。
叩く側(旧説の側)に立つのは容易です。
周囲は味方(もしくは味方と思える人)ばかりだし、叩く意見は周囲から認められるから、批判も堂々とできます。
それは、なにやら自分が認められたような錯覚や、それによる快感を得ることもできます。
一方、新しいことを唱える側は、そうした批判にさらされることによって、自説を強化することができます。
だいたいにおいて、新説というのは、唱えられた最初のうちは隙間だらけで、これは今風に言えば「ツッコミどころ満載」状態なものです。
だから批判が必要です。
つまり周囲が敵となって四方八方から攻撃してくれることによって、新しいことを唱える側は、人も説も成長させることができます。
ですから、それはとってもありがたいことです。
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こうして批判に晒されながら説が強化され、説の証明が誰の眼にもあきらかになったとき、あるいは周囲に味方がひとり増え、ふたり増えして、それがむしろ世間の常識となったとき、これは狭義の「新説」となります。
このときになって、広義の新説は、はじめて世間から認められたことになります。
そこにいくまで、早くて20年、長ければ100年とも言われています。
それだけに、新しいことを提唱する人は、世間から認められないことを最初から覚悟しなければなりません。
そういうものです。
ただ、世の中には不幸にして、ろくでもない新説に巻き込まれてしまう人もいます。
良い例がオウム真理教です。
はじめからただの詐欺でしかないものを、あたかも人類普遍の真理のように唱えて、オウムは犯罪集団となりました。
あるいは世間にわかりやすくするために、意図的に歪めたものもあります。
大国主神話の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)がその一例です。
古事記のどこにも「うさぎ(兎)」とは書いてないのです。
けれど、それを意図して「うさぎ」とすることで、因幡の白兎は、歴史を通じて子供達に良い影響を与え続けてきました。
それはとっても良いことであったと思います。
「失われたものを取り戻す」ということは、このような「新しい説を唱える」ことに似ています。
当用漢字にしても、昭和21年にGHQの指導によって、日本人から漢字を通じた推理力・洞察力・判断力・理解力、そして先を読む力、考える力を失わせるためという目的をもって、およそ2千字弱のよく使われる漢字が選ばれ、その文字が簡略化されました。
これによってたとえば、大人たちが子を一人前に育てるという意味の「學」が「学」となり、子が学ぶものが「学」となりました。
もともとは大人が能動、子が受動だった「學」が、子が能動、大人が受動にすり替えられてしまいました。
筆順も変えられました。
「必」は、「心」を書いてから「ノ」を書くものであったものが、「ソ」と先に書くように変えられました。
これによって、もともとの「必」が、心にビシっと刻む(ノ)という意味であったものが、何やら点をいっぱい打つだけのもの、足跡を残すためだけのものへと、意味が変化してしまっています。
和歌も、戦後に、テニヲハを工夫するだけの文字遊びのようにされ、とりわけ古典和歌は中高年のふしだらな男女の恋愛ソングのように扱われるようになってしまいました。
神話も、もともとは私たちの祖先が、後世に残してくれた子孫に伝えるべき大切な寓話としての神語であったものが、戦後には、ただの荒唐無稽な作り話や童話、あるいは妖怪譚のように扱われることになりました。
そして我が国の正史であった日本書紀は、ついには史書としての扱いからさえも外され、歴史学では取り扱わないものにされてしまうという結果を招いています。
その理由というのがふるっていて、これは戦前の研究者にも問題があったと思いますが、歴代天皇の寿命がありえないほど長すぎるといいます。
たとえば神武天皇は127歳(時年一百廿七歲)、垂仁天皇は130歳(時年百卌歲)と書いてあります。
なるほど、数字だけを見たら、長すぎるといえる寿命です。
しかし、原文を見れば「時年」と書いてあります。
この時代の「年」は、稲の収穫から次の収穫までを表し、当時は二期作です。
つまり年というのは、いまでいう半年のことです。
要するに神武天皇は63歳、垂仁天皇は65歳で崩御されたと記述しているのです。
この時代は、大和言葉に近い意味の漢字を手探りしていた時代です。
それには、相当の苦労があったことでしょう。
それでも、1300年前の私たちの先輩たちは、後世の人々に、日本の成り立ちをすこしでも整理してわかりやすく伝えようと、それは仮に大和言葉が失われてしまったとしても、漢字の象形性をもって、何千年経っても、その意義が失われないようにと、真剣に文書に取り組んでくださっていたことを意味します。
そうして諸先輩たちの苦心をまったく省みようともせずに、ただ「おかしい」と決めつけるのは、現代人の傲慢としか言いようがないものと思います。
もっと謙虚に、もっと素直に、ありがたいこと、尊敬すべきことと思って、しっかりと読めば、そこには限りない子孫への愛情が満ち溢れているのです。
逆にいえば、私たち日本人から、こうしたご先祖の愛を失わせようと画策した人たちは、日本人から愛を失わせようとした人たちであるということができます。
それはオウムとなんらかわりないことです。
道理で、戦後日本がオウム事件に破防法の適用ができなかったわけです。
ちなみにネット工作を専門にしている某極左系会社(仮にPC社と呼びます)は、インターネットの掲示板、ブログ、SNSなどへの対策専門の会社なのだそうですが、この会社の会長と称する人物は、名だたる極左系国会議員各位に、年間1千万単位の政治献金を行っています。
ネットでは、あからさまな粘着やしつこい個人攻撃などが反復継続して行われていますが、いわばその元締め役の、どうやらこれがダミーで、そこでは、IPアドレスやIDを無限に創作して(つまり複数の人になりすまして)投稿ができるツールが用いられ、ネット工作をしているのだそうです。
つまり、日本解体工作には、いまだ巨額の資金源があるということです。
これら工作によるものは、上に述べた「周囲を敵にする」とは意味が異なります。
これらは、情報テロ集団です。
いくら装っても、テロは言論ではありません。
下の本は、昨日出版されたばかりの本ですが、そのあたりのことが詳しく書かれています。
興味の有る方にはご一読をお薦めします。
お読みいただき、ありがとうございました。

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コメント
にっぽんじん
中国は国際法に反する自国法を制定して、他国の船舶に対して中国の法を守れと強要している。それなら他国も中国に対して同じ法を作って中国にのみ適用すべきだといった内容です。
これは検討に値する提案ではないかと思われる。領海に関する法律だけでなく、不動産の取得などに関しても中国の国内法と同じ対応を取るべきではないか。日本の不動産を中国企業や個人が買い漁っているのは中国による侵略を許しているようなものだ。
中国では土地は国有であって、企業や個人は所有できず、賃貸借しか許されていない。中国に対しては全て相互主義で対応すべきではないかと思われる。
2018/01/19 URL 編集